人生は 五 七 五

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神の祝福がありますように
(by mother teresa)

ゲームについて続き

2005-11-30 23:04:26 | Weblog
最近晴れが続いて良い感じ、晴れると何かこう行動しようとするエネルギーが沸く。

所で、昨日から今日に掛けて少し再びゲームについて考えてみたが、どうも居ても立っても居られないぐらい、取り憑かれてしまうゲームには、ストーリ性の強いゲームに多い。この手のゲームは最後終わるまで、何も手が着かず日常生活に問題を来たしかなり危険度の高いゲームである。

ストーリがあり連続して続いていくゲームは今後は御法度にする予定。ちなみに、安全なゲームは、ストーリ性が弱く割と小刻みに完結しているゲーム。これはシミュレーションゲームに多いが、その手のゲームはどうも動機が沸かず、始めてもすぐ飽きてしまうか、やる気が起きない。

そもそも建物作ったり、兵士を増強したりどうでも良い。基本的に敵をばかばか倒していくのが面白いので、それ以外の作業は煩わしい。と言うことで、ゲームと言っても面白いと感じるのは、アクションゲーム。昔はRPGに填ったが、最近は前にも書いたが、ストーリの幼稚さに着いていけず、何もしないのに歩き回るのも怠いので、ダイエットにもならないしコンピュータの中で歩き回っていても、なので長いことしていない。

だから、敵をばかばか倒しなおかつ無駄に歩き回らないものと言えばアクションゲームだけ、しかもストーリ性のないものである。そんなものはでも殆ど無く、最近で言えば無双三国志ぐらいである。後はFPSをonlineで遊ぶ程度である。まあ、余りできるゲームがないと言うことは、買う必要もないので経済的である。

ゲーム買うより、お嫁さん買いたい。

鬼武者3 pc

2005-11-29 18:32:03 | Weblog
最近、鬼武者3を買った。でやってみた。面白い。しかし、ゲームというのは、終わった後、終わったという気持ちがあるが、何か虚しい気持ちがあり、余り充実感が感じられない。これは何だろう。

ちなみに、面白いが、難しい。色々テクニックがあるが殆ど習得できない。どうもタイミングとか合わずなかなか上手く行かない。ゲームが提供している限り、それを全てマスターしないと気が済まないが、どうも難しい。

ゲームというのはしている最中はのめり込むけど、その後虚しくなる。そろそろゲームにも飽きてきたのか。問題は、何か得るものが少ないのがゲームである。楽しければ良いのであろうが、ゲームをしている最中は何かに取り憑かれたようにするが、それが楽しいかと聞かれると、終わりまでしなければならないというような義務のような気持ちでしていることが多く、楽しいとかなんとか言えない。

まあ、そろそろゲームから卒業だなと思うが、思いつつもなかなか卒業できない。こう新しいものが出るとどうもついつい興味が沸き遊びたくなってしまう。でも、ゲームが終わった後、何処と無い虚しさが残るだけなのであるが。

何かもう少し、充実感の出る趣味を持ちたいものであるが、何か無いだろうか。

国際結婚って

2005-11-27 22:22:34 | Weblog
最近は晴ればっかで良い感じ、自分の気持ちも晴れればなお良い感じ。

国際結婚して、日本で生きる場合結構大変なのだろうか。子供が生まれると、子どもが学校で上手く行かないとか、後は、奥さんが将来自国に子ども連れて帰ってしまうとか。

でも、国際結婚してみたい。でも、たまに自問してみる何がそんなに白人に惹かれるのか。何なんだろうか。純粋にルックスだけなのだろうか?

できるだけ早く、誰か見つけたい。どうすれば良いだろうか。


自分探し

2005-11-25 18:29:57 | Weblog
東京仕事センターで、適性検査など受けたりして、徐々に自分の方面が見えてきた。仕事を考えるとき、一番最初大切なのは人に関係するか、ものに関係するかだと思う。人に興味があったり、コミュニケーションなどに興味がある場合は人に関係する仕事が向いていると思う。

僕は全く違う方面に逝ってしまったが、徐々にその方面であることが分かってきた。恐らくその傾向は最初っから在ったのであるが、自分では気付かないことが多い。気付いていても気付きたくないとか、色々複雑である。

でも、性格というのは大切で、やはり性格的に向いていないものは、普通は求めないものであるが、様々な要因から、求めてしまったとしてもやはり余り上手くは行かないと思われる。

性格に合っていないことは、性格に合っているものに比べて苦痛であるから、やはりできるだけ早く、自分の性格を知り、性格にあった仕事を見つけることは大切なことであると思う。

まず初めにすることは、人に興味があるか無いか、これである。人が好きかとか、人とよく接しているとか、友達が多いとか言うのは、余り判断の基準にはならない。

13歳のハローワークというちょっとユニークな題名の本があるが、それを見ると、何が自分の好きなことか見つけると良いと書いてある。まあそんなものが簡単に見つかれば殆ど多くの人は、悩まないだろうが、取りあえず、その中に直接、仕事とは関係なさそうな、項目もある。寝るのが好きな人とか、喧嘩が好きな人とか、エッチなことが好きな人とか。

僕は、意外とエッチなことが好きなので、その項目を見てみた。エッチなことが好きな人は、人に感心があり、人のことを考えたり、人とcommunicationを取ったりするのが好きらしい。これを読んで、なるほどと思った。人のこと考えるのが確かに僕は好きだ。と言うよりいつも考えている。自分のこととか人のことを考えていることが多い。

そう言う人の職業には、人の心を考える職業とか、作家とか、芸術家とか、営業とからしい。





興味の変遷

2005-11-21 19:14:23 | Weblog
興味というの、微妙に変わりますね。美人観が変わってきてしまった。昔は、テニス選手のサバティーニとか今の女優で言うと、ペネロペ・クルスのような少し角張った硬いハッキリした顔が好みであったが、最近はもう少し丸みを帯びたような柔らかい顔も許容範囲になってきた。そのような顔よりもどちらかと言うとその表情から見れる性格のようなものの方が大切だなと感じられるようになったのかもしれない。

でも、RPGに対する興味はかなり失せてきてしまったこのごろだが、かといって戦略とかシミュレーションの方に興味が移って情熱を燃やせるかというとそれ程でもない。ゲームはかなり面倒くさいなという気持ちになってきてしまった。やれば数時間のめり込むのだが、やろうと思ってなかなか体が動かない。

RPGの興味が失せてしまった理由としては、やはり、ストーリが段々幼稚すぎると感じるようになって、自分とゲームとの差が昔よりも広がってしまったからと言うのが1つある。

でも、ゲームの面白かったのはそのストーリ性もあったので、それとの距離が広がると段々面白くなくなってきてしまう。純粋にキャラクターが動くことも面白かったが、それも段々、長くやっている内に当たり前になり、面白くなくなってしまった。

前回も書いたけど、今の所映画はまだ魅せられますね。人間のドラマにはまだ飽きていないようだ。

しまった、また書くの忘れた。

2005-11-18 21:39:24 | Weblog
書こうとちらりとたまに思ったが、またまた書くの忘れてしまった。と言うよりPCが壊れていて、それの修理に時間が掛かってしまった。

就職探しにと、東京仕事センターに訪問してみた。なかなか良い感じ、色々聞いてくれるし、面倒見も良さそう。カウンセラーの人も気使いすぎ気味な感じ。自分の道が良く分からない、大学生とかにも大変力になりそう。

来週適性検査とか受けるので、自分がどんな仕事に向いているか、期待してみよう。

最近、ロシアとか東欧に興味を持ちだしたので、久しぶりにドストエフスキーの虐げられた人々の紐といてみた。高校時代に読んだはずであるが、恐らく何も覚えていないので、字ずらだけ追って内容を理解せずに読んだと思われる。今読むと、結構理解できるし、面白いかなと思われる。

しかし、最近分かったことなのだが、どうもジーと本を読んだりしているのは苦手のようだ。実は、何か頭の中で活動しているのが好きなようである。本や勉強などじっくりしたものは、どうもしていて落ち着かず、その世界から早く解放されたいとか思う。

ゲームもシミュレーションとか静的なゲームより、どちらかと言うとRPGやアクションを好んだのも、その所為かもしれない。最近、シミュレーションにも興味を持ちだして、WarcraftIIIなどをやっている。最も既に10日以上していないが。どうもMotivationが沸かない。やはり元もと好きでないものは、後になってもそれ程好きになれるほどでもないのだろうか?

ゲームもまあまあだけど、映画の方が面白いね。ゲームはパズル的要素はどうも強いけど、人と人との対話とか触れ合いが単調で、人間について感動するとか考えるとか言う要素に欠けていて、物足りなさを感じてしまう。

イタリアって美味い

2005-11-10 01:11:36 | Weblog
毎日書こうと思っていたら、何も書かずに数日が過ぎてしまった。問題だ。なかなか決めたことをできるものではない。まあ決めたことを全てできていたら大したもんです。と言うより自分の実力にあったように何かを決めてそれができたら凄いです。最大の効率で自分の実力が伸びていくと思います。

さて、今日はイタリア料理の店に行った。昨日も行ったんだけど、今日も行ってしまった。何故か、珍しく美味しい店だったからです。対して値段も高く表示していないのに、美味しい店でした。

親父が、1人いて料理を作っている。ウェイターもいるみたいだけど何せお昼に行っても客が僕ぐらいしか居ないような店だから、何人もウェイターがいるわけ無い。

昨日ピザを食べて、美味しかったから今日も行ったんだけど。そのピザもパーマの生ハムのピザ。意外とお腹一杯だったんだけど、そのピザを一口食べたとき、こりゃ良いと思った。なかなか良いお店に巡り会うことはないんだけど、その店は珍しく良い店だった。

で、親父もなかなか気さくなイタリア人で、色々話しかけてきたりして、良い感じの親父だった。人間好きそうな情緒溢れる親父そうだったけど、その感じ通り料理も情緒溢れるなかなか良い味だった。ちょっと甘くてイタリアと言うよりフランス料理っぽかったかもしれないが。僕にはその味が大満足。

今日は、親父に聞いて彼のお薦めの、マトンだかしかの肉を食べた。久しぶりにレストランに行って幸せな気分を味わった。上手い親父と美味い料理、しびれるね、イタリアは余り好きじゃないけど、段々と惚れそうになってきた。

その親父はちなみに、南の方の島のサルデーニャ島出身らしい。今度時間と金があったら是非その島に尋ねてみたい。恐らく美味しい料理と、美人ちゃんが沢山いるだろう。

昔は綺麗で整っている、北に憧れていたけど、最近は情緒と人間味に溢れる南に気持ちが傾いてきた。僕は、恐らく真面目で勤勉な北の人間だろうと思っていたが、多分どちらかと言うと情緒と美味いもので生きている南系の人間であろう。意外と人生楽しむ系なのかも。

ちなみに、よくがきんちょに顔をじっと見られるんだけど、それって今まで、俺って人気があるんだなガキに、きっと性格が良いからそれはガキは分かるんだなとか結構楽天的なこと思っていたが、

最近が気がこっちを向くのに法則性があることに気が付いた。アイスを食べているとかに限りガキがこっちを見ている。つまり、俺を見ているのでなく、アイスを見ていたのだ。

でも、アイス食べていても美人のギャルちゃんには見られないね。流石にアイスに吊られてみてしまう歳でもナインかな。

できることとできないこと

2005-11-06 02:06:38 | Weblog
コピーライターになろうかと昨日思ってから、ちょろちょろとwebページなどを見始めたが結構コピーライターのBlogとかSiteって在る。情報発信したい人が多いのだろうか。それに比べてエッセイストとかなBlogとかページはほとんど見つからない。エッセイストになりたい人とかのページはあるがエッセイストそのもののページは殆ど見つからない。アマチュアで、面白いエッセイ書く人とかのページはあるが。

http://do-essay.bblog.jp/entry/215989/

何でだろうなと、ふと思う。これはやはり、その文章の長さかもしれない。コピーライターは短文または一行の世界で、勝負らしいがエッセイストは数枚は、書かなければならない。Blogやweb pageに自分の思った事を書いていたら、それこそ本業の方に書くネタがなくなってしまう。そんな気がする。

所で、少し人生を振り返ってみると、今の時代は、したい事が意外とできる時代である、それが達成するかは別として、昔はしたい事があっても金銭的な理由で、断念しなければ行けない事が多かったようであるが、現代は意外と実現できる。しかし、此処には大きな落とし穴があるような気がする。

もう一度考え直さなければ行けないのはこういう事である。何がしたいのか。何ができるのか。これはカントの基本的問いに似ているが、しかしこの問をもう一度といてみる事は大切な気がする。

つまり、現代は金がある程度自由に使えるので、したい事或いは手に入れたいものが実現してしまう。そこで大切な事は、何ができるかという事が大切になってくる。最も試してみなければ何ができるのかという事は言えない、これは事実である。しかし、してしまってからできなかったと判断して時すでに遅しなどという事も現代では多い。ニートなどと呼ばれている若者などが典型的な例であろう。

何処で判断するか、これが非常に大切であるような気がする。しかしこれは僕の経験から言うと、判断が難しい。自分のしたい事が実現できないままでいると、それをどうしても実現するまでだらだらと時を過ごしてしまう事がある。

何処で判断するか、或いは諦めるか。或いは妥協するか。僕はその判断に1から2年で判断した方が良いと思う。12年経験してみると、どういうことだか段々分かる。此処で駄目だと思ったらさっさと諦めてしまう事である。最もある事は諦めてもどうしても実現したい事がある場合それを諦めては行けない、しかし一時退却という形で、別の道を歩みながら自分の実現したい事を実現するのが非常に重要である。

此処で、自分が本当に実現したい事は何なのか、それをしっかり見つけないと行けない。

僕は、長いことヨーロッパに住みたいと思っていた。日本社会に批判的だったしヨーロッパの方が住みやすいし生きやすいと幻覚していたからだ。しかし、色々経験してきて、ヨーロッパの方が住みやすいと言うことはない、日本にない利点はあるが日本が持っている利点もない。
日本人として日本に住んでいるとき、なぜか安心感がある、しかし外国人として住むと、周りは全て敵である。多かれ少なかれよそ者として扱われる。これに耐えて生きるのはそれ程、楽なことではない。周りはこっちの気持ちなど大抵は理解してくれない。

そこで最近僕は考えた、何故ヨーロッパに住みたいのかと、どうもヨーロッパに住みたいというのはそれ程大きな理由ではないらしい。それでは何が理由か、つまり白人の奥さんが欲しいというのが大きな理由らしい。周りから見れば女性は誰も一緒だし、何て馬鹿げた下らないことだと思うかもしれないが、どうも僕にはこれは夢らしい。 

つまり、これを実現するのには何も、ヨーロッパでなくても良い。そう考え始めたのである。日本に来たいヨーロッパ人も西では少なくても東にはいる。こういう風に思考転換したのも、最近のことである。この思考転換は少なくとも、67年前にしているべきであった。どう見ても時間を無駄にしてしまった。

そんな体験から、できることとできないことを見極めたいことの方向転換を早めにするべきであると思うのである。此処で、周りに忠告のできる友人なり、家族なり居ればいいが、そうでないことが大半だと思うので、そういう風に周りから協力が得られない場合は、自分で判断しなければ行けない。此処は大変難しい、ハッキリ言ってできるかできないかは、運命である。僕はできなかった。だからなるべく同じ過ちをしない方が良いと思い此処に書いてみた。

人にはできることとできないことがある。夢は捨てては行けないが、できないことは諦めよう。


ちょっとjobjobworld見て

2005-11-05 02:23:48 | Weblog
職安のページにJobJobworldなるものがある。自分の道を迷い続けて早くも、15年が経った。未だに何になるか見つからない。アホである。其れは自分でも承知である。でも承知してても何も見つからない所を見るとやはり、承知していないのかもしれない。

其れはさておき、JobJobWorldを見て、エッセイストの紹介ページがあり、見てみた。どうやってなるかのVideoの所で、
毎日書く事
毎日読む事
文章を写す事
と言うのがあった。エッセイストになるには、やはり毎日書かないとダメなのだなと言う事が分かった。ついこないだから僕も此処に書く事に決めて、毎日書こうと思ったが、そんなに簡単に毎日書けるものではない、毎日ネタが無いのである。

また、エッセイストによっては、取材をして書く人もいるようである。取材とかなんとか調べて書くのはこれまた駄目。調べていても、其れをどうまとめたりしたらいいか全く分からない。このことで卒論では少し悩んだ。

だから、少し目標を変えて、コピーライターになる夢に変えた。これなら一言で済むし、何も取材する必要もないし、調べる事も無さそうだからである。

さて仕事探しの方であるが、僕が面白いなと興味を持ったのは、

添乗員
観光案内人
コピーライター
営業部員
電子計算機オペレータ
パソコン組立・調整工

経理事務員とかとも思ったが、良く考えると余り机の前に向かって、長時間耐える事ができない。考える事はできるが、学ぶとか勉強するとかまず無理、JobJobworldのビデオを見て、余り性格が大ざっぱの人には向かないとか言っているのでちと厳しい。

ファジーでアバウトなのを好む僕としては、恐らく早く正確に数字を合わせるのは死ぬより酷いであろうと。後は、コンピュータを組み立てるのは面白そうだけど、ああ言うことしているのは大抵、大企業なので、僕の年齢を考えると恐らく、採用はないだろうなと。

JobJobWorldのビデオ見て思ったが、僕の性格上、経理とかプログラマーとかきちっと厳密でがちがちなものより、人と接して仕事していく営業事務とか、販売事務とか、営業マンとかしかなさそうである。でも、経理とかというものがしてみたいなとは思うけどこれは時分の性格と逆のものに惹かれるという罠のような。

ビデオ見ても、面白そうな顔をしているし、僕も色々な人に面白いと言われるので、恐らく類は友を呼ぶで面白い顔していたり面白い人は、営業が良いのかなと。

高校時代を振り返って

2005-11-01 06:22:29 | Weblog
やる気があるけど、やれない人は。学校の勉強で一番を取る事を目指すのが一番良いと思う。自分の学校は自分の実力に一番合っているわけで、そこで一番を取れなければ、それ以上の実力は着かない。

何をするにも学校が基礎で、学校の勉強をするのが一番良い。自分の実力を上げるには色々な方法が在るであろうが、学校で優秀な成績を取るのが一番良い。これに限る。

後は、良き教育者に出会える事が一番、大切な事である。しかし、これは運もあるし、ほとんどそんな人はいないので、期待できない。良き教育者とは、優秀な大学を出た人ではない、その人の実力を伸ばせる人が良い教育者である。つまり学校の成績を伸ばせる人である。