イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

「振り向けば」、な言葉たち

2008年03月13日 00時07分28秒 | Weblog
気がつけば花粉症振り向けばピケ

おそらくみんなそうじゃないかと思うんだけど、ある言葉を目にすると、かならず何かを連想してしまうことがある。たとえば、「振り向けば」ときたら、僕の場合、ほぼ必ず「ピケ」っていうフレーズが思い浮かぶ。「振り向けばピケ」――これは、もう二十年近く前になるだろうか、古館伊知郎がF1の実況をしていたときに十八番にしていたフレーズで、ネルソンピケっていうブラジルのレーサーが、地味ながらもいつも気がつけばトップの後ろに迫っているという特徴を表しているのだ。当時何度聞いても笑えた。ともかく、なぜだかわからないけど僕に関して言えば、「振り向けば××」の××の刷り込みは完璧に成功している。好むと好まざるとに関わらず、もう「振り向けば」とくれば「ピケ」なのだ。「私のハートは」とくれば「ストップモーション」ときてしまうのと同じなのだ。

そして、そういう刷り込みは、往々にして連鎖を呼ぶ。大学のとき、一時期所属していたボクシング部が早稲田大学と対抗戦をした。そのときにパンフレットが作られて、出場選手がそれぞれコメントを記していた。まあ、たいていは「頑張ります」とか「得意なのは右ストレートです」とか、そういうありきたりのことだったと思うのだけど、早稲田のとある選手が、ボクシングのことにはまったく触れずに「振り向いたらピケがいて、マンセルがなんとかかんとかで、プロストがどうだったので、厳しいレースだった」とかなんとかとてもシュールなことを書いていた。そう、その選手は、あえて「外した」のだ。公式のパンフレットでそんなことをしているのはその人だけだったように思う。とにかくそれが妙におかしくて、友達と馬鹿受けした。それで、夜のレセプションのときにその選手に挨拶にいった。コメント面白かったですって伝えたくて。話したら、やっぱり面白い人だった。

――ということを、「振り向けばピケ」という言葉を聞くと、思い出すのだ。つまり、「振り向けば」と聞いただけで、ピケのことも思い出すし、それにつられて、あの夜のレセプションの、あの早稲田のボクサーのことも思い出すのだ。普通に人を話していて、「振り向けば」という言葉が会話の中に登場した瞬間に、これらのイメージが走馬灯のように脳裏を駆け巡るのである。さらに、そこから派生するイメージはさらなるイメージを呼び、次々に妄想の連鎖がつらなっていく。まるでフェリーニの映画のようだ。

ネルソンピケ早稲田のボクサー妄想のメリーゴーランドは今日も止まらず

個人的な、あまりにも個人的なイメージが、僕の頭のなかだけで喚起される。そういうたわいのない思い出というかガラクタというか、とにかくそんなものたちが僕の記憶の海底にゴマンと眠っていて、様々な言葉に出くわすたびに、瞬間的に海面に浮かび上がってくる。

で、僕の中では「気がつけば」は「振り向けば」かなり近い意味合いを持っていて、なんとなく使ってしまう。まあ、注意力が散漫だから、本当に気がつけば××、ということが多くて、自らの日常を観察してみると、ついつい「気がつけば~」と書いてしまう。

それにしても、花粉症。本当に、気がつけば花粉症。生まれてこのかた、花粉症とは縁がないと思っていたのだけど、まったく花粉なんてへっちゃらと思っていたのだけど、2、3年前に初めて症状がでて、今年で2回目か3回目。振り向けば花粉、振り向けば鼻水。もう最悪。体調もよくない。こんな状態でマラソンなんか走りたくない。マジつらいっす。

そそそそそそそそそそそそそそそそそそそそ

『荒ぶる血』ジェイムズ・カルロス・ブレイク著/加賀山卓朗訳
『野球術』ジョージ・F・ウィル著/芝山幹郎
『二日酔いのバラード』ウォーレン・マーフィー著/田村義進訳
『トータル・リコール』フィリップ・K・ディック原作/ピアズ・アンソニー著/日暮雅通訳
『ライフウィズドックス』シェルパ斉藤
『おかしなおかしな大記録』スティーブン・パイル著/中村保男訳
『そこで夢はかなえられる』池田満寿夫
『oyaggi』おやむす。+プロジェクトO.著
『仕事を楽しめれば人生は楽しい』中山庸子
『シンドロームダンス』おちまさと
『森奥の呪縛』馳浩
『スズキ不動産集合住宅編』鈴木紀慶
『そうだったのか! 日本現代史』池上彰
『そうだったのか! アメリカ』池上彰