保坂和志って全然面白くないなって、思っているんだけど、でも何となく隅に置けないというか、気になるなって言う作家なんだよね。
うーむ、それなりに面白くないんだけど、でも実は面白いんだってことに気が付いた。彼は、小説の中で、自分の意見を言っているんだよね。この本で、最初の方に、目の前の無残な猫を助けるぐらいなら、アフリカで常に飢えている人達に募金したらいいだろうと、言っていることに対して、自分の意見述べるんだな。
こう言う意見って言うのが、凄く面白い。なるほどやっぱそうだよなとか、それは違うんじゃないのと、自分が思索する材料になると同時に自分の考えの激励になる。そしてそこからまた自分の仮説が始まる。
で、彼はそう言う思索を語る作家なのかなと思って、彼のデビュー作をちらっと読んでみたんだけど、こう言うことを語ることは殆どないんだよね。もちろん所々に思索の兆しはあるんだけど、余りハッキリとした語りじゃないんだな。村上春樹の方がデビュー作で、自分の考えをハッキリ述べているんだよね。
ちなみに、大江健三郎のデビュー作にも、それ程思想がないなと思ったけど。まあ一カ所中絶に関して意見を述べる所があって、そこは面白かったけどね。だから若干、思想小説家なのかな。保坂和志に微妙に似ているのかも。
まあ、デビュー作というのはその人自身の作家人生を凝縮して表しているらしいんだけど、その定義から考えると、保坂和志はそれ程、思索、哲学をメインとした作家ではないのかな。まあ、頭の良い人というのは、カメレオンのように変化していくけどね。
でも、デビュー後の作品で彼の意見を所々に入れて語っているのは凄く面白い。流石W大だよな。彼の小説は高等遊民というか、インテリ族の会話なんだな。それもまた面白い。ただしインテリ族の会話なのに、野球の話とか競馬の話とかはちと、場違い。TPO を考えてくれって言う感じだ。多分その辺に熱中している兄ちゃん達には、彼の小説は全然受けないと思うぞ。
でも、この意見面白いなあ、とかまだまだ続くかなとか思っている最中に、突然話題が変わるというか、どっかに話が飛んでいくところは、ちと残念だった。もっとも流石プロなので、そんなに無理した飛び方はしないんだけどね。話題が結構頻繁に変わるってやつだな。
まあドストエフスキーのあの長い登場人物の独白、普通は飽きちゃうかも知れないほどくどい独白でも、ちと物足りないと思うから、僕を満足させてくれるようなのはくどすぎるって、普通は嫌われちゃうのかもしれないけど、、でもドストエフスキー以上語る人って知らないから、そんな変質的な読者の要望には応えられませんってのが、普通の作者の気持ちなんだろうけどね。
哲学はものによっては、長過ぎってか、余り建設的で面白くもないのに、長々と語ってしまう物が多いな。紙の無駄遣いだから、短めに簡潔に語った方が良いよな。
ただ、こんな感じで人の小説を見ている内に、段々自分が固まってきたような気がするな。僕が書きたいのは、意見とか思索とか考えだけの、思索小説みたいなものらしいな。
20代前半ぐらいまでなら、ストーリーの小説も読めるけど、こう言うストーリーものってのは基本的に、思索の始まる前、中学生ぐらいまでで、思索が始まったら、ストーリーよりも思索の語ってある書物の方が面白くなるんだよな。
その頃から、小説も段々つまらなくなってきた気がするよ。小説が1番面白かった時期は、中学生の頃で、高校以降段々、離れていったな。でも中学生の頃読めた文学ってのは、児童文学だったりするんだけど。中1で「車輪の下」試みたけど、何が何だかさっぱり分からなかったな。で大学中に読んだら、もう詰まらなかった。
だから、小説でもストーリーなんて日に日にどうでも良くなってくるって感じだな。ストーリーは、映画とか漫画に任せて、書物は思索の塊にして欲しいな。
と書いている間にストーリーとは何かってなことが浮上してきた。
いずれにしても、ストーリーは気持ちの平和を脅かすね。
世の中には、これだけ嘆き苦しみ悩んでいる人がいるのに、小説は未だにストーリーだとか、ハラハラどきどきだとか、推理だとか、恋だとか愛だとか、闘いだとか、恐怖だとか、夢だとかそんな一時的な楽しみの檻の中にいて、そこから出させてもらえていないよな。
そろそろ思索を表に出して来ても良いんじゃないかな。これだけ識字率も上がったことだし、潜在的な思索家って山ほどいると思うんだな。思索よ出てこい。思索を自由に。
ライトノベルも良いけど、やはりヘヴィな思索小説もニッチな世界かもしれないけど、ある程度の需要を見込めると思うぞ。10万人はいても良い。
心を平和にしてくれるのは、思索だけだからね。それは快い癒しの音楽を聞いた時に似ているかな。
ちと長過ぎたな。仕様がないんだよ、ブ男は長いの。
「もてる作家は短い」(米原真理)より
ってな感じだ
うーむ、それなりに面白くないんだけど、でも実は面白いんだってことに気が付いた。彼は、小説の中で、自分の意見を言っているんだよね。この本で、最初の方に、目の前の無残な猫を助けるぐらいなら、アフリカで常に飢えている人達に募金したらいいだろうと、言っていることに対して、自分の意見述べるんだな。
こう言う意見って言うのが、凄く面白い。なるほどやっぱそうだよなとか、それは違うんじゃないのと、自分が思索する材料になると同時に自分の考えの激励になる。そしてそこからまた自分の仮説が始まる。
で、彼はそう言う思索を語る作家なのかなと思って、彼のデビュー作をちらっと読んでみたんだけど、こう言うことを語ることは殆どないんだよね。もちろん所々に思索の兆しはあるんだけど、余りハッキリとした語りじゃないんだな。村上春樹の方がデビュー作で、自分の考えをハッキリ述べているんだよね。
ちなみに、大江健三郎のデビュー作にも、それ程思想がないなと思ったけど。まあ一カ所中絶に関して意見を述べる所があって、そこは面白かったけどね。だから若干、思想小説家なのかな。保坂和志に微妙に似ているのかも。
まあ、デビュー作というのはその人自身の作家人生を凝縮して表しているらしいんだけど、その定義から考えると、保坂和志はそれ程、思索、哲学をメインとした作家ではないのかな。まあ、頭の良い人というのは、カメレオンのように変化していくけどね。
でも、デビュー後の作品で彼の意見を所々に入れて語っているのは凄く面白い。流石W大だよな。彼の小説は高等遊民というか、インテリ族の会話なんだな。それもまた面白い。ただしインテリ族の会話なのに、野球の話とか競馬の話とかはちと、場違い。TPO を考えてくれって言う感じだ。多分その辺に熱中している兄ちゃん達には、彼の小説は全然受けないと思うぞ。
でも、この意見面白いなあ、とかまだまだ続くかなとか思っている最中に、突然話題が変わるというか、どっかに話が飛んでいくところは、ちと残念だった。もっとも流石プロなので、そんなに無理した飛び方はしないんだけどね。話題が結構頻繁に変わるってやつだな。
まあドストエフスキーのあの長い登場人物の独白、普通は飽きちゃうかも知れないほどくどい独白でも、ちと物足りないと思うから、僕を満足させてくれるようなのはくどすぎるって、普通は嫌われちゃうのかもしれないけど、、でもドストエフスキー以上語る人って知らないから、そんな変質的な読者の要望には応えられませんってのが、普通の作者の気持ちなんだろうけどね。
哲学はものによっては、長過ぎってか、余り建設的で面白くもないのに、長々と語ってしまう物が多いな。紙の無駄遣いだから、短めに簡潔に語った方が良いよな。
ただ、こんな感じで人の小説を見ている内に、段々自分が固まってきたような気がするな。僕が書きたいのは、意見とか思索とか考えだけの、思索小説みたいなものらしいな。
20代前半ぐらいまでなら、ストーリーの小説も読めるけど、こう言うストーリーものってのは基本的に、思索の始まる前、中学生ぐらいまでで、思索が始まったら、ストーリーよりも思索の語ってある書物の方が面白くなるんだよな。
その頃から、小説も段々つまらなくなってきた気がするよ。小説が1番面白かった時期は、中学生の頃で、高校以降段々、離れていったな。でも中学生の頃読めた文学ってのは、児童文学だったりするんだけど。中1で「車輪の下」試みたけど、何が何だかさっぱり分からなかったな。で大学中に読んだら、もう詰まらなかった。
だから、小説でもストーリーなんて日に日にどうでも良くなってくるって感じだな。ストーリーは、映画とか漫画に任せて、書物は思索の塊にして欲しいな。
と書いている間にストーリーとは何かってなことが浮上してきた。
いずれにしても、ストーリーは気持ちの平和を脅かすね。
世の中には、これだけ嘆き苦しみ悩んでいる人がいるのに、小説は未だにストーリーだとか、ハラハラどきどきだとか、推理だとか、恋だとか愛だとか、闘いだとか、恐怖だとか、夢だとかそんな一時的な楽しみの檻の中にいて、そこから出させてもらえていないよな。
そろそろ思索を表に出して来ても良いんじゃないかな。これだけ識字率も上がったことだし、潜在的な思索家って山ほどいると思うんだな。思索よ出てこい。思索を自由に。
ライトノベルも良いけど、やはりヘヴィな思索小説もニッチな世界かもしれないけど、ある程度の需要を見込めると思うぞ。10万人はいても良い。
心を平和にしてくれるのは、思索だけだからね。それは快い癒しの音楽を聞いた時に似ているかな。
ちと長過ぎたな。仕様がないんだよ、ブ男は長いの。
「もてる作家は短い」(米原真理)より
ってな感じだ