東京急行電鉄 高島町駅

平成16年1月31日に、みなとみらい線との直通運転のために廃止された、高島町駅発行の桜木町駅までの特別補充券による片道乗車券です。



   



高島町駅は東京横浜電鉄の駅として昭和3年5月に高島駅として開業ますが、同年8月には本横浜駅に改称されてしまいます。しかし、昭和6年には高島町駅と再度改称されますが、その後は廃止されるまで高島町駅として営業されました。


ところが、平成16年2月1日からのみなとみらい線との直通運転のために横浜駅~桜木町駅間が廃止されることとなり、高島町駅はみなとみらい線の新高島駅に継承され、前日の1月31日に廃止されました。



ご紹介の券は廃止前日の1月30日に高島町駅で記念に作成していただいたものです。


「廃止前日の1月30日」と書きましたが、実際に電車が運転されたのは前日の1月30日までで、廃止日である31日は切替工事のために1日運休となっておりましたので、同駅の営業は1月30日限りとなっていました。



廃止されてから本日で6年目となりますが、ホームはまだ一部が残されており、駅があった場所を特定することができます。

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倉敷駅発行 井笠鉄道連絡準常備券

昭和44年12月に倉敷駅で発行された、井笠鉄道への連絡準常備乗車券です。

 

   

 

倉敷駅から山陽本線笠岡駅を経て、井笠鉄道吉田村までの片道券となっています。

 

井笠鉄道は笠岡駅から井原駅に至る本線を始め、矢掛駅に至る矢掛線と神辺に至る神辺線から成る軌間762㎜の軽便鉄道でありましたが、昭和46年4月に全線が廃止されてしまっています。

廃線跡の一部は、井原鉄道の線路に使用されているとのことです。

 

    (新山駅に保存された井笠鉄道1号機関車)

 

さて、きっぷの話題に戻しましょう。

 

御紹介の券は岡山印刷場調製のもので、鬮場(くじば)、大井村、吉田村と着駅が並んでいます。

大井村駅と吉田村駅の間に小平井駅があったようですが、吉田村駅と同じ運賃であったか、連絡運輸除外駅であったかは不明です。その後、新山駅・北川駅とつづき、ここで本線と矢掛線とが分岐します。

切断する前がA型かD型か定かではありませんが、恐らく北川駅くらいまでの着駅があったのではないかと思われます。

 

よく見ますと、鋏痕の下に検札痕があることに気づきます。「○検」という文字になっていて、国鉄の検札鋏には見られない鋏痕から、国鉄車内での検札ではなく、井笠鉄道車内で行われた検札痕のようです。

 

   

 

裏面から見ますと検札痕の全容がよくわかります。

笠岡駅は山陽本線の上りホームと井笠鉄道のホームが共用となっていたため、井笠鉄道車内では、厳格に国鉄からの乗換客に対して検札を行っていたものと思われます。

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払戻し済みの寝台特急券

以前、暇つぶしがてら、新橋にある交通書房の100円コーナーの箱を漁っていたところ見つけたものです。



交通書房の100円コーナーには「ジャンク品」と言いたくなる様な硬券が山ほど突っ込まれていますが、間違ってまぎれてしまったのか、たまに面白い「掘り出し物」が見つけられることがあります。一番の掘り出し物は、廃札ですが満鉄の乗車券だったような気がします。



   



さて、その「面白いもの」とはこれです。



昭和53年7月に日本旅行岩見沢営業所で発行された、青森~京都間の日本海1号の特急券・B寝台券です。



札幌印刷場調整のA型硬券で、号車番号以外はすべてゴム印捺印で丁寧に作成された券です。しかし、この列車に乗車される予定の方は何らかの理由で乗車する機会がなくなってしまったようで、後日、同じ日本旅行岩見沢営業所で払戻しされています。



そのため、表面に「払戻し」と大きなゴム印が捺印されています。



   



裏面です。



払戻しをした理由・手数料・払戻された額・申込書・払戻し日・箇所名の書かれたゴム印が捺印され、必要事項が記載されています。



恐らく、この券はこれら払戻しのゴム印が捺印されているため、コレクション的に「価値なし」と判断されたのでしょう。しかし、見方によっては、こんなゴム印の捺印された券はそう手に入らないように思えます。(もしかすると乗車券即売会等にはたくさん出ているのかもしれませんが)




払戻しされた券は通常審査課に回されて審査された後、溶解処理をされるのが普通と思われますが、この券はどのような理由で外部に流出されたのでしょうか?

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新宿駅発行 日本最古と言われる地図式乗車券

昭和10年6月15日、新宿駅の硬券式自動券売機において、試験的に地図式乗車券が発売されました。





これは、発売開始から約1年が経過した頃のもので、発売当初のものと同じ、日本最古の地図式乗車券と言われています。



この時代、「金額式」という万能なものはまだ誕生しておらず、首都圏の駅で矢印式や相互式を使用してすべての着駅分の硬券口座を設備していました。


これでは同じ運賃であっても着駅によって口座を分ける必要があり、相当数の口座を設備しなければならなかったため、地図式の誕生は画期的なことであったと思われます。



B型硬券であるにもかかわらず下車できるすべての着駅が記載され、注意書きまでが表面に印刷されており、少々きつそうなイメージです。



しかし、文字は手書きで書かれたようで、大変味があるものとなっています。


今は亡き万世橋駅も書かれていることもおわかりになると思います。



登場から1年後の昭和11年後半には、地図式券が首都圏の駅で正式に採用されたようですが、下車できる駅のすべてが記載されているところは変わりませんが、注意書きが裏面に移り、大きさもB型からA型に変わっています。

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東武鉄道 妻沼駅から東京山手線内ゆき乗車券

昭和51年1月に東武鉄道熊谷線妻沼駅で発行されました、東京山手線内ゆきの片道乗車券です。



   



東武熊谷線は高崎線熊谷駅から秩父鉄道と平行するように走り、上熊谷駅から分岐して妻沼駅に至る全長10.1kmの全線単線の非電化路線でしたが、昭和58年6月に廃止されてしまっています。



熊谷駅では国鉄線との連絡運輸を行っており、有人駅であり、唯一東武鉄道直営であった妻沼駅には国鉄への連絡乗車券も発売されていました。



御紹介の券は東京山手線内ゆきの一般式乗車券で、B型の独特な様式となっております。
また、小児断片には、東京山手線内を示しているものと思われますが、「東山」という表記に略して書かれております。

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福原駅発行 簡易委託乗車券

昭和49年10月に水戸線福原駅発行された、内原駅ゆき乗車券です。



   



矢印式の軟券式常備券で、東京印刷場による調製のものです。



当時、水戸鉄道管理局管内の簡易委託駅にはこのような独特な様式の券が設備されていた駅が幾つかありました。



しかしこの券、矢印式であるにもかかわらず、着駅が1つしかない、たいへんバランスが悪い券です。



着駅である内原駅は友部駅から常磐線接続で水戸方面に1つめの駅で、同区間の営業キロは17.9kmです。


一方、友部駅から土浦方面に1つ目の岩間駅は営業キロが20.1kmあることから同じ運賃帯ではありません。


また、小山方面となりますと、新治駅が営業キロ14.7kmで、その次の下館駅が20.8kmであり、以上のことから、内原駅と同じ運賃帯(16~20km)の着駅は存在しないようです。



このような状況なのであれば、この券は矢印式ではなく、相互式もしくは一般式で設備されるべきだったのかもしれません。

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野辺山駅 入場券

昭和57年4月に発行された、小海線野辺山駅の硬券入場券です。

 

   

 

小海線の野辺山駅は言わずと知れた国鉄最高地点の駅として有名で、同駅の入場券は鉄道ファンのみならず、観光客も記念に購入していく需要があります。

そのため、当時、新潟印刷場の一般的な様式の券ではありましたが、観光客へのサービスとして、他の駅のものとは異なった点が一つありました。

 

    

 

裏面です。

裏面には、「国鉄最高駅 野辺山 1345.67メートル」という記載がされています。少々説明が足りないような気がしますが、1345.67メートルとは駅の標高です。

 

このような需要にあやかったのでしょう、小海線の要衝の駅である中込駅でも、野辺山駅の硬券入場券を発売していた時期がありました。

 

   

 

発行箇所名が「中込駅発行」となっている他は、野辺山駅で発売されている「本物」の入場券と相違は無いように見えます。

当時、窓口には野辺山駅の入場券を発売している旨の案内もありましたし、野辺山駅で購入することに「こだわり」のない一般の観光客の需要はそこそこあったものと思われます。

 

しかし、この券は「本物」と決定的な違いがありました。

 

   

 

裏面には、国鉄最高駅である記載がなく、一般の観光客が購入するにはちょっと物足りない感じのものでした。

 

そんな中込駅発行の野辺山駅入場券でしたが、趣味的にみれば、他駅発行で、発行箇所名が他駅となっている入場券は比較的珍しい存在だったかもしれません。

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平成まで残った菅沼式ダッチングマシーン

平成2年3月に静岡駅で購入した硬券入場券です。



   



当時、静岡駅15番窓口には入場券や140円区間の乗車券などといった硬券が設備されており、何回か入場券を購入した経験がありました。



いままで天虎式のダッチングが設備されていた同窓口でしたが、平成2年に訪問した際には菅沼式のダッチングマシーンに替わっていました。



     (菅沼式ダッチングマシーン)



なぜ天虎式から菅沼式に替わったのかわかりませんが、平成になっても、これほど印字の鮮明な菅沼式が現役で残っていたことは驚きです。

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いすみ鐵道 大多喜駅硬券入場券

いすみ鐵道では従来より、本社と車庫のある大多喜駅のみで硬券入場券を発売していますが、このたび、JR西日本よりキハ52-125を購入したことを機会に、昨年9月中旬より様式の変更がなされました。



   



1月9日にお披露目されたキハ52-125です。JR西日本から譲渡されたときは旧塗装でしたが、いつのまにか一般色に塗装されていました。



さて、本題の入場券の話題に戻しましょう。



   



これは従来の券です。


日本交通印刷製のA型券で、一番上に「いすみ鐵道」の社名が入った券です。平成7年に購入した160円券の時代はダッチングによって日付が入れられていましたが、使用不能になったのでしょう、ゴム印による日付となっていました。



   



今回新たに設備された券です。


印刷からして関東交通印刷のものでしょうか、赤の横一条が入っていますが、国鉄の東京印刷場の60円券以前のものとよく似たレイアウトです。



同社社長のブログにもありますように券紙にもこだわりがあるようで、当時のものと同じ券紙にしてあるそうです。


また、今回よりダッチングも復活しており、社長ブログによりますと、社長さん個人のコレクションを使用しているらしいです。



   



また、いままでは大人・小児用だけの設備でしたが、今回は小児用も設備されています。



小児用券も60円券以前の国鉄東京印刷場のものと同じレイアウトで、こちらには横赤一条はありません。


もっとも、赤線の入っていた時期には小児用の入場券は存在しなかったわけで、赤線が入っていてはおかしなことになってしまいますので、こうなったのでしょう。



   



裏面です。


いすみ鐵道の社名と発行箇所名である大多喜駅の記載があります。



ここまで徹底的に国鉄時代の入場券を復活させたのでしたら、せっかく小児用を作ったことですし、大人・小児用ではなく大人用とすれば、横赤一条がもっと意味のあるものになったように思いますが、敢えて発売管理上合理的な大人・小児用にしたのでしょうか?



いづれにせよ、趣味的にはたいへん良くできた、好ましい券だと思います。
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中部天竜駅発行 常備軟券入場券

平成16年8月に発行された、飯田線中部天竜駅発行の常備軟券入場券です。



     



JR東海では伊勢市・津・鵜沼・恵那各駅の私鉄委託窓口を除いた簡易委託駅に至るまでマルス端末による先出し券を設備するほど乗車券類の機械化が進んでおりますが、中部天竜駅にはJR東海唯一の、常備軟券による入場券が存在した時期がありました。



当時、出札の駅員氏に設備されている理由を訊いたところ、佐久間レールパークへ入場する見学客は同駅の入場券を入場料代わりに購入することとなっていましたが、マルスでは発券するのに時間がかかるために設備されたとのことでした。



白色無地の軟券ですが、JR東日本の常備軟券とは違い、B型の軟券となっています。


発売前の状態は、JR東日本の回数券状に連なったものではなく、メモ帳のような冊子状になっているのが特徴です。



     



裏面です。



小児断線を切っても券番がわかるように、両端に券番がついています。


画像ではわかりにくいですが、薄っすら透けて見える日付印からわかるように、硬券の券番とは違って数字の向きが逆になっており、硬券フォルダーに挿入することを考えていない作りになっています。



こんな特徴ある券ではありましたが、佐久間レールパークの閉鎖より前に売り切れてしまったようで、JR東海唯一であった常備軟券の入場券も過去帖入りになってしまいました。

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