元禄2年(1689年)7月(新暦8月)出雲崎に
奥の細道の杖をとめて1泊した芭蕉は
荒海やの.....の名句を残した。
碑文
荒海や 佐渡に よこたふ 天河 芭蕉
雪に波の 花やさそうて 出雲崎 盧元坊(1747年)
五月雨の 夕日や見せて 出雲崎 支考(1707年)
その後 芭蕉門下の2世東華坊(各務支考)は2度まで
この地を訪ね。3世盧元坊も又ここに杖とめて感激に
ふけった、
出雲崎が生んだ俳人 近青庵北溟は宝暦5年(1755)
3代にわたる俳人が当地で詠んだ句を刻して俳諧伝灯塚
を建てた、 妙福寺境内に新しい石碑は大正に再建
奥の細道の杖をとめて1泊した芭蕉は
荒海やの.....の名句を残した。
碑文
荒海や 佐渡に よこたふ 天河 芭蕉
雪に波の 花やさそうて 出雲崎 盧元坊(1747年)
五月雨の 夕日や見せて 出雲崎 支考(1707年)
その後 芭蕉門下の2世東華坊(各務支考)は2度まで
この地を訪ね。3世盧元坊も又ここに杖とめて感激に
ふけった、
出雲崎が生んだ俳人 近青庵北溟は宝暦5年(1755)
3代にわたる俳人が当地で詠んだ句を刻して俳諧伝灯塚
を建てた、 妙福寺境内に新しい石碑は大正に再建