好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

弥彦山に残る旧北国街道 NO2

2007-02-21 23:35:40 | Weblog
一番の難所の峠道
弥彦~観音寺~麓の集落~猿が馬場(ここには茶屋が)
ここが特に冬場は難所で野積浜方面からの海風で
今は西生寺方面と弥彦スカイラインの分岐点
野積え出て寺泊まりに まだ分水新信濃川はない
勿論弥彦にくるのは逆コースだ
ここからの眺めは弥彦の村落 矢作も
 
脇街道として麓~国上方面に出ることもできる様に

今は麓から黒滝城方面から野積の集落に出る道も
あるが狭いので 車のすれ違いに注意が必要だが
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弥彦八枚沢登山口 NO4

2007-02-21 00:14:38 | Weblog
八枚沢登山コース
小さな滝を横切ると もう階段の登山口に
最初は急な登り小石岩で気をつけてゆっくりと
今回は山登りでなくこのコースが雪割り草やカタクリ
が多く楽しいコースなので花を楽しみに
出来ればマンサクはどうかと、マンサクはまだ無理でした
平場ではもう咲いていたが、豊年満作で縁起がよい花?
マンサク花の額縁にして粟ケ岳の写真をと期待していたが、
昨年なら途中は吹雪だまりで沢山雪が あった時期なのだが
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雪割り草 縦走コースNO1

2007-02-21 00:07:38 | Weblog
スカイラインが今も不通でここから弥彦山
登山は少し不便だ
燕吉田方面から見た 弥彦山の左側陵線が
八枚沢コースになり 登る人が少ないが楽しめる、
今は不便だが 西生寺から登る人もあるし
国上からの縦走コースからも楽しめるし
弥彦山頂から 多宝山に登りで楽しむ方
今日お会いした方は車は弥彦競輪場脇の駐車場に駐車して
弥彦神社側から登り山頂へ 西生寺方面に下リ
八枚沢コースから山頂そして又神社がわに
健脚の方もいらっしゃいます、
角田山~多宝山~弥彦山~国上山の縦走 これは
一度挑戦したいが、  
 
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弥彦山の雪割り草  NO2

2007-02-20 22:23:17 | Weblog
もう咲いています、
先日 国上山で咲いたのを観て来たが
これからが本番でもう咲き乱れている
感じが直ぐだろう 陽当たりがよく風除けがある
ところなら長く楽しめそうだ、

これから展示会が花盛りで珍種が並んでいるが
凄い価格で売られマニアがいるんだなぁ
今はバイオで珍品の沢山造り出せるようだ、

自然の花はそれはそれで美しいが
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八枚沢の渓流(せせらぎ) NO3

2007-02-20 22:10:02 | Weblog
滝の上せせらぎ
この奥に昔 鉱石を掘り出しら抗道跡が有るらしいが
そこは夏場に行くことにしょう沢登りの様な場所かも
天候が暖かいときに 金色の石で黄鉄鋼があるし
黄銅鉱もあるのか、海側には間瀬銅山があるから
何処でも出たのかも知れない、

雪がないが山水はさすがに冷たい
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ブログ開設 1周年 書き込み 423発信

2007-02-19 23:16:30 | Weblog
いつも拙いブログにお付き合い頂き
有難うございました。もう1年経ちました、
昨年3月に燕市 吉田町 分水町が 新燕市として
新生燕市誕生でも以外と近くの歴史 史跡も沢山あるのに
私自身解かっていない 、そんな事から楽しみながら
紹介したいと、何時まで出来るか不安が今でも有りますが
旧燕市 紹介2006年2月18日から始まり子供のころ
使っていた方言 近くの伝説民話 お祭り 良寛 貞心尼
個人の趣味 どれも必ず自分で現場での説明や本に書かれたことを
参考にしてできるだけ一部でも写真にして紹介する、
今まで何気なく通る道も見方が少し変わってきたかもしれません、
最近は気の向くままに 特別な気負いもなく自分が好きなところ
を紹介したい、まだ紹介したい事が沢山ある 山で綺麗な花に
出会いばそれも 越後の山城跡 季節により同じ場所でも
又趣も違うだろうし 興味のない話は飛ばして読んで下さい、
今わ(旧北国街道沿線史跡ぶらり散策)主にですが
三条市 与板 柏崎(貞心尼)をゆっくりと廻りたいし
いつも人様から何でも手を出すと笑われていますが 
たしかにその通りですが 古希になると車で飛び歩くことが
後何年かと考えるとやりたい事まだまだ沢山あり 絞りきれない
困った事だ、
毒にも薬にもならないボケ防止のブログですが、いつも私の
ブログは雑炊ブログで何が出てくるか、近くのあるもになら
何でも入っている 闇なべ かもしれません、
今後とも時間のあるときにお訪ねください、
お待ち申しております、有難うございます、
1月アクセス2856件 1250人
2月17日現在 1913 938人
知り合いにはアドレスを知らせますが とくにPRはしない
それほどのブログも出来ないので、
誤字 脱字 当て字があると思いますが、教えて頂ければ
嬉しいです、
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一蓮塔の碑 土へんでなく石へんの塔(良寛)

2007-02-19 22:14:36 | Weblog
与板町 明元寺 養徳寺住職の歴代の墓に
刻まれている『一蓮塔』は本堂の右手を入ると
墓地 そこに木箱に金網が張られて塔が
いたずら防止か、木の柱に一蓮塔と書かれているが
『塔』の字が土へんでなく石へんに書かれているが
良寛さんが誤字を指摘されると、 (まあ、まあ、
良いではないか お墓は石の塔に決まっている、だから
石へんに書いたのじゃ)と言われたとか、
良寛さんらしい逸話が。

 
一蓮塔: 一蓮托生 死後、ともに極楽に往来して 同一の
蓮華に身を託すこと 善くても悪くても行動。運命を共にする、
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妙法寺 赤門参道 NO1

2007-02-19 00:56:25 | Weblog
入り口赤門 朱塗りの堂々たる門
両側に仁王像が色鮮やかな像が
戊辰の役で赤門と黒門と七面宮を残して
全焼した、

ここの欅の古木と赤門は一昨年に20号で
描いた 立て描きと横描きの紙で色で引かれ
描いたが難しい 又いつかこの参道を描けたら
いいが、
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妙法寺 夫婦杉 NO2

2007-02-19 00:39:07 | Weblog
樹齢何百年か2本の根元が完全に
繋がっている 長い年月には落雷でもやられ
ているが凄い生命力で歴史を見ていた事
だろう。
整備された駐車場もありそこから3月初めくらいか
今年は暖かいので雪割り草の花が 見られそう
散策コース少し山道を登るだけで本当に楽しませてくれる
山野草 春の散策の楽しみが

裏山に村岡城の跡がある
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妙法寺 黒門参道   NO3

2007-02-19 00:23:56 | Weblog
和島村妙法寺 日蓮宗 越後一宗大本山
歴史がありこの階段を上がると黒い茅葺の
門が 最近さすがに茅葺は難しくなったか
少し淋しいが 銅板の屋根になった、
700年の赤い旗がある記念の年なのかも
御参拝しお賽銭も又今年も絵を書きにと
お願いして来た、
ここは歴史があるだけに 特に杉の大木が
私は双子杉とか夫婦杉と呼び何か絵になる
ところなので昨年も描いたが今年は又角度を
少し変えてと、 そんな構想で、
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久寛荘 柏崎西山 石地

2007-02-18 00:14:15 | Weblog
石地 久寛荘
明治11年9月14日 明治天皇の北陸巡幸の際に
昼食の宿に
長屋門 武家屋敷や裕福な農家で見られる
門の形式で門の両側が長屋になり そこに
家臣や下男が住む
日本石油株式会社の初代社長 内藤久寛の生家
内籐家の祖先は上杉氏に仕え 会津移封時に石地に
江戸時代には近郷の村々束ねた大庄屋

明治天皇行在所 明治天皇駐蹕(ヒツ ヒチ)?碑 
邸内に大隈重信の作碑文が

この裏辺りが 石地港
もう少しすると 子供連れでも楽しめる安全な釣り場
ここでメジナを本当に沢山釣り こませにで誘い
沸いてくる感じで 釣り上げた、湾内は今は浅くなっている
海が荒れている位の時でもここなら釣りが出来る
沖提で波が静かで 夜でも足場はよくて危険はない
国道352号を出雲崎から直ぐ の海岸通り
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出雲崎 堀部(中山)安兵衛の住居跡

2007-02-16 23:43:25 | Weblog
堀部(中山)安兵衛 (高田馬場の決闘)
赤穂浪士四十七士の1人
元禄年間(1690年代)
新発田藩士であつた中山安兵衛は生家が没落して
浪人中の十九歳頃、江戸へ出府の途中この家の
ところでしばらく住んで 手習い師匠として暮す
近年までその手本を蔵していた人があった
ここは養泉寺に彼が用いていた
酒杯が伝えられている
現在の出雲崎稲荷町 観樂山 養泉寺門前

一説には俳人摩詰庵雲鈴の残したものとも
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出雲崎 日本海

2007-02-16 23:32:44 | Weblog
昨日からの荒れ模様まだ風も強い
日本海 荒海でやはりまだ少し春までは
春一番でいくらかと思ったが海風は
冷たい 早々に引き揚げた、
海岸近くの山野草 運がよければ花が
咲いてくれるかと、急ぐこともない
これからだ、まだ2月なのに、
蕗のぼんは少し頂いてきた 蕗みそ
天麩羅もいい、
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石井神社と橘屋

2007-02-15 23:57:35 | Weblog
石井神社境内から直ぐ真下に橘屋が(良寛堂)
見える、 
ここから勿論佐渡も 港も 出雲崎 尼瀬も見渡せる
良寛(栄蔵)少年もここから今の何倍も広さの橘屋を
見て遊んでいたことだろう、
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石井神社 出雲崎

2007-02-15 23:52:34 | Weblog
出雲崎総鎮守 石井神社
良寛の父 以南 28歳 名主名代として
神輿行列を指揮した この年町年寄り
敦賀屋鳥井家の前を素通りして 抗議を
受けた事も訴訟ざたの一因に,入り婿が
よその土地に来て習慣を破るような事をして
反発があっただろう、今でいうと世渡りが下手だ、 
現在の芭蕉薗の辺りか敦賀屋跡、

陶製と思われる狛犬は珍しい

石井神社の歴史は古く神代の大国主の命が
この地に来て佐渡を平治をと海をわたる船がない
石の井戸から水を汲んで捲くと一夜にして大樹が
その霊樹で船を造り海をわたり平治した、伝説
現在の井の鼻に宮を造り海上の守護の大神を祀る
和同4年に現在の地に石井町に移され、
神主は名主橘屋山本家が
6月17日18日に大祭が。
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