チャレンジ教室ももうかれこれ何年でしょうか。
一期生の小学6年生だったAくんが、高校2年生だから、
もう6年かな。
入れ替わりもあったけど、
ここ数年間ずっと来ている子どももいれば、
1度退会して、また始めた子もいる。
今の教室はメンバーがほぼ替わっていないので、
すごく雰囲気も落ち着いて、
数年前とは違ってみんなしっかり勉強している姿が当たり前になっている。
わたしがこの6年で一つ学んだことは、
子どもは良くも悪くも変化するということ。
この教室は、色んな子が来るけど、
本人の意思じゃなくて、
親に連れられてくる子のほとんどは、
「もう勉強なんてやりたくない!」
という顔でやってくる。
そういう子が最初のうちは、
授業中にどんなにやる気のない態度をとっても、
それはまあ、仕方ないなあと思う。
そもそも、来て、椅子に座ってるだけでも偉いやん!
だって、本当に、自分のために来たんじゃないからね・・・
普通に考えても、他人のために、
イヤな事をさせられる場所に行くなんて、わたしは無理ですよ。
ほんとうに、イヤですよ。
でも、愛してる人が「あなたのため」、というから、
我慢して来てるんですものね。
よく来たよ。
持ちたくないだろう鉛筆持つだけでも、本当に立派です。
こっちも、何かできたらいいなと思うけど、
欲張ってはだめなのですよね。
最終的には勉強をして欲しいんだけど、
勉強っていうのは、
自分がやろうと思わなければ、できないからなあ。
すでに自分をあきらめきってしまっている子を、
もう一度、あきらめない自分にするのは、
ものすごく時間がかかります。
一年どころじゃなくて・・・
大人達が、長い間かけて、傷つけて、壊してしまった、
その子の自尊心、
取り戻すには、
二年、三年、当たり前のように、かかります。
それでも、変わるってことを私はこれまでの子どもたちで
見させてもらったから、
自信を持って、待てます。
待ってあげて欲しいです。
信頼して、
待てば、変わるのです。
今日もひとり、男の子が来ました。
すごく大変そうな子でした。
「ぼくは、仕方ないから、お母さんのために来ました」、
と 顔に書いてありました。
最初は「こんなとこ来たくない!」から、
「来てもまあ良いか」
くらいに思ってもらえるようになってほしいんだけどな。
その子が帰った後、
「あの子は、きょうは、しんどそうやったなあ」
と私が言うと、
みんな「うんうん」と頷いていました。
「まるで、●●くんの3年前の姿そっくりやなあ」と言うと、
みんなまた、「うんうん」と頷いていました。
最初は、「勉強なんか絶対にするもんか!」
「僕はどうせできないんだから、やりません!」
という子が、
自分のために鉛筆を持とうとするまでに
どれほど時間がかかるか、
わたしたちは見てきました。
それでも、その子のペースでいいんです。
焦らないで欲しいです。
やる気がないのは、その子のせいではありません。
自分のためにがんばれないのは、
色んなことを、あきらめざるを得なかったんでしょう。
あきらめるまでに、きっと沢山がんばったはずです。
それでもだめだったのでしょう。
叱られたのかもしれません。
だれも、味方をしてくれなかったのかもしれません。
やる気がなくなるのも、当たり前です。
だから、やる気がないことを責めるなんて、とんでもないことです。
そういう子が、もう一度、
「自分のために」
という思いを持ってくれるようになるまで、
好きなことをしながら、あれこれしながら、待ちます。
お母さんのためでも、先生のためでもなくて、
自分のためでなければ、
ディスレクシアは乗りこえられません。
ディスレクシアは、主体的な取り組みが必要です。
「自分なりのやり方」を見つけていかなくてはいけないのです。
与えられる選択肢を試して、どれが自分にあってるか、
どう変えていけばもっとよくなるかなど、
自分だけが答えを知っているのです。
だから、わたしはあれこれ投げながら、待ちますよ~。
受け止めたくなったら受け止めればいいし、
イヤならまた気が向くときにやればいいです。
我慢も、したかったらしたらいいし、
したくなかったらしないでいいです。
誰かのためにがんばらなくていい。
常に選択権は自分にあります。
今日は、見学に来てくれた彼のおかげで、初心に返ることができました。
できて当たり前なことなんてないです。
子どもたちは、よくがんばってます。
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