イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

春と毒薬

2008年03月12日 00時20分58秒 | ちょっとシリアス
さよならも言わず去ることすら告げず終わりの日に初めて君のこと知る

気がついたら春がすぐそこまで来ていた。実はもう、春かもしれない。どうやらあと少ししたら桜も咲くらしい。ウソみたいだ。きっと、狐狸庵先生も驚いているに違いない。劇的な変化は、いつもこうして訪れる。いつか来るだろうとわかっていたその瞬間は、長らく待ち焦がれていたその日は、いざ目の前にするとあっけないものなのだ。どうしていいかわからないものなのだ。

あの人が去る。前触れもなく、ある日突然去っていく。いざそれを知らされて、え~、そうやったんか、と思う。あっという間に、別れの瞬間が近づいてくる。何を話せばいいのか、何をすればいいのか。ヘンに浪花節になるものいやだし、ヘンに普通すぎるのも白々しい。少しだけセンチメンタル。妙なリアリズム。去ることを決意したあの人の眼は、すでに先の世界を見ている。そして、そんなあの人のことが、あらためて心に映る。こんな人だったんだなとしみじみと。なんだか、初めて会う人のようにも思えてくる。やがて終りのときが来て、ひょっとしたらホロリと涙の一筋もこぼれて、そしてあの人はあっけなく目の前から消えていく。そして、もうあの人とは現実の世界では会えなくなる。記憶の中でしか会えなくなる。おそらく、いやほぼ間違いなく、あの人と会うことは二度とないのだ。あの人は、僕の心の中で、ただ生き続ける。

エレベーター小さな彼女の吐息だけ 春が来る前にもう僕は抜け殻

エレベーターに乗る。少女が一人。音もなくエレベーターは動き出す。彼女の吐く小さな息が聞こえる。しっかりと、そしてゆっくりと。彼女は、生きている。なんというか本当にもう、生きている。生まれてまもない子供がそうであるように、呼吸をすることが、彼女がそこにいるということが、とにかく切実なのだ。生きているのだ。そして、彼女が「生きている」ということがここまで僕の目に現前と迫ってくるということは、それは同時に僕が実は「死んでいる」かもしれないということを意味している。彼女の小さくともあの圧倒的な生の存在を前にして、僕は初めて自分が死んでいたことに気づく。しみじみと思う。僕は僕として人生の主役を生きている。ときに地球は僕を中心に回っている。しかし、それは間違いだ。どう考えても、この若い彼女が存続することの方が、僕が存続することよりも、人類全体的にみれば価値があるように思える。今、突然二人のうちどちらか一人が絶対に死なければいけない状況になったのなら、僕が挙手して死を選ぶべきなのだろう。たしかに、それでもしょうがないと思う。悔いはない。まあ、そんな状況にはめったなことでは陥らないのだろうけど。

そんなこんなで、春が来る。楽しみだ。夏はもっと楽しみだ。これからが本番なのだ。強烈な日々が待っているはずだ。だけど、悲しいかな、既に僕は抜け殻なのだ。それは隠しようもない事実なのだ。抜け殻なんだけど、抜け殻じゃないフリして、生きているフリをするのだ。

『夜回り先生』水谷修
『パレード』吉田修一
『いのちの響 心の言葉』いのちの響プロジェクト
『パートタイムサンドバック』リーサ・リアドン著/川副智子訳