人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

USBの106キーボードが101キーボードに勝手に変換 keyboard

2009-09-26 13:54:59 | PC周り
あー参った。最近PC組み立てたんだけど、いつの間にか、106キーボードが101キーボードになっていた。

USBの場合、デバイスマネジャーとかドライバーの更新とかで変更できないんだな。HID キーボードってドライバーがあるだけで、中身は何なのか教えてくれない。

この大問題を解決するには、最後は弄ってしまうregistry何だな。

regeditを起動し、

HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSer\Services\i8042prt|Parameters\ に移動する。次の二つのパラメタを変更する。

OverrideKeyboard 元の値 PCAT_101KEY
              ---> PCAT_106KEY
LayerDriver JPN 元の値 KBD101.DLL
        ---> KBD106.DLL

ところで、このi8042ってのは何だ。こんな値始めてみた。こりゃー自分で探しても、出てこないよな。

USBに接続したキーボードが、いつの間にか101配列になってしまったら、役に立つジェー。

ってな感じだ


易しいものを続けるのが、実力UPのコツだ 

2009-09-11 09:46:17 | 随筆、Essay
表現力が大切なのは、世の中の常というか今のようなメディア時代には重要なんだな。おれが此処で書いているようなことが本になっている。

「しがみつかない生き方」だ。

内容は自分が思っていることと一緒で、此処のBlogに書いてある様なことだ。しかし、なぜこのblogは閑古鳥で、本は売れているのか。偏に表現力だ。同じネタを持っていても、表現力次第で読まれたり読まれなかったりする。

逆に人のネタでも表現力が高ければ、読まれるんだな。でこの表現力は才能だ。才能だから1の人が1.2ぐらいにはなるかもしれないけど、3とか4にはならないんだな。

さて、上記の本では論述風に述べているが、論述風に書かれてもあんまりしっくりと伝わってこないんだな。謎が残る場合が多い。だからやはり聖書が使っている手法。物語で表現するのが良い。物語ってのは言いたいことを表現するのには中々良い方法みたいだ。

ってなことで勉君登場

勉は悩んでいた。難しい参考書ならいくらでもやる気が出るのだが、易しい参考書というのは何かする気がしない。今、できること、簡単なことはやればできるのだが、やればできると言うことにどうも魅力はないし、やりたいとも思わないのだ。しかもそれをやってどのぐらい実力が付くのかと考えると余計やる気がしなかった。

その逆に、難しいものはやる気満々だった。気力と体力のまだある若い勉には、全く解けない参考書でも、解けるようになった暁には、T大に行けると思うと俄然やる気が出てきた。しかも、勉強のできるできないは、やる気と努力だと思っているので、このやる気はとても力強い味方だった。

解けるようになったらと言う夢は実現できず、体験記を読んでは、新たな参考書の情報を得て、とっかえひっかえ色々な難解な参考書に挑戦していた。

難解な参考書の壁は厚く高かった。しかし、現状の低いために受けた屈辱からの解放とT大を諦めきれない気持ちが難解な参考書も諦められなかった。いつかはできるようになるだろうと、挑戦していた。

彼は、分かっていなかった。難解な参考書などやることすら苦しいのに、更にマスターするなど夢の夢であると。彼の最大の欠点は、簡単なものに魅力がないということだった。最も簡単で速い実力の付け方は、簡単なものを沢山することだった。簡単なものをしている内に、次の簡単なものが出て来る。

そうやって簡単なことをしている内に、難しいものもできるようになる。最も時間がどれぐらいかかるのかは、その人により、難しいものをいきなりしても、簡単ものをこなせなかったら解けないのだ。しかし、彼がこれに気づくのは、20年以上経ってからだった。

ってな感じだ

方法が悪いんじゃない、頭が悪いんだと思え、

2009-09-04 12:21:38 | 随筆、Essay

頑張る君へ、エールだ。ちなみにエール出版とかどうなったのかな、エールというより欲望充足だよな

勉は、問題を抱えていた。朝から晩まで、何か良い方法はないかと考えていた。
何故かと言うと、自分のやり方だと、どうも点数が今一伸びなかったからだ。
だから、エール出版の本など読んで、賢い人の方法を盗もうとしていた。

本に書いてあるように、この問題集を1日数ページやると毎日決めた。しかし、決めて数日するのだが、どうも実力が伸びているような気がしない。しかも、他の本を読むと別の問題集の方が良いとか書いてある。そうすると、またまたそちらの方が簡単に実力が付くのではないかと、思ってしまい、変えてしまった。

そうやって、少しつまんじゃ、別のにしてと言う感じでころころ方法を変えていた。

まるでカサノバが女性を追い回すように、勉は方法を追い回していた。自分の頭が悪いということは毛頭認めたくはなかった。絶対方法さえ見つければ、自分の夢が叶うと信じていた。だから、その方法さえ見つければ一発逆転で、天才勉になれると信じていた。

巷では、能力も努力でカバーできると騒がれているので、彼は真面目にその俗説を信じていた。そして、毎日コツコツするという彼のやり方が間違っているのでなく、みんな同じやり方でやっていて、やり方に大した差はないんだと、違うのは頭なんだと気づくのには数十年を要した。

沢山やればやるだけ伸びると普通の人が信じているものを彼も信じていた。

できる人は言う、「やるかやらないか」だと、それを勉は信じていた。できない人の意見というのは、知ることができなかった。また知りたくもなかった。能力だとしたら、やってもできないと言う不平等な現実など、信じたくもなかった。だから、できない奴は努力が足りないのだと、ただ単に怠け者なのだと、できない奴のことを馬鹿にしていた。

実際、勉は方法と努力に問題があると思っていたが、彼の方法というのは全く間違っていなかった。できる人もできない人も毎日コツコツしているだけだった。しかし、なぜか同じようにコツコツ努力しても、結果は人それぞれだった。勉はそんなことは認めたくなかったし、信じたくもなかった。

勉はまだ気づいていなかったが、コツコツするとか、勉強の仕方が間違っているのでなく、そもそも頭のできが違う。頭のできを方法で変えることはできない。だから、今やっているやり方を続けるのが最良の方法なのだ。昨日の自分より今日の自分が少し成長していたら、そのやり方が正しい。

ってな感じだ