人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

楽しむと言うことは、楽をしろと言うことだ

2009-10-30 09:35:42 | 随筆、Essay

勉は分からなかった。最近の流行で、頑張れと言わずに楽しめとみんな言い始めた。
頑張るって言うのは何だか分かる。毎日向上心を持って少しでも成長するように生きろと言うことだ。しかし、楽しめ何て言われたって、何のこっちゃと言う感じだ。

そもそも楽しいと感じること自体、殆ど無かった。そもそも日本は楽しんじゃいけない文化なんだ。それなのに楽しめ何て言われたって、そう簡単に楽しめるかって言うもんだ。

しかし、楽しむって何だと、日々悩んでいた。周りは楽しめと言う、しかし言っている本人も本当に楽しめているのかと疑った。どう見ても楽しくない顔して、楽しめとか言っている、真意が分かって言ってんのかと、癌晴れって言う顔して楽しめ何て言われてもなって思っていた。

何か何処かの国が楽しめと言っているから、意味も分からずに流用してんじゃないかと感じていた。何処かの国は本当に楽しそうな顔しているけど、顰めっ面して楽しめって言われてもなって思った。

だいたい、今まで頑張れって言ってたけど、それも飽きてきてみんな疲れてきたし、頑張ったって大して成果も出ないし、そんな理由から、それに変わる言葉として楽しめ何て調子の良いこと言ってんだろうと。

楽しめ楽しめ何て、何かのスローガンかって感じだった。

それでも、勉には、何となく気になるし、魅力的なので、楽しむって何だと日々悩んでいると、歩いているときに、ふと気がついた。そうか、楽しむってのは、楽するってことかと。何かしなきゃ行けないとき、何か選ぶとき楽な方を選べば良いと。Take it easyって奴だ。

楽しめってのが良く分からなかったら、楽しろに置き換えよ。

それにしても日本人には頑張れが合っている、楽して頑張れだ。


実力付けたいのなら、できることをしろできないことに時間をかけるな

2009-10-19 11:21:05 | 随筆、Essay


勉はできることには興味がなく、できない事、難しいことに興味があった。できない事ができるようになったら格好良いとか、難しいことができれば凄いとか、そもそも自分が易しいことしかできないなんてそんな馬鹿じゃないと信じていた。だから易しいことをする事は、自分が馬鹿であって賢く何てないんだと認めることになり、そんなことを認めなきゃならない易しい問題なんてしたくなかった。易しいのをしていたら時間が掛かる、難しいのをしてしまえば易しいのをする時間を短縮できるわけで、楽に終わると考えていた。だから、どんなに時間が掛かっても、難しいものばかりに手を着け、易しいのを馬鹿にしてやらなかった。やる気もなかった。しかし、難しいものをしているのと言う自己満足はあったかもしれないが、実力の方は殆ど付いていないと考えて良かった。勉は、どんなに実力が付かなくても、難しい問題していても一向に実力は付かないと言うことに気がつかなかった。

勉がこのことに気づくのには、20年以上経ってからだった。その頃には自分は頭が良くないんだ。賢くないんだと言うことに気がついた。だから、難しいものをするのでなく、自分ができる易しいもの、或いはやって楽しめるものをするようになった。実力が付かないのに、難しい問題集をするのは非常に愚かだ。しかし、愚かと分かりつつもプライドやその他色々な心理状態があり、若いときに中々愚かだとか気づくことは難しい。20年も経てば自分の実力というのはそろそろハッキリしてくる。しかし若いときは夢がある、もしかしたらノーベル賞も取れるのかもと思ったりもする。だから、勉も実力が上がらないのに、難しい参考書に挑戦していた。できない事をするよりできることを繰り返していた方が良い。いつの間にかできない事もいつの間にかできるようになる。もしかしたらできるようにならないかも知れないが、それはそれでその人の能力だ。昨日より今日、今日より明日、少しずつ伸びて行けば良い。そのためには、できるもの、できる楽しみが味わえるもの、そう言うものをすれば良い。少しきついなとか、辛いと思うようなものはしないのが良い。

ってな感じだ


最も効率的な学習方法など探るな

2009-10-02 12:48:55 | 随筆、Essay


勉は、悩んでいた。絶対に効率的な真理とも言える学習方法があるはずだと模索していた。なぜあるはずだと信じているのかは分からなかったが、何しろあるはずだと思っていた。

学習の真理という奴だ。勉の脳裏には1つ机の前に向かって勉強していると、色々なアイディアがわいてきた。こうすれば最も効率が良いのではないかとか、こうすると全然身につかないのではと、色々な方法が頭に浮かんできた。

また、勉強法なる本も読んでみた。在る本には全て暗記しろ。考える暇があったら暗記しろと書いてあった。在る本には考えろ、暗記するなんてナンセンスだ考えろと書いてあった。色々な方法が書いてあり、色々試してみた。

方法を試みると同時に、参考書も同時に変えていた。

勉はまだ若かったので、そのどの方法も試みる体力があった。しかしどれとして効率が良いと言えるような確信に至る方法というのは見つけられなかった。

勉は成績が上がらないまま、学習方法を探っていた。見つかれば1年かかる所半年で終えられると、希望に燃えていた。

しかし、勉が効率的な学習方法などないと悟るのはその後20年経ってからだった。

勉は参考書を変えると同時に方法も変えていた。恐らく方法だけ変えていたら、悟るのはもっと早かっただろう、しかし参考書も変えてしまったので、常に0から始めている状態で、積み重ねがなかった。

効率以前にそもそも何も身につけられなかった。

最初の条件として、参考書をコロコロ変えてはいけない。それ以外は思いついたことを色々やってみるのは良い。在るやり方を同じように続けるのも良い。そうやって色々試している内に、いつの間にか身についている。実力が付いている。

早く身につけたいと焦る気持ちもあるが、いつ身につくのかは神のみぞ知ることで、人間ごときが決定できることではない。いつか身につくだろうと気長に待つしかない。

勉が気づいていないのはこのことだった。

ってな感じだ