一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

2199  落椿三々五々に黄泉の道  薪

2021年05月06日 | 

「三三五五」は、李白の漢詩「採蓮曲」にある。人々があちらに三人、こちらに五人と見え隠れする情景を言う。

「黄泉」は、日本神話における死者の世界のこと。日本の国土ができると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は多くの神さまを生んだが、最後に火の神さまを生むと、伊邪那美命は大火傷を負って亡くなってしまった。悲しさのあまり伊邪那岐命は、死者の国である「黄泉の国」へ伊邪那美命を連れもどしに出かけて行った。しかし、黄泉の国の食事をしてしまった伊邪那美命は、もうもとの国には帰れない。 伊邪那岐命が迎えに来たことを知った伊邪那美命は、「くれぐれも自分の姿を見ないよう」伊邪那岐命に言い残し、黄泉の国の神様のもとへ相談に行った。もうどれくらいたったことでしょう。待ちきれなくなった伊邪那岐命は、髪にさしていた櫛をとって火をともし、辺りを見回した。何としたことだろう。妻の姿が見るも恐ろしい姿となって、そこに横たわっているではないか。あまりの恐ろしさに、伊邪那岐命は逃げ出してしまった。自分の姿を見られた伊邪那美命は、髪を振り乱してその後を追いかけた。黄泉の国の入口まで逃げてきた伊邪那岐命は、大きな岩でその入口をふさいでしまった。伊邪那美命は自分を見ないでという約束が破られたことを悔しがり、「あなたの国の人を一日千人殺してしまおう」と言い、これに対し伊邪那岐命は、「それならば、私は一日に千五百人の人を生もう」と告げる。それ以来、一日に多数の人が死に、より多くの人が生まれるようになったということです。(古事記より)

 落椿を見て、死を考える。自分の死か身内の死か、それとも・・・黄泉の国を考える。

 2020年の日本の死者は,前年より9373人減って(新型コロナのお陰かもしれない)、年間138万人、一日3793人、一時間158人、一分約三人。確かに、三三五五がぴったりだ。

タツナミソウ(立浪草)


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