人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

今年の反省

2005-12-31 21:25:06 | Weblog
今年は寒いんですかね。自分は寒いです。寒すぎて死にそうですが。まあ、まだ少し夢があるので死にたくないですね。

今年は、色々なことがありましたが、真面目に失業している年でもあります。来年は、色々といい年になると良いなと思います。

争いもなく、景気の良くなれば良いなと思います。

さっき本屋さんで、書くのに良いテーマが浮かんだのですが、忘れてしまいました。その時良いテーマだと思ってもすぐ忘れてしまいますね。いずれまた出てくるかもしれませんが、何か腑に落ちない状況です。

いつもノートを持っていてメモできる状況にしておかないと駄目ですね。そう思って、いるのですが、なかなかできない。でも、何時かできるようになることを祈りつつ、

僕の文章って何かしらおもしろみのある文章なんですかね?ちょっと気になりますが、自分では良く分からないので、取りあえず、毎日書くことに意義があるようなので、駄文を続けていきたいと思います。

ちなみに、本屋で立ち読みしている時、結構テーマが浮かびますね。一番浮かばないのは、PCの前にいる時です。ハッキリ言って何も浮かびません。外に出て、下界の空気に触れると、何故か分かりませんが浮かび始めますね。浮かばないこともありますが、浮かぶことも多いです。

でも、ノートを携帯していないと逃します。昔の天才音楽家が音楽が浮かび上がると何処でも構わず書いてしまったように、、、

僕は、まるで真理のように此処に書いていますが、やはり真理というのは一つでなく二面性があるので、僕の書いたことは嘘でもあるし、本当でもあるような状態のようです。だから誰かの役に立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。

まあ、大抵は役に立たないと思いますが。

少しでも役に立つようなものを書きたいと思っておりますので、

誰か読んでいる人がいましたら、来年も宜しくお願いします。

勉強で悩んだら

2005-12-28 23:31:59 | Weblog
今日も良く晴れていました。しかし、風が強くて寒いですね。家が寒いので、手袋を用意して、靴下もスキー用の厚手のものを履いて、寒さをしのごうと思っています。誰かが昔はなしていましたが、沢山着るよりも、肌の出ている部分を少なくすることが、寒さを防ぐのに良いそうです。

最も、寒いのに余り着ていなければ、体が冷えてきて寒いので限度はあると思いますが。

勉強で悩んだら、どうすれば良いか。まず、自分でできることは、何が問題か、問題点を見つけることであると思います。僕の問題点は、毎日決めたことができないという問題でした。どうしたらできるか、ひたすら気合いとか根性に期待していました。しかし、とうとう気合いや根性の出てくる日はありませんでした。

毎日、気合いとか根性で明日は絶対やるぞと、寝床にはいるのですが、次の日になるとなんかやらずに、また再び明日は、、、と寝床にはいるのでした。どうすればできるか悩んでいる時間が多くて、やっていた時間は少なかったと思います。

今思うと、恐らくやりたくなかったし自分で決めたほどの量をこなすことは非現実的だったのだと思います。まず計画を立てた時に、やらなければならない量で計画を立ててしまった傾向にありました。つまり理想で計画を立てたと言うことです。

無名校からの東大受験とか、国公立大学とかそんな本を熟読していて、実際勉強している時間は短かったと思います。冷静になって自分を見つめれば分かったようなことですが、自分の非とか、夢が実現できなそうな事というのは、冷静に見つめることができませんでした。

やはり、誰でもやれば実現できるとか何とか信じていて、やれるとまた信じていたことに問題があると思います。でも、何かに取り憑かれてしまっている場合は、ちょっとやそっとではそこから出ることはできず、夢の中の迷宮をさまよい歩くようになります。

今思うと、自分で計画を立てたりしてすることは、相当難しいことなので(何かするのが好きで、勉強するのが好きなら問題ないと思われますが)、通信教育なり、塾なり行って、そこで出された宿題をしたりして、勉強するのが一番効率も良いし、実現しやすいと思います。

目標は大学に行きたいぐらいにして、余り、非現実的な夢を追わずに、学校の成績を上げることや、塾とか通信教育で勉強すれば良かったなと思います。

後は、自分が毎日している状態から判断して、しなければ行けないことを決めていくのが良いかなと思います。

語学が好きなので、今ロシア語を勉強していますが、記憶力も悪くなり、昔のように、進まないので、まず、自分ができるレベルで毎日勉強しています。

単語も1日だけでは覚えるどころか、見たことさえ忘れてしまうので、今日できなかったものを明日もするという形で、何時か頭に入るだろうという気長な気持ちで、勉強しています。23日すると、徐々に頭に入ったなと言う感じになり、何か覚えられそうだという気がしてきます。

こんな感じで、マイペースに勉強していますが、これは、余り高い夢を持ったり、ある期日までにしなければならないという、ノルマがないからできますが、勉強などは、実は何時までに覚えられるか分からないし、何時までにできるか分からないものなので、余り計画を立てて実行するのは無意味な気がします。

ある大学にはいるために、それまでの計画を立てることもナンセンスだと思います。入れるか入れないかは、やはりある意味で、運命だと思います。勉強ができるように生まれついた人はできるし、生まれつかなかった人はできません。

ただし、サボるのは良くないと思います。やろうと思ってもできないのは、サボっているのでなく、不可能なのです。やろうと思わないのはさぼりです。それは、避けなければならないと思います。

大切なのは向上心を持つが、余り夢を持ちすぎず、自分のレベルで向上していこうとする態度だと思います。周りがサボっているとかなんとか言っても、関係ありません、自分がやろうという気持ちがあってやっているのなら、それはやれるだけやっているのです。そして、自分でも、毎日やろうという気があってもできないと言うことは、自分の限界のレベルでやっているのです。だから、自分はやれるだけやっていると納得するべきだと思います。

運動でも1日にできる量は人によって違うし、誰もが毎日同じ量できるとは思いません。勉強は目に見えないので、分かりづらいですが、基本的に一緒だと思います。

実際にできる量は、実際にしている量なのです。やる気があるのなら、それで良いのです。

カウンセリングに興味を持った

2005-12-27 19:10:06 | Weblog
そろそろ正月ですね。来年は誰か良い人が見つかると良いな。

1人で心の問題は、解けるのかと言うことを書いた後に、こんな事を書くのは一貫性がないかもしれませんが、僕の気持ちも日々変わっているし、僕の気持ちというのは日々一貫しているものではないようです、一貫させようと思ってもできません。

今日は、こう思っても失敗したり、色々なことを聞いている内に考えが変わったりして、生き方に一貫性を持たせようとするのはなかなか難しいです。

大抵、思いついたら口にしてしまうタイプなので、自分がして実績を持ったものだけ口にするのでなく、これからこうしようとか、こうするべきだという希望というか、決心のようなものまで口にしてしまうので、それができるかできないか、分からなくても話してしまう傾向があります。

だから、あいつの言っていることは当てにならん、適当なことばかり言っていると周りからは思われてしまうのでしょうが、自分としてはある程度首尾一貫していると思うのですが、首尾一貫しているものと一貫していないものがごちゃごちゃとあるので、周りから何だか分からないと思われるのかもしれません。

つまり、話すことによって首尾一貫性を持たせようとか、話すことによって決心したことを実行しようとか思うので、できることできないこと全て口にしてしまうと言う傾向があります。

最も、これからはそう言った突発的に思いついたことでなく、ある程度、経験のあることを口にしたりしなければなと思います。考えとか決心とかかなり突拍子もない場合が多いので、その辺を可能かどうか少し検証して現実的なものに修正していかなければと思います。

さて、カウンセリングに再び興味を持ちました。昔も、一時興味を持ったのですが、なかなか就職口がないというか、大学の先生以外どうやって生きて行けば良いのか分からないので、一時諦めました。それ程なりたい職業でもなかったし。

ところが、家で母ちゃんがカウンセリングに興味ある所為かまた興味を持ち始めてきました。最も、就職口がないのは変わっていないし、それには大学に行って勉強しないと行けなそうです。そんな金はない。

また、インターネットのサイトで、カウンセリングに向くかどうかと言う心理テストの遊びのようなものがあって、してみたら、向いていないと出た。周りにも、何か性格的に、当てにできないような雰囲気をかもしだしているらしい。考えがコロコロ変わるのが信用できないらしい。

まあ、向いているかどうかはさておいて、カウンセリングと言うこと自体、面白いことだと思います。みんな色々な悩みを変えているけれども、それをカウンセリングの援助の基に自分を見つめ悩みを解消していく。そんな成長の過程は、なかなか微笑ましいものもあるし、面白そうです。

人の成長、良くなっていく姿を見ると幸せな気持ちになりますからね。

相手の気持ちについていく

2005-12-25 15:20:45 | Weblog
今日はクリスマス、少し晴れてぽかぽか、してくれればいいな。チキン食い過ぎて、辛い。

最近、カウンセリングの仕事に少し関心を持ち、カウンセリングの入門書のようなものを読んでみました。河合隼雄の本です。

そこで、読んでいて思ったことは、カウンセリングで一番大切なことは、相手の気持ちについていくことだそうです。なるほど、相手の気持ちについていくことか、と思ってちょっとイメージしてみました。ところが相手の気持ちについていくというのは非常に、難しいです。

相手がどんな気持ちか分からないのが一つ、話が面白くないと、つまらないという気持ちになり、相手の気持ちと言うより自分の気持ちについて行ってしまっているのが一つ、と言うようにめ。

でも、この相手の気持ちについていくのは、カウンセリングでなくても、人間関係を円滑にしたり、穏やかに対話するためにも、また、相手と争わずにコミュニケーションをするためにも大切な技術かなとちょっと思いました。

相手の気持ちについていくために、技術的なこととしては、相手の言ったことを繰り返すようですが、でもただ繰り返していても何か技巧的にしているだけで、自然な気がしなくて、態とらしく何処かで言われたことをそのまましているような感じがするので、多分相手との自然なやりとりで、相手の言ったことを、自分で整理する形で、相手の言ったことを繰り返せば自然になるかなと思いました。

最も、何かの方法を本で身につけようとして、書いて在る通りの事を試してみても、分からないことが出てきて、それを本で探して、解決すると、また次の疑問が浮かび、その疑問が次々浮かんでいって、疑問の迷宮に入ってしまいます。(これが技術的なことを本で学ぼうとする時の難しさです。)

だから、カウンセリングを身につけたかったら、どっかに行って習わないと駄目だろうなと思いました。他の色々なお稽古事と同様に。

今日からちょっと、人と接したり話したりする時、自分の気持ちにばっかついていかず、相手の気持ちについてって見ようかなと、少し試してみようかな。

嘘書いてある自分

2005-12-24 22:59:34 | Weblog
今日も、寒いです。寒くてもクリスマスなので、家は暖かいです、毎日がクリスマスなら暖かくて良いのにな。

どうも、此処に書いていて段々思ってきたことなのですが、やはり自分にと言うか、人にと言うか、どうも正直に書いていないなと言う感じがします。自分が、本当に確信の持てることを書かずに、こうなのではないかというレベルで書いてしまっているかなと。

こうすればいいとか、こうしては行けないというのは、そう簡単に言うことはできません。自分は、こうこうこうして来たけれども、それでは上手く行かないからこうした方が良いようだ。と言うようなことは言えますが、自分のことを一般化して、此処に書くようなことは、行けないなと感じています。

今後は、一般的に、こうした方がよいとか、こうしない方がよいなどと、書かないで、自分はこうしてみたけれども、上手く行かないから、今度はこうしてみる(或いはみた)という感じで書いていきたいと思います。

此処には何でも書いて良いはずですが、やはり嘘になるような不誠実なことを書きたくないし、あくまでも自分に忠実に誠実に書きたいなと、思っています。

どうも自分が偉くなって、上から見たものの言い方をしてしまう傾向がありますが、あくまでも、同一視線状で発言するべきかなと思います。これからはその辺に注意して書きたいと思います。

相談に個人的に乗ってどうすれば良いかとかどうしない方が良いかとかは、言えますが、やはり、一般化して言うのはかなり好い加減で、何の役にも立たないと思い始めてきました。


1人で心の問題は解けるか

2005-12-23 22:54:11 | Weblog
寒いしか言い様のないぐらい、寒い日ですが、日が当たっていればぽかぽか。今日、プールに行きましたが、既に冬休みでした。残念。

心の問題は、実を言うと全てのような気がします。志望校に受かりたい、目標を達成した、人に好かれたい、人にほっといて貰いたい、自分に関係する問題は、全て心の問題だと思います。

最も、政治的社会的に関係した個人の問題になると若干違ってくるかもしれませんが。今生きている社会では、殆どが自分の問題は心の問題であると思います。

さて、心の問題を解くには、色々な方法があると思います。人に相談したり、友達に相談したり、親に相談したり、兄弟姉妹に相談したり、或いは、カウンセリングに言ったり、等々。

人に聞いて、問題が解決できればいいのですが、そうでないこともあると思います。自分では解決できそうもなくて、人に聞きに行く。そこで、解答が得られれば良いのですが、なかなか解答にたどり着けることはないと思います。

本を読んで、見るというのも一つの方法です。僕は、周りに聞いてもどう仕様もない時は、本を読んだりしてみました。

しかし、人の性格にも依るで仕様が、一番不味い方法が本に頼ることです。本というのはある意味で売るためにできています。また、言論の自由と何とかの自由で、嘘を書いても問題在りません。本人は嘘を書いたつもりはなくても、嘘のことがあります。

何も教育者や、教育するために書いてあるわけではありません。その場で面白いこと、笑えることを書いてあります。また、誰のために書いているのかも書いている本人にはハッキリしません。だから、本を信じるというのは、かなり経験のある目の肥えた人でないと、危険です。どんなに天才とか文豪とかの本でも、これは当て嵌まります。

単なる物語の小説なら、それ程大きな影響はないかもしれませんが、それでもあくまでもお話しで、エンターテイメントのために書かれたものであると言うことを意識して読まないと、危険な影響を受けるかもしれません。若きウェルテルの悩みを読んで、当時自殺した若者が多かったようですから。

さて、人に聞くのはどうか?これは、本よりは当てになることも多いと思います。しかし、それを聞いてもどうもしっくり来ないし、問題が解決できないこともあると思います。最も、何が問題か分かっていればいいのですが、心の問題では、何が問題化すらもハッキリしない場合も多いです。

余りに苦しんだ場合は、まず、自分の問題点を明らかにすることが大切だと思います。問題点を書き出してみるというのも結構、有効です。自分の目で見れるとハッキリしてきます。そして、その問題点をもう一度疑ってみると言うことです。在る志望校に受かりたかったら、勉強しなければ行けません。しかし、できない。

そうしたら、何故勉強できないかを問題にするのでなく、勉強できないことは事実として受け止めて、その事実の中で、問題を別に考え出してみるなども有効な方法であると思います。つまり、自分の勉強できる範囲の中での志望校に変えてみる。また、何故そこに行きたいのか、考えてみる。

何か問題があったら、人に相談したり、本を読んだりして、余所から知恵を借りるというのは誠に論理的で理にかなった方法に感じられますが、僕の経験からだと、自分の問題を他人が解決してくれると言うことはかなり少ないです。反対に、問題から遠ざかってしまったり、自分を正確に把握できなくなってしまったりで、返って問題が広がってしまうことがあります。

僕は、当時、自分で問題を解決することはできなかったので(結局時間が解決しました)、ハッキリしたことは言えませんが、余り人に頼ったり、本に頼ったりせずに、自分でじっくり考えて書き出したり、してみれば、徐々に見えてくるのではないかと思っています。

でも、1人で解決できるなら良いですが、それでもできない場合は、やはり、カウンセラーの所に行かなければならないのかなと思います。何れは解決できると思いますが、それでは時間と労力の無駄なことがあります、もう少し短時間で、悟るのにカウンセリングも一つの可能性であると思います。しかし、これは、あくまでも最終手段で、1人で解決することを考えることの方が、大事だと思います。

余り理想を追って、あれもこれも完璧なものを望むと、不可能で苦しんでしまうと思います。理想はほどほどに、現実重視で生きましょう。

自分の望むものを得られるとは限りませんが、自分が望むものを変えることは出来ます。

「虐げられた人々」を読んで

2005-12-22 23:35:42 | Weblog
晴れても寒いですね、明日辺りプールにでも行って、運動しようかなと考えています。

今日、ドストエフスキーの、虐げられた人々を読み終わりました。後半は、それ程、面白くはありませんでしたが、と言うより、ちょっと先を急いでしまった感はありますが、全体的には良く構成の考えられたなかなか出会うことのできない面白い小説だと思います。

久しぶりに感動しました。動きがたい現実の中で、現実的に自分なりに生きていく、人々、自分の度量で生きていく人々、権力の中で闘いながら、破れながら生きていく人々、どうも現実を突きつけられた物語でした。

夢を追って実現する、アメリカンドリームな小説も良いですが、実際現実的な小説は何か世の中をもろに表現しているようで、よりよく感じます。

高校の頃、この本に挑戦したことは覚えているのですが、読んだ記憶はありません。当時、難しくて何が書いてあるのか良く分からなくて、読み勧められなかった記憶があります。当時、もし読めていたらどんな印象を持ったのか、知ることができなくて残念です。

当時は、かなり夢想と理想と非現実な考えをしていたので、或いはそんな思いこみをしていたので、その当時、現実的なものの見方をした小説を読んでいたら、自分の考え方はどうなっていたのだろうか。

最も読めなかったと言うことは、そう言うものを無意識のうちに避けていたのかもしれません。

何はともあれ、最後に少し希望があるところは、とっても暖かい気持ちにさせられました。社会の権力機構に立ち向かうことは難しくても、小さな幸福を勝ち取ることは可能かなと、、

この小説はでも敢えて高校生の内に読む必要もないですね、二十歳過ぎてからで十分でしょう。

書く喜び

2005-12-21 15:54:58 | Weblog
うう寒い、そろそろ今読んでいる、虐げられた人々も、終盤を迎えつつあります、ナターシャの未来が気になります、

昨日、幸せな夢を見ました、レストランかどっかで、僕好みの女性が、こちらを意識して、何とも言えない柔らかみと、暖かみを持った表情で笑っていました。でも僕のことを気に入ったのではなく、僕にジーと見られているのが恥ずかしかったからだろうか、、、

この夢は、近い将来僕の前に現れる、女性を暗示したものなのか?それとも河合隼雄の言う、アニマの出現か?

そんな女性が現れたなら、すぐにでも結婚したいっす。

でもこんなに具体的に夢の中に女性が現れたのは、初めてです。何となく幸せ。

今日は、自分が書くのは何故だろうと、またまたどうでも良いことを考えて見ました。毎日生きていると、色々考えるんです。考えると言うより、頭に思い浮かぶんです。これってこういう事ではないかとか、自分の失敗はここら来たのではないのかとか。そんな色々頭に思い浮かんだことを、何かに表現しないと気が済まないのです。

つまり、話しでも何でも良いのですが、色々テーマが頭を回っており、空回りとも言われていますが、それを表現しないことには気が済まないのです。

端から見ればどうでも良いと思えるようなことを、どうしても言葉にしておきたいんですね。そんなのが、書く理由です。最も若干書いて、いずれは有名人になれるのではと、密かに期待しているのも、在りますが、、

でも、書くのが楽しくても、小説などを書けないんです、自分が考えたこと感じたこと思ったことしか書けないんです。

その内、何故小説を書けないか、小説には何が必要か、書きたいと思います。

寒くて手がかじかんで、キーボード叩けないので、今日はお終い。

心理学の本を正しく読む方法

2005-12-20 19:49:05 | Weblog
本については、大体、似た感想を持っていますが、特に心理学の本に関しては、今、書こうとする傾向が強いと思います。

方法論には意味がないと、思っている僕ですが、そう思いつつもやはりこう方法論を求め、方法論を書いてしまっています。これって矛盾ですが、うーむ、この矛盾に対する答えは未だに、見つかっておりません。

さて、今日、図解雑学、人間関係の心理学という本があります。この本をぱらぱらとめくって、立ち読みしてしまったのですが、どう見ても現実とは違ってそのまま信じらいかんだろうというものがあります。 

どんな人でも美男美女を好むというものです。自分が不男なので、その学説に大して非難して知るわけではありません。ハッキリ言って、ちょっとあるグループの実験をして結論が得た所でそれがあたかも真理のように語られてしまう傾向がありますが、そう言う結論を安易に語ってしまう心理学の本は、要注意です。

確かに、美男が美女を好み、美女が美男を好んでいる傾向はあるかもしれません。少なくとも見た目状はそう言うことも考えられるかもしれませんが、そんなことは現実の前では余り役に立ちません。

実際、僕は美女に好かれたこともありますし、余り美女でない人に好かれたこともあります。今だって、自分の不男を棚に上げて、美人ちゃんを見つけるぞと張り切っております。不男でも、現実に個として相手を前にした場合には、ハッキリ言って、美女は美男を好むという心理学は役に立ちません。美男は美女を好むとか選ぶとか言う理由も役に立ちません。

それは、その本人次第です。本人が不男好みか美男子好みかで変わります。心理学の本というのは、現実に照らし合わせてみるとどうも当て嵌まらないことが良くあります。

そこで、これらの本はどういう風に解釈すれば良いかと言いますと、自分の経験上どう見ても本と違っている場合は、自分の経験が間違っていると思うのでなく、本が違っていると思うことが正しい解釈の仕方だと思います。

つまり、自分の解釈と本に書いてあることが同じである時だけ、その事を信じればいいのです。違っていたら、自分の解釈が正しいのです。本というのは、自分が思ったことをフィードバックしてくれるものであって、自分の考えや経験で得た知識を修正してくれるものではありません。特に、心理学の本はそうです。

さて、自分の知らないことが書いてあった場合はどうか、それはまだ経験がないので分からないのであって、自分が間違っていると思えるまで信じておいて良いと思いますが、ただ鵜呑みにせずに、ちょっと距離を置いた状態で接っしているのが良いと思います。

心理学の本を読む時は、自分中心で行こう。

ですますか、であるか

2005-12-20 19:21:30 | Weblog
今日も晴れたけど、相変わらず風が吹いて寒い。ちなみに、新宿のtimes square にあるクリスマスのイルミネーションは綺麗だった。ああ言うの見ると、昔はどうでも良かったが、日本も良いなとか思いますね。

彼女と見たいよーと思うけど、いねーよー、極東の美人ちゃんと一緒に見たら、ちょーロマンチックだよー、何て、思っていますが、実現する日はいつぞやら。

どうも、凄く限りなく少数の人ですが、このBlog見てくれている人もいるようです。もしかしたら、単なる何とかマシンが見ているだけかもしれませんが。少し自分の文章を見返してみたら、何て傲慢な書き方だろうと思ったわけです。

これでは折角見に来てくれている人に失礼だなと、と言うことで、これからですますで書いていきたいと思います。自分としては、自分のことを本に書いているわけですが、幾らか見に来ている人たちにもためになるだろうと信じて書いています。

読みたくもないような自分が見ても傲慢な文章は、人のためにも何にもならないので、これから謙虚にですますで、書いていきたいと思います。

と言うことで、見に来てくれた人は、有り難うございます。