人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

うーむ、やっぱ俺って哲学者なのかも、、、

2008-10-04 23:52:16 | Weblog
うーむ、やはり悩んでしまう。そもそも僕は哲学者なんだ、いやそれが職業なら、思想家だ。

毎日悩んでああだこうだと、色々発見したり考えたりする自体、既に哲学者なんだ。しかもそれが楽しくて仕方がない。思想、美しい言葉だ。まあそんなことはどうでも良いんだけど。

重要なのは、それをどう表現するか何だな。物語としてか直接か。多分物語より直接語った方が、簡単だし、簡潔で早く語れる。無理に物語にする必要があるかどうかってことだな。物語にすると結果を言いたいがために、数百ページも創造しなきゃならないからな。

まあ、物語にした方が、表現しやすい場合は、物語にして原稿枚数稼ぐってのも有りだけど、それ以外一言で語れるものは、一言で語った方が良いよな。まあ説明がいるから一言で語れることも、それなりに長くなっちゃうんだけどね。

やっぱ目指すはNieztsche見たいな、語り口か。

ところで、哲学って難しくなっちゃったよな。何でもかんでもみんな難しくなっちゃってるよな。音楽で例えると、現代音楽ってな感じで、現代音楽って芸術の延長なんだけど、それって殆どの人が聞かないし、殆ど芸術の天然記念物という形で残っているに過ぎないよな。

実際、その音楽は気分転換とかストレス解消とか何とかで聞くわけじゃなくて、一つの現代を表現した芸術として聞いているわけだよな。まあ、学術的でその進歩という形で。

でもみんなが、普通の生活の中で聞きたいのは、POPだし、過去のクラッシックの書き換えとか吹き替えかもしれないけど、その気分の高揚とか、リラックスとかそう言う音のある旋律なんだよな。現代版クラシックってなとこかな。

うんで、哲学も同じなんじゃないかなと思うんだな。今の哲学って、実際役に立つわけでも、生活に密着するわけでも、生活の助けになるわけでもなく、それ読んで元気が出るとか、自殺と他殺を躊躇ったとか、そんなことは一切書かれていないんだな。

つまり現代の哲学は過去に書かれていないことを探して、その学問的進歩を基盤にして書かれているんだな。

でも実際、今生きている人達には、過去の哲学の焼き回しでも良いから、やはり生きる指南書、毎日の悩みに答えを見出せる指南書、そう言うPopな哲学書が、欲しいと思うんだよな。

で、僕の夢はそんなPOPな哲学書を書くことなんだな。毎日、道を探して日々悩んでいるわけだけど、その道を見つける方法、その道の先に何があるのか、先輩はこう失敗したけど、同じ悩みを抱えている人は、失敗しないようにねって言えるような、そんな哲学を語れたら良いなって思うな。

常に上位の方にいて、失敗でも他から比較すると、大した失敗じゃないんだよな、ってな人はまあそんな哲学に用はないんだけどね。で、こう言う上流の人達ばかりが世に出てくるから、ちっとも失敗で悩んでいる人の、意見とか哲学ってのが出てこないんだな。下流から中流の哲学ってのが必要なんだな。

僕が語りたいのは、こう言うことなんだな。成功する哲学でなく、失敗しない哲学あるいは失敗する哲学。これを物語で語るのか、直接語るのかが問題で、わざわざ直接語れるのに物語にして語るのはまどろっこしいよな。やっぱ直接が良いかな。

ってな感じだな