人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

「モテたい理由」みたいな本を読むときは、実は注意が、、

2008-09-30 12:44:59 | Weblog
こういう学術っぽい実用書って、面白いんだ。

この著者面白いし、なかなか鋭い分析しているし、ただちと論述的でない部分はどうなのって思うんだけど、まあこれは現代新書の宿命。

だけど、注意点が必要。それは何かって言うと、こういう本を読んでも、彼氏彼女を見つけるために、役には立たないってことだな。うーむ、そうか、だから俺はもてないんだってわかってなんの役に立つんだってことだ。

俺は俺がもてない理由を知りたいんじゃなくて、どうしたらもてるかが知りたいんだ。って叫ぶわけだ。で、軟派なナンパ雑誌を読まない諸兄は、こういうまじめな本を読んで迷ってしまうわけだ。

じゃーどうしろって?

街に出て、人間に会い、交流作る。人間と一緒になるのに、本読んでてどうする。

昔言われたよ。家には恋人はいないよと、恋人は外にいるんだよと。

好きな人を見つけろ。これしかない。(他にも色々あるけど、良く分からん)

振られるのが怖いって、そりゃ怖い。下手すると二年ぐらい立ち直れないからな。でも気にするな、運命は既に決まっているんだ。

結婚は恋から始まり、恋は好きから始まるんだ。頭で恋するんじゃないってことだな。結婚は頭もありだけど、両者が同意すれば、、

ってな感じだ

あー、何か村上春樹みたいな現代作家他にいないかな

2008-09-29 23:31:42 | Weblog
春樹みたいな、作家他にいないかな。

って思うんだけど、春樹好きは結構ミステリー好きだったりするみたいだな。

春樹の良い所は、その格好良い所や、おしゃれな所や、謎解きや、うんたらかんたら、じゃなくて、やっぱあの哲学的言及なんだな。

彼のデビュー作の冒頭の文が
「完璧な文章なんてのはない、完璧な絶望なんてないようにね」
みたいなこと言っているんだな。

格好良いよな。スゲーよな。何となくほっとするよな。これって死ぬほどのような絶望なんてないって言ってんだよな。例え恋人に振られたとしても。

そっか、Fitzgerald 読めば良いのかな。日本の作家ではいないのかな。
ちと虚しいな。頑張れ日本。フッ、俺がやるか。←完全妄想、ニーチェ並み

まあ、漱石が哲学的だな、、

ってな感じだな

好きな本である間、、

2008-09-29 18:18:21 | Weblog
あーあ書かなきゃと、思っていても読み続け、

ってなこと言っている場合じゃなくて。最近発見したんだけど、好きな作家とか、好きな本とか、聞かれるけど、好きな本とか持っていなきゃ行けないなとか、半分強迫観念にとらわれて、探しているんだな。もう長いよ。

そんで無理矢理好きになったり、好きと言ってしまったけど、後で好きではないなと思って良心の呵責に苛まされたり、、、色々葛藤があったんだな。

でまあ、最近分かった。継続して好きな本なんて自分にはないんだな。今読んでいる本、読んでいる最中は好きなんだけど、読み終わると大抵、好きじゃないというか、もう十分というか、飽きちゃったというか、そんな感じなんだな。

つまり今、読んでいる本は好きだけど、読み終わったら嫌いになる、そんな感じだ。

ってな感じだ

赤坂真理のうらやましい悩み 終了、詰まらない感想

2008-09-29 13:03:21 | Weblog
土曜のPlus1で赤坂真理が、うらやましい悩みの相談に乗っていたんだけど、これが先週の土曜についに最終回を迎えた。

面白い連載だったんだよな。でも、これで土曜日日経新聞買わなくて済んだ。

ちなみに、多かった相談は、人にどう見られているのかって言う話らしい。

うーむ。何か次元の違う世界に生きているようだ。

ちなみに、この赤坂真理って言う作家は、作家としてはあんま良くわかんないけど、評論したり意見したりエッセイ書いたり、そんな方が向いているんじゃないかななんて気がする。作家の人で評論活動のようなことした方が、どう見ても向いているんじゃないのって人結構いるんだけどね。

まあ、余計なお世話なんだけど、、、

ってな感じだ

読まなきゃって気持ちと、かったるいって気持ち どうでもいい話

2008-09-29 12:41:28 | Weblog
人は何で本を読むのだろうか。本と言っても小説の話だけど。

僕の場合、心の中で読まなきゃいけないって言う気持ちがある、それと同時にかったるいなって気持ちもある。

あー、自分が分からない。僕は自分が分からない。生きているのかも分からない。意識があるから死んでいないんだろう。

読みたい自分と、読みたくない自分に悩まされ。

あー、落ち着きたい。

何かblog通信簿すると、ひたすら詩人になりましょうって出て来るんだよね。
どういうことだ。

ってな感じだ

フランスについて面白い本

2008-09-28 10:49:18 | Weblog

フランスは好きですか。フランスって良いですね、何が良いって、人々ですよね、何となくある暖かみと、辻褄の合わない発言。見ているだけで面白い。問題ばかりというか問題しかないフランス。問題が多いから人との繋がりが大切で、人と会話しなければやっていけないフランス。ワインを買いに行けばそこの亭主と数十分、スーパーに買い物に行けば、そこでまた数十分、まるで会話するために存在しているような国。好きですね。

そんなフランスの様子をコメディータッチで書いた本があります。

「くそったれ美しきパリの12ヶ月」

これはイギリス人の記者が、10年と言うパリでの生活をもとに体験物語調に書いた本で、外国人の目から見たパリの様子が書かれています。もちろん話は多かれ少なかれ誇張されていますが、それでも大体パリというのはそんな感じなんだろうなと、思わせます。話の大半は男性と女性、つまりイギリス対フランスの会話合戦ですが、その会話合戦がまたまた楽しいです。

まあ下ネタが多すぎる嫌いもありますが、、、まあこれはしようがないです、ヨーロッパの男にとっては、神はイエスでなく、カサノバですから、、、


あー、見ちまった atonement 「贖罪」または「つぐない」

2008-09-27 22:35:26 | Weblog
いやー、凄い映画だった。色々考えさせられたというか、色々頭の中にあーだこーだと出て来たけど、取りあえず1つだけ。

最期に、おばあさんが言うんだな。小説の中に事実を書いていないと、今更事実を書いた所で読者が喜ぶでしょうかと、、それより二人を永遠に結びつけて愛し続けるように願いを込めて作ったと、、、神の視点だ。

うーむ。小説には事実あるいは真実を書くべきなのか、それとも読者が喜ぶように書くべきなのか。シェイクスピアのイギリス人、またまた問題を二択にしてしまった。to be or not to be だ。

そんなことはどうでも良いんだけど、僕は、小説の中には真実が書かれるべきだと思う。例えそれがつまらなくて売れない本、多くの読者が喜ばなくても、真実を書くべきだと思う。真実と言うより現実かな。

虚構は人々に混乱を与え、真実は指針を与えるからだ。

魯迅というのは、それをした作家じゃなかったかな、、

ってな感じかな

小説を読むこと書くこと学ぶことって1つのおうちみたいなものか 

2008-09-27 10:08:36 | Weblog
小説を一つの家とすると、そこには、読書、作書、学書と言う3つの部屋があるんだな。

何か書き方本を見ていると、若い内にと言うか、読まずに書けるかとか書いてあることが多いんだな、最も読書が好きだからって書けるとは限らないなんて、書いてある本も中にはあるけど、基本的には読まずに書けるかって書かれていることが殆ど。

でも、実際書き書きモードに入った時と、読み読みモードに入った時と、学びモードに入った時は、別々の部屋にいるように、全く違うんだな。

読んでいる最中に、ふと書きたくなることってあるけど、基本的に、読んでりゃ書けるようになるなんて、そんな延長線上で書けるようにはならないんだな。それは読み部屋と書き部屋が一緒と言うことなんだけど、それが一緒と言うことは先ずない。その読み部屋から出て、書き部屋に入らないと書けないんだな。また学ぶ時も一緒で、学んでいるからと言って、そのまま延長で書けるかというと、やはりその部屋から出て、書き書き部屋に入らないと、書けないんだな。

部屋だから、大きい小さいもあるしね。鍵が閉まっていたりもするし。

何かこの部屋の発想、説明するのにすげーideaだと思ったけど、書いてみたら、
つまらなくなっちったな。

クラスに好きな人がいて、思い焦がれながら、本を読んで疑似体験をするのが、読書、相手に告白するのが作書、こんなところかな。

ってな感じだ

絲山秋子 「本の読書道」 web版を読んで

2008-09-27 09:47:55 | Weblog
この人の本は、袋小路の何とかしか読んだことないんだけど、凄いな。

小学校でこれだけ読むとは、ぼくもそれなりに読んでいたけど、児童文学ばかりで、ムーミンとか何とか読んだ、大抵の本はあんまり面白くなかった。だから漫画しか理解できなかったな。そもそも脳みその構造が違うって感じ。自分は好きな本を探すこと自体下手な子どもだったな。今でも下手だけど。

児童文学が分かりだしたのは、中学に入ってだったもんな。脳みそ完全単純細胞。
中学に入ってから初めて、少しづつ本が理解できてきたような気がする。

最もこの人の本の方はそんなに脳みその構造が違うような小説ではないような気がするけど。不気味でなくて、どちらかと言うと、ian maCewanの方が不気味だな。しかも、脳みその構造が完全に違うんじゃないか何て思わせる、書き方で内容だし。

この人の紹介する本は、ヘンリーミラーを除いてそんなにメジャーな本じゃないな。自分の好きな本を見つける、周囲に影響されずに自分の好きなものを見つける能力が高いんだろうな。多分内向的な人。僕とは逆だな。

でもヘンリーミラーって、ちょっと Ian MaCewan 並みに錯綜しているよな、ちと不気味というか、なんなんだこれは、全く理解できないぞ、ってな文学で、高校の頃試したけど、理解できなくて心にも残らなくて、つまらなかったな。それより、ヘミングウェイの方が面白くて泣けた。

多分、外向文学と、内向文学というのがあって、内向的な人は内向文学が面白く、外向的な人には外向文学が面白いんだな。とも言えないな。ただ内向的文学と外向的文学というものはありそうだけど。

絲山秋子の紹介する中にも、カフカ、カミュ辺りは出てくるけど、ドストエフスキーとか、ヘミングウェイとか井上靖とかKestnerとかProisslerとか出てこないもんな。不気味なものが好きなのかな。