一寸何も書かない月が続いた。仕事が忙しくて此処に何か書くまでに行かない。
所で、PSUと言うゲームとPSOと言うゲームと比べてみたヒントから、面白いことと詰まらないことの差異とは何なのか考えてみた。
さて面白いものと詰まらないものの差は長い間、その内容にあると思ってた。内容が面白ければ面白いし内容が詰まらなければ面白くない。もちろんドストエフスキーの小説のように内容が面白くて面白いものもある。しかし、他方、内容が大してないようなのに面白いものもある。映画でもエッセイでも小説でも。
さて、何故内容がないのに面白いと感じることができるのか、あるいは何度も使い古された内容なのに面白いと感じることができるのだろうか。
そのヒントは表現力にあると発見した。表現力というのは内容と同等もしくはそれ以上に面白く感じさせるためには重要な要素ではないかと思い始めてきた。
内容に注目すると今も昔も余り差が無く似たようなことを繰り返しているなと感じるが、表現力に注目すると昔に比べると随分変化して来ているということが分かる。
つまり内容に注目してしまうと、いつの時代も人間の考えることも進歩が無くすぐに飽きてしますが、その表現力に注目するとその変化により人間の進歩無限の可能性を感じることができ人生を楽しめるような気がする。
大切なのは表現力だ。表現力の向上を目指して生きていきたい。
所で、PSUと言うゲームとPSOと言うゲームと比べてみたヒントから、面白いことと詰まらないことの差異とは何なのか考えてみた。
さて面白いものと詰まらないものの差は長い間、その内容にあると思ってた。内容が面白ければ面白いし内容が詰まらなければ面白くない。もちろんドストエフスキーの小説のように内容が面白くて面白いものもある。しかし、他方、内容が大してないようなのに面白いものもある。映画でもエッセイでも小説でも。
さて、何故内容がないのに面白いと感じることができるのか、あるいは何度も使い古された内容なのに面白いと感じることができるのだろうか。
そのヒントは表現力にあると発見した。表現力というのは内容と同等もしくはそれ以上に面白く感じさせるためには重要な要素ではないかと思い始めてきた。
内容に注目すると今も昔も余り差が無く似たようなことを繰り返しているなと感じるが、表現力に注目すると昔に比べると随分変化して来ているということが分かる。
つまり内容に注目してしまうと、いつの時代も人間の考えることも進歩が無くすぐに飽きてしますが、その表現力に注目するとその変化により人間の進歩無限の可能性を感じることができ人生を楽しめるような気がする。
大切なのは表現力だ。表現力の向上を目指して生きていきたい。