一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

235   赤潮のたゆたうている余生かな

2011年05月03日 | 

 「たゆたう・揺蕩う」とは、物がゆらゆら動いて定まらない。ただよう。心が動揺する。ためらうこと。漂うと同義の古語。

 

 最近の朝日俳壇の選句された句のほとんどが東日本震災関連で驚いたが、こんな単純な句も何とも言えない不安が内蔵されているのではないか、と勘繰ってしまう。

 

 作者は、確かに海の見える、赤潮の見える場所に住んでいるから、単に赤潮と余生を取り合わせただけかもしれないが、地震や放射能汚染の不安が潜んでいるのではないか、いや潜んでいるに違いないのである。

 

タンポポ(蒲公英)

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