人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

ヒカルの碁勝利学を読んだ

2009-07-27 18:07:20 | 読書感想文
この本は勉強になる。

特に、棋士のタイプと勝負中のメンタル調整が書いてある所が、良い勉強になる。

強い相手とどう闘うか。
負けているときにどうするか。
勝っているときにどうするか。
スランプの時にどうするか。

真剣勝負の時の戦い方は、この本に全て書いてあるような気がする。

ヒカルの碁は漫画なので、実際教育的でない所もあるかもしれないけど、その勘違いを補う意味で、この本は良い本だと思う。

真実は面白いとは限らない。だから、漫画は面白いけど、そこに真実が書いてあるとは限らない、だけど、この本には真実が書いてある。

漫画で勘違いが毒された人は、この本読んで軌道修正だ。

勝負の指導書として最高。一読の価値大あり。

特に趙治勲の時の例は、参考になる。勝負の時は相手の顔見ちゃ行けないんだな。自分は勝負の時に、何か自ら見て何時も自滅していた気がする。顔見ないで勝つのでなく、顔見て勝たなきゃ行けないよなと勝手に思っていたしね。

こういう助言は本当に秘伝な助言で超大切。そう言う意味で、石倉昇って人は正直で誠実な人だと思う。

ただ鵜呑みにしちゃ行かんけどな。この本に書いてあること気にしすぎて、ぼろぼろになるってことは良くあることだ。まあそれは、自分のレベルに合っていないから何だけどね。だから鵜呑みにはしないで、ふーんぐらいだ。

ってな感じだ

夢や希望が大きいとき

2009-07-27 12:08:01 | 随筆、Essay
人生を成功させるには、メンタルの調整が大切だ。

そもそも人生はメンタル次第ではないかと思うぐらいだ。

このメンタルをいかに対処できるかが、人生を成功させるかどうか決まる。

此処で言う成功とは、有名人になるとか、ノーベル賞貰うとか、何処何処大学に入るとか、新人賞貰うとか、名声得るとか勝負に勝つとか戦争に勝つとかそう言う世間的に数が決まっていて、誰でも成功できないような社会が作った仕様もない成功を言っているんじゃない。

全ての人が成功できる、人生の成功だ。

学校の成績で一番を取りたい、美人の奥さんが欲しい。金持ちになりたい。海外で生活したい。何もせずに生きていたい。ニートしたい。働きたい。眠たい。眠れない。囲碁で初段になりたい。ゴルフで90切りたい。プリウスが欲しい。ゲームして一生寝ていたい。毎日美味いものだけ食っていたい。死にたくない。病気になりたくない。

数えればきりがないほど沢山出て来る。しかし、こういう現実は大抵変えることはできない。変えられる現実もあるかもしれないけど、それは既に変わっているので、それ以外は変えることはできない。

そう言う場合には、何を変えることができるのか、気持ちを変えるしかない。

今の俺で満足。俺ってこんなこともできるし、こんな魅力もあるし、自分の長所に満足することだ。現実を常に肯定的に捕らえて幸せになることだ。神が作ってくれた自分が、悪いわけがない。神は意味のないものなど1つも創造しないのだ。

1日の終わりには、今日も無事生きれて良かったなぁとか。何か面白いことあったら、あれ面白かったなぁとか。そう言う良かったなぁと言う気持ちを味わって、感謝することだな。

1日の始めには、今日は良い日になりそうだと始まる。

現実に不満を持とうが満足しようが、結局変わらないんだ。夏は暑いし冬は寒い。誰もこれは変えられない。だったら、それに満足した方が良いだろう。不満ばかりだと頭痛くなるし、そもそも有限な人生がもったいない。

例え、苦しいことがあっても、寿命が来て終われば何も感じないんだ、人生、生きている間は、色々体験した方が良いだろう。苦しみが多い方が死ぬ喜びができるってもんだ。苦しみのない金持ちとか世間的な成功者は不幸にも死ぬ喜びが味わえない。なんて不幸なんだ。

というような感じで、自分で肯定できる、生きていて良いなぁと言うような、気持ちになるような考えを発見することなんだ。まあ、この際他人どうでも良い。

人生の成功とは、ありのままの自分、神によって創造された自分を感謝して、生きていて良かったなぁとか、こんなことあって楽しいなぁとか、毎日ご飯食べれて幸せだなぁとか、人生を肯定的に捕らえて、沢山良かったという気持ちを持つことが成功なんだ。

夏は暑いけど、暑いなぁって感じてみると、それもまた良いなぁって思うんだな。暑いから、水が冷たく感じるし、クーラーに当たると涼しいって気持ちになれるだろう。お腹出して寝ることもできるし、夜歩いても暗い気持ちにならないな。

プールに入ると格別な幸せを感じるだろう。もし暑くなかったらこんな感覚は得られない。暑いからこそ、幸せを感じられることも沢山あるんだ。暑くて満足。

こんな感じで、物事全てポジティブに捉える。これが人生の成功者だ。

人生楽しめとか最近流行だけど、そんないきなり言われて楽しくなるかって言うの。楽しめというのは、どうも自分にはピンと来ない。それより、人生に満足せよ。とか言う方がずっと満足。少欲知足だ。

まあ、こういう事を教えてくれるのが、本当は宗教だな。

知識や事実じゃー、人生満足できん。

ってな感じだ

勉強量はこう決めろ

2009-07-24 13:02:10 | 随筆、Essay
頑張る君に今日も一言だ。

頑張りすぎるというか、良いことでも、欲が多すぎるってのは余り
良い事じゃない。できれば良いんだけど、できないことが多いから
後で無気力で鬱になっちゃう。

さて、やる気のある人の勉強量だ。

1日の勉強量は、こう決めよ。

疲れてやる気が全くない時でもこれだけはやろうという量が1日の基準だ。

調子の良いときに、今日は4ページもできたとか言って、毎日これができれば良いなとか思って、これを基準にしようと思うと大体3日後に填る。

だから、絶対に今日は勉強したくない、何もしたくない、でもこのぐらいならできるかなと言う量を1日の勉強量にするのが良い。

沢山できるときはすれば良いし、乗り気のない時はその決めた分量だけをすれば良い。これで目的達成だ。毎日目的達成できて、精神的にも万々歳。

これで毎日勉強は続けられる。続けられることが一番大事。

ってな感じだ

レベルを考えて勉強しろ

2009-07-22 09:13:47 | 随筆、Essay
自分でどうにかできる事って、努力ぐらいしかないんだよな。

朝から晩までやり続けられる力があれば良いんだけどね。みんながみんなそれってできる訳じゃないな。まあ、できる人はLuckyだ。

まあ、上を見たらきりがない。自分の実力を1でも2でも上げるには、どうしたら良いか。

やはりこれしかないな。

面白いと思うものを選ぶ。

何か簡単なのだと簡単すぎーって詰まらないだろう。ゲームしてて超弱いと何か詰まんねーなって思うよな。で、余り強すぎると何でこんなことしてんだろうって思うな。勉強でも、難しすぎると何か別の楽しいこと考えたり、大学入ってモテモテの自分とか取らぬ狸の皮算用とか考えちゃって、中々先に進まない。

易しい過ぎると、先には進むけど、簡単ですぐできるから良いやとか言って、やらなかったりするな。

だから、こりゃ面白いなって言うぐらいのレベルだと、自己満足するし、楽しいし、詰まらなくないからまたやろうって気になる。まあ此処で楽しくてそれで嬉しくなっちゃって、それだけで満足しちゃって、やらないと不味いんだけど、その辺は自分でコントロールだ。

自然にやるようになるなんて待っても無理、そういう風に生まれついた人しか自然にやるようにならないんだな。自分を上手くコントロールする、これが大人の生き方だ。

と言うことで、こりゃ面白いって思えるぐらいのレベルを選択する。そう言う参考書なり本なりをする。これが大切。

こりゃ面白いってレベルは、簡単すぎるなって追わずに、少し考えたら分かるぐらいのレベルだ。少し考えて、解けるか解けないかのレベル、これが面白いって思えるレベルだ。(まあ面白いってのは個人の感性的なものなので、何が面白いのか書くってのもアホな話なんだが)

こりゃー、全然無理そうだとか、逆に見なくても答えが分かるぐらいのレベルは、面白いレベルじゃない。まあ、それでも面白ければ良いんだけど、難しいのに面白いと言うのは錯覚している場合があるから、却下だ。簡単な場合は面白ければそれでも良いな。

詰まん無いのにそれで何とか大学受かった人がいるからとか、クラスの1番頭の良い奴がやっているからとか、クラスの嫌いな奴がしていないからとか、有名な参考書だとか、そう言う外的要因で選ぶのは愚の骨頂だ。即却下。

今の自分の囲碁で言うと、新書版の、次の一手問題集の10級ぐらいだ。

自分のレベルというのは面白いレベルだ。

ってな感じだ

囲碁を始めたばかりで諦めるな

2009-07-19 12:09:37 | 囲碁
囲碁ってのは、最初が難しいな。本読んでルールぐらいは憶えられるんだけど、その先詰め碁とか、対戦とか、何とかの本とか言っても、難しくて何が書いてあるのか分からないし、問題も全然解けない。

この時は、取りあえず簡単な本を、自分で理解できる本を2回か3回、飽きるまで読み、その内超簡単な詰め碁の本が解けるようになるから、それを解くのが良いな。

でも詰め碁の問題集のレベルは微妙に飛躍しているので、次のレベルの問題集がはたまた難しくなったら、また本でも読んで、基礎知識を埋めることだな。そうやって色々読んでいるとまた次のレベルの問題集が解けるようになるんだな。

対戦と棋譜並べと詰め碁、この3つが囲碁の上達のコツらしいけど、囲碁勉強し初めは、取りあえず、詰め碁解きながら飽きたら、棋譜並べでもしてみて、それも飽きたら、本でも読んでみて、まあ対戦だけは割と定期的にやるのが良いな。

この3つを同時にしようなんて、余り無理しないことだ。例えプロになりたかったとしても、無理しないことだ。プロになるかどうかは君の石ではなく神の石が必要だからだ。無理しても無理しなくても神が「うむ」と言わなければ、無理だな。それで神は努力しているものを救うなんて、人間に都合の良いように考えないことだ。神は我々の奴隷ではない、我々の思うように動きはしないんだ。

努力している人を救いたかったら、それは我々がすれば良い。紙は別の論理で動いているので、我々には分からない。

対戦していて疑問とか、何か良く分からないとかそう言う気持ちがいっぱい溜まると本読んだ時とか、詰め碁した時とかに、あー、こうすれば良いのかってことが分かるんだな。棋譜並べでもそうだな。

やりながら学び学びながらやる。スポーツと一緒だな。頭でっかちにならないように、やる方を多くして、学ぶ方を少なめにするのが良い気がするけど、あんまやるのが好きじゃない僕みたいなのはどうしても詰め碁とか本とかの比重が多くなってしまうな。

そんで、まあ大体分かってくると、段々読んで理解できる本も増えてきて、解ける詰め碁も増えてきて、囲碁も段々軌道に乗ってくる。こうなってきたら、後は自分のレベルにあった本なり詰め碁なりすれば良い。

ちなみに、第1巻は簡単に解けるけど、第2巻はなかなか解けない、難しい、こんなこと在ると思う。そう言う場合は、第2巻に進んで解けないのを解答見ながら進むより、第1巻を何度も解いて体に憶えてしまうぐらいにした方が良いようだ。

僕みたいに目標突っ込み型は、どんどん先に進みたがるんだけど、無理して難しいのを解こうとするよりも、簡単なのを何度も繰り返した方が良いらしい。最近勉強できるプロが言っている。難しいのは詰まらないから結局挫折して、やらなくなってしまう。

行き詰まったら今までやってた簡単なのを復習だ。そんでまた次の見てみて、何か解けるようになっているからそうしたらまた先に進む。これは人によって進み方が違うから、自分のペースで進むしかない。

解けて楽しい、勝って嬉しい、こんな体験をした方が続けられる。だからcomputerで弱いのとした方が、人間より良いかな。まあ性格によるけど。負けても勝っても勝負が好きで、人と勝負するのが楽しくて仕様がないというタイプもいるけど、そう言うタイプは相手の気持ちを考慮した上でお好きにどうぞって感じだ。

強くなるには能力の限界まで続けることしかないからな。技術力が大体同じだと、囲碁と言えども後は運だろ。スポーツと一緒だ。

ってな感じだ

料理の本なんて信用するな

2009-07-18 23:33:10 | 料理
そもそも料理の本買って満足したことあるか。今まで、真面目に料理の本立ち読みして、真似してみたんだけど、殆ど満足できない。

特にだ、中華料理とかタイ料理とか韓国料理がいかん。西洋料理とか日本料理は大体問題ない感じだ。まあ、日本料理は本なんかなくても作れる人沢山いるからな、余り不味いとマジで売れなくなる。母ちゃんに聞いた方が良いってなっちまうからな。

大体中華料理なんて、本の真似して近くの美味い中華料理の味になんて、絶対にならない。そもそも本で美味い料理が作れるわけない。

美味い料理作れたら、そこで本が終わってしまうではないか。次の本が出せない。調べたわけではないけど、世の中には暗黙の了解でどんなに情報が過多になっても、語られない真実とか在るんだ。そもそも本当の店の味なんて、絶対に簡単には教えてくれない。不味い料理作る人は教えてくれるかもしれないけどな。

例えば、語られない真実の中にはこんなのがある。世の中では努力で何でも手に入るなんて真面目に信じている。幸せ者もいる。信じると言うことは恐ろしいことだ。

努力で何でも手に入るんだったら、みんなプロになっているし、
みんな金持ちになっているよ。努力する人間なんて5万と
いるんだからな。

ゴルフで30年やって何で、2年ぐらいしかしていないのに
負けちゃうんだ。おかしいだろう。

金持ちになるもプロになるも能力次第、努力など能力から比べたら微々たるものでしかないのだ。

まあだからと言って努力を侮っちゃ行けないんだが。

だから、本に書いてあるからってそんなもの信じちゃ行けない。

ちなみに、鯛のあら煮ってある。あれは、何処の本にもへたすると調理師学校でも、水をたっぷり入れろ何て言っている。俺は何年も真面目に水を500CCぐらい余裕で入れてた。で、店のあら煮の味とは全然違うなぁ何ていつも疑問だった。

最近、本を信じるというのを辞めたら、突然閃いた。水は入れちゃ行けないんじゃないかと。まあ、巷の主婦の間では常識なのかもしれないけど、あら煮に水は入れちゃ行けない。どうしても入れないと焦げそうな場合は、水と酒の比率は1対4から1対5ぐらいだ。酒を入れるのが勿体ないという場合、最大でも1対2ぐらいだ。原則は水を入れない。これを覚えていると、料理屋で食べるあら煮ができる。

ちなみに、此処のBlogでは、水なしのレシピが載っているな。
http://d.hatena.ne.jp/godmother/20071117/1195248413
http://www.washoku.biz/tai.html

料理の基本は、依然として盗めだ。美味しいと感じたら、どうしたらその味になるのか、自分で試して発見するしかない。それか家庭料理を食べに行った時に、その家に聞いてみるのが良いな。持つべきものは友だよ。

美味しい料理作れる友達見つけて、教えてもらうしかない。

こんなインターネットの時代だけど、依然大切なのは生身の友達で、コミュニケーションを直にできる友達たちだ。

ってな感じだ

何か最近、熱心にコメントしてくれる方から、補足を頂いた。

あら煮はこの分量で作ると美味しいらしい。

道場六三郎のレシピ(煮魚)

酒   5  
みりん 3 
砂糖  2.5

の比率です。

醤油がないなと思っていたら追伸でこんなの来た。

肝心な醤油が漏れてます

醤油の比率は

酒   5
みりん 3
砂糖  2.5
醤油  2~3

です。

水がないから信用できる。しかも簡単。

試して味噌


勉強は、体に叩き込め

2009-07-14 09:57:24 | 随筆、Essay
勉強はまずは暗記だ。

暗記に始まって能力に終わる。これが勉強だ。

だから、勉強するにはまず覚えることを決めるのが大切だ。
どれを覚えるか、何を覚えるか、覚えるものを見つける。

整理するんだな。覚えるものと覚えないもの、色々整理して、
整理できたら、ひたすら繰り返して覚える。これだ。

ただ覚えると言っても頭でもやもやでなくて、体が反応するぐらい、
スポーツと一緒で、体が勝手に反応するぐらい叩き込むんだ。

覚えることを決めたら、後はいつか頭に入るだろうと言う気持ちで、
無理せず、サボらず、続けることだ。

覚えること自体は計画しないことだ、いついつまでに覚えるなんて言う意味のないことはしない。覚えられるか覚えられないかは神のみぞ知るでまさに神の恵みなんだ。だから、ひたすら体に叩き込むことだけに専念する。

1日10覚えられれば、偏差値が60になるかもしれない、でも自分では、1日5だけ覚えられる。偏差値は50ぐらいだ。それはそれで良いんだ。60になるからするんじゃなくて、50でもする、これが大切。勉強は仕事なんだ。

毎日少しでもやれて凄いなとか、これだけ憶えられた凄いなとか、少し成長している自分を肯定して続けていくことだ。他人と比べるとか、何とか大学にはいるにはとか、やたらと目標作ったり比較したり、まだ足りない自分を反省しないことだ。

反省してもっとできるなら良いが、できない場合は反省なんて意味がない。

勉強は毎日自分がやれただけやれば、十分だ。それが授業だけだとしても、十分なんだ。やれるだけやれば良い。結果は気にしないことだ。

勉強には意味があるとか将来役にたつとか全く関係ない。そんな意味を考えても絶対に答えは出てこない。そもそも何で意味なんか考えるのか、考えた方が良い。大体覚えたくないとか、面倒くさいとか、目標が高すぎるとかそんなレベルだ。それより、これだけ覚えられて凄いなーとか、今の生きている人生を味わったり、面白がったり、感心したり、感動したり、自分の気持ちを感じた方が良い。I feel cokeだ。

ゲームしていても、この画面綺麗だなとか、こんな動きして格好良いなとか、動きが良いなとか、空が動いているとか。勝負以外のところに色々感動することだ。先に進むこと、敵を倒すこと、そんなことばっかに気を取られてんじゃないって感じだ。

ちと脱線したけど、つまり、学生としてしなきゃ行けないのは、覚えることを整理して、覚えることを決めたら、それをひたすら続けることだ。まあー、スポーツの素振りと似たようなもんだ。素振りは同じ事何度も繰り返すけど、勉強の場合次から次へと新しいことが出て来るって事だ。

1つのことをしっかり体に叩き込んでから、次に行くってんだな。例えば一章しっかり身につけたら、次の章に行く。で、しっかり身につけたはずなんだけど、次に行っている間にまた忘れるから、そうしたらまたしっかり身につけ直す。勉強はこれの繰り返しだ。

囲碁で言えば、本に解説が載っていて、模範の手が載っていると思う。いったい何を覚えたら良いんだと思うかもしれない。こういう風に何を覚えて良いか分からない場合でも、何を覚えたら良いか考えると閃いてくる。

この場合は、模範の手を、十手ぐらいまで自分で再現できたら、次の十手とまた体に叩き込む。これには結構時間が掛かる。ガキンチョだと1日ぐらい覚えられるかもしれないけど。大人は、1週間ぐらいかかる。で全部で、200手から300手ぐらいあるから、軽く1年ぐらいかかる。1年もかかるんじゃー、大変だから、ついでに詰め碁とかもやらないと行かんな。

自然に手が動くぐらいまで叩き込むのが良い。って由香里ちゃんのstepupなんとかの本には書いてあった。

でもただこうやって憶えるのは、飽きるから詰め碁とか定石とか布石とか問題集が色々あるから、それといた方が良いな。本は読んで感動して、後は問題集を何回もすると。問題集が難しすぎる時、本読んで予備知識を入れるって感じだ。

無理せず、サボらず、勉強は体に叩き込め。

勉強もゲームや遊びと一緒だ。

ってな感じだ

努力 = 覚える これだけは自分でできる

2009-07-09 11:12:39 | 随筆、Essay
巷では、努力に比例して伸びていくって信じられているな。

これはマジで分からない。これだけ多くの人が信じていると言うことは、真実なのかもしれないし、事実なのかもしれない。でもそうでないのかもしれない。

かつては太陽は動いていると全員が信じていたわけだしな。

努力で伸びるものと努力で伸びないものとが世の中にはあるんだな。

例えば、水泳とかゴルフのフォームなんてのは、努力で何とかなるもんなんだな。囲碁の最初の方もそうだな。覚えることがいっぱいあるから、覚えるだけで初段ぐらいまではOKかな。

まあ、勉強の場合は覚えるだけと言っても、その速度が重要になってくるから、速く覚えられない人は、試験には間に合わないな。

まあ、身につけるものとか覚えるものは努力で何とかなるんだけど、そうでないものも中にはあるな。

作家になるとか、スポーツ選手になるとか、ノーベル賞貰うとかだな。囲碁のプロなんてのもそうだな。

最後は、覚えるだけで到達できない領域なので、こりゃもう、できるかできないかは神からの恵みと考えるしかない。

覚えて何とかできる領域は、自分で何とかできるので、コツコツやって行けってことか。でも、覚えられる量とか速さは自分で何とかできるものではないので、まあそこは地道にやれるだけやるしかないな。

ただ覚えると言っても、体が自然に反応するぐらいまで行かないと、覚えたことには成らないな。スポーツのフォームと一緒だ。黙っていても勝手に体がそう動くぐらいが大切だ。

ってな感じだ

ゴルフの打ち方

2009-07-08 10:32:01 | Golf
まあ、ゴルフってのは中々安定しない。先週良く当たったなーと思って、もうこれで打ち方が分かったと思って次の週に練習に行くと、全く当たらない。

それにしても、文読んで上手くなったり強くなったりできるんだったら、苦労はしない。スポーツは教えて貰わないと駄目だ。楽器と一緒だな。金が掛かる。

さて、そんな中で当たるために必要なことは何か。

実は簡単。

アドレスをちゃんと取ったら、後は、胸をぐっと回すだけ。上半身はそれでOK。

後胸を回しきったときは、右足のかかとに重心が掛かっている感じ。

後手とかあるけど、これはむずいな。2点か3点の位置で正しいPositionになっていたら、良とするしかない。

まあ、3ヶ月ぐらい練習すると体が打つフォームになれてくるな。
手っ取り早いのは、やはりスクールに行って常に正しいこと言ってくれる先生に習うのが良いな。

ってな感じ

勉強ができるタイプってのは

2009-07-07 12:29:10 | 随筆、Essay
勉強できないと、何でできないのかなって一生考える羽目になるんだな。まあ、落ちこぼれの僻み(ひがみ)か。

で、何でできないのか最近また新たな考えが出てきたんだけど、つまりこういうことだ。

勉強できないと、覚えたこと忘れないようにと必死になるんだな。だけど、できる奴見ていると、忘れることに必死になるよりも、覚えることに燃えているんだな。つまりどういうことかって言うと、覚える労をいとまないし、そもそも覚えること自体が好きなんだ。

覚えることが快楽なのかね。詳細は勉強できる人にしか分からないけど、そんな感じだ。いかに忘れないようにするか苦労するんじゃなくて、もう忘れる以上に覚えるって感じだな。

勉強のできる学者さんとかは覚えても意味ないとか、記憶力なんていらないとかよく言うだろう。あれは自分が覚えんの得意だし、記憶力が良いから、そんな自分でもノーベル賞取れないし、大して偉くも成れななかったから、こんな能力持っていても、大したことないって言っているんだな。

まあ、俺考えんの好きだけど、考えても意味ないって思うもんな。じゃー、何が大切かって、そりゃ才能のみだ。才能があるから成功するんだな。才能あるから努力もしようって思うんだ。

勉強が好きだって言うことは或いはできるって言うのは、覚えんのが好きかどうかに掛かっているな。

まあ、囲碁も似た感じだ。最初に覚えることが沢山ある。まずは覚える努力、それで結構強くなれる。その先が才能だ。才能があるかどうか分かるまで、覚える壁があるんだな。参っちゃうね。その点運動は良いな。覚えることはあんまりない。だから、すぐ才能が在るかどうか分かっちゃう。

囲碁とか将棋とか勉強できんのが強いけど、こういう事なのかもな。覚える時点で普通覚えんの面倒くさくて、勉強しないから、勉強するだけで既に強い奴になれる。

ってな感じだ