東京地下鉄 荻窪駅発行 160円区間ゆき片道乗車券 ~その1

前回エントリーで、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)丸ノ内線の荻窪駅で発行された、営団地下鉄最後の日に発行された乗車券を御紹介いたしました。
今回はその翌日である、東京地下鉄(東京メトロ)初日に同駅で発行された乗車券を御紹介いたしましょう。


   

2004(平成16)年4月1日に、東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅で発行された、同駅から160円区間ゆきの片道乗車券です。御紹介の券は、前日の営団地下鉄最終日に購入した券売機と同じ丸ノ内線荻窪駅の06番券売機で発行されたものになります。
券紙は水色東京メトロ自社地紋になったA型金額式券ですが、会社名は「(交通営団)」のままであり、金額表示も「営団線160円区間」のままです。


   

再掲いたしますが、前日の営団地下鉄時代に同じ06番券売機で発行されたものになります。

約180駅あるという同社には、当然券売機は各駅1台という訳ではありませんので、すべての台数が何台あるかは不明ですが、相当数の機器が設備されていることになります。そのため、営団地下鉄から一晩で東京メトロに会社が替わった同社では、翌日の営業初日までにすべての券売機を更新することは困難であったため、「取り敢えず」は券紙のみ営団地下鉄のものから東京メトロに交換し、その場をしのいでいました。
ちなみに、同社の券売機は、営団地下鉄時代に印版式券売機は全廃されておりますので、東京メトロになってからの券売機はサーマル式のみしか存在しません。

そのため、印字されている内容は全く営団地下鉄時代のものと同一で、券番もすでに2630番であり、新会社がスタートした時点でリセットされたとは考えにくい番号になっています。営団地下鉄時代の券番と809番の差異がありますが、恐らく通常の精算業務だけが行われていたものと推測されます。

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帝都高速度交通営団 荻窪駅発行 160円区間ゆき片道乗車券

帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現・東京メトロ)は、今から20年程前の2004(平成16)年3月31日の営業を以て民営化され、翌4月1日から東京地下鉄(東京メトロ)に移管されています。


   

営団地下鉄最終日である2004(平成16)年3月31日に、丸ノ内線荻窪駅の06番券売機で発行された、同駅から160円区間ゆきの片道乗車券です。
若草色ていとこうそくどこうつうえいだん地紋のA型金額式券で、サーマル方式券になります。


   

地紋部分を拡大してみました。営団地下鉄の乗車券は、硬券や補充券などの軟券についてはJPRてつどう地紋の券が使用されていましたが、券売機券については昭和40年代前半から券売機専用に地紋が使用されており、そのまま印版方式からサーマル方式に券売機が改良されても、感熱式の券売機用専用券紙が使用されてきておりました。
営団地下鉄がなくなってからすでに20年が経過しており、管理人のような年配のコレクターにとっては昔懐かしい地紋でありますが、若いコレクター氏のなかにはご覧になられたことがない方もおられるかと思います。


営団地下鉄の「営団」という組織形態は官民共同出資の形態で、営団地下鉄の設立当初は民間鉄道による出資が含まれていたと聞いたことがありますが、1951(昭和26)年に行われたの法改正により民間組織が排除されてしまい、以降は日本国有鉄道(国鉄)と東京都の出資による公的な法人になっていました。国鉄分割民営化の後は、出資の主体は日本国有鉄道清算事業団を経て、大蔵省(現・財務省)に渡っていました。そのため、営団地下鉄は、名称として「営団」の名ではありましたが、市営交通や株式会社形態である第三セクターとは異なり、国鉄と東京都の出資による公営企業として独特な位置づけで、その組織実態として、国の外郭団体である公団や公社のような存在であったようです。

2004(平成16)年4月1日に東京地下鉄株式会社法が施行にされ、営団地下鉄の一切の権利及び義務、設備、車両は東京地下鉄株式会社(東京メトロ)に継承されます。
東京メトロ発足段階では日本国政府と東京都が新会社に対し、国が53.42%、都が46.58%の比率で出資をしていましたが、政府は東日本大震災の復興財源確保のために、国の持ち分のメトロ株を売却して得た収入を東日本大震災の復旧・復興のために発行した復興債の償還費用財源とすることが特別措置法で定められていました。
当初は2022年度までに全株式を売却する予定でしたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響などもあり、売却期限は2027年度に延期されて現在に至っています。

しかし、本年10月、東京メトロ株の上場が決定しており、政府と東京都は東京メトロの株式の売却を2024年度中にも始める予定で、両者で100%を保有する株式を最終的に50%売却するとしています。

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帝都高速度交通営団 「◯地」東京駅発行 20円区間ゆき片道乗車券

前回エントリーで、営団地下鉄霞ヶ関駅で発行された20円区間ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたので、今回は丸ノ内線の東京駅で発行された乗車券を御紹介いたしましょう。


   

1962(昭和37)年8月に丸ノ内線の「◯地」東京駅で発行された、同駅から20円区間ゆきの片道乗車券です。若草色JPRてつどう地紋のB型地図式大人専用券で、こちらも帝都交通印刷で調製されたものと思われます。

券面の地図を見ますと、東京駅から20円区間ゆきの運賃区間は、荻窪方面が赤坂見附駅、池袋方面が後楽園駅になっています。
前回御紹介いたしました霞ヶ関駅発行の乗車券同様、御紹介の券は丸ノ内線が中心になっており、銀座線らしき線が赤坂見附駅にちょこんと出ています。


   

赤坂見附駅の部分を拡大してみました。
前回および前々回に御紹介いたしました霞ヶ関駅や渋谷駅の券は赤坂見附駅付近で、丸ノ内線と銀座線が並行しているように表現されていますが、今回御紹介の券については、丸ノ内線と銀座線がクロス(交差)しているようにも見えます。
しかし、見方を変えれば、赤坂見附駅を通過して左上に上がる線を丸ノ内線の荻窪方面への線路と捉えれば、同駅から左へまっすぐに伸びている線が銀座線の渋谷駅方面への線路で、右下へ下がる線が銀座線の浅草方面への線路と考えることができます。


   

同社がかつて発売していましたメトロカードに書かれた営団地下鉄時代の路線図です。


   

赤坂見附駅付近を拡大すると、上のように表現されていますので、もしかすると、このラインの形をイメージして作成されたのが御紹介の券の地図なのかも知れません。


   

裏面です。券番と発行駅名の他、「東京から20円」の表記と、「表面太線区間内の1駅ゆき」の文言、「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
発行駅の前にあります「◯地」は「地下鉄駅」であることを示すもので、同駅には地下鉄以外の路線として国鉄線が乗り入れていますので、その区別の意味で付けられているものと思われます。

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帝都高速度交通営団 「◯地」霞ヶ関駅発行 20円区間ゆき片道乗車券

前回エントリーで、営団地下鉄渋谷駅で発行された20円区間ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたので、今回は丸ノ内線の霞ヶ関駅で発行された乗車券を御紹介いたしましょう。


   

1962(昭和37)年9月に丸ノ内線の「◯地」霞ヶ関駅で発行された、同駅から20円区間ゆきの片道乗車券です。若草色JPRてつどう地紋のB型地図式大人専用券で、こちらも帝都交通印刷で調製されたものと思われます。
券面の地図を見ますと、霞ヶ関から20円区間ゆきの運賃区間は、荻窪方面が四谷三丁目駅、池袋方面が淡路町駅になり、途中の赤坂見附駅で乗換える銀座線の渋谷方面の外苑前駅、浅草方面の新橋駅が含まれています。


   

前回御紹介いたしました渋谷駅発行の乗車券を再掲いたします。
渋谷駅発行の銀座線が中心である地図とは異なり、御紹介の券は丸ノ内線が中心になっており、銀座線が赤坂見附駅からハの字型に伸びており、やはり平行して路線が形成されているように表現されています。


   

裏面です。券番と発行駅名の他、「霞ヶ関から20円」の表記と、「表面太線区間内の1駅ゆき」の文言、「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
発行駅の前にあります「◯地」は「地下鉄駅」であることを示すもので、前回エントリーの渋谷駅のように地下鉄以外の路線が乗り入れている駅ではないので不要かと思いますが、東武鉄道東上線にも同名の霞ヶ関駅がありますので、その区別の意味で付けられていたのかも知れません。

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帝都高速度交通営団 「◯地」渋谷駅発行 20円区間ゆき片道乗車券

1962(昭和37)年9月に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現、東京メトロ)銀座線の「◯地」渋谷駅で発行された、同駅から20円区間ゆきの片道乗車券です。


   

若草色JPRてつどう地紋のB型地図式大人専用券で、山口証券印刷系列の帝都交通印刷で調製されたものと思われます。 
当時の営団地下鉄の乗車券は地図式がメインで、高額券になると相互式が使用されたりしていました。これは少しずつ路線が開業していく発展期であった同社では、複数の着駅を1枚の乗車券にまとめたいという考え方に拠るものと思われます。


   

裏面です。券番と発行駅名の他、「渋谷から20円」の表記と、「表面太線区間内の1駅ゆき」の文言、「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
発行駅の前にあります「◯地」は「地下鉄駅」であることを示すもので、国鉄の乗車券や運賃表などには「地下鉄渋谷」駅と記載されているものも見受けられました。これは、同駅には営団地下鉄の他に国鉄線や東急東横線、京王帝都井の頭線などの路線が乗り入れているための区分のために付けられているものです。


   

最遠である着駅の赤坂見附駅の部分を拡大してみました。
渋谷駅から伸びた太線が着駅の赤坂見附駅まで繋がれていますが、その先の区間外の駅である虎ノ門駅方面に伸びる線は細い線で表されています。また、同駅から「サザエさんの波平の双子の兄、海平さんの頭の毛」のような逆ハの字に2本「生えている」線は、丸ノ内線を表しているものと思われます。
なんとなく、丸ノ内線は決して銀座線とクロスしているのではなく、平行して走行している感じが出ているかと思います。


   

ちなみに、こちらが海平さんです。

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◯社 綾瀬駅発行 大宮駅から盛岡駅まで 新幹線自由席特急券

1983(昭和58)年1月に、常磐線の「◯社」綾瀬駅で発行された、大宮駅から盛岡駅までの新幹線自由席特急券です。


   

桃色こくてつ地紋のD型準常備式新幹線自由席特急券で、東京印刷場で調製されたものです。御紹介の券は1,400円から4,400円までに対応するもので、東京印刷場では「準自幹特(2003)」というパターン方式が採用されており、発行駅名のみ差し替えで各駅に設備されていました。
当時、ターミナル駅と称される大規模駅では各区間ごとの常備券もしくはA型区間記入式の新幹線料金固定式自由席特急券(記自幹特)という常備券が設備されていることがありましたが、同駅のような規模の小さな駅では、口座数を減らすために御紹介のような準常備式券でまとめられていたようです。


   

発行箇所部分を拡大してみました。同駅は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が管理している駅であるため、発行駅名の前に社線管理の窓口であることを示す「◯社」の符号がつけられていました。
「◯社」符号のある新幹線自由席特急券が発行されていた駅は、東京近郊では他に東飯能駅など限られた駅しかなかったため、あまり見かけなかったような気がいたします。

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◯交 関西支社発行 近畿日本鉄道 上本町駅から近畿日本名古屋駅ゆき 片道乗車券

1954(昭和29)年1月に発行された、近畿日本鉄道(近鉄)大阪線の上本町(現・大阪上本町)駅から近畿日本名古屋(現・近鉄名古屋)駅ゆきの片道乗車券です。


   

緑色近鉄自社地紋のB型一般式大人・小児用券になっています。
経由欄には「大線(大阪線)・久居経由」と記載されており、大阪線の伊勢中川駅から先、名古屋線久居駅を経由して近畿日本名古屋駅に至る経路であることが分かります。


   

発行箇所名は裏面に記載されており、「日本交通公社関西支社安土町案内所」発行になっております。日本交通公社は現在のJTBで、現在の店舗一覧からは「安土町案内所」という店名がないので不明ですが、安土町は大阪市中央区の堺筋本町付近になりますので、堺筋通りにありますJTBビルのあたりにあった案内所(支店)だったのではないかと思われます。
御紹介の券は、近鉄が日本交通公社に委託発売していた専用の券であることから、名阪特急の特急券と同時に発売するために設備されたものかも知れません。

発駅である上本町駅は現在の大阪上本町駅で、当時はまだ大阪難波駅までの区間が開業していませんでしたので、大阪駅側のターミナル駅として機能していたと聞いています。
また、当時の名阪特急は、旧関西急行鉄道側の近畿日本名古屋駅~伊勢中川駅間が狭軌(1067mm)でありましたため、現在のような直通運転ではなく、途中の伊勢中川駅での乗換が必要でありましたが、それでも名阪間を3時間台で運転されていたと聞きます。

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上野駅発行 東京山手線内から680円区間ゆき 片道乗車券

1978(昭和53)年11月に、東北本線上野駅で発行された、東京山手線内から680円区間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋のA型地図式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものになります。

御紹介の券は運賃変更印が捺印されており、同年7月の運賃改定により元額面の680円から800円に改定されたときのものと断定されますので、営業キロが81km以上90km以下の運賃帯に相当します。

当時の規則では、東京近郊区間内の東京山手線内発着51km以上の乗車券については単駅では無く東京山手線内を発着駅とする乗車券が発売されていました。そのため、東京山手線内を発駅とした81km以上90km以下の運賃帯に属する着駅は中央本線の大月駅と東北本線の小山駅しか該当がなかったことから、着駅がこれらの2駅しかない寂しい地図になってしまったものと思われます。
なんとなく矢印式にしても良いような気もいたしますが、東京山手線内から51km以上の乗車券が地図式で制定されていたため、敢えてその枠に填めた結果、このような券が作成されたのでしょう。

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西武鉄道 西武秩父駅発行 特急券 ~その2

前々回エントリーで、同社では似たような様式の券で黄色地紋の券も存在しましたが、黄色地紋券の裏面は白色で磁気膜が塗られていませんので、自動改札機対応にはなっていなかったことを御紹介いたしました。
年月による経年劣化や、当時の感熱式券の品質がさほど良くなかったという理由で状態がよろしくありませんが、黄色地紋の券も手元にございますので御紹介いたしたいと思います。


   

1994(平成6)年3月に、西武鉄道秩父線の西武秩父駅で発行された、ちちぶ14号の特急券で、黄色地紋時代の券になります。
黄色せいぶてつどう自社地紋のA型券で、感熱式券になります。


   

再掲いたしますが、発売料金の位置が右下にずれて発車時刻の表記が大きくなったことと、端末番号が2ケタから400番台の3ケタに変更された等の変更はありますが、基本的なところは変更されていないようです。
ただし、図示いたしませんが、自動改札機対応にはなっていませんので、裏面は白色になっています。

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京濱電鐵 新子安駅発行 コロムビア前・川崎大師駅間ゆき 片道乗車券

本日は8月15日、79回目の終戦の日です。拙ブログでは毎年、終戦の日(かつては終戦記念日って言っていたような・・・)のエントリーでは、コレクションの中から戦争に関連したものを御紹介するようにしていますので、今年もひとつ、探してみました。


   

まだ太平洋戦争前の1937(昭和12)年5月に、京濱電鐵(後の京浜急行電鉄。現・京急電鉄)本線にあります新子安駅で発行された、大師線のコロムビア前・川崎大師駅間ゆきの片道乗車券です。
経年で色あせてしまっていますが、桃色無地紋のA型一般式大人・小児用券と思われます。同社の乗車券は数枚手元にありますが、状態が良いものでも桃色無地紋になっており、裏面についても同色になっていることから、地紋がなかったものと思われます。


   

裏面です。券番の他、「京濱電鐵」の社名と発行駅名が記載されています。


着駅のコロムビア前駅は現在の港町(みなとちょう)駅で、現在地より300メートルくらい川崎大師駅寄りのところにあったようです。
駅名の由来である「コロムビア」は、当時駅の近隣にあった日本コロムビアの工場に由来していますが、戦時中の1943(昭和18)年に不要不急駅として営業が休止され、翌1944(昭和19)年に港町駅として営業が再開されています。この時に駅名が改称された理由として、当時の世相による外来語禁止や、工場名が駅名にあることが防諜上好ましくないということが理由となり、地名であった港町駅に改められたものと言われています。

日本コロムビア社は国産の円盤式レコードの生産と販売を行う日米蓄音機製造を前身として、日本蓄音器商会として法人化された日本で最古参のレコード会社で、昭和初期から米国のコロムビア・ミュージックエンターテインメント社(現・米国ソニー・ミュージックエンターテインメント社)と提携関係になると日本コロムビア社へ改称されています。しかし、戦時中は敵国企業である「コロムビア」の社名が使用できなくなり、日蓄工業に改称されているようですが、現在でも日本コロムビア社として存続しています。

日本コロムビアの工場は2007(平成19)年に閉鎖されて移転してしまい、今ではその跡地には京急が建設した3棟の高層マンションがそびえ立っており、工場の面影はありません。

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