オレがやる!

段ボール機械メーカISOWAの
営業スタッフブログ!!

播州路 魅惑の姫路城

2015-09-17 15:15:54 | 池田 和久

こんにちは。名古屋営業所の池田です。

今年の夏は冷夏の予想はどこ吹く風、本当に暑い夏でしたね。

 

その暑い夏の終わりとなる8月末に、家族で兵庫県まで旅行に
行ってきました。

旅行のメインは“姫路城”でした。

 

姫路城といえば“国宝”で、ユネスコの世界遺産にも登録され、
日本100名城にも名を連ね『美しさは日本一』とも言われる
日本人であれば誰もが知っている名城ですね。

また、今年3月に平成の大修復工事も完了しましたが、別名
“白鷺城”といわれるほどその白さには驚きを覚えました。

その白さの秘密は白漆喰を使用しているためで、白漆喰は
火災防止の役目もあるようですね。

数年後にはカビも生えて黒ずんでくるため、純白の姫路城を
見るなら“今でしょ!”ということのようです。

 

姫路城は昨年の大河ドラマで放映された“軍師官兵衛”の中
でも出てきましたが、その地に築城してから既に約600年、
天守閣も約400年経っているんですね。

姫路城は、新幹線の車窓からは何度か見たことがあったのですが、
実際に訪れてお城の天守閣に登ったのは初めてでした。

大手門から入城して三の丸を抜け、天守閣の入り口まで来た
ところで城の中は既に大勢の観光客でいっぱいでした。

聞くところによれば、夏休み期間中は連日の大賑わいで、入場
規制となるほどのことでしたが、訪れた日は平日だったことも
あり、比較的スムーズに見学ができました。

大天守は6階建てで、階を進むにつれ階段も急になり、最後は
梯子のような階段を登り最上階まで上がりました。

最上階には刑部神社があり、あの剣豪 宮本武蔵が刑部姫と
対決したという逸話があるんですよ。

お城の中は土足厳禁で、靴を脱いで城内を見学しましたが、
逆に靴を脱ぐことで素足から伝わってくる床の感触は趣が
あり、お城の中を歩いているという感覚が直に伝わりました。

 

私の住む名古屋にも金の鯱で有名な“名古屋城”があり、
名古屋城にも何度か行ったことはありますが、名古屋城とは
違った趣を持ち、それぞれ日本人の宝だと思わせる名城ですね。

 

姫路城見学の後、姫路から赤穂へ車で移動をしたのですが、
高速道路を移動中に、大阪サービスのサービスカーと遭遇し、
乗っていた大阪サービスのOGさんに手を振ったら、
OGさんは思わずビックリ。

こんなオチのある播州旅行でした。

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時を越えた古民家のお蕎麦

2014-06-10 11:41:21 | 池田 和久

名古屋営業所の池田です。

いよいよ梅雨に入りましたね。

北海道を除き日本全国梅雨時はどこも
じめじめしていやな日々が続きますね。

名古屋の梅雨も同じですが、名古屋は
梅雨があけても湿気の多い暑い夏が
続くので、しばらくはつらい時期と
なります。

さて、先日長野へ行く機会があり、
昼食で何を食べるかということに
なりました。

メンバーの一人が、
『長野といえばお蕎麦でしょう!
 美味しい蕎麦が食べたい!
と、声高らかに発言してくれました。

長野ではよそ者の名古屋人。
“おいしい蕎麦”
と言われても、どのお店のお蕎麦が
美味しいのか見当もつきません。

でも、そこはISOビー(ISOWAビト)。
誰でも持っているIpadを片手にサクサク
と検索。

出てくる出てくる、お蕎麦屋さんが
いっぱい!

しかし、どのお店のお蕎麦が美味しい
のか皆目検討もつきません。

その中の一つに、古民家を改装して
“いかにも”というお店を発見。

いざ!そのお店に直行とナビを設定して
車を走らせました。

ナビ通りに車を走らせると住宅地に入って
行き、とてもお蕎麦屋さんがあるという
雰囲気ではありません。

そして突然表れたのが、この写真のお店。

メンバー一同
『すごい!』
の一言。

“絶対美味しいお蕎麦を食べられる
と、確信してお店に入りました。

お店に入るまでにご覧のお庭を抜けてお店の
前まで進みました。

“絶対美味しいお蕎麦が食べられる”
という期待感と裏腹に、
“もしかしたら、とても高価なお蕎麦なのかも
 しれない、財布の中身は大丈夫だろうか?
と、心揺れ動く気持ちを抑えつつ玄関をくぐり
ました。

女将さんらしき方が店の中に案内してくれましたが、
古民家だけあって柱も黒光りし、年代を感じる欄間が
あり、座敷は4つの部屋が集まる漢字の“田”の字に
なっていました。

“お蕎麦の期待が高まり、財布の中身が益々気に
 なる”

ちょうどお昼時で、店内には年配のちょっと偉い
雰囲気のある方がお客様と昼食をご一緒している
先客が何組かいました。

“接待にくるお店ということは、お蕎麦も美味しく、
 でも高めなのか?財布の中身は大丈夫か!
と、心臓はバクバクする次第です。

お店の方が蕎麦茶とメニューを持ってきてくれて、
いざメニューを見ると、お蕎麦とてんぷらしか
載っていない生粋のお蕎麦屋さんでした。

そして、お蕎麦の値段は・・・!

ちょっとお高めだけど、決して財布の中身を気にする
ような値段ではありませんでした。

心臓の高鳴りもおさまり、安心してメンバーはお蕎麦や
てんぷらなどをオーダーし、待つこと10分程度期待の
お蕎麦が出てきました。

お蕎麦の風味が十分感じられるとても美味しいお蕎麦
をいただき、満足を感じていたところ、定番の蕎麦湯が
出てきました。

つゆに蕎麦湯を入れたところ、これが通常では考え
られないほどのドロドロ感。

メンバーの一人が、
『こんなにドロドロした蕎麦湯は初めてです』
と、普段でも大きく丸い目が一層大きくまん丸に
なっていました。

そして、続けて出てきたのが、サービスの蕎麦かりんとう。

これもお蕎麦の風味が感じられ、美味しくいただきました。

お店を出るときに、女将さん風の方にお話を伺うと、
建物は先祖代々の家で150年ほど前に建てられ、屋根の
茅葺は25年程度で葺き替えするとのことでした。

お店は15年ほど前に始めたとのことで、蕎麦屋としての
歴史はないんですよ、とのことでしたが、とても美味しい
お蕎麦をいただいたとメンバー一同満足してお店を後に
しました。

メンバーの安易な一言で始まった昼食でしたが、素敵な
お昼時を過ごすことができ、この後の仕事が意義のある
ものであったことに間違いなかったことは言うまでも
ありません。

是非、長野へお出かけの際はお立ち寄りいただくことを
お勧めします。


 

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我が家のフードバトル

2013-02-27 14:23:28 | 池田 和久

みなさん、こんにちわ。
名古屋営業所の池田です。


我が家のお隣さんのO家のご主人は、春日井市の学校の先生で
以前ISOWAにも見学にこられたことがある方です。

O家とは以前から家族ぐるみでの飲み会仲間ですが、ご主人が
ISOWAに見学にこられてからはISOWAファンのお一人に
なられ、飲み会をするたびにISOWA談義ならぬ、ISOWA
場外オフサイトになっています。


さて先日も、そのO家のみなさんと飲み会を行いました。

そのときに我が家が作った料理がこちらです。


一品目は“カレーケークサレ”です。

私は初めて耳にする料理の名前で、初めて食しました。
我が家の専属シェフがインターネットでレシピを見つけ、作って
みようということになり、トライしました。

見た目は“パウンドケーキ”見たいです。
しかし、食すると確かにカレー風味で、見た目と味のアンバランス感が
これまた絶妙! O家での飲み会でもあっという間になくなってしまい
ました。

意外とお酒の肴になる一品です。ご興味のある方は是非ご家庭で
作ってご賞味あれ。
作り方はインターネットで調べると多数出てきますよ。
お好みでどうぞ!


二品目は“ひき肉の玉子巻き中華風”です。

ひき肉をふんだんに使い、彩りにミックスベジタブルを入れ、薄焼き
玉子で巻きます。

薄焼き玉子で巻くときがこの料理の最大のポイントです。

巻き簀を駆使して、軟らかいひき肉を破れやすい薄焼き玉子で
素早く綺麗に巻きます。

ここで、腕を発揮したのが何を隠そう“私”です。

家内と娘の熱い視線と野次を浴びながら、巻き簀と葛藤すること4分。

どうです。綺麗に巻けて成形できているでしょう!
料理は見た目も大事!私も捨てたものではない!と勝手に自画自賛。
このポジティブさも大切です。

もちろん、こちらの料理も好評で、あっという間になくなってしまい
ました。


三品目は“ハムとシーチキンのスパサラダ”

子供受けするかと思いきや、意外と大人が喜んで食べていました。

O家が作られた料理と合わせ、料理がうまいと酒もうまい!
ついつい酒も進み、どれだけ飲んだかは、内緒です。


番外編ですが、2月は我が娘の誕生日。いつもは私たち夫婦でケーキを
作り祝うのですが、今年は娘が一人で作ると言い出し、家内をアシスタント
に作りました。

これがそのときのケーキです。

奮発してイチゴもいっぱい。
はじめて作った割には成形も綺麗で、スポンジも上手にできていたと
思う私はやっぱり親ばかでした。

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我が家のお雛様

2012-02-22 13:53:30 | 池田 和久
こんにちは。名古屋営業所の池田です。

4月に営業に復帰して、まもなく1年が経過しようとしています。

本当に、1年なんてあっという間ですね。



さて、もうすぐ“ひな祭り”を迎えますね。

冒頭の写真は我が家のお雛様です。

我が家にも、姫がひとりいて、この姫が生まれたときに家内の
両親が喜んで買ってくれたものです。

我が家は男家系なのか、私も弟がひとり、私の父親の兄弟も
男ばかり、そしてその子供たちも男ばかりで“女の子”がいま
せん。

そのためか、我が家に女の子が生まれ、初めてお雛様を飾った
ときの我が両親の喜びようは、今も昨日のことのように覚えてい
ます。

一昨年、義父は亡くなりましたが、義母と両親を喜ばせること
もあり、毎年お雛様を飾っています。

でも、飾りつけと後片付けは何故かいつも私の役目で、娘や家内は
旗振り役ばかりです。

その娘も高校受験を向かえ、お雛様のおかげか、無事志望校への
合格が先日決まり、我が家の受験騒動は無事終息しました。

娘が生まれてから今までいろいろなことがありましたが、今まで
特に大きな事件や事故もなく、平穏に過ごせたこともお雛様の
おかげと改めて感謝しました。

これからも、いろいろあるかと思いますが、必ずお雛様が見守って
くれると信じて、父は毎年せっせとひな壇を飾ることを決意しました。
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3年ぶりの復活

2011-08-04 15:52:12 | 池田 和久
『こんにちは。名古屋営業所の池田です。』
と、ご挨拶しても“誰?”と思われる方も
おみえでしょうね。

2008年3月まで名古屋営業所に所属しており、
今年の4月に再び名古屋営業所に戻ってきま
した。

“営業マンブログ”では3年ぶりのアップと
なりました。

この3年間は、営業本部内の営業技術グループ
という部署で主に営業マンのバックアップに
関する仕事をしていました。

この3年間は直接の営業から離れ、営業の仕事
や営業マンを違う角度から見ることができま
した。

そのためか、個人的には今まで自分が行って
きた“営業”という仕事に対して少し見方や
考え方も変わったような気がしています。

営業マンから要請されるいろいろな仕事を
バックアップすることで、営業マンの気持ち
を理解したり、一緒に考えたり、ときには
自分が営業マンの立場の気持ちになって
アドバイスや提案をしたりして、営業マン
時代とは違ったシチュエーションで仕事を
することができました。

これは、本当にいい経験ができたと思って
います。

これからは、この3年間の経験を生かして
営業マンとして再びみなさんと接する機会を
持たせていただきますので、よろしくお願い
します。

でも、営業技術グループは兼務なんですけ
どね・・・。
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美味!滋賀県の赤こんにゃく

2008-03-17 14:51:38 | 池田 和久
滋賀県の特産品のひとつに「赤こんにゃく」という
珍しいこんにゃくがあることは聞いていたのですが、
未だ目にしたこともなく、口にしたこともなかった
ので、“いずれ一度は”と思っていました。

しかし、以外にもちょっと前に大阪で「赤こんにゃく」
をいただくことができました。

大阪へ出張した際に、お付き合いのある方と夕食を
ご一緒させていただいたときに、おでんの一品に
「赤こんにゃく」を目にし、“これは”と思い
早速注文をしました。

「赤こんにゃく」が運ばれてきて、はじめてのご対面
と相成ったわけですが、正にこんにゃくの色が「赤」
なのです。

“こんにゃく”といえば、「黒(ねずみ色)」又は
「白」のイメージしかない私の認識を根底から覆す
一品でした。

見た目は「赤レンガ」のような感じで、唐辛子でも
入っているのかと思うくらいの色で、少々抵抗があり
ましたが、口に入れてみると普通のこんにゃくと食感
も味も同じでした。

食べてみると、これが本当に美味で、こんにゃく好き
の私としては、好物の一品に加えられたことは言う
までもありません。

滋賀県で「赤こんにゃく」が作られ食べられるように
なったのは文献やインターネットによると、今から
400年も前で、武将の織田信長がこんにゃくを赤く染め
させてとのことです。

また、赤色は「三二酸化鉄」というもので色付けを
しているとのことです。

この「赤こんにゃく」の話しを家族にしたところ、
家族も是非食べたいというリクエストがありました。

どこで売っているのかインターネットで調べたところ、
滋賀県内ではどこのスーパーでも売っており、滋賀県
の方はごく普通に食卓に上がっているとのことでした。

先日、滋賀県方面を出張した際に、ちょっとスーパー
に立ち寄り買って帰りました。

写真は、「普通のこんにゃく」と「赤こんにゃく」を
比べたものです。

色は明らかに違うのがご理解いただけるかと思います。

その土地で郷土の特産品や名産品があるのは理解でき
ますが、こんにゃくひとつでもいろいろと食文化にも
違いがあるのですね。
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大混乱

2007-05-28 13:12:36 | 池田 和久

5月27日(日)発生した全日空の「システム障害」に
よるトラブルは日本全国の空港に波及して、飛行機
利用者をはじめ、各空港が大混乱となり、その影響は
7万人にも及び、その様子がニュースや新聞等で報道
されました。

実は、私もその影響を受けた一人でした。

先週末に祖母がなくなり、その葬儀の関係で家族と共に
鹿児島に行っていました。

27日朝から全日空が「システム障害」でフライトに遅れ
や欠航が出ていることはニュースや携帯電話等からの
情報で知っていました。

とりあえずは自分が予約をしている便名のみ注意して
情報を収集していました。

しかし、具体的な有益情報は得られず、少し早めに
鹿児島空港に行くこととしました。

私が予定していたフライトは鹿児島発名古屋(セント
レア)行き17時30分発全日空358便です。

鹿児島空港に着くまでは、特に「欠航」の情報はあり
ませんでしたが、なんと、私の目に飛び込んできたのは
「欠航」の2文字でした。

確認すべくも全日空カウンタは長蛇の列、対応している
係りの方も絶対数が足らないという状況。

明日は私も妻も仕事もあるし、子供も学校がある。絶対
名古屋に帰らなければならない(でも、休みにすること
もできるか? 社長 ごめんなさい!)。

周りの利用者も同じようで、カウンタに詰め寄る光景が
飛び込んできます。

「欠航」という発表だけが先行して搭乗者への具体的な
説明がなされず、カウンタに聞いても「今、確認中です」
とか、「今、対応中です」とかの返事が聞こえてきました。

27日は日曜日のためか観光客が多く、周りから聞こえて
くる情報によれば他社のフライトは全て満席、話しによる
と翌日の最終便まで満席という有様。

JRや新幹線を使って陸路の選択も時間的に名古屋まで
帰り着けることができず、「いよいよ困ったことになった」
と思いました(いよいよ明日は休みかな・・・ 社長 また
また ごめんなさい)。

カウンタの方も情報が錯綜して、事態の収集方法や回答
方法ががわからないのでしょう。

ただ、私を含め搭乗者はカウンタの係りの方だけが頼り
であるため、そこから得られる情報を聞き、次の対応を
取りたいだけなのです。

したがって、カウンタ対応の係りの方が決して悪いのでは
ないのですが、ついつい対応の悪さを痛感せざるを得ません
でした。

結果的には、私たちは幸いにして羽田経由新幹線で名古屋に
戻ることはできましたが、自宅に帰りついたのは午後11時を
回っていました。

小学校5年生の子供もさすがにぐったりとして、風呂に入った
ら倒れるように寝てしまいました。

帰路の途中で、今回のトラブルの原因は具体的には知ること
はできませでしたが、羽田に向かう飛行機の中や、名古屋に
向かう新幹線の中で、ふと我に返って今回のトラブルを考え
てみていました。

私が全日空のカウンタ係りであったら、どのような対応が
できたのであろうか?

機械やシステムである以上故障やトラブルはつき物です。

ISOWAも機械メーカである以上、同じようなことは考えられ
ます。

トラブル発生時にどのようにして情報を収集し、それをお客様
に伝え、どのように対処するかということは、私の仕事の中
でも起こりえることだと痛感せざを得ませんでした。

今回の出来事で、このブログを通じて御礼を言いたいのは、
鹿児島空港で親切に私たちの対応をしていただいた全日空カウ
ンタの方(女性)。
雑踏の中で、また、いくつもの対応をせざるを得ない中で、
当たり前のことかもしれませんが、細かい配慮までしていただき、
お蔭様で無事名古屋に帰ることができたことに感謝しています。

逆に、今、ブログを作成している中で、ちょっと残念なのは、
「欠航」の表示を写真に収めることができなかったことです。
「報道の精神」が欠けていました。

そのときは、それどころではなかったのですがね・・・。


 

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ピアノ発表会

2007-01-30 09:50:21 | 池田 和久




ピアノを習っている娘の発表会が先日行われたので
見に行ってきました。

このピアノ発表会は4人の先生の生徒が集まって行われ、
発表者は約50名で、年少者は4歳くらいから中学生くらい
まででしたが、お一人だけご年配の女性も参加していました。

小学4年生の娘は参加者の中ではちょうど真ん中あたり
のようでした。

みんな日ごろの練習の成果を発揮して一生懸命
演奏をして、とても誇らしげです

でも、舞台の袖で見守っている先生方は心中穏やか
ではなかったと思います。

さて、話は少し遡りますが、このピアノ発表会に
向けて先生と相談のうえで、わが娘はモーツアルト
の「トルコ行進曲」を選曲しました

大変有名な曲で、みなさんも良くご存知かと思います。

発表曲が決まった時点から、それなりに練習を続け
それなりに演奏できるように進歩をしてきましたが、
なかなか「お~」と思えるような演奏が聴くことが
できません

発表会が近づくにつれて、先生も焦りの色を隠せず
テンションが高くなって、ついついレッスンに力(声?)
が入っていたようです(妻談)。

それにも増して、妻はもっとテンションが高く、
ちょっと危ない雰囲気・・・?

あまり度が過ぎると児童相談所が飛んできそう

発表会の1週間前なんかは、1日中同じ曲を何度も
何度も弾くため、頭の中に「トルコ行進曲」が
こびりつき、寝ているときも「トルコ行進曲」が
頭から離れません。

発表会当日、親は不安を抱えながら会場に行き
娘の順番を待ち、いよいよ発表を迎えました。

演奏が始まり、危なっかしいところはあったものの
無事演奏を終えました

私は休日くらいしか聞いたことがなく、そのとき
聴いていた演奏と比べても一番上手に弾けていたと
感じました。

先生からも、「今まで一番上手だったよ」との
お褒めのお言葉・・・?


それじゃ いままではどんな状態だったの

何はともあれ、無事に演奏ができてよかった

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みのりの秋

2006-10-25 19:39:18 | 池田 和久

我が家の猫の額ほどしかない庭に大きくなり
すぎた柿の木があります。

この柿の木は、娘の「誕生木」として植えました。

娘が生まれたときは、団地住まいでしたので、
私の実家に植え、その後に家を購入
したときに移植しました。

柿の木はすくすくと育ち、たいした肥料や
手入れもしていないのに、この数年は毎年
たくさんの実をつけるようになりました。

小粒で器量はあまりよくなく、市販の柿には
まったく及びませんが、それでもまずまず
甘く、我が家では毎年柿を買うことがあり
ません。

昨年は台風の影響で実がたくさん落ちて大変
残念な思いでしたが、今年は台風の影響もなく、
たくさんの実をつけ、先日娘と一緒に摘み取り
ました。

その数、約230個。それでもまだ100個以上残って
います。今週末にすべて採り終えようと考えて
います。

さて、目をわが娘に向けると、・・・
「柿の木に負けるなよ」と言いたくなるのは
どこの親も一緒でしょうか。
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OB会

2006-08-09 18:31:14 | 池田 和久
第1回目の自己紹介の中でも記載したように、私は中学から32歳まで
バレーボールをしていました。

その中でも大学時代のバレーボール部は今でもOB会の繋がりがあり、
毎年7月上旬に定期のOB会が行われます。今年も例年通り開催され
私も参加しました。

当OB会は今年で40周年を迎えましたが、発足から現在までのそれぞれ
の時代にそれぞれの歴史がありました。上位リーグまで進出した栄光の
時代もあれば、部員が集まらずに存続も危ぶまれた時代もありました。

今ではOBの数も200人を超え、女子部のOGも30名程度になりました。

OBも仕事や出身地などの関係で北は北海道から南は九州までと各地域に
拡がっており、全員がOB会やその他催し物に参加させるとは限りません
し、OB会名簿には載っているが、一度もお会いしたことのないOBも
います。

もともと工業大学だったため男子部しかなかったのですが、20年程前に
総合大学となって数年前には女子部ができるなどいろいろな変遷があり、
あらためて歴史の重さを感じさせられます。

このOB会の中で、現在私は事務局を担当しており、OB各位と現役、
そして顧問や恩師の方々との橋渡しを微力ながらお手伝いさせていただい
ています。

私も年齢的にはOBの中でちょうど中間位で、ご年配のOBに対しても、
大学を卒業したばかりの若いOBに対しても直接又は間接的に接する機会
があり、十分ではないにしてもOB各位とお話や意見を聞く機会があり
ます。

そのような中で、時代や年齢は違っても「バレーボール」という共通の
種目と、環境や状況は違っても一つの目的意識を持って活動したOBは、
OB会に集まったときに時代を超えて一つのまとまるところに
言葉には表せないような雰囲気をもっています。

1年に1度又はそれ以上の機会にしか会えないけれど、私にとってOB会は
大切な会の一つです。
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