小田急電鉄の通学補充定期券

このところ小田急電鉄ネタが続きますが、今「マイブーム」になっているのでもう少しお付き合いください

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今回ご紹介いたしますのは、小田急伊勢原駅発行の通学補充定期券です。
小田急では昭和50年代後半には定期券は印発化されており、このような補充式の定期券を発行することはめったにありません。

この定期の入手経緯は本当に偶然でした。
それは昭和61年9月18日、伊勢原駅にて1ヶ月の通学定期を購入したときのことです。当然ながら印発機にて発行された定期券を渡され、その日は電車に乗って帰宅しました。いくら印発券とはいえ、「きっぷキチガイ」の血が騒ぎ、新しい定期券が嬉しくてじぃ~っと眺めておりました。すると、何かが足りないんです。「なんだろう?」と再度ながめていると、なんと氏名欄に私の名前が印字されておらず空欄のままの「名無し」定期券になっていたのです
印発定期券の名前と言うものは普通申込書に書かれた名前がそのまま印字されるものですが、なんで空欄になってしまったのかわかりません。
とても気になるもので、翌日購入した伊勢原駅の窓口に「名無し」定期を持って申し出ました。すると窓口氏は昨日の申込書を探しだして、「名無し」定期が間違いなく私のものであることを確認すると、電話で取り扱い方法を本社へ問い合わせておられました。
電話での確認が終わると、「定期券、作り直します」と言い残し、奥の方へ行かれました。待つこと3分、窓口氏はピンク色の紙を持って戻って来られました。そしてこの通学補充定期券との出会いの時がやって参りました

どうして「名無し」になってしまったのか興味本位で聞いたところ、昨日取り扱った駅員氏は非番なので詳しいことは判らないそうですが、恐らく申込書を裏返しで機械に入れたか、もしくは全く入れなかったんじゃないかということでした。

こんなもの通常は入手するチャンスはめったにありませんから、その日はとてもウキウキした気分で帰宅しました。でも、券番が0004となっており、いつから設備されていたのかはわかりませんが、何らかの理由で過去に3枚の通学補充定期券が発行されているのです。理由はなんだったんでしょうか?
それにしても、恐らく非常用として設備されているのでしょうが、何枚発行するかわからない補充定期券を発駅常備としているのは驚きです。おそらく中小私鉄だったら間違いなく「発駅補充式」となっているでしょう。
あと、聞くのを忘れましたが、通勤用はやはり青色の券だったのでしょうか?

その後、発行された「新しい」通学補充式定期をマジマジと眺めていたら、またこの券にも「オチ」があることに気づいてしまいました。なんと「使用開始日」よりも「発行日」の方が一日遅いのです。
確かに本当の発行日は使用開始日の翌日でしたので決して間違っているわけではないのですが、なんとなくしっくりきません。しかし、再度窓口に持っていってしまったら、訂正印で訂正されるたり回収されて印発券に交換されてしまっては悲しくなってしまうのでそのままにしておきました

趣味的に言えば、「 」という定期券用のゴム印が捺されていると素晴らしいのですが、「贅沢」は言えませんね。

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小田急電鉄の普通入場券

菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」1月27日エントリーの「小田急電鉄のシンコー印刷券~4」のなかに普通入場券が紹介されておりますが、手元にありました、昭和57年に記念発売された「全駅入場券」を眺めていて気づいたことがあります。

この「全駅入場券」は開業55周年だかで記念発売されたもので、通信販売で売られておりました。おそらく、各駅に在庫を持たないようにするため、本社一括の発売方法が採られたのではないかと思います。すべてが井口印刷の券を使用し、活字の内容は通常の券と同一ですが、逆に違うところは、PJRの地紋があるという点です。

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まずは参宮橋駅のものです。通常の券はシンコー印刷のものが使われておりますが、「セットもの」では井口印刷のものが入っておりました。おそらく、参宮橋駅の井口印刷製の入場券は、これ以外には存在しないと思われます。そして、なぜか参宮橋分のみに「赤一条」の横線が入っています。
菅沼天虎様がブログの中で書かれておりますように、確かにシンコー製の小田急の入場券には「赤一条」がはいっておりますが、井口印刷製を使ったこのセットにおいて、わざわざ「赤一条」を入れた理由は定かではありません。

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次は祖師ヶ谷大蔵駅のものです。駅名6文字が等間隔のバランス良い特活が使われております。

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ところが、すべての駅で等間隔の特活が使われているわけではなく、左の世田谷代田駅のものは、「世田谷」の部分は特活で「代田」の部分がバラ活字を組み合わせているように見えます。
逆に、右の成城学園前駅のものは、「成城」の部分はバラ活字で「学園前」の部分が特活を組み合わせているように見えます。このパターンは同じような活字の並びである玉川学園前駅のものも同一でした。

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小田急相模原駅のものは、確かに6文字すべてが特活ですが、なぜか「小田急」と「相模原」2つの特活を組み合わせているようです。

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小田急多摩センター駅のものになりますと、特活は全く使用されず、すべてがバラ活字でくまれており、駅名欄が2段というイデタチになっています。

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昔の小田急の乗車券を見てみますと、この「世田谷代田」の活字が、今回のものの活字とよく似ています。どうやら、特活とバラ活字を組み合わせる手法が、かなり以前から使用されていたように思われます。

この記事は、菅沼天虎様の「菅沼天虎の紙屑談義」1月27日エントリーの「小田急電鉄のシンコー印刷券~4」にトラックバックさせていただきました。

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小田急電鉄の不思議な硬券回数券

小田急電鉄には大変不思議な硬券の回数券が存在しました。

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これは狛江駅発行の新宿ゆきの回数乗車券です。「井口印刷」製のB型硬券11枚で構成されておりました。
以前、小田急の回数券は他社と同様、常備および補充の軟券が11枚綴られた回数券でしたが、現在はやはり他社同様、乗車券券売機にてA型の券が11枚発行される様式に変更されております。
ところが、その過渡期になんと硬券の回数券が発行されていたのでした。恐らく、回数券を硬券で発行した例は、日本中の国鉄・JR・私鉄各社局を見ても、ここだけではないでしょうか?これを知ったとき、それは驚きでいっぱいでした
「目が点」という言葉がぴったりの状況です。

硬券回数券の発行にあたっては、軟券の回数券とはちょっと違う取り扱いがありました。通常、回数券には表紙に「発売日」をゴム印にて捺印し、その他に「有効期限」を各券片にゴム印にて捺印しますが、硬券回数券の場合は「有効期限」の捺印はせず、「発売日」のみダッチングを入れます。有効期限については「発売日から2箇月間有効」の文言だけで済まされています。ですから、今回ご紹介いたしましたものの場合、平成4年6月2日から2箇月後の平成4年8月1日が有効期限ということになります。

有効期限の表示が無いのは利用者にとっても駅係員にとってもいちいち「いつだ~っ?」って計算しなければならないのでちょっと不親切な気がしますが、発売するときに11枚の硬券にダッチングを入れるのも大変そうです

この様式がいつからあって、いつ廃止されたのか、また、狛江の他にも存在したのかは不明ですが、恐らく「珍券」にあたるのではないかと思います。

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小田急電鉄の往復乗車券

この週末、菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」にて、小田急電鉄の硬券を特集されております。
同社には比較的最近まで硬券乗車券が残っており、その券種にはさまざまなものがありました。今回は、その中の往復乗車券をご紹介いたします。

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これは新宿駅の国鉄との連絡精算口(「精地」と呼ばれているらしい)に設備されていた往復券です。ここは金額式の硬券乗車券各種と入場券が設備されておりましたが、なぜか、一番改札口寄り(向かって右側)の窓口のみ、券箱の最下段の右端に向ヶ丘遊園ゆきのA型の大人・小児用往復券が設備されておりました。この窓口は通常はクローズされていましたが、混雑時にオープンすることが多く、多客時対応の要素で設備されていたものと思われます。このような理由からなのか、往復券があることを特に案内してはおらず、券番はまだ0020という需要の少ない券でした。
クローズされた窓口を覗き込んでいたら偶然発見したのですが、そのときは指をくわえて退散(?)したのですが、どうしても入手いたしたく、勇気を出して、「隣の窓口にある向ヶ丘遊園の往復券を売っていただけませんか?」とお願いしたところ、「いいですよ」と快く出していただきました

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小田急電鉄では、どれも観光地などの行先に限られておりましたが、他にも線内の至る所にA型往復券の設備があり、常時発売していたようです。ただ、どれも「井口印刷」製のものばかりで、その他の印刷場のものは見たことがありません。

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また、需要の程度により、小児専用券の設備もある駅も存在しました。やはり、これもA型の硬券となっていました。

昭和61年の正月、新宿駅の西口地上出札口(現在、特急券専用のカウンターに改装されている場所です)に「片瀬江ノ島までの往復乗車券発売中」という張り紙を見つけました。当時、新宿駅の往復券は向ヶ丘遊園の大人・小児用しかないと思っていたので、早速これを求めました。そこで出てきたのがこれです。

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なんと、小田急電鉄の往復券はA型のみと思っていたのに、ここの券は大人・小児用と小児専用共B型硬券となっていました。これが管理上故意にB型にしたのか、単にサイズを間違えたのか、その真相は不明です。
窓口氏に尋ねて判ったことは、この券は臨発券だそうで、正月期間中のみ発売したということです。ちなみに、券番は0005となっており、殆ど出ていなかったようです。

この記事は、菅沼天虎さまの「菅沼天虎の紙屑談義」1月24日エントリーの「小田急電鉄のシンコー印刷券~1」から1月27日エントリーの「小田急電鉄のシンコー印刷券~4」にトラックバックさせていただきました。

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吉祥寺駅の振替乗車票

先日、通勤途上で列車運行障害に遭遇し、吉祥寺駅で振替乗車票を貰いました。単なる自宅最寄駅ですので貰う必要は全くなかったのですが、どうも「きっぷキチガイ」の血が騒ぐのか、配っているものは並んででも貰いに行ってしまいます

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一見、何の変哲もないJR東日本の振替乗車票ですが、実は今回、初めて吉祥寺駅の「普通の様式」の振替乗車票というものを手にしたのです。

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拙ブログ12月19日エントリーの「□東の振替乗車票に変化が!」にて投稿いたしましたようにJR東日本の振替乗車票には新券が出ておりますが、吉祥寺駅のものは旧券でしたが、私にとっては「新券」であったのでした。

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これは今まで吉祥寺駅で配られていた振替乗車票です。表の文言は「普通の様式」のものと全く同一ですが、発行駅名がやたら端っこに寄っていて、活字のフォントも明らかに違います。また、裏面には券番が無く、紙質も裏からスケスケに見えるくらい、粗末で薄いものでした。

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同じ様式のものは拝島駅でも配られていたようですが、他にも例があったかもしれません。拝島のものも券番はありませんでした。
もっとも、振替乗車票は発売金額の集計をする必要がないし、混乱時には必ずしも券番通りに配るものでもないので、券番はあっても無くても問題ないといえばそうですが、券番のない乗車票はなんとなく物足りない気がします。

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これは、まだ硬券の時代であったときの昭和62年頃に吉祥寺駅で貰った振替乗車票です。

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同時期の東京駅発行の振替乗車票と比べますと、「普通の様式」である東京駅のものは表面に「当日限り有効」という文言がありますが、吉祥寺駅のものは「通用当日限り」となっています。裏面については印刷位置がずれておりますが、特に変化はないようです。
吉祥寺駅のものは東京駅のものより以前の様式なのかもしれませんが、国鉄時代の乗車券を見ても、「通用~」という表現はモノクラス化後以降の様式では見られませんので、もしかすると、モノクラス化以前のものが残っていた可能性があります。

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東京印刷場券の影文字

拙ブログ1月13日エントリー「門司印刷場券の影文字」にて、「」の影文字(もしくは「袋文字」と呼ばれる諸先輩方もおられます)にはいくつかのバリエーションがあることを書きましたが、東京印刷場券においては、かつて、これを上回るバリエーションがあるようです。

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1番目の影文字は、現在でも使用されている「小」の影文字です。東京印刷場のものは丸みを帯びた字体となっており、同じような字体は他に、高松印刷場券や国鉄末期の長野・新潟・東北地区に存在した民間印刷券にも見られます。

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2番目の影文字は、やはり先端は丸くなっておりますが、ひょろっとした細い字体が特徴で、「両側の曲線」に対して「真ん中の直線」が妙に長い「虚弱なタイプ」です。

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3番目の影文字は、全体的に直線になっており、先端は角張っています。上の「虚弱君」と比べると大きさは小さいですが、その分、なんとなく堂々としています。

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4番目の影文字は、上の「直線タイプ」と姿かたちは似ていますが、先端が丸く処理された「合の子タイプ」です。

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5番目の影文字は、先端が丸く処理されているものの、東京印刷場券としては珍しく、「真ん中の直線」の下の部分が撥ねているタイプです。門司印刷場券を始め、名古屋印刷場券・大阪印刷場券・仙台印刷場券・札幌印刷場券など、他の印刷場では「真ん中の直線」部分は跳ねているのが一般的ですが、これらのタイプにおいて丸みを帯びたタイプは他にないと思います。

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6番目の影文字は、先端の角張ったタイプです。同じ角張ったタイプでも3番目のものとは違っており、なんとなく、2番目のものと3番目のものを「足して2で割った」感じです。

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7番目の影文字は、国鉄バスの乗継券に見られたものです。左側の乗車券部分は一般的なタイプですが、右の乗継券部分は角張ったタイプです。

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ちょっと小さいので、乗継券部分を拡大してみると、わかりやすいと思います。
このタイプは当時の回数券に使われていたようで、私が小学生の時、親に黙って「故意に」使い残したものがありましたのでご紹介いたします。

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やはりちょっと小さいので拡大してみましょう。

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こうやって見ると、国鉄バスの乗継券と回数券の影文字は、同じものが使われていたことがわかります。

まだまだ他にあるかもしれませんが、これだけでも7種類の影文字が確認できました。
しかし、これらの影文字は、JR化後にも引き継がれた1番目のもの以外、国鉄時代の昭和50年代までには消滅してしまったようです。特に、2番目から4番目のものについては、モノクラス化以降に使用された例は見たことがありません。


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また、東京印刷場券では、門司印刷場券と大きく違い、D型券の左右の影文字は同じものが使われておりました。

ところが、やっぱり「掟破りさん」がいました。

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なんと、小児券にすべきところを間違って大人・小児券の印版でこしらえてしまったようです。よっぽど急いでいたのか、もったいなくなっちゃったのかわかりませんが、廃札にすることなく、「」のゴム印を捺印してごまかしちゃった「つわもの」です。
運賃は当時の小児運賃である220円と記載されておりますが、さすがに小児断片の精算金額までは組まれなかったようです。

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参考に、1ヶ月前に発行された、同一区間の大人・小児券をご紹介します。大人運賃が440円であることがわかります。また、小児断片の精算金額である「220」もちゃんと組まれています。

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小田急電鉄の集中印刷券

拙ブログ1月14日エントリーの東京駅の集中印刷券および、菅沼天虎さまのブログ「菅沼天虎の紙屑談義」1月18日エントリーの「東京印刷場の集中印刷券」にありますように、国鉄時代、東京印刷場券では大量生産する口座に対して「集中印刷」による印刷方式が採られおりましたが、調べていきますと、どうやら小田急電鉄にも集中印刷券が存在したようです。

images(表) images(裏)

これは新宿駅の国鉄との乗換精算口にて発行されていた硬券乗車券です。当時、最短区間の90円から560円(だったかな?)までの大口需要のある口座については集中印刷方式による券が設備されておりました。
小田急電鉄における集中印刷券の設備駅は、新宿駅のほか、小田原駅の乗換精算口および片瀬江ノ島駅にもあったと記憶しております。

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images(表) images(裏)

小田急電鉄は一昨年の末まで各駅に硬券の入場券と乗車券を設備しておりましたが、その殆どは非常用であったため、印刷場によって表面や券番の活字に違いがありますが、通常の小面印刷券によって設備されておりました。
印刷後の裁断をする関係上と思われますが、集中印刷券は国鉄同様に小面印刷券に比べると活字の間隔が狭く、印刷が全体的に中心に寄ったレイアウトになっており、イメージが異なります。また、どの駅のものを見ても集中印刷券の方がインクが濃く、黒々としたものが多かったようです。
需要の関係と思われますが、小児用の集中印刷券は未見ですですので、おそらく過去には存在したか、もしくは存在しなかったのではないかと思われます。

小田急電鉄の集中印刷券は、活字の雰囲気から「井口印刷」製ではないかと推測されますが、同社ではいろいろなJPR地紋の私鉄用硬券を印刷しているため、小田急電鉄以外にも集中印刷券が存在するかもしれませんが、いまのところ発見に至っておりません。

この記事は、菅沼天虎様の「菅沼天虎の紙屑談義」1月18日エントリー、「東京印刷場の集中印刷券」にトラックバックさせていただきました。

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特定特急券についておさらいしてみよう

菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」1月10日~16日エントリーの記事において特定特急券の特集が組まれておりますが、ふと特定特急券について調べてみたくなり、国鉄が昭和59年4月20日発行した「旅客営業規則」を開いてみました。

images(表紙) images(本文)→再度クリックすると大きく表示されます。

意外にさらっと書いてあって拍子抜けしてしまいますが、ひとつ参考になったことがありました。
備考欄に記載されておりますが、
 (1) 必要に応じ、乗車駅名、下車駅名又は列車名を記入式とする。
 (2) 必要に応じ、「とき号の自由席車又は北越号に」…
とされております。
要は、(1)において、特定特急券は区間を限定して発売するため、乗車区間や列車を指定するわけですが、常備式に固執することなく、記入(補充)式にしても良い、ということが謳われています。また、(2)においては、列車名を指定したうえで、指定列車の自由席に限り有効である旨を記載することが基本ですが、列車名を指定せず、単に自由席に限り有効である旨のみの記載でも良いということが謳われています。
そして、新幹線用については上記の備考(1)のみを記載する旨が謳われています。

菅沼天虎様1月10日エントリー『「特定特急券」と「特定の特急料金」の混同』においてアップされている券は、規則に即したものではないものと思われます。
また、11日エントリー『「特定特急券」と「特定の特急料金」の混同~2』においてアップされている券についても、1枚目の「自由席車に…」の文言のある券は正当ですが、それ以降のものは、やはり規則に即したものではないと思われます。
12日エントリー『「特定特急券」と「特定の特急料金」の混同~補遺』においてアップされている券についても、1枚目は「特定の特急料金区間」に対しての発行ですので正当ですが、2枚目は「特定特急区間」ですから、やはり規則に即したものではありません。
さらに、13日エントリー『「新幹線特定特急券」と「新幹線自由席特急券」の混同』においてアップされているものも、新幹線用の特定特急券として、明らかに規則から逸脱しております。
つぎの14日エントリー「準常備式の新幹線自由席特急券による新幹線特定特急券」においてアップされている券については、自由席特急券として発売される分には問題ありませんが、特定特急券として発売するには、広島印刷場の券のように料金部分に特定特急券であることを表示しても、「自由席車に…」の文言がなければ規則通りではありません。
15日および16日エントリー「B特定特急券」および「B特定特急券~車掌発売用軟券」については、「新特急」という制度が、今回ご紹介した営業規則が発行された後にできているため記載がありませんが、内容的には間違いはないと思います。ただ、「新特急」の特定特急券が従来の特定特急券と違う点は、区間を定めないで距離での表記ができることであることであり、これは菅沼天虎様が書かれておりますように、「特定の特急料金の特定特急券」という、従来の特定特急券とはちょっと性格が違うと言う点から由来します。

では、この規則はJR化後にはどのようになったのでしょうか?

images(JR化後)→再度クリックすると大きく表示されます。

基本的には変わらないようですが、国鉄時代は備考(2)において基本的には列車名を指定するようになっておりましたが、JRになってからは「自由席車にお乗りください。」が基本の形とされ、列車名を指定した方がむしろ例外的であるように謳われております。
これは、ほとんどの急行列車が特急列車にとって代わり、複数の特急列車が同じ線区を走っているため、列車名を指定する必要がなくなってきたためではないかと思われます。

話は変わりますが、L特急のとき号は上越新幹線のとき号となり、国鉄時代に例示されていた「とき号」がJRになってからは「雷鳥号」に変更されているのは興味深いところです。

この記事は、菅沼天虎様の菅沼天虎の紙屑談義1月10日~16日エントリーの各記事へトラックバックさせていただきました。

 

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東京駅の集中印刷入場券

東京駅は首都東京の表玄関というべきターミナル駅であり、JRの中でも1日あたりの旅客営業収入のもっとも多い駅であります。

images(丸ビルテラスより撮影)

丸の内側の赤レンガ駅舎は、大正3年12月20日、帝国ホテルなどの歴史的建築を手がけた建築家の辰野金吾によって建てられた3階建ての駅舎として開業しました。
しかし、昭和20年5月25日、米軍のB-29爆撃機による焼夷弾爆撃により破壊されてしまいましたが、戦後の昭和22年12月13日、現在の2階建ての駅舎に復元され、さらには平成22年を目処に3階建て駅舎へ再度復元工事がされる予定となっております。

本題に移りますが、東京駅は新幹線の始発駅であり、今でも1日に相当数の入場券が発行されております。そのため、昭和44年の入場料金に小児料金が設定された後も、集中印刷方式による大人専用の硬券入場券が昭和50年代半ばまで設備されておりました。

images(表) images(裏)

東京駅の入場券は新幹線改札口で発行されたものは特殊な期間を除いて赤印刷の入場券でしたが、なぜか裏面は黒い印刷でした。
(以前、昭和30年代後半に発行された初乗り赤券では、裏の券番も赤で印刷されておりました。)
集中印刷方式は拙ブログ1月3日エントリーの「明治神宮初詣関係の臨発券 ~その2」で投稿いたしましたように、通常、硬券は券紙を切符のサイズに裁断してから印刷しますが、東京印刷場においては、大量に必要な券の場合、先に印刷してから券紙を裁断する方式が採られていました。この印刷方式を「集中印刷」と言います。
集中印刷は大量印刷に優れ、その威力を発揮しますが、先に印刷したものを裁断する性質上、印面が券紙の中心になっていないものが多く、裁断部分に印字が被らないよう、若干印刷面が窮屈に寄っているのが特徴です。
硬券の需要がだんだん減っていくと、集中印刷をする必要が少なくなってきてしまい、昭和59年から60年ごろには新規に印刷はされていないようです。

ところが、昭和60年3月14日、東北・上越新幹線が上野駅開業した際の記念入場券に硬券が使われ、集中印刷方式が採用されております。おそらく、これが国鉄東京印刷場最後の集中印刷による硬券と思われます。

images(表) images(裏)…再度クリックすると大きく、鮮明になります。

なんと、B型硬券が7枚くっついたままになっています。集中印刷の最後の工程を省略したような形になっており、集中印刷の過程が頭に浮かびます。
(厳密に言えば、集中印刷では同じ券番を打つことはないと思いますが…)

当時、この記念入場券を購入したときはなんとなく邪魔でしたが、今になってみれば、集中印刷を肌で感じることのできる貴重な資料となりました。

 

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門司印刷場券の影文字

ちょっとしたことですが、JR九州博多南線の博多南から博多ゆきの特定特急券と乗車券の連綴券を眺めていた時に気づきました。

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これは小児券ですが、よくよく見ると、右と左の「」の影文字の字体が違うのに気づいてしまいました
左の影文字ははねるところがきちんとはねている字体ですが、右の影文字ははねるところが「だら~ん」としていて、なんともだらしない字体です。

気になって仕方がなくなりましたので、他に手持ちのJRの門司印刷場券を探してみました。

images(大分駅) images(長崎駅)

すると、左の大分駅は「きちんとはねた」影文字ですが、右の長崎駅は「だらしない」影文字であることが判明しました。

では、国鉄時代はどうだったのでしょうか?

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国鉄時代の小倉から博多までの新幹線自由席特急券と乗車券の連綴券です。
やっぱり、左と右の影文字の字体が違い、左の影文字は「きちんとはねた」字体ですが、右の影文字は「だらしない」字体です。
また、この特急券の表題は菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」1月13日エントリーの『「新幹線特定特急券」と「新幹線自由席特急券」の混同』にもありますように、「新幹線特急券」となっていますが、本来であれば「新幹線特定特急券」が正解と思われます。ただ、「自由席に…」の呪文はありますので、スペースの都合上「新幹線特急券」にしてしまったのかもしれませんが、厳密に言えば、「新幹線特急券」と言うと、「指定席の新幹線特急券」を指すものと思いますが…

images(隼人駅) images(肥前山口駅)

さいごに、国鉄時代の他の小児券はどうなっているのでしょうか?隼人駅は「きちんとはねた」影文字ですが、右の肥前山口駅は「だらしない」影文字です。

どうやら、門司印刷場には2種類の「」の影文字が存在したようです。

かつて東京印刷場でも、丸みを帯びた「」の影文字と、角張って全体的にやせ細って見える「」の2種類が存在しましたが、末期には、やせ細った影文字を使用した券は出ていないようです。

これら2種類の影文字は、連綴券に2種類の影文字が使われるといった事実があることからも、特別区別されることなく使われていたのではないかと思われます。ただ、左右の影文字が逆のものは未見ですので、予め、違う影文字を組んだ版がセットされてしまっていたことも考えられます。

この記事は、内容に相違がありますが、菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」1月13日エントリーの『「新幹線特定特急券」と「新幹線自由席特急券」の混同』にトラックバックさせていただきました。

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