人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

2008/06/30 気ままにAphorism 心の

2008-06-30 15:28:39 | Aphorism (箴言)

イヤー、最近は本にはまっている。お堅くない本はアホだとか思っていたけど、最近はそのアホな本が面白いんだと思うようになってきた。

本は面白くなきゃ意味がない。

と言うは今日の箴言ではない。今日のは

心の思うままに生きよ

解説

これは、素直に生きている人にとっては全く持って意味のない言葉。
其れでは、どんな人向けかというと、僕みたいな人、ベストセラーが面白いと思っても、教養が邪魔して、何処かで読んだか聞いたかの言葉を思い出し、ベストセラーなどと言うくだらない本を読まないで、古典、名著を読めと、んで持ってその本には手を出さずトーマスマンに手を出してしまう。

最後のページに来たものの、実は字を目で追っているだけで、実は何も理解していない。こんなつまらない教養は辞めて、心の思うままにベストセラーを読め。と言う格言。

教養のある人は何を読んでも教養在るし、頭のいい人は何を読んでも勉強できる。
これは本だけのことではない、目の前に気に入った美人ちゃんと、教養のある普通ちゃんがいたとする。そんなとき理性が動いて教養のある普通ちゃんを選ぶと後で後悔する。絶対すぐに分かれる羽目になる。此処は気に入った美人ちゃんを選ばなければ行けない。

これが心の思うままと言うこと。

ただ、一言付け加えておくと、これは法律とか道徳とかの範囲内でね。人殺したり痴漢したりという非教養なレベルの人を想定はしていないから。

後、勉強とか生きる上で心は向かないけれどもしなければ行けないこととかもある。こういうものに対しては、自分が心を赴くように操作してあげなきゃならんわけだ。

例えば、2時間続けてできなければ、30分ごとに区切ってするとか、つまり最大限自分ができるように工夫すると言うことだ。心が思わないのに根性だとか何とかで無理にさせても上手くは行かない。

そもそも勉強に心が向かない時点でそれほど勉強には向いていないから余り無謀な志望校などは設定しない。その志望校は欲望は向いているけど、心は向いていないから。

箴言も色々注意書きが必要で、なかなかむずい。それ以外は、随時質疑応答するしかない。

ってな感じ。


狗飼恭子ってどう見ても天才

2008-06-27 23:43:31 | Weblog
あー、何だか曇ったり晴れたり、でも晴れ続けるより良い感じ。それにしても頭は痛い。知恵熱か

まるこはやっぱり面白い。殆どエッセイしか読んだことないけど、何であんなに面白いんだろう。笑いながら最期の方でじーんと来て切ない気持ちになっちまう。喜劇が真の悲劇とか誰かいったような気がするけど、そんな感じかな。

所で、そんなじーんと来る天才エッセイストの横にまだまだ天才がいる。
「狗飼恭子」だ。最も自分が幾ら天才と言っても何も起きないので、本人には全く関係ないけど。

その天才ぶりは、1つ何気にエッセイを読んでみると分かる。人に読ませる文章を書いてしまう。この人の長編は微妙に飽きるんだけど、最も長編で飽きない人はあんまりいない。短編は、かなり天才。場面の作り方と語り方はたまた描写の仕方、同じ日本語だとは思えない言葉選び。

こんな文を読むと自分でも書けるのでは何て思うこと自体、ちと恥ずかしくなってくる。

やはり高校の頃から、文を書くの美味いとか美味くないとか、そんなのってあるんだと思う。自分は高校生の辺りから文を書くの好きになってきたけど、才能あるとか面白いとか言われたことはなかったな。存在が面白いと言われたことは良くあったけど。

やはり普通でない仕事は、才能次第だな。

ってな感じかな


2008/06/25 今日の川柳 幸せと

2008-06-25 01:42:27 | Weblog
何か良く分からないけど、晴れたり雨降ったり忙しいね。もう少しノンビリして欲しいもんだよね。

さて今日も一句、

幸せと、思える物が 趣味になる

何気なく、伴侶と共に 過ごす夜


外向性の人が陥る危険性 影響を受けやすい

2008-06-23 03:25:00 | Weblog
外向性の人が良く陥りやすい罠という物がある、罠と言うほどの物でもないが意外と陥ってしまう。

自分は長い間内向的な人だと思っていたので、関係ないと思っていたが、実は自分こそこの罠に填りまくっていたと言うことが最近になって分かった。

その罠とは何か、それは周りの影響を受けすぎてしまうと言うことである。
例えば「ヒカルの碁」を読んだとすると、読んだときから碁をやってみたくなって、やるだけならまだ良いが、更に主人公のように天才的な棋士になれると固く信じてしまう、下手すると自分がなった気になってしまう。

その恍惚感というか酔いしれている自分に現実を見せるのが苦しくて、ついついその酔いしれたままになってしまい夢見る少年になってしまう。

実際天才棋士のようになれれば良いが、そんなことはまずなく周りにいつも負けていたり強くなれなかったりすると、やはり自分は才能がないと思い素直に別の道を考えた方が良いのだが、諦めきれずに夢を見続けるといつか夢が覚めたときに不幸になる。(最もそれでも好きで楽しいのなら、趣味として続ける意義は十分にある。自分の趣味を見つけられるのもまた良いことである。)

この影響を受けないようにするにはどうしたら良いか、自分の好きなこと楽しいことを見つけることである。こればかりは幾ら外向的な人と言えども、周りからの影響で判断せず、自分の感覚、感情で判断しなければならない。

学生の時代に、自分が何をしているときが1番楽しいか、常に検討しながら毎日を生きることである。ただ若いときは夢や未来があるし、周りの人もどちらかと言うと励ましてくれて、何でもやればできるような錯覚に陥る。

しかし、人は何でもやれるわけでないし何でもできるわけではない。この時期に将来の基礎を造るための時間を無駄にしないように、自分の好きなこと楽しいこと仕事に結びつきそうなことを見つけることである。

それを見つけるのに外向的な人は夢のお告げとか、1人で内省してても何もハッキリしたことは出てこないので、色々経験してみることである。色々なことをしてみることである。色々沢山経験している中から、自分が好きだと思えること、楽しいと思えることが見つかると思う。その時大切なのは世間で言われていることを余り気にしないで自分の好みを見つけることである。

ってな感じかな


2008/06/22 今日の川柳 自分探し

2008-06-22 00:53:51 | Weblog
色々な天気が混ざっていて、欲張りな1日だった。変化が人にメリハリを付けるよな。

さて今日もまた一句、

自分探し、いつか見つかるよと 信じてる

妄想は、事の始まり 構想へ

カメラ見て、撮るよりカメラ 大事にし

蕎麦食べて、我はやっぱり 日本人