秩父鉄道 寄居駅発行 急行券

2014(平成26)年10月に秩父鉄道秩父本線の寄居駅で発行された、同社自社線内用の急行券です。


   

黄色JPRてつどう地紋のB型大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものです。
同線では有料急行列車である「急行秩父路」号の運転があり、寄居駅の他、羽生駅・熊谷駅・武川駅・ふかや花園駅・長瀞駅・秩父駅・御花畑駅・影森駅・三峰口駅の各駅で急行券が発売されています。
券面には乗車日を記入する欄がありますが、乗車券類の前売りをしていないことから発売時の発売日の印字で代用しているものと思われ、乗車日を記入された券を見たことはありません。


   

裏面です。券番の他、「ご乗車される急行列車一回限り有効」の文言があります。

同社の急行列車に乗車する際には、回数券、各種フリー乗車券で利用する際にも急行券が必要ですが、野上駅~長瀞駅間、秩父駅~影森駅間のみを利用する場合には急行券は不要です。
また、2022(令和4)年3月12日の交通系IC乗車券であるPASMOサービス開始を記念し、同日より「急行秩父路」の急行料金無料化を行っておりましたために急行券の発売を中止していましたが、2023(令和5)年3月末日をもって無料化キャンペーンは終了し、翌4月1日からは乗車券類の他に急行券が必要になり、発売が再開されています。

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秩父鉄道 寄居駅発行 普通入場券

2011(平成23)年5月に秩父鉄道秩父本線の寄居駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものです。

同駅は秩父鉄道の他、JR東日本八高線と東武鉄道東上線の共同使用駅になっておりますが、秩父鉄道が管理していますので、普通入場券は駅の管理事業者である同社だけが発売しています。


   

裏面です。券番の他、発行駅名が印刷されています。

同社の普通入場券は大人・小児用券の1種類が通常発売の様式になっておりますが、ほぼ観光記念やコレクション用として発売されているようです。最近の同社硬券では、小児用として発売した際に切断した断片を、売上書類として添付するために綴じる穴が小児断片にありませんが、さほど問題はないように思われます。

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秩父鉄道 寄居駅発行 上長瀞・大麻生ゆき 片道乗車券

2011(平成23)年5月に、秩父鉄道秩父本線の寄居駅で発行された、上長瀞・大麻生駅ゆきの片道乗車券です。


   

鼠色JPRてつどう地紋のB型矢印式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものです。
同社の社線内用硬券乗車券では、着駅表示は最遠駅のみ記載するようになっており、上り方向と下り方向の双方に着駅が存在する場合には矢印式が使用され、どちらか一方にしかない場合には相互式もしくは準常備式が使用されています。


   

裏面です。券番と発行駅の他、発駅と「表面矢印の1駅ゆき」「発売当日限り有効 下車前途無効」の文言があります。

寄居駅は秩父鉄道の他、JR東日本八高線と東武鉄道東上線の共同使用駅になっておりますが、秩父鉄道が管理していますので、同社の乗車券は自社発券ということになります。

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◯社 寄居駅発行 190円区間ゆき片道乗車券

1987(昭和62)年1月に八高線寄居駅で発行された、同駅から190円区間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

前回円エントリーで御紹介いたしましたように、同駅は国鉄(JR東日本)の他に秩父鉄道と東武鉄道が乗り入れている共同使用駅で、出改札業務については秩父鉄道が実施しております。そのため、御紹介の券は秩父鉄道の窓口で発売されておりますため、発行駅名の前に、社線窓口で発売された旨の「◯社」符号が付けられています。

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東武鉄道 寄居駅発行 池袋駅接続 東日本会社線120円区間ゆき 片道連絡乗車券

1988(昭和63)年10月に、東武鉄道東上線の寄居駅で発行された、同駅から池袋駅接続、JR東日本線120円区間ゆきの片道連絡乗車券です。


   

桃色東武鉄道自社地紋のB型金額式大人・小児用券で、足利印刷で調製されたものと思われます。


   

裏面です。券番・発行駅名の他、発売当日限り有効 下車前途無効の文言が印刷されています。

寄居駅は東上線の終着駅になりますが、東武鉄道の他に秩父鉄道とJR東日本(八高線)の3事業者が乗り入れている共同使用駅になっており、駅業務は秩父鉄道が受託していますので、御紹介の券は秩父鉄道の窓口で発売されていました。

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帝都高速度交通営団 西銀座から1区20円区間ゆき 片道乗車券

1964(昭和39)年4月に帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄。東京メトロ)西銀座(現・銀座)駅で発行された、1区20円区間ゆきの片道乗車券です。


   

黄緑色無地紋のA型券売機券になっています。

営団地下鉄が日比谷線を開業させた時、それまで均一運賃であった銀座線と丸ノ内線とともに区割り区間制運賃を導入しています。御紹介の券は区割り区間制時代のもので、硬券は比較的残されているものがありますが、券売機発行の軟券についてはあまり残されていないようです。

同社では、昭和40年代になりますと現在と同じ金額式による区間制に改められています。

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JR東日本 渋谷から160円区間ゆき 片道乗車券

1988(昭和63)年4月に、JR東日本山手線の渋谷駅で発行された、同駅から160円区間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色JRE地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

まだSuicaなどの交通系IC乗車券が存在していなかった時代でしたので、券売機の混雑時には、少しでも混雑を解消させるため、数時間程度コンコースにテーブルを出して臨時出札所が開設されることがありました。御紹介の券は通常発売されていた訳ではありませんが、臨時出札所で発売されていたものです。
渋谷駅はJR東日本線の山手線と湘南新宿ライン・埼京線の他、東京メトロ銀座線・半蔵門線、東急東横線・田園都市線、京王井の頭線などの路線が乗り入れている他、周辺には話題のお店が数多くあって年中混雑しているイメージがありますが、捌ききれないほどに旅客が集中した場合、混雑解消のための対策が採られていますが、硬券による臨時出札所の開設もその一つであったのだと思います。

御紹介の券は実際に池袋駅まで使用したもので、同駅で下車する際に裏に無効印を捺印のうえ、持ち帰ることができました。

JR東日本渋谷駅では、本日2023年11月18日(土)から翌19日(日)にかけて山手線の線路切り替え工事が行われるため、18日は外回りが、19日は内回りが、それぞれ終日区間運休になります。
この工事は2015年から数回に亘って実施されてきた渋谷駅の列車の運行を止めての大工事の一貫で、今回が5回にわたる渋谷駅での最後の線路切換工事で、今後は駅コンコースの拡充や共同開発ビル工事が本格的に展開されることになるとのことです。

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川湯駅発行 美留和駅ゆき 片道乗車券

1986(昭和61)年9月に釧網本線川湯(現・川湯温泉)駅で発行された、釧網本線美留和(びるわ)駅ゆきの片道乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
御紹介の券は川湯駅から最短区間ゆきの乗車券になりますが、当時の北海道内では、近距離区間用の乗車券でも一般式が使用されている駅が多くありました。

着駅の美留和駅はJR北海道が2024年度の廃止対象候補駅のうちの一つに挙げており、釧網本線内では他に、緑駅と茅沼駅が候補になっています。
現在、すべての駅はJR北海道が管理していますが、乗車人員は各駅とも3人以下になっているというのが廃止対象駅になった理由であるとのことですが、美留和駅と茅沼駅については地元住民が困惑しているのが現状であり、地元自治体として管理を受託しても駅を残すのか、今後の方向性が注目されています。

国鉄が民営化される際に政府が国民に約束した、「民営化後も国鉄の時よりも不便になることはない」という約束が、また反故にされることになりそうです。

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帝都高速度交通営団 神宮前駅発行 40円区間ゆき 片道乗車券

1969(昭和44)年5月に、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄。東京メトロ)銀座線の神宮前駅で発行された、同駅から40円区間ゆきの片道乗車券です。


   

緑色JPRてつどう地紋のB型金額式大人専用券で、帝都交通印刷で調製されたものと思われます。


   

裏面です。券番と発行駅名の他、「神宮前から40円」の記載と、社名が印刷されています。


神宮前駅は銀座線の前身である東京高速鉄道が開業した1938(昭和13)年11月に青山六丁目駅として開業していますが、1年も経たない翌年9月に神宮前駅に改称されています。
その後、永年神宮前駅として営業していましたが、1972(昭和47)年10月に千代田線が開通し、神宮前駅に隣接して表参道駅が開業したタイミングで、表参道駅に改称されています。

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肥薩線 真幸駅発行 普通入場券

肥薩線の「山線区間」と呼ばれる人吉駅~吉松駅間には途中駅が3駅あり、内2駅は前回および前々回エントリーで御紹介いたしました、熊本県人吉市にある大畑駅と矢岳駅になります。3駅目が今回御紹介いたします真幸(まさき)駅です。


   

1984(昭和59)年12月に真幸駅で発行された普通入場券です。白色無地紋のB型大人・小児用券で、門司印刷場で調製されたものになります。
同駅は肥薩線の中で唯一の宮崎県内にある駅で、宮崎県えびの市に位置しています。矢岳駅側には熊本県との県境の山があり、そこを貫く矢岳第一トンネルがあります。
日本の鉄道の初期の頃に建設されたこのトンネルは、建設工事の最中に多数の犠牲者を出したほか、異常出水によって資材運搬用の馬が荷物ごと押し流されてしまったという話が残されています。また、管理人のハンドルネームとして取らせて戴きました観光列車「いさぶろう・しんぺい」の名前の由来となった山縣伊三郎と後藤新平が、それぞれの筆による「天険若夷」(てんけんじゃくい)と「引重致遠」(いんじゅうちえん)の扁額がトンネルの出入り口に付けられています。この意味は、「天険、夷の若し(てんけんいのごとし;天下の険しい難所を平地のようにした)」というものと、「重きを引きいて遠きに致す(おもきをひいてとおきにちす;重い物を引いて遠くへ至ることが出来る)」という意味になります。

矢岳駅を過ぎるとこんどは鹿児島県との県境の山があり、そこを貫く第二山ノ神トンネルがあります。このトンネルを抜けると鹿児島県になりますので、同駅は熊本県と鹿児島県の県境の間にあり、3駅連続で県が変わる非常に珍しい区間になります。

この第二山ノ神トンネルにも悲しい歴史がありました。
戦後すぐの吉松駅では帰郷の列車を待つ多くの旅客(復員兵)でごった返していたそうです。駅周辺で1万人くらいの復員兵が、民家に泊めてもらったりしながら列車に乗れる日を待っていたそうです。
1945(昭和20)年8月22日の午前10時30分、客車5両と8両の客車代用の無蓋貨車で組成された混合列車は、最先頭の本務機関車に引かれ、最後部から補助機関車が押す形で、吉松駅を熊本県人吉駅方面に出発しました。列車は満員の復員兵のためにかなり重量が重かったようで、重量に耐えかねて空転を連発しながら第二山神トンネルに進入していったそうです。ところが、最後部の補助機関車がトンネルに入って八合目付近まできたとき、列車は品質の悪い石炭の影響で力尽き、ストップしてしまいます。
先頭の本務機はトンネルから出たものの、機関車の吐き出す石炭の黒煙や蒸気を帯びた高温と息苦しさに耐えかねた大勢の復員兵は、列車が「火事になった」などうわさが飛び交ったため、あわてて線路に飛び降りて歩いてトンネルの外に出ようと、トンネルの入口に向って線路を歩き出しました。当時は車内放送設備がないため車掌から線路に降りないようにという注意喚起をすることは不可能であり、また後部補助機の乗務員は呼吸困難のため意識もうろうの状態にあって阻止することができず、また先頭の機関士に連絡するすべもありませんでした。
悲劇はこの時に起こりました。先頭の本務機関車はすでにトンネルを抜け出していましたが、当時は無線による乗務員間の連絡手段などというものは無かったため、トンネル内でストップしている後部補助機関車を一刻も早くトンネルから出してやらなければ窒息すると思った本務機の機関士が、トンネル内を復員兵が歩いて避難しているという事実を知らなかったため、列車をバックさせたのです。
暗く狭いトンネル内に降りた大勢の復員兵は、後部補助機関車に次々に轢き殺され、あるいは負傷してしまい、死者49人、負傷者50余人を数える惨事となりました。

旧吉松町(現湧水町)の郷土史には、「戦争終結によって、やっと命をとりとめた、夢にまで見た故郷の土を踏む前に、肥薩線第ニ山神トンネルの枕木を赤く染めてはかなく散っていった兵士たちの心情を察するに余りあるものがある」と書かれており、17回忌の1961(昭和36)年に、地元の有志によって慰霊塔が建設され、毎年8月22日には欠かさずその供養が行われているとのことです。

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