JR東日本 奥多摩駅発行 普通入場券

平成22年4月、JR東日本青梅線奥多摩駅で発行された、普通入場券です。


   


青色JRE地紋の特殊指定共通券用紙が使用された、熱転写式POS端末で発券されています。

同駅は東京都内の駅で唯一POS端末で乗車券類を発券することができる直営駅でしたが、平成30年7月にPOS端末を使用した窓口が廃止されてしまい、POS端末発行の普通入場券は購入できなくなってしまっています。

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名古屋市交通局 ドニチエコきっぷ

戴き物ですが、名古屋市交通局が発行したドニチエコきっぷです。


   


土曜日と日曜日、もしくは祝日の任意な日1日に限り、名古屋市交通局が運行する市営地下鉄および市営バスの全線に何回でも乗車できる乗車券で、プリペイドカードのような磁気カードになっています。1回目の乗車の際に自動改札機もしくは料金機に挿入することで日付が印字され、有効な乗車券になります。
御紹介の券は大人用ですが、別に小児用もあり、こちらは若草色のカードになります。また、地下鉄各駅の券売機でも購入できますが、こちらはプリペイドカードのような様式ではなく、名古屋市交通局の緑色無地紋の券紙に感熱印字されたものになるようです。

右下にQRコードがありますが、これをスマホなどのバーコードリーダーで読み込みますとなごや徳ナビというサイトを閲覧することができ、そこに記載されている施設や店舗で、有効な乗車券を提示することで割引などの特典を受けられるしくみになっています。

「バス・地下鉄全線一日乗車券」と記載されているように、地下鉄の他、名古屋市交通局が運行している路線バスにも乗車することができますが、ゆとりーとラインの高架区間や名鉄バスなどの他業者のバス、あおなみ線などの他事業者の鉄道には乗車することはできません。


   


裏面です。

1回目の乗車の際に大きく日付が印字されます。地下鉄の場合は自動改札機を通すので、カードに書き込まれた磁気情報で有効日の判別が行われますが、路線バスの場合は乗務員に提示することになっているため、大きな文字で印字されています。
この券は2018(平成30)年12月31日の大晦日に有効なものとなっていました。

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東京急行電鉄 長津田からこどもの国ゆき 片道乗車券

1992(平成4)年5月に東京急行電鉄(東急電鉄)長津田駅で発行された、こどもの国ゆきの片道乗車券です。


   


若草色PJRてつどう地紋のB型一般式小児専用券で、山口証券印刷で調整されたものです。
この券は記念乗車券(と言っても何かの記念というわけではなく、単に硬券コレクション)として発売された中の一枚で、セットには金額式や地図式・相互式などの各種様式を使用した東急各線の乗車券が入っているものです。
日付はもともと入っていませんでしたが、当時購入した東横線渋谷駅の出札窓口で希望の日付を駅備付のダッチングで印字してくれるとのことでしたので、購入日でお願いした次第です。


   


裏面です。

この券を見ると、こどもの国線というのは東京急行が所有している自社路線ではないですが、東急線の一部であるという感じがします。


4月末より続けて参りました「改元シリーズ」ですが、そろそろ6月の声が聞こえて参りますし、「明治」という駅名がありませんので、この辺で「お開き」にさせていただきたいと思います。

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東京急行電鉄 こどもの国駅発行 長津田接続東急線80円区間ゆき 片道乗車券

前回エントリーで東急こどもの国線の乗車券は100円区間ゆきのみであると申し上げましたが、同線の長津田駅は東京急行電鉄長津田駅の構内にあり、現在のように横浜高速鉄道との改札口は設けられておらず、東急線相互の乗換そのものといった構造になっていました。

当時の同線の運賃は大人100円・小児50円となっており、長津田駅から先の東急線各駅まで乗車する際には、別途長津田駅発の運賃が必要となっていました。これは、東京急行電鉄の列車が運転されていても経営主体は社会福祉法人こどもの国協会であるため、こどもの国線は東急線ではないという考え方に基づいています。
しかしながら、長津田駅より先の東急線各駅まで乗車する旅客は当然多数いるわけであり、こどもの国駅において長津田駅までの乗車券しか発売しないのでは、東急線各駅の改札業務に支障が出ることになります。

そこで、こどもの国駅には、東急線から東急線への連絡乗車券のような片道乗車券が設備されていました。


   


1987(昭和62)年5月にこどもの国駅で発行された、東急線から東急線への連絡乗車券のような片道乗車券です。若草色PJRてつどう地紋の金額式千切り半硬券で、山口証券印刷で調整されたものです。
体裁は連絡乗車券そのものですが、「東急線であるようなこどもの国線から東急線への乗換」という大変珍しい券となっています。ただし、同社では連絡乗車券には左上に「(東京急行電鉄)」と社名が記載されていますが、この券の場合、こどもの国線が同社独自の路線ではないためか、その記載はありません。
しかし、前回エントリーで御紹介いたしましたこどもの国線完結の乗車券には「東急線〇〇〇円区間」と記載されており、この辺がイマイチはっきりしていませんでした。

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東京急行電鉄 こどもの国駅から100円区間ゆき 片道乗車券

拙ブログ2007年2月18日エントリーの「東急なのに東急じゃない⁉」で一度御紹介いたしておりますが、かなり時が経ってしまっておりますので、平成が終わったことを機として、再度御紹介したいと思います。

1987(昭和62)年5月に、東京急行電鉄(東急電鉄)こどもの国線のこどもの国駅で発行された、100円区間ゆきの片道乗車券です。


   


若草色PJRてつどう地紋の金額式千切り半硬券で、山口証券印刷で調整されたものです。
当時の同線には中間駅である恩田駅は無かったため、長津田駅~こどもの国駅間1駅のみの路線となっており、同駅発のこどもの国線用片道乗車券は100円区間のみでした。


   


同時に購入した小児用券です。大人券同様、PJRてつどう地紋の金額式千切り半硬券で、山口証券印刷で調整されたものとなっています。


こどもの国線は社会福祉法人こどもの国協会という福祉法人が経営主体であるこどもの国の施設として、長津田駅から分岐していた旧日本陸軍田奈弾薬庫補給廠への引込み線を利用したもので、運営自体は福祉法人が行っていましたが、東京急行電鉄が委託を受けて運行していましたが、1986(昭和61)年12月4日公布、翌年4月1日に施行された鉄道事業法に基づき、こどもの国協会が第三種鉄道事業者、東京急行電鉄が第二種鉄道事業者になっています。
御紹介の券は、東京急行電鉄が第二種鉄道事業者になってからの時代のものになります。

その後、沿線の宅地化が進んでこどもの国線を通勤路線に転換する要望が高まり、1997(平成9)年より通勤線への改良工事が開始されることになりましたが、通勤線に転用するということは、社会福祉法人であるこどもの国協会の趣旨から逸脱してしまうため、協会は同年8月に神奈川県や横浜市などが出資する第三セクターである横浜高速鉄道に第三種鉄道事業免許を譲渡したため横浜高速鉄道こどもの国線になっていますが、横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者として施設と車輌を保有し、東京急行電鉄が第二種鉄道事業者として運行をしています。


こどもの国は神奈川県横浜市にあるこどもの健全育成のための施設で、児童福祉法に基づく児童厚生施設です。1959(昭和34)年4月の皇太子殿下(上皇陛下)のご結婚を記念して建設されたもので、上皇陛下御夫妻の強い御意向により、全国から寄せられた御結婚のお祝い金を基金として、旧日本陸軍田奈弾薬庫補給廠跡の国有地が米軍から返還されたのを受けて、国費をはじめ多くの民間企業や団体・個人の協力によって1965(昭和40)年5月5日のこどもの日に開園しています。

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島原鉄道 車内補充券

前回エントリーで国鉄大正駅の普通入場券を御紹介いたしましたが、大正駅は国鉄大阪環状線の他に、島原鉄道にもあります。
ただし、島原鉄道の大正駅は駅舎もない小さな無人駅であり、同駅発行の乗車券類はありませんので、大正駅の表記がある車内補充券を御紹介いたしましょう。



   


1990(平成2)年3月に車内で購入した車内補充券です。
青色島原鉄道自社地紋の駅名式券で、概算鋏で穿孔して発行する様式となっています。まだ当時は島原外港駅から先、加津佐駅まで路線があった頃のもので、かなり細長い券になっています。

諫早東高校前駅と島鉄本社前駅が開業した後で、中央高校前駅が職業訓練校前駅に改称される以前の様式となりますので、1984(昭和59)年以降に設備されたものと思われます。
その後、1995(平成7)年には干拓の里駅が開業し、職業訓練校前駅が再び技術専門校前駅に改称されます。さらに、翌1996(平成8)年には技術専門校前駅がまた秩父が浦駅に改称されますが、2008(平成20)年には島原外港~加津佐間が廃止されてしまっています。



   



島原外港~加津佐間が廃止された以降の券になります。この券は2010(平成22)年9月に発行されたもので、青色島原鉄道自社地紋の駅名式券ですが、駅数がかなり減少し、小児欄などの配置が変わり、以前の様式とはかなり趣が異なります。

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大正駅発行 普通入場券

改元に因み、前回エントリーまでは昭和駅の券を御紹介致してまいりましたので、今回はもう少し遡って大正駅の券を御紹介致したいと思います。


1985(昭和60)年8月に大阪環状線大正駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
大阪印刷場の券は、1978(昭和53)年以降の国鉄末期およびJR移管後まで駅名の上に「普通入場券」の文言を配していた唯一の様式でした。また国鉄の他の印刷場のものとは違い、「旅客車内に立入ることはできません。」の文言は表面に表記されず、裏面にあるのも独特です。


   


裏面です。「旅客車内に立入ることはできません。」の文言が裏面にあります。


大正駅は現在ではJR西日本大阪環状線と大阪メトロ(大阪高速電気軌道)長堀鶴見緑地線の乗換駅となっていますが、この券を購入した当時は大阪環状線しか乗り入れていない小規模の駅で、1997(平成9)年には大阪ドーム(京セラドーム大阪)が開業し、イベント開催時にはかなりの賑わいがある駅になっています。

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〇T 鶴見駅発行 昭和から140円区間ゆき片道乗車券

昭和駅関連の話題をもう一つ致しましょう。


1983(昭和58)年11月に鶴見駅の鶴見線と東海道本線の乗換口にあります中間改札口の精算所で発行された、昭和から140円区間ゆきの片道乗車券です。



   


桃色こくてつ地紋のB型大人・小児用金額式券で、東京印刷場で調製されたものです。

この券は昭和駅から無札もしくは乗車券を所有していても鶴見駅以遠まで行くには運賃が不足している旅客に対して発売されたもので、一般的な乗車券とは性格が異なります。区間変更券という改札補充券のカテゴリーになるものと思われますが、この券は「鶴見線用特殊金額式券」というもので、発行駅が「〇T」鶴見駅という鶴見線と東海道本線の乗換口にあります中間改札口の精算所窓口専用として設備されていたものになります。

部内では「特金」と呼ばれていたようで、断片に「〇鶴 乗車駅大人運賃」を表示することが決められていました。東京印刷場管内では断片には小児差額運賃を表記して精算時の差額精算に充てていたようですが、この券の場合、同窓口には鶴見線各駅発の特金券が設備されていることから、断片に大人運賃を表示することで発駅および着駅を示す意味があったようです。


   


裏面です。
鶴見駅で精算をするということは鶴見線は乗車済であることから、「鶴見線内使用ずみ」という文言が入れられていました。

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昭和駅発行 100円区間ゆき 片道乗車券

1980(昭和55)年5月に昭和駅で発行された、100円区間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅では前回エントリーのような特殊発売用の軟式片道乗車券が委託発売所で発売されておりましたが、この券は昭和55年5月5日は日付が「55.-5.-5.」となることから、国鉄増収策のイベント要素で発売されたもののようです。
当日は訪問できませんでしたので知人に購入して貰ったものですが、通常無人駅の小さな駅前には記念となる乗車券を求めた人が溢れ、鶴見駅から応援の駅員が派遣されるほどであったとのことです。

現在では硬券はおろか、乗車券類の日付は西暦表記となり、このような「お祭り」はなかなか機会が訪れなくなりました。

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〇ム 昭和駅発行 120円区間ゆき片道乗車券

しばらくの間、平成から令和にかけての、JR東日本が発売した都区内パスについてエントリーして参りました。
世間の改元祭りもだんだんと落ち着いてきているようにも感じられますが、平成ついでに「昭和」という元号に因んだ券をエントリーしてみたいと思います。


1984(昭和59)年6月に鶴見線昭和駅で発行された、120円区間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のA型大人専用金額式千切り軟券で、委託発売用の軟式特殊発売用普通乗車券となります。

当時の昭和駅はすでに無人化されてから12年程度経過しておりましたが、駅に隣接したたばこ店で近距離乗車券の委託発売が行われており、そこで購入したものです。


   


購入した時期は若干異なりますが、桃色国鉄地紋のA型小児専用金額式千切り軟券も設備されておりました。


同駅は1931(昭和6)年に鶴見臨港鉄道が開業させた駅で、1943(昭和18)年に国有化され、鉄道省鶴見線(→国鉄→JR)の駅となっています。駅名である「昭和」は元号に因んだものではなく、昭和肥料株式会社(のちに日本電気工業株式会社との合併によって、現・昭和電工株式会社)の最寄駅であったことに由来するようです。

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