人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

池田 晶子ってさー、どうなの 冴えない感想

2008-10-09 23:38:30 | Weblog
軽い哲学ないかなとか思って、ちと前から気になっていたから、読んでみたんだけど、うーむ。どう何だろう。まあもうお亡くなりになっているから、言いたいこと言えるんだけど。

駄目だな。思索に思索がない。深みのある唸るような、精神のど真ん中を突っ走るような思想って中々書けないし、確かに難しいんだけど、この人はそこを目指していたのかな。まあ、その人が考えていることが書けるとは限らないんだけどね。筆力のみが問われるからな。

ちと顔が良すぎるな。顔が良い女性哲学者なんて超嬉しいんだけど、顔が良いとそんなに悩むことないから、基本的に軽薄になるし皮相的になる。長いねっちりとした思索には、ブっが良いんだよ。俺みたいに。フッ、クリステヴァは美人ちゃんだったな、、うむ。

思索というのは本当に難しいんだな。考えれば考えるほど、訳分からなくなるし、書けば書くほど、こりゃ行かんって思うしな。でもそう言う絶望の中から、あるいは希望の中から、思想ってのは生まれるんだな。多分。俺の場合、歩いている間に、突然ほにゃっと生まれるな。自分では大発見だけど、思想の長い歴史の中では、当たり前なことだけどね。

毎日何不自由なく生活しているし問題もそれ程ないんだけど、でもやはり腑に落ちなくて、考え続ける、悩み続ける、一生懸命肯定するけど、中々肯定できない、納得いかない、そんな所から思想ってのは生まれてくるってな感じだな。

ヴィトケンシュタインなんてそんな感じでしょ、もう哲学は終わりにさせたいために、これで終わりだってな終止符を打つんだけど、でもやっぱり終われなくて、続いちゃうわけだよね。

真の哲学者ってそう言うものなのよ、もう考えたくないし終わりにしたいんだけど、でも自分の中から沸いてくるものがあり、やはり終われない。俺は死すとも
思索は続く、って思うんだけど、真の哲学者さんに聞いたことないから良く分からん。

でも彼は何としてでも自分で終わらしたかったから、最後は無理矢理自分で存在そのものを終わらしちゃったのか定かではないんだけどね。

日本では、小説家の方が哲学者より思索的で、哲学的なんじゃないかな。

保坂和志なんて、その思考の過程を上手く表現しているよな。で村上春樹は思考の結果を表現しているよな。素晴らしいと思う。

俺も頑張るぞ。俺は両者の両方を書くぞ。

でも哲学者って結婚できないの多いんだよな、こりゃ大問題だぞ。

ってな感じだな

日本文学とか、外国文学とか、分ける意味あるのかねえ、、

2008-10-09 21:50:13 | Weblog
日本語で書かれりゃみんな日本文学で良くねえかって最近思った。

何も何処何処文学とか、そんなの気にすることないんじゃないのってね。だってどうせ何処何処文学って言ったって、何処何処のある時期の文学であって、現在もおなじかって言うと全く違うわけだからね。

しかも現代語訳だから、当時のその国の言葉の雰囲気なんて味わえないわけだしね。

無理して、分けなくて良いんじゃないの。日本語で読めれば、皆日本文学だよ。まあ、国際的な中でそんなこと言ったら、アホかとか何とか色々言われちゃうけど、個人的にはそんな感じで良いんだよな。

うーん、このテーマはまだ良く分からんな。書いていて腑に落ちないから、そのうちまた書くかも。

ってな感じだ