人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

他人の真似はするな

2009-05-28 09:49:23 | 随筆、Essay
人の真似するのは止めろ。あれは意味ない。と言うより簡単そうだけど、実は実現困難。

この場合の真似は、同レベルの人の真似というのでなく、自分より遙かに高い能力を持った人の真似だ。

高校辺りで、隣のやつの真似するのは問題ない。と言うより大いに真似しろって感じだ。偏差値50同士なら真似すれば、お互い励みになるからな。偏差値50のやつが70になりたくて70のやつを真似するなってことだ。

つまり中小企業なのに大企業の真似しても機能しないだろう。それと一緒だ。そもそも中小企業な偏差値50が大企業の偏差値70を真似できるわけ無いんだ。

能力もベースも体力も資本力も違う。

確かに、自分も50以下だったけど、70になりたいて思っていた。70になれなくても良いけど、70の所に行きたいと思ってたな。人は皆同じなんだから、違うのは努力量だけだろうと、真似すればできると真面目に信じていた。

今考えるとドアホだけどな。それで一生懸命、70の人とかと話したり、70の人の本読んだりとして努力したんだな。

まあ、努力が足りなかったのか、何なのかは良く分からなかったけど、70には成れなかったな。まあ今思うと絶対的に足りないのは能力だ。そもそも努力も能力だ。1日に1しか入らないのにどんなに努力しても1にしかならない。もちろん1しか入らないけど、1入れている内に2入り始めてくる可能性もある。それは否めない。そしたら2が入るだけ努力すれば良い。自分の入る量を超えて努力しても、無駄だ。

つまり、1しか入らないのに2や3に入るように努力しても2や3入らないってことだ。

結論から言うと、真似は駄目だ。綺麗な字を真似るとか、囲碁の棋譜を真似るとか、そう言うのは真似ても良いけど、人を真似るのは無理だ。

人は皆同じじゃない。能力も体力も性格も違う、だから努力でその全てをカバーすることはできないんだ。スポーツと一緒だ。どんなに努力しても、プロになれない人は成れないだろう。ゴルフのスコアだって、努力すれば伸びるけれどもある点から努力しても伸びなくなるだろう。同じ週1なのに彼は伸びていくけど、自分は止まっちゃう人とかいるだろう。まあそれでも止まったように見えても、ほんの少しずつは伸びて行くのか、それとも止まっちゃうのか厳密なことは言えないけどな。

人を真似るのは字を真似るとか棋譜を真似るとかそんな単純なものを真似るのとは違う。人というのは複雑なんだ、そう言う複雑なものを真似るのは止めとけ。

棋譜を真似ることができても、プロを真似ることはできないだろう。偏差値70を真似ると言うことは、そのプロを真似るってことだ。閃かないのに閃きを真似することはできないだろう。そう言うことだ。

人の真似はするな。

じゃー、どうすれば良いのか。偏差値70に絶対なろうなんて思わずに、自分のできることをすることだ。偏差値50なら55ぐらいを目標にすることだな。

ってな感じだ


1度参考書を決めたら、もう本屋に見に行くな

2009-05-26 09:43:31 | 随筆、Essay
1度参考書を決めて、これと心中しようと決めるけど、何となく本屋に行って他の参考書見ちゃうやついるだろう。

まあ、やる気満々だけど、ちとやりたくないのと好奇心が旺盛なので、上手く歯車が回らないやつだな。

1度参考書決めたら、もう本屋に行っちゃいかん。まあ本屋は良いけど、参考書売り場に行っちゃいかん。他の見ると他人の庭は良く見えるで、今やっているやつより良さそうだなんて、幻覚起こし始めるんだな。そうなっちゃうから、見に行っちゃいかん。1冊マスターしたら、見に行っても良い。

本屋でぶらぶら見ているより、1冊マスターする方が大変だから、ついついぶらぶらしちゃうけど、それだと身につかない。そんで、本屋に行ってまでそんな参考書のこと考えていたら、身が持たん。

勉強しているとき以外は、勉強のことは考えないで、運動でもしたり、囲碁でもしたり、ピアノでも弾いたりと、別の事した方が良い。無理して挫折するぐらいなら、無理しないで長く続けた方が良いんだ。

それにしても囲碁の本って、お気に入りの1冊となる、楽しい本って少ないな。ってか殆ど無いな。参考書だって見やすくて楽しいのが増えているこの時分だというのに。ちと頑張れ日本棋院。

最近ビオラの音符覚えようと思って始めたんだけど、たった17個ぐらいが全然頭に入らないんだな。頭に入るというより身につかないんだな。こんなもん絶対覚えられると思ったけど、1年経っても、2年経っても覚えられない。最初の半年なんてカードまで作って覚えようとしたんだけど、頭に入らないんだな。

さっさっさっと楽譜を見て何の音符か言えないんだ。丁度5年ぐらい経った今、やっとどれがどの音符だか楽譜の中で言えるようになってきた。17個に5年だ。有り得ないけど、そんなもんなんだ。

覚えるってのは時間が掛かる。だから、そればっか考え続けても、速くできるようにはならない。時が来ないと身につかないんだな。

だから、時間掛ければ覚えられるとか速く身につくとか思わないで、のんびりやることだ。年単位で考えていくことだな。決して諦めずに続けるけれど、焦って短い時間で覚えようったって、体は言うこと聞いてくれない。

身につくのは、続けている内に神の恵みだぐらいの気持ちでいるのが良いな。

まあ、要するに1つの参考書決めたらそれをマスターするまで、1年ぐらいかかるんだ。だから、もう本屋に行って他の参考書なんて見に行くなってことだ。

ってな感じだ

囲碁の勉強の仕方

2009-05-23 23:10:20 | 囲碁
まあ、良く言われることなんだけど、ちと備忘録的に書いておこう。

由香里ちゃんのステップアップ囲碁講座の2巻目に書いてあるんだけど、こうやって囲碁は勉強するらしい。

まず打つことらしい。とにもかくにも初心者のうちは打つこと。結構時間なくてできないんだけどね。

本を読むことも良いらしい。まあ本人が本書いているからな、この項目入れておかないと駄目だよな。ちなみにゴルフみたいなスポーツは、本じゃ-役に立たない感じだな。

次に詰め碁を解くことらしい。大切なのは簡単な詰め碁することらしい、それで分かんないときに、考え込むより、すぐに答え見てどちらかと言うと答えがパット浮かぶぐらい、何度もやるのが良いらしい。これはまさに学校の勉強と一緒だな。体に叩き込めって感じだ。

最後に棋譜並べみたいだ。これはまあ、プロの棋譜を何度も何度も並べるって奴だな。

ちなみに、男が囲碁勉強する時は、男の人が書いた本の方が良いみたいだな。男女差別する訳じゃなくて、ちと女性は感性というか考え方がちと違うんだな。

由香里ちゃんは好きな布石をとか言うけど、まあすぐにこれは何となく好きだなってのが、出て来れば良いけど、男ってのは大抵好き嫌いを選択するのは苦手なんだな。好き嫌いよりも、頭で考えてこっちの方が特だとか強いとかそんなんで決めることが多いんだな。後は初めに憶えたとか、教科書の初めに載ってたとか、好き嫌いよりも、実利的な理由で決めることが多いな。

だから、石倉昇の本の方が良いかなとちと思う。でもまあ書いてあることは、皆同じだから、それこそ性格的な好みだけだけかな。

ってな感じだ

普通の人間は、薄い参考書で勉強しろ

2009-05-23 21:57:16 | 随筆、Essay
勉強は頑張ってもしようがねぇぞ。

まあ、無理しても仕様がないって意味だけどな。頑張るってのは難しい言葉だけど、無理するってことだ。

この無理するってのが全然良くない。若い時は無理できるとか、外野は好きなこと言うけれど、ならお前は無理したのかって感じだ。俺なんて、学校から帰ってきたらまず昼寝だ。これしないと疲れちゃう。マアだから凄く努力した訳じゃないし、そもそも努力できん。

分厚い参考書とか難解な参考書とか東大目指すために偏差値50ぐらいしかないのに、頑張る奴いるだろう。まあ無理する奴だな。あれなー、意味ないから辞めとけ。あの参考書終わる前に受験終わっちゃうから。

その参考書をできないと確かに、受からないんだけど、それする奴って薄い参考書数日で終えちゃうぐらいのハイスピード脳みそ持っているんだな。1日の吸収容量が違うんだ。だから凡人が幾ら真似しても、そのスピードを真似することはできない。

じゃー、その分努力すれば良いじゃんかとか思うかもしけないけど、世の中そんなに甘くない。入らないものは努力しても入らないんだな。そもそも1日に入る容量ってのは決まっていて努力すればその分全部入るなんてことはないんだ。悔しいな、世の中は不平等だって思うかもしれないけど、神様はみんな同じようには作っていないんだ。色々な能力を分散するように作られているみたいだ。

ってことで、まず東大とか難しいところ目指すために難しい問題集とか分厚い問題集とか、難解な問題集するんじゃなくて、薄くて簡単なものを始めるのが良い。

それと凡人ってのは、結構飽きっぽいのが多い。飽きっぽいのにも薄い問題集は有効だ。飽きる前に終えられるからな。飽きっぽい人間は短時間勝負で、短時間で終わるものをした方が良い。

分厚いのは身につけるのも我々凡人には結構大変だからな。まず簡単なのやって、それを身につけたら次に行けば良いんだけど、大抵それやって身につけた頃に、受験シーズンになっちゃってるだろうな。

簡単な問題集を見て、これって簡単過ぎてつまんねーとか思う奴もいるかもしれないけど、それが意外と自分に合った問題集だ。

そのeasyな問題集をやって、余った時間は囲碁とかゴルフとか友達とコミュニケーションとか、生涯やれそうな、趣味に時間を使った方が良いな。まあ、つまり好きなことだ。或いは何となく楽しいなって思えることだ。1日に入る容量ってのは決まってんだからな。無理して沢山詰め込もうったって無理だよ。

1日に1時間勉強しても3時間しても進捗率は大して変わらなかったな。

と言うことで、気楽にeasyなものをやってくれ。

ってな感じだ

勉強は体に叩き込め

2009-05-16 21:34:53 | 随筆、Essay
勉強ができるようになるには、体に叩き込むしかない。

実はこれ当たり前のことなのかもしれないけど、自分は最近気がついた。結構この事実に気付いていないけど、何とか良い学校に行こうと模索していたり悩んでいたりする人いると思う。

勉強に王道はない、体に叩き込むまでやるしかないな。

暗記とか明後日には忘れてしまうようなぬるいものじゃない。何度も何度も練習して、体に叩き込むんだ。言葉を話すように、自転車に乗れるように体に叩き込むんだ。

勉強は体に叩き込め。これだ。勉強はこれに始まってこれに終わる。

まあ、この体に叩き込むのに人によって、速く体にたたき込める人と時間のかかる人といて、それが能力ってことになるみたいだけどな。

うんでもってこのスピードを上げようとするんだけど、中々上がらないんだな。一つは努力で上げられることできるけど、その努力も人によって1日できる量なり時間は決まっている。まあ、この勉強の量についてはその内書くかもしれないけど、今日重要なことは、勉強は体に叩きこめだ。

まあ、勉強のできる奴とか東大に入った奴とかの言うことは、東大に入れる奴にしか役に立たん。自分のレベルの人を参考にしろ。人間はみんな能力も顔も形も違う。でも、勉強できるためには体に叩き込むしかない。これはどんな能力の人にも同じだ。

習字とかしていて、何度も何度も同じ字を練習してると、段々その字が自分の体に染みついてきて、自然に字の形が浮かぶようになるだろう、その自然に浮かんでくるぐらいになることが、体に叩き込むと言うことだ。

問題見たら自然に答えが頭に浮かんでくる、手が動き始める、これが体に叩き込むと言うことだ、考えて答えているうちはまだ、体に叩き込まれていない。

体に叩き込むというのは、考えなくて自然に出てくるまで、やり込むことだ。ただ一朝一夕には行かない、何日も何日ももしくは何ヶ月もかかるんだな。もしかしたら何年もかかるかもしれない。そりゃー俺らには分からない。

勉強もスポーツと一緒だ。体に叩き込むことだ。ただスポーツと違って体に叩き込まなきゃ行けない量が違う。勉強は量が多いから大変だ。でも基本は体に叩き込めだ。

ってな感じだ

やる気 努力 能力って大事か

2009-05-09 23:58:44 | 随筆、Essay
ハッキリ言って生きるには、この3つが必要だ。

やる気

努力

能力

この中で一番大切なのは、能力だ。能力なきゃ、やる気があっても、努力しても、どうにもならない。うんでこの能力ってのは、神の恵みなんだ。

でも能力ってのはあるかどうか分からないし、やってみなきゃ分からないし、やってみても、やり続ければ伸びるのかもしれないし、伸びないのかもしれないしと、判断するのはかなり難しい。まあ、周りに天才がいて、そいつの能力を判断できるのがいれば別だけどな。

そもそも何かやりたいことがある時、なりたいものがある時に、努力とかやる気よりも、この能力とか何とかが問題になるわけで、なりたいのになれないとか、やりたいのにやれないとか言う苦しみから解放されるには、やりたいとかなりたいとか、プロになりたいとか、ノーベル賞欲しいとか、一朗みたいになりたいとか、Jリーグ入りたいとか、そう言う非凡な夢とか希望とかを持たなきゃ良いんだ。

自分探しなんて辞めとけ、自分は探しても見つからないから。これは成功できる自分探しで、本当の自分探しとは偉く違うからな。それは自分の欲望探しだ。自分とは向こうからやって来るもんで、自分から見つけるものじゃない。目の前に現れたものを選択するのが一番だ。神の恵みなんだ。

若い頃は、なりたきゃ努力すりゃ成れるし、努力はやる気があればできると単純に考えていたんだな。だけど最近分かり始めたけど、なりたいものになれるのはまさに神の恵みがあるからで、祈るしかないぐらい普通はどう仕様もないものだ。まあなりたいものでも、此処で言っている天才とかスーパースターとかそう言ったものだけどね。

努力したって、成れるわけないんだな。そんな努力とかやる気ぐらいで成れるんだったら、とうの昔になっているは。そもそもやる気ってのは人間の生きる原動力だから何かしらの病気でもない限り、やる気のない奴はいないな。

とすると、残るは能力だけだ、能力があればやる気も出るし、努力だってできる。後、もう少しで辿り着くって分かってみー、頑張るだろう。やってもやっても辿り着かないって分かってみー、やる気もなくなるし、やれないだろう。そんなもんだ。実力の差がハッキリ分かっちゃうと、やっても意味ないって思っちゃうもんな。まあ、それでもしようと思うのは相当馬鹿か、それが好きかのどちらかだ。趣味で囲碁してて、5段ぐらいでもう停まり続けているのがいるだろう、ああ言うのは好きで好きで仕様がないんだな。ある意味幸せだ。

ちなみに、そのなりたいもの、スーパースターにさせようと人の欲望を駆り立てるものは何か、漫画だな。特にジャンプとかだ。他にも色々あるけど。文学とかなんとか。あんなの読んじゃいかんよ。特に単純な馬鹿は。ああ言うのは頭の良い現実が直視できる人間が読むことであって、凡人用じゃない。あんなの読んでいると、強くなきゃ、偉くなきゃ意味ないなんて思っちゃうよ。そんで、成功を夢見るんだな。

だって能力のある天才とか、無敵の兄ちゃんとかが、主人公になっているだろう。そんで読むと、俺もこんな風になりたいとか、こんな風になれるんじゃないかとか、夢ふくらみまくるよな。そんで本屋に行って、能力じゃない、やる気と努力だとか何とか言う本にぶち当たるわけだ。売れるんだなこう言う本。人間の欲を刺激するからな。そんで、買って帰る訳よ。よーしって家で、夢を追い始めるんだな。

そんでいつの間にかオッサンになっちまってたりして、これ自分だけど。ハッキリ言って時間と気持ちの無駄。こんな人生歩んだら鬱になっちまうよ。

ヒカルの碁なんて読んでいるとそうだろう。プロ棋士になりたいとか、ヒカルのように天才棋士だったらなーっておもうだろう。そんでプロ棋士のサラリーマンと違う自由な生き方見ていると、どうしてもなりたいなんて思うよな。成りたいから、何が何でもなりたいになってくるわけだ。

それで、強くなる囲碁の本とか色々読んで努力し始めるんだな。やる気なんて満々だよ。またその人達用に沢山囲碁の本在るんだな。ありゃまさに人間の欲望の縮図だよ。

それ見てる周りも可哀想だから、やればできるよなんて寝ぼけたこと言うだろう。
またプロの棋士とかに聞いてみると、自分が努力したらできたもんだから、お前になんて無理だなんて言わないしな。そんなこと言ったら傲慢だと思われて、人気落ちちゃうしな。恨まれたらそれこそ勝負に勝てなくなっちゃうしね。そう言うの、飼い殺しとか、何とか殺しって言うんだけどね。

まあ囲碁の場合は、割と早い内にプロ試験とか在ってそれに落ちたら駄目だよって、別の人生歩むようにそれなりに促してくれるけれどね。まあ本当に強キャ、アマでも一番になれるだろう。宝くじに当たるぐらい難しいことなんだな。

まあ、俺には無理だなんて常に現実的に自分が見られる優秀な人は良いけど、それ以外の人にはああ言う漫画は百害あって一利なしだな。天才棋士とか作家とかスポーツ選手なんて宝くじに当たるぐらい確率の低いことなんだ。囲碁で言えば学校で一番強いとか、街で一番強いとか、地方で一番強いとかそれぐらいじゃなきゃ駄目なんだ。隣の奴に負けているぐらいじゃ、好きなら趣味で満足しておけってぐらいだ。

凡人として生きる。これが一番大切。大人になって、自分の道がハッキリしてきて、凡人として生きられるようになったら、ヒカルの碁とか少年ジャンプとか読んでみると良いけどな。ガキンチョがどんなの読んでいるかとか、そんなの読んでいるガキンチョに、アドバイスできるだろう。

どうすりゃ言いかって言うと、自分の目の前に現れたもので、まあこう言うのは自分ができそうなものなんだけど、その中で自分が1番興味のありそうなものを選ぶのが賢い生き方だ。それがまさに神の恵みなんだ。結婚相手とか恋人も一緒だな。

まあ、夢が在ってやりたいものがあったら、宝くじを買うようなつもりでちょっとやってみて、手応えがあったら続けてみて、ぐんぐん行きそうならその道に挑戦してみるって感じだな。試験で挑戦するのは2回か3回までにしとくんだな。5回も6回も落ち続ける奴いるけどな、ありゃ時間の無駄だ。別の道歩みながら趣味ってのが良い。此処で言う試験は人生を左右するような、プロ棋士の試験とかだけどな。

まあ、Jesusの時代から人間は進歩ないな。個々の生き方を見ると、聖書を超える方法論なんてないんじゃないか。

まずは凡人を目指せ。目の前に現れたものから選ぶんだ。後、人は孤独になると絶望する。人との交流を大切にすることだ。

ってな感じだ

《精神対話士》の人の話を聴く技術を読んでいる

2009-05-09 18:59:57 | 読書感想文
この本は良い本だ。精神対話士というものがどういうものなのかと、どうやって人の話を聴いているのかってのが書いてあるんだけど、良い本だ。

ある意味で、人間関係を良くするための人とのコミュニケーションの取り方が書いてある本だな。

困った人とか、家族とかで鬱になっちゃったり精神的に辛くなっちゃった人がいたら、この本読んで実践できるってことだな。

まあ、そう言う精神的に辛くなっちゃった人以外でも、普段友達とか親しい人とか職場などでも此処に書いてあることを気にしながらコミュニケーションが取れれば、より良い人間関係が気づけるのではないかと思うな。

良い本だから、あんま書くことがない。

昔、まあ今でもそうだけれど、人と深い対話がしたいなとか、何でみんな本音喋らないんだろうとか思っていたんだけど、それはこちらの聞く側に問題があったんだな。聞き方ってのもある程度在って、そう言う聞き方を意識することだな。

この本読んで実践してみよう。

ってな感じだ

あーあ、TVゲームが面白くなくなる理由が分かった

2009-05-05 23:13:46 | 随筆、Essay
いやー、最近、エッセー漫画が流行っているみたいだな。まる子が先駆者だけど、意外と人気があると言うことで色々でてきているよな。

まあ、そんなことはどうでも良いんだけど、TVゲームって何で暫くすると、飽きるというか、全然面白くないのか分かった。

基本的に此処で言うTVゲームとは、囲碁とか将棋とかStrategyとか戦略的とか戦術的とか、そう言うゲームらしいゲームでなくて、画面上で動きのある、仮想スポーツとか、仮想戦闘とか、そんな感じのゲームね。

動くの好きだから脳みそはキャラクターを動かしていると、まるで運動でもしているような認識を受けるわけね。だから、心地よい感じがするんだな。もしかしたらアドレナリンも出ているのかもしれない。

しかし、暫くするとそれが仮想であって、実際でないと認識するんだな。そうすると普通運動すると得られる心地よい感じと言うか気分転換がないわけ。それこそ雨の日に室内でゲームしている感じなんだな。

脳みそは運動しているような認識しているんだけど、実際は体が動いていないで、室内ゲームのような感覚だけがあるので、運動で効果のある心地よい感じとか、気分転換という要素、ストレス解消要素が全然機能しないのね。

だから運動系、動作系ゲームって結局面白くなくなるだけでなく、ストレスとか神経とかが疲れて、全然気分転換になんないのね。

やっぱ、気分転換とか、心地よい感じしたいんだったら、運動した方が良いね。ゲームは良くないよ。どちらかと言うと勉強とか本読んでいる感じに更に仮想運動を加えた感じに近い。だから勉強とか本とか事務仕事とかのストレス解消にはならなくて、どちらかと言うとストレスが溜まるんだな。

まあ憶測に過ぎないけど、ちとゲームが詰まらなくなる説明を試みてみた。

ってな感じだ

参考書は難しいものを選ぶな

2009-05-04 20:45:30 | 随筆、Essay
「のうだま」とか言う本立ち読みしたんだけど、まさに三日坊主とか、飽きっぽいとか、新しいもん好きとか、結構何かをものにするには障害となる問題が多いな。

そんな人にのおだまって本は、結構役に立つと思う。別に本の宣伝している訳じゃないんだけどな。

ともかく、どう仕様もなく頭が良くないんだけど、頭の悪い奴なんていない、やるかやらないかだとか、できるできないじゃない、やるかやらないかだ、なんて言う熱血漢がいるんだけど。

ありゃーどうみても、人を見ていない発言だよな。自分ができるできないじゃなくてやるかやらないかだったからって、他の人もそうだと思ったら大間違い。

殆どの人がやるかやらないかよりできるかできないかなんだからね。

さて、このできるできないの時に大切なのが、無謀にも難しい問題をしないことだ。人間というのは、もう能力は生まれた時に決まっているんだ、日大には入れるぐらいの頭で、一橋とか東大とか目指しちゃ行けないのよ。日大は日大に入るべく勉強しないと行けないのね。

日大ぐらいの頭で間違えて、中大ぐらいに行けるかもしれないけど、まあその辺は微妙なところで努力圏な訳だな。

日大ぐらいの奴は日大ぐらいの問題集を目指せ。これが重要。偏差値50の奴が、60とか70にそもそも成れるわけないんだから、55ぐらいの問題集をしろ。間違っても背伸びしないことだ。間違って背伸びすると、下手すると何にも身につかなくて、40に落ちる可能性がある。

1つ勉強しやすい問題集があったとする、数ヶ月見ていて中々気に入った問題集があったとする、そしたらそれやれ。それが余裕ですらすできるまで繰り返せ。これだ。

例えば、簿記の例で言うと、すっきり分かる日商簿記2級ってのがある、是が良い。そんで何となく良い感じだなと思ったら、そこに書いてあること全部頭に入れる、頭に入れるなんてレベルでなく体が反応するぐらいに、慣れると言うががんがん入れる。まあちょっとずつコツコツやるって感じなんだけど、そんな感じで、1年間勉強するんだ。

大抵頭の良い奴ってのは、飲み込み早いし、記憶速度速いし、慣れるのが速い。なんて言っても速いんだ。そんな連中には勝てっこないんだから、自分は自分の道を行く。高校の場合は色々なレベルのものがあるから、知らないことが沢山書いてあるけど、例えば知らない単語が沢山あるけど、簡単そうに見える奴だな。旺文社辺りが一般向けで良いか。

囲碁で言うと、色々囲碁の本もあるけど、ハッキリ言ってあんなに同レベルのものがあっても仕様がないよな。迷わせて実力上げさせない気かって言うんもんだ。

俺が気に入っているのは、梅沢由香里のステップアップ囲碁講座だ。この本は中々取っつきやすくて読み安い。で隣の囲碁五段に見せたら、ふむふむ、是はみんな基本だよなーとかぶつぶつ言っているんだな。つまり五段になるとこのぐらいのことはみんな知ってる常識みたいなもんなんだな。

そんな感じで、自分としては読み安いけど、知らないことが書いてある、そんな参考書を選ぶのが良いんだ。人が受かったからとか、頭の良い奴がやっている奴だからとか、クラスの馬鹿どもがしているからとか言う理由で選ぶんでなく、自分として読み安くて、親しみ安くて、1年間続けて行けそうだなと思うものを選ぶんだ。

知らないことが書いてあるものなら、それを隅から隅まで体に叩き込めば、実力は着いたってことなんだ。頭の良い奴は、それは一ヶ月とか数ヶ月で終わらせちゃうかもしれないけど、自分と彼は違うんだと思って、自分のペースですることだ。間違っても同じ人間だから、自分だってできるなんて恐ろしいことは考えないことだ。

人それぞれ分相応ってのがあるから、それに応じて勉強しようっ点だ。

俺も3日ボーズだったけど、今それが徐々に返上されてきた。だからって能力が変わる訳じゃないけど、少なくとも、少しずつ知識は溜まってくるし、昔できなかったことができるようになるな。

ってな感じだ