アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日までタクロウの家族が2泊3日で我が家に滞在していました。
我が家から徒歩25分のところに転居してくるためです。
ソラ君の存在が、私たち夫婦を明るくしてくれました。
写真は、ソラ君を抱っこして悦に入っている私です。
さて、4月25日付のブログ 「本日退院+Web GOETHE『超訳 アドラーの言葉』の第5弾」(https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20240425)で次のように書いていました。
これからはハイ・パフォーマーをかなぐり捨てロー・パフォーマーで生きていこう。
急ぐよりゆっくりと。
敏感よりも、鈍感。
直進よりも周り道。
今までの自分とは違った生き方も備えていこうと決心しました。
ただ、この表明にはタクロウを含む数人から「何もあえてロー・パフォーマー(業績不振者)になることはなかろう」との異論が出て、私は両極端のどちらかを選択するのではなく、事と次第によっては「敏感と鈍感、直進と周り道」のどちらも使いこなせる状態が望ましかろう、との結論づけました。
そもそも、ロー・パフォーマー(業績不振者)とハイ・パフォーマーを分けるものは、共感力、協力的姿勢、向上心、責任感の低さ・高さです。
そこで、たどり着いたのが「【エッセンシャル】という軸を持った生き方」、つまり【エッセンシャル・パフォーマー】です。
■【エッセンシャル】については、過去にブログとYou Tubeで【エッセンシャル思考】として語っています。
・2022年12月18日付けブログ 「【エッセンシャル(本質的)】+【エフォートレス(努力なし)】の思考法」(https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20221218)
・You Tube「アドラー心理学専門チャンネル/ヒューマン・ギルド」 で「【アドラー心理学】エッセンシャル思考をもとに」(12分ほど)
↓ ↓
https://youtu.be/uDAwesbmbak
【エッセンシャル】という軸を持った生き方」には、次の特徴があります。
(1)ささいなこと(トリビアル)に流されず、エッセンシャル(本質的なこと、不可欠なこと)を判断基準とする生き方
(2)重要度、緊急度に応じて優先順位と劣後順位を決めて取り組む生き方
(3)流行に流されず、原理原則を大切にし続ける生き方
(1)については、過去のブログとYouTubeアドラー心理学専門チャンネルをご参照ください。
(2)は、下記の画像のとおり、重要度も緊急度も高いタスクを「決定打」と捉えて優先し、そのどちらも低かったり、重要度の緊急度のどちらか、あるいは両方が高いとも言えなかったりするタスクの場合、「劣後順位」を基準として後回しにする考えです。
(3)の「流行に流されず、原理原則を大切にし続ける生き方」には、少しばかり注釈を要します。
【エッセンシャル】という軸のベースとなるからです。
私の今回の不測事態を振り返ると、精神的な支えはアドラー心理学と仏教でした。
アドラー心理学と仏教は、私の原点であると共に2大軸です。
特に仏教に関しては、2月26日から今日までひたすらお経を唱え、仏様に祈り、神仏からのメッセージを謙虚に受け止めました。
その結果、奇跡と言ってもいいくらい最悪事態を食い止めることができ、一昨日のブログに書いたとおり、最悪事態の命を取られることを10として3か4で済んだのです。
入院中は、ひたすら仏教の本を読んでいました。
『維摩経をよむ』(菅沼 晃、NHKライブラリー)
『般若心経講義』(高神覚昇、彩図社文庫)
そして、退院後は1990年ごろに購入していた『こころをよむ 仏典』(NHKサービスセンター)をテキストとカセットテープで仏典の勉強をしています。
このように、今後は、アドラー心理学と仏教をベースに【エッセンシャル】という軸を持った生き方をしていきます。
※『こころをよむ 仏典』に私の好きな『自愛経』とでも言っていいような「マッリカー」が載っていましたので、『サンユッタ・ニカーヤ』 (中村 元訳)から一部簡略化してコピペしておきます。
世の中で一番愛おしいのは自分自身であることに立ち還ることができる教えです。
コーサラ国王パセーナーディは、みごとな宮殿の上で夫人のマッリカーに対してこんなことを言いました。
「そなたには、自分よりももっと愛しい人が誰かいるかね」
それに対して夫人は答えました。
「大王様、私には自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、ご自分よりももっと愛しい人がおられますか?」
「マッリカーよ、私にとっても自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない」
このやりとりの後、コーサラ国王パセーナーディは、宮殿から下りてお釈迦様のおられるところに出向きました。
お釈迦様に近づいてから挨拶して傍に座りお釈迦様に向かって次のように尋ねました。
「私はマッリカー妃とともに身元な宮殿の上にいて、マッリカー妃にこのように言いました。
『そなたは、自分よりももっと愛しい人が誰かいるのかね』と。
そのように言われて、マッリカー妃は私にこのように申しました。
『大王様、私には自分よりもっと愛しい人はおりません。あなたにとってもご自分よりももっと愛しい人がおられますか』と。
私はマッリカー妃に申しました。
『マッリカーよ、私にとっても自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない』」と。
そこでお釈迦様は、このことを知って、その時この詩を唱えられました。
どの方向に心で探し求めてみても、
自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。
そのように、他人にとっても、
それぞれの自己が愛しいのである。
それゆえに、自分のために他人を害してはならない。
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