オレがやる!

段ボール機械メーカISOWAの
営業スタッフブログ!!

町の中華

2024-02-02 07:44:51 | 藤川 昇

みなさんこんにちは!東日本セクション東京営業所の藤川です。

本年もよろしくお願いいたします。

 

元旦に発生した能登半島地震で被災されました皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

当地の一日でも早い復興をお祈りいたします。

 

1月13日の土曜日に、家内が珍しく「大宮の氷川神社へ初詣に行って、帰りに多万里のラーメンが

食べたい」と言い出し、少し遅い初詣に出かける事にしました。

車で行こうか迷ったのですが酒が飲めないので電車で

大宮の氷川神社は初詣客が毎年200万人以上の人出となり大混雑しますが13日ともなれば

人出も少なく、のんびり参道を歩き参拝を済ませました。

十数年ぶりに大宮駅東口の高島屋の裏通りの一等地にある食堂[多万里]へ

この店は操業1946年の老舗で、家内は幼いころたまに両親に連れられて来ていたとの事。

店舗は当時のままのようで、昭和ノスタルジー感があり、TV番組でも取り上げられた事もある人気店です。

時間は12時半過ぎでしたが店の外には4~5人が並んでおり、待ちながら「この店ならラーメンだよね、

でも昔食べたカレーも美味しかったな」家内は「昔食べた中華丼が懐かしい・・」

15分程待ち店に入ると、入口に昔と全く変わらない番台帳場があり、

そこで家内は半中華丼+ラーメンセット。私はカレーとラーメンを食べたかったのですが

カレーがメニューから無くなっており、半チャーハン+ラーメンセット。

それに餃子と瓶ビールを注文し支払すると、以前と変わらぬプラスチックの食券?を渡されます。

テーブル席のパイプ椅子に座ると店員がその食券を取りに来て

「ビールと餃子を先にお持ちしますので食事は少し後にしますね・・」とありがたい気配り

客層は我々の様なジジババだけかと思いきや店内を見渡すと、驚く事に幼い子連れの若い家族が2組。後からも若いカップルが2組入店。

餃子が美味しくビールが進んだので、もう一本頼もうかと思いましたが  “待て待て、

ここで又ビールを飲んだら楽しみにしているラーメンと半チャーハンが食べられなくなるぞ。我慢我慢

ラーメンは昔ながらの中華そば、鶏ガラスープに柔らか目の細麺、チャーシューに懐かしいなると巻、

そしてグリンピースが。昔の味と全く変わっておらず「うーん懐かしい、マイウー!」古いか

半チャーハンも美味く完食。

家内も「食べきれるかな?」と言いつつ「中華丼も昔のままの味で美味しい」と完食。

あ~久々に美味しかった、又訪問します。

こんな古い店ですが、これからもこの味を守って末永く続けて欲しい町の中華でした。

皆さんも是非お立ち寄りください。

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サーキットの狼ミュージアム

2023-03-22 16:26:24 | 藤川 昇

皆さんこんにちは。 国内営業セクション東京の藤川です。

桜も開花し、いよいよ楽しみなゴルフシーズンですね。

昨年12月に茨城県にあるサーキットの狼ミュージアムに行って来ましたので紹介させていただきます。

サーキットの狼は1975年から1979年にかけて「週間少年ジャンプ」で掲載された、池沢さとし作の漫画で、スーパーカーブームの火付け役となりました。

場所は茨城県の神栖市にあり、カシマサッカーミュージアムの近くです。自宅のさいたま市からは約130Km、一般道で3時間半かかりました。

入口はこんな感じで、元パチンコ屋だそうです。入場料800円を払い、いざ入場

サーキットの狼と言えば、先ずはロータス ヨーロパ(写真中央)そしてフェラーリディノ(写真右)それにポルシェカレラRS(写真左)

ヤタベRS 漫画の中で登場し実在しない車両のはずですが、ここのオーナーがフェラーリからエンジンを購入し製作したワンオフ車両との事です。

スーパーカーの代表は、何といってもランボルギーニ  カウンタックLP400S(写真右)

ランボルギーニ  ミウラP400S(写真左)

フェラーリ 308GTB( シルバー) フェラーリ 512BBi(赤)

オーナー曰く、この年代のフェラーリはクラッチ操作が難しく少しでも気を抜くと、すぐにエンストするそうです。

ランチャー  ストラトス  ラリー専用車両として開発された車で、フェラーリ ディノのロゴ入りエンジンが載ってました。 写真左はトヨタ2000GT

デ・トマソ・パンテーラ  フォードのV8エンジンを載せています。

マセラッティ  カムシン

トヨタ2000GTオープン   映画の007のボンドカーとして撮影用に2台製作され、その車両かと思いましたが、どうやら事故で大破しスクラップとして放置されていた車をオーナーが買取り、3年以上かけて修復しその際のにオープンに仕上げたようです。修復時の写真や、オーナーと修理業者間でやり取りしたFAXの原稿まで見せてもらいました。俳優の唐澤敏明や、京本政樹から売って欲しいと懇願された様ですが丁重にお断りしたそうです。

展示車の殆どにナンバーがあり車検も取っているとの事で「天気が良い日には、車輛コンディション維持の為に外に出して敷地内を走るのを見せてくれる」との前情報があったので、私よりお願いしACコブラを外に出し敷地内を走ってもらいました。が・・2周したところでガソリン漏れが発生。エンジンを止め、スタッフと一緒に車両を押して屋内の展示場所まで戻しました。展示車両の中では、このACコブラが一番新しいとの事ですが・・全ての車両のメンテにいったいいくらの費用が掛かっているのでしょうか

他にもこのいすゞ117クーペ  ・ハコスカGTR ・日産R382・フェアレディ240ZG・本田S800・トヨタS800・マツダコスモスポーツのオープン等 計27台の懐かしい車が展示されていました。

スーパーカー消しゴム  当時の小中学生が夢中になって集め、ボールペンのノックで飛ばして遊んでいたようです。

帰りは渋滞で4時間半かかりましたが、車好きの私には懐かしい車をたくさん見られ充実した一日でした

興味のある方は下記からご覧ください・・・では

http://ookami-museum.com/index.php

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我が家のオブジェ

2022-07-28 14:20:35 | 藤川 昇

皆さんこんにちは。

昨年10月の広島旅行以来何処にも行けてない国内営業S東京の藤川です。

今回は私の部屋に置かれているオブジェのエレキギターの紹介をしたいと思います。

暇な方は最後までお付合いください。

このギターのメーカーはMOSRITE(モズライト)恐らく60代以上の方でないと知らないギターだと思います。

1960年代、日本でエレキブームを作ったのがアメリカのグループ ベンチャーズで、

このモズライトを使用しており、エレキギターのロールスロイスとも言われていました。

日本では、エレキの神様と言われ昨年亡くなった寺内タケシがこのモズライトを使用しており、

先日コンサート活動の引退を表明した加山雄三が現在も使用しています。

ベンチャーズは当時のメンバーは皆亡くなり、メンバーは変わりましたが、現在も活動を続けており、

今年も来日しコンサートを行うようです。

20年以上前に何度かコンサートに行ったのが懐かしく思い出されます

私は高校時代にベンチャーズナンバーのコビーバンドで下手なリードギターを担当していましたが、

当時モズライトは高価で高校生に買えるはずもなく、安い中古のYAMAHAを使用していました。

昨年家の近くにあるハードオフに、綺麗なモズライトが展示されており、ついつい店員にお願いし、

手に取って見せてもらいました。初めて触るモズライト ウーンいい 欲しい

店員も「安い買い物ではないので良く考えてください」と・・・写メを取り店を後にしました。

その時の写メがこれ👇

その夜、20年以上前ベンチャーズナンバーを演奏していたおやじバンドのメンバー友人K君に

その写メを送り「どーかなこのモズライト??」と相談したところ、K君から「バンドは解散して、

もう弾いてないから、藤川が弾くなら、俺のモズライトを貸すよ」という事になり

数日後モズライトを引取りに行くとk君から「藤川、貸すには条件がある。

もし俺が先に死んだら返さなくてもいい。でも藤川が先に死んだら返せ」と・・

現在私の部屋にオブジェとして飾られており、気が向くと老化防止に当時の曲を弾いたり、

磨いたりして楽しんでいます。

K君、君より長生きするからね

 

おまけ:モズライト社は元々アメリカのメーカーでエレキブームの立役者となり一時代を築きましたが、

エレキブームが去りモズライト社は倒産しました。

その後いろいろあり、数社?が生産をしており、数年前に某社が「このメーカーのモズライトは偽物で、

うちのモズライトが本物」だと訴訟を起こし話題になりましたが最終的にどうなったかは分かりません。

我が家のモズライトはおそらく黒雲製だと思います。

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爺さん二人旅

2021-12-09 13:44:07 | 藤川 昇

こんにちは。

この9月で66歳になりました国内営業S東京の藤川です。

緊急事態宣言が解除になった10月末に、長野の友人(K君)と二人で三泊四日の旅をしました。

足はK君のロードスターRF

初日は長野県伊那市のK君宅を朝5時に出発し いざ広島へGO

8時間かけ660㎞を走破し13時に広島の廿日市へ到着 初めての広島です。

宮島口よりフェリーに乗り約10分で宮島へ。

そこで牡蠣づくしの昼食。後の運転はK君に任せ一人

厳島神社に参拝しましたが、残念なことに大鳥居は改修工事中でした。

フェリーで宮島口に戻り、近くの温泉ホテルへ。

大浴場でゆっくりくつろぎ夕食会場へ。懐石料理+バイキング+なんとアルコール飲み放題

ついつい二人共に飲みすぎてしまい酩酊状態でした

二日目は山口県岩国の錦帯橋へ

K君は建築関係の仕事なので、この橋の構造を見たかったようです。

その後広島市の原爆ドームへ

ドームを一周しデジカメで撮影中、突然デジカメの調子がおかしくなり

近くのお好み焼き屋に入り昼食中にデジカメは復帰。しかし先程撮ったはずの原爆ドームの写真は

全て真白でした 

お好み焼き屋を出て遠目に撮影したのが下の写真です。

その後呉市の大和ミュージアムへ

30m近くある戦艦大和の1/10モデルに圧倒。

小学生時代あこがれていた零戦を近くで見て感激

人間魚雷【回天】何故日本はこんな恐ろしいい兵器を造ったのか?何人の若人が犠牲になったのか?

他にも戦時中の色んな展示物があり、時間があればじっくり見たかった残念。

その夜は、呉駅近くのホテルへ宿泊。夕食は近くの居酒屋で軽く。

三日目は呉の海上自衛隊で潜水艦や巡視艇を遠目に見学

その後姫路へ

姫路城を見学する予定でしたが渋滞が酷く、夕方姫路駅近くのホテルにチェックインし、近くの

居酒屋へ最後の夜だったのでカラオケへ行き昭和の唄を二人で熱唱

4日目朝に姫路城へ

綺麗な姫路城をバックに

さて帰路に・・伊那市まで420㎞ 頑張ろう 夕方4時に無事到着。

走行距離1400㎞ ちなみにロードスターRFの燃費は何と16㎞/Lでした

今回の旅はK君が企画し、詳細なスケジュールを立ててくれたおかげで楽しい4日間が過ごせ、

良い想い出となりました。「K君ありがとう

次回は女房と二人でどこかに行こうと思っています。

 

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失敗談

2020-10-02 08:57:20 | 藤川 昇
みなさんこんにちは。

先月65歳を迎えた東日本S東京の藤川です。
今後も暫くISOWAに勤務する事となりましたのでよろしくお願いします。
 
先日とてもショックなことがありましたので恥を忍んで紹介させていただきます。

以前姉夫婦からプレゼントされた黒い箱に入った高そうな麦焼酎を何時どんなタイミングで飲もうか楽しみにしていました。



その日は少し嬉しいことがあったのでその焼酎を少々味わう事としました。
いつものグラスにいつもの量を注ぎグラスに口を付けると、焼酎には詳しくない私でも良い香りでまろやかな味が分かりました。美味い😁 

2杯目を飲んだまでは記憶があったのですが、気が付くとテーブルで飲んでいたはずがリビングの床に寝ていました😣 

翌朝女房に「なんで起こしてくれなかったの?」と聞くと「何言ってんのよ、心配して何度も起こそうとしたけど、『うるさい』って起きなかったじゃないの😠 」だったようです。

普段飲んだ後に食事を済ませソファーに横になるのですが、その夜は暑かったので椅子から降りて冷たい床に横になりそのまま寝てしまったのでしょう??

数日後その焼酎のラベルをよく見ると、アルコール分が42度の原酒でした。


日頃飲んでいる25度の焼酎のペースで飲んでしまい限度量を超え酩酊してしまったのか?又は年のせいなのでしょうか?

皆さんも飲み過ぎにはご注意を!

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自家用へり

2020-02-04 08:04:41 | 藤川 昇
こんにちは。

東日本Gの藤川です。
今年9月で65歳を迎え、残り少ないISOWAビト人生を楽しく過ごしたいと思っています。

好きなゴルフのスコアーが年々悪くなり、そのためかゴルフ熱が冷め、昨年は高いキャンセル料を支払い4回キャンセルしました。

何かゴルフに代わる手軽な趣味を持とうと、昨年末に以前より興味のあったヘリを購入しました。
残念ながらヘリポートがないためおもちゃのラジコンヘリです。

いざ飛ばしてみるとコントロールが難しいのです。
特に上昇下降の微調整が難しく天井に激突し、そのまま落下。又は壁への衝突を繰り返し、ホバリングもまともにできないまま購入後1週間でローターが破損し飛行不能となってしまいました😪 
 
正月休みに近くのショッピングモールで買い物中、安いドローンを見つけ懲りずに購入。

コントロールはヘリ同様難しいのですが、ヘリと違い4個のローターには保護カバーがあるため多少ぶつけてもローターへのダメージは少なく、まだ1か月間ですが現存しています。(一か所のローターは破損し、予備に交換)

徐々に腕が上がり?長時間飛ばせるようになってきましたがまだまだ思うような飛行はできません。

最近少子化の影響で、自動車教習所の生徒が減少したためドローン講習を行っている教習所が増えているようです。
近所の教習所でも生徒を募集していますが、その費用は😲  プロになる気はないので・・・

いつ叶うか分かりませんが腕を磨きカメラ付きのドローンで実家のある長野で、山や川、湖を空撮したいと思っています。
 
いい歳をして・・・と思われるかもしれませんが、男っていくつになっても子供なのです!
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自爆テロか?

2016-05-09 14:47:22 | 藤川 昇

昨年9月に還暦を迎えました東京営業所の藤川です。

少し前の事ですが、朝の通勤でいつもの大宮駅行のニューシャトル(モノレールの様な小さな電車)に乗車しました。

発車して間もなく車両の前の方から、風船が割れる様な爆発音とともに白煙が上がり車内は騒然と・・・・・

その白煙は若い女性の手提げバックから出ており、その女性はドア付近に移動しそのバックを私の足元に投げ捨てたのです。

一瞬自爆テロか?毒ガスか?と思いその場から逃げようとしましたが、その女性に「何が入っているの?」と聞き「教科書です」との返事から日本人の学生でテロではないと判断しました。

その女性は「何か風船の様な物がバックの中に入りました・・・」と意味不明な事を??

覚悟を決め白煙が上がり続けているキャンバス地のバックの開口部を踏み、近くにいた乗客に緊急停止ボタンを押す様に指示しました。

乗客からは「窓を開けてください」との声が上がりシャトルは間もなく次の駅に停車、乗客は一斉にホームに退避しました。

私はその熱いバックを持ち上げホームに出し、その女性に「教科書しか入っていないんだね」と聞きながら恐る恐るバックの中身を確認しました。

バックの中は煤で真っ黒になりそこからは教科書、そして焼け焦げて煙を上げているバッテリーの残骸が現れスマホ用の充電バッテリーが破裂した事がわかりました。

事態を調査に来た運転手に状況と怪我人のいない旨を説明し、その女性とバックをホームに残しニューシャトルは数分遅れて発車しました。

乗客の男性が「お疲れさまでした、怪我はないですか?私もバックの中に風船の様な物が入るのを見ました」とまたまた不可思議な事を・・・二人が見たという風船の様な物って一体何だったのでしょうか?

後日この事をある人に話したところ「その風船の様な物ってプラズマかもしれませんよ?」って!プラズマテレビは知っているけど?どうやらプラズマって自然界にも沢山発生しているようで、それがバッテリーを破裂させたのでしょうか?                       ただ粗悪品のバッテリーだったのでしょうか?

怖い不思議な出来事でした。

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偶然?

2014-09-01 09:43:57 | 藤川 昇

東京の藤川です。

9月に入り苦手の暑さももう少しの我慢です

最近‘偶然‘だなーと思われる事が三回ありましたのでここで
紹介したいと思います。

 【その1】
休日に家内と電車で大宮へ買い物に出かけた帰り、大宮駅始発の
ニューシャトル(マイクロバス位の車両で6両編成のゴム車輪の電車?)
の席に座って発車を待っていると、目の前の席にNさんによく似た男性が座っていました。
Nさんは自分より2歳年上で20代の頃に同じ写真クラブに所属していて
当時よくNさんのサニークーペに同乗し撮影に行っていました
家内もよく知っていたので「Nさんに似ているけど弟かな?
もう何十年も会ってないけど元気なのかなあ?今どうしているのかね?」
と暫く忘れていたNさんの事思い出していました。

しばらくして電車が発車し大きく右に曲がり後ろの車両に目をやると
Nさんが座っていたのです

Nさんも直ぐ我々に気付きこちらの車両に移動して来ました。
Nさんはニューシャトル沿線の親戚に向かうところだったようで、
正面に座っていたNさんに似た男性は全くの他人のようでした。

30年振りに元気そうなNさんに再開でき、短時間でしたがお互いの
近況を話し、思い出話をすることができました。

 【その2】
週末本社からの帰り、いつものように名古屋駅から東京駅まで
新幹線に乗り東京駅から電車を乗り継ぎ約1時間、自宅最寄の
ニューシャトルの駅で下車しホームを歩いていると、同じ電車から
降りて来た30代後半?の男性が声をかけて来ました。
「あれ先程新幹線で・・・」 名古屋からの新幹線の隣の席の人でした。
新幹線での1時間40分の間言葉を交わすことはありませんでしたが
ホームから改札に向かいながら「出張ですか?」「大阪へ単身赴任していて
久々の帰宅です・・」「何丁目ですか?」そんな会話をして別れました。

 【その3】
滋賀への出張の帰り、米原駅から新幹線に乗り指定席に座りました。
ふと隣の席のテーブルを見ると「段ボール〇〇〇」のタイトルの資料が
あり、ついつい「段ボール関係のお仕事ですか?」と尋ねると、
その方は我が社のお客様であるM 紙業様の〇〇工場の品質管理
担当の方でした。
名古屋で会議があり向かっているとのことで名古屋までの約20分間
でしたが会社や業界の話をすることが出来ました。

仏教に「袖振り合うも多生の縁」といったことわざがありますが、
どんな出会いも単なる偶然ではなく、深い因縁により起こるもので、
どんな出会いも大切にしなければいけないといった教えです。
偶然と思えるようないろんな人との出会いがあります。
そんな出会いを大切にしたいものですね。

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川越での出来事

2013-05-24 19:08:38 | 藤川 昇

こんにちは、東京営業所の藤川です。

 ちょっと嬉しい出来事がありましたのでこちらで紹介します。

以前にもブログで紹介した埼玉県の川越でのことです。

川越市内には川越駅(JR/東武池袋線)、本川越駅(西武新宿線)、川越市駅(東武東上本線)と3つの駅があります。

その日はたまたま電車で川越周辺のお客様を訪問し、お客様の最寄駅から西武線に乗り、終点の本川越駅で下車しました。

 JRに乗り継ぐ為、本川越駅から川越駅まで歩くのですが、川越駅までの道がわからず、近くにいた高校生に道を尋ねていると、私に突然すぐ脇のバス停に並んでいた190cm以上はあろう長身の中年男性が声を掛けてきたのです。

「私が川越駅まで案内します」と・・・その方は身体が少し不自由のようで
「私は早く歩けませんが時間は大丈夫ですか? 私も知らないところへ行けば苦労しますし川越駅まではわかりにくい道ですから・・・」

一瞬たじろぎましたが、その方のご好意に甘え案内をお願いする事にしました。

川越の街並みを歩きながら「先程バス停にいらっしゃいましたがよろしかったのですか? 」 との問いに
「私は足が不自由なので毎日通勤で川越駅と本川越間はバスを利用しています。一人で歩けば長く感じますがこうして話しながら歩くのもたまにはいいものです・・・」

川越の街の話など聞きながら15分程歩き川越駅に到着しました

その方は川越駅から東武池袋線に乗られるとの事でしたが、わざわざ東武線の改札を通り過ぎJRの改札迄案内して頂きました。

 帰宅してその事を女房と話しながらその方の親切に対する感謝の気持ちや、自分が他人に対し何かやさしい事ができるのか?などを考えながら晩酌をしました

 その後、駅のホームで重たそうな荷物を持って階段を登ろうとしていた年配の方を見かけて荷物を持ってあげましたが、他人に親切にすると自分も気持ちがいいものですね。

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HONDA F1

2012-06-04 18:09:55 | 藤川 昇

東京営業所の藤川です。

まもなく梅雨入りでいやですね!電車通勤は地獄です。

先日近所にあるBOOK-OFFでとても懐かしい物を見つけました。

それは1972年頃に発売されていたタミヤのプラモデルでHONDA F1(RA300) 1/12スケール。
ジョンサーテーズがドライブし1勝をあげた車です。値段は四万円!

 

当時小学生で車が好きだった私は小遣いを貯め同じシリーズのロータスF1を確か2000円で買い、
足廻りとエンジンのプラグコードの組立に苦労した記憶があります。

このころのF1は国毎に車体の色がナショナルカラーで決められており、
イギリスは緑、イタリアは赤、ドイツは銀、フランスは青、アメリカは青地に白のストライプ、
そして日本はこの写真のような白地に日の丸でした。

1997年初夏、出勤前に開いた読売新聞に 本田技研の創業50周年のセレモニーの応募があり、
メールで申込みをしたところ30万人の応募中抽選で5万人の中に選ばれ、
その年の秋に当時乗っていたYAMAHAのバイクで開催場所の栃木にあるツインリンクもてぎへ
世界各国から招かれたお客さんの中に混じりメインスタンドに座りました。
するとこのF1が爆音をたて走ったのです。
しかも当時のドライバーのジョンサーテーズの運転です。
25年前に雑誌でしか見たことがなかったF1が今自分の目の前を走っている。まさに夢のようでした。
ついつい感激して抽選に漏れ来れなかった友人に電話をし、その音を聴いてもらいました。
その時に撮ったのがこの写真です(真ん中の車、ジョンサーテーズが右手を上げてます)




この超レアなプラモデルは価格も高く、残念ながら開封されていて部品の欠品の可能性もあり
購入は断念しましたが、良い出物があれば昔を思い出しながらじっくり組立ててみたいものです。

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