人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

うーむ、ビデオゲームに不満なら、もう囲碁しかないかも

2009-08-09 23:12:01 | ゲーム
何か最近、本やプラぶらしていたら、こんな本に出会った

「子供を育てる碁学力」(集英社)

この作者は、ビデオゲーム好きだったらしいんだよね。つまり作者はファミコン世代の初期の頃だな。ファミコン面白くていつもいつもしていたらしい、でも親としてはこの頃はまだ全然ゲームに理解なくて、何とかファミコンから遠ざけたかったらしいんだな。

そこで碁を教えたらしい。

そうしたら、それ以後、作者はファミコンに見向きもしないで、碁に取り憑かれたらしい。

確かに、知性的な面で言うと、ビデオゲームは微妙だ。俺も、もうかれこれ何年かな、ビデオゲームから離れられなくて、何気にゲームしちゃうんだけど。まあ主にゲーセンかPCゲームだけどな。家庭用ゲーム機持ってないし。

最近、と言うか昔からだけど、何か虚しいんだな。ビデオゲーム。ちと足りないんだよね。何かが。知性かそれとも戦略か策略か、何かある意味パターン化して、動きが取れない。だから、あっちのゲームやったりこっちのゲームやったりと、色々なゲームを転々としちゃうんだ、でも、今一これだというのに辿り着かない。暫くすると、何か分かった気がして、面白くなくなっちゃうんだな。もしかしてこれが浅いってことなのか?

だけど、囲碁は最初は取っつきにくくて、分かんなくて、詰まんないんだけど、取りあえず、飽きっぽい性格を我慢して、1年ぐらい続けてみて、PCぐらいとなら多少戦えるようになってくると、これか驚きなぐらい面白いんだな。

ビデオゲームだと、必ず勝てると段々飽きてきて詰まらなくなってくるだろう、それで強すぎて勝てないとまたやり方分かるのに勝てないから、嫌になってまたまた飽きてくる。

しかし囲碁は違うんだな、負け続けるとちと嫌になるような気がするけど、勝っていても全然飽きてこない。どうして勝てたんだろうと、考えたくなる。しかも、終わった後に、余り虚しくないし、ちっとパターン化しているななんて感じないんだな。まあ、やって日が浅いのでこの先分かんないけどね。囲碁のパターン化読めちゃったりして。

うーむ、やはりゲーマにとって究極のゲームは、囲碁なのかもしれん。人間の知性に耐えられるゲームは、どんなおニューなゲームも所詮囲碁には勝てないのかもしれない。

ゲーマ諸君。ビデオゲームに飽きたとか、今一だなと感じたら、囲碁がその答えだ。

騙されたと思ってやってみー。俺は、何で高校生ぐらいで、囲碁をやらなかったのだろう。ちと後悔。まあ、今出会えたから良しとするか。でも、囲碁は動きがないのがちとビデオゲームに比べて微妙。動くのはメタボ対策に運動でもすれば良いか。

ちなみに、前掲書は、囲碁で勉強ができるようになるとか、礼儀ができるとか、色々良いことが書いてあるけど、ハッキリ言って全て微妙。集英社に騙されるなだ。少年ジャンプに騙され続けてしまった諸君、相手は集英社、用心だ。

勉強ができるようになりたいんなら、勉強するのが1番早い。定石憶える暇があったら、言葉でも覚えたり、公式憶えたりと、憶えまくることだ。体が反応するまで覚えることだ。囲碁なんて遠回りすることはない。

ただ、囲碁で人と交われば、礼儀とか人の心とかそう言うのはその人なりに身についていくんだろうな。だからって、囲碁を過大評価しても行けないし、過小評価しても行けない。

囲碁はゲームだ。だからビデオゲームから離れたい場合は、同じゲームとして有効かもしれない。歯には歯を目には目を、ゲームにはゲームだ。

毎度のことだけど、何かまとまりのない書き方してしまうな。これは練習すればどうにかなるのか、それとも才能なのか、、、

ってな感じだ