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コピーライターになろうかと昨日思ってから、ちょろちょろとwebページなどを見始めたが結構コピーライターのBlogとかSiteって在る。情報発信したい人が多いのだろうか。それに比べてエッセイストとかなBlogとかページはほとんど見つからない。エッセイストになりたい人とかのページはあるがエッセイストそのもののページは殆ど見つからない。アマチュアで、面白いエッセイ書く人とかのページはあるが。
http://do-essay.bblog.jp/entry/215989/
何でだろうなと、ふと思う。これはやはり、その文章の長さかもしれない。コピーライターは短文または一行の世界で、勝負らしいがエッセイストは数枚は、書かなければならない。Blogやweb pageに自分の思った事を書いていたら、それこそ本業の方に書くネタがなくなってしまう。そんな気がする。
所で、少し人生を振り返ってみると、今の時代は、したい事が意外とできる時代である、それが達成するかは別として、昔はしたい事があっても金銭的な理由で、断念しなければ行けない事が多かったようであるが、現代は意外と実現できる。しかし、此処には大きな落とし穴があるような気がする。
もう一度考え直さなければ行けないのはこういう事である。何がしたいのか。何ができるのか。これはカントの基本的問いに似ているが、しかしこの問をもう一度といてみる事は大切な気がする。
つまり、現代は金がある程度自由に使えるので、したい事或いは手に入れたいものが実現してしまう。そこで大切な事は、何ができるかという事が大切になってくる。最も試してみなければ何ができるのかという事は言えない、これは事実である。しかし、してしまってからできなかったと判断して時すでに遅しなどという事も現代では多い。ニートなどと呼ばれている若者などが典型的な例であろう。
何処で判断するか、これが非常に大切であるような気がする。しかしこれは僕の経験から言うと、判断が難しい。自分のしたい事が実現できないままでいると、それをどうしても実現するまでだらだらと時を過ごしてしまう事がある。
何処で判断するか、或いは諦めるか。或いは妥協するか。僕はその判断に1から2年で判断した方が良いと思う。12年経験してみると、どういうことだか段々分かる。此処で駄目だと思ったらさっさと諦めてしまう事である。最もある事は諦めてもどうしても実現したい事がある場合それを諦めては行けない、しかし一時退却という形で、別の道を歩みながら自分の実現したい事を実現するのが非常に重要である。
此処で、自分が本当に実現したい事は何なのか、それをしっかり見つけないと行けない。
僕は、長いことヨーロッパに住みたいと思っていた。日本社会に批判的だったしヨーロッパの方が住みやすいし生きやすいと幻覚していたからだ。しかし、色々経験してきて、ヨーロッパの方が住みやすいと言うことはない、日本にない利点はあるが日本が持っている利点もない。
日本人として日本に住んでいるとき、なぜか安心感がある、しかし外国人として住むと、周りは全て敵である。多かれ少なかれよそ者として扱われる。これに耐えて生きるのはそれ程、楽なことではない。周りはこっちの気持ちなど大抵は理解してくれない。
そこで最近僕は考えた、何故ヨーロッパに住みたいのかと、どうもヨーロッパに住みたいというのはそれ程大きな理由ではないらしい。それでは何が理由か、つまり白人の奥さんが欲しいというのが大きな理由らしい。周りから見れば女性は誰も一緒だし、何て馬鹿げた下らないことだと思うかもしれないが、どうも僕にはこれは夢らしい。
つまり、これを実現するのには何も、ヨーロッパでなくても良い。そう考え始めたのである。日本に来たいヨーロッパ人も西では少なくても東にはいる。こういう風に思考転換したのも、最近のことである。この思考転換は少なくとも、67年前にしているべきであった。どう見ても時間を無駄にしてしまった。
そんな体験から、できることとできないことを見極めたいことの方向転換を早めにするべきであると思うのである。此処で、周りに忠告のできる友人なり、家族なり居ればいいが、そうでないことが大半だと思うので、そういう風に周りから協力が得られない場合は、自分で判断しなければ行けない。此処は大変難しい、ハッキリ言ってできるかできないかは、運命である。僕はできなかった。だからなるべく同じ過ちをしない方が良いと思い此処に書いてみた。
人にはできることとできないことがある。夢は捨てては行けないが、できないことは諦めよう。