おはようございます。
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(5月17日)はカミさんと沼袋の氷川神社に足を伸ばしました。
西武新宿線の電車の中からその存在を窺っていましたが、初めて行ってみました。
七福神も祀られていました。
大黒天(左)と戎(えびす)天をアップにするとこんなふうでした。
それにしても昨日は暑かった。
東京は日中30℃を記録したようです。
昨日はまた、「家族会議」をファシリテートできるスキルを磨く講座が満席になってしまった日でもあります。
これから受講を希望する方は、私の初回講座を受講し私がお墨付きを与えられる人をご紹介いたします。
さて、「私にも我が家に上司が存在する:家庭内のリーダーシップについて」シリーズの6回目です。
今まで読まれた方の中は、家庭内のリーダーシップとか、パートナー関係をリーダー・フォロワーで捉えるのはアドラー心理学の唱える「ヨコの関係」に反するのではないか、という疑念を持たれる人がいるに違いありません。
そんな人たちのために私は2つのことを申し上げたいと思っています。
1つは、「ヨコの関係」というのは、構造的にカップルのそれぞれがフィフティ・フィフティの権利と責任を有する関係についての誤解です。
こんな事例をお伝えします。
私たち夫婦は1990年ごろカップル・カウンセリングを受けたことがあります。
そのカウンセラーはバリバリの男女同権論者で、夫婦は共に過ごすときにフィフティ・フィフティに仕事を分担し、家事も育児も均等にしなさい、と言う人でした。
私たち夫婦はカウンセラーの言うとおりにしました。
しかし、1カ月ほどしてギブアップ宣言を申し出た人がいました。
私ではなくカミさんでした。
「私は専業主婦として家でかなり寛ぐことができている。それに対して、あなたは仕事で疲れて帰ってきて、それなりに家で家事を分担している。そんなあなたを見ていると気の毒でたまらない」という趣旨の発言でした。
私たちは話し合いの結果、元の状態に戻したのです。
そこで2つめに関わります。
5月15日のブログの権限の定義に書いた「相互間の合意に基づく力(パワー)」を切り口にします。
それに基づけば、カップル間のリーダー・フォロワー関係は「相互間の合意に基づく役割関係」であって、人間の尊厳に上下があることとは全く別なのです。
あくまでも話し合いに基づく合意なのです。
ある案件は妻側、別の案件は夫側、というようにリーダーシップの交代が合意によってなされるのが健全なヨコの関係なのです。
ここでルドルフ・ドライカースの『人はどのように愛するのか』(英語の原典は”Challenge of Marriage”、前田憲一訳、一光社、絶版)から愛の定義を引用してこのシリーズを終えることにします。
広義:「愛とは、感情の高まりでなく、よりよい人間関係の副産物である」
狭義:「愛とは、パートナーの2人が愛と定義するものである」
◆参考:カップルの関係をより良くするための必読書
『男と女のアドラー心理学』(岩井俊憲著、青春出版社、1,400円+税)
是非、お読みくださいね。
(クリックして勇気づけを)
<お目休めコーナー>5月の花(17)