オレンジカードの終焉

国鉄時代の昭和60年3月に首都圏の主要駅で発売開始されたオレンジカードが、来年3月31日を以って発売中止となることが12月4日のJRグループのプレスリリースで発表されました。

発売以来実に28年間もの間発売され続けたプリペイド式カードで、登場当時は「小銭要らず」の画期的なプリペイド式カードではありましたが、JR化後のイオカードなどのストアードフェアシステムカードやきっぷを購入する手間さえ要らないICカードの登場によってその意義はだんだん薄れ、JR東日本ではすでに発売を終了し、とうとう来年の3月にJRグループ全旅客鉄道会社において幕を下ろすこととなった次第です。

 

   


昭和60年にオレンジカードが発売された当時の第1号となるカードです。当時はちょうど東北・上越新幹線の大宮~上野間が開業するタイミングでしたので、それをPRするデザインで発売されました。

 

   


裏面です。

特に印字がされるわけではありませんが、上の部分が銀色の至ってシンプルです。まだ、当時はオレンジカードの使えないキレート式の旧型券売機も存在していましたため、「カード式切符販売機に限って…」という文言があります。

 

   


発売当初、窓口でカードを購入すると、カードが利用できる駅の案内の印刷された、防磁加工の樹脂ケースに入れて渡されました。後に日本道路公団から登場したハイウェイカードも似たようなケースに入れられていた時期があったと記憶しています。

 

   


ケースの表面(?)は透明の窓になっており、中のカードが見えるようになっていました。

 

   


ちなみに、オレンジカードには企業広告入りのものもありますが、その第1号はNECのこれだったと思うのですが、いかがでしょう?

 

今回のエントリーで、本年分の更新は終了させていただきます。本年も拙ブログに御訪問くださり、ありがとうございました。来年もぜひとも御贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。

それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。

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京都駅発行 復路専用乗車券

昭和60年8月に京都駅の精算所で発行された、山科ゆきの復路専用乗車券です。

 

   


青色国鉄地紋のB型券で、大阪印刷場で調製されたものです。


湖西線方面から東海道本線名古屋方面ゆき又はその逆の乗車券を所持する旅客が途中京都駅で下車する際、山科~京都間は無札となるため、京都駅の精算所で山科から京都までの運賃を精算することになりますが、その際に復路分の運賃も合わせて収受し、この乗車券が発行されました。


復路専用乗車券は硬券の片道乗車券のようですが、精算所等の改札で発行されるものであり、改札補充券に属します。国鉄時代には数多くの発行例がありましたが、現在では全盛期の半分くらいになってしまっているようです。

 

   


裏面です。

表面には復路用の記載しかありませんので、裏面には往路分の運賃も収受してある旨が記載されています。


国鉄時代の復路専用乗車券は硬券式のものが殆どでしたが、JR化された現在でも残っているものについてはすべて軟券となっているものと思われます。

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京阪電気鉄道 国鉄連絡乗車券

昭和43年6月に京阪電鉄三条駅で発行された、国鉄連絡乗車券です。

 

 

 

    

 


水色京阪自社地紋のB型地図式券です。有効区間内の太線が大変太く、途中駅が〇で示されている体裁は、国鉄大阪印刷場で出していた近距離用の地図式券に似ています。


この券は三条から京阪本線で京橋まで行き、同駅接続で国鉄線大阪・桃谷・片町(廃止駅)・徳庵までの区間ゆきとなっています。昭和43年当時ですと京阪線にも片町駅が存在していたと思いますが、国鉄の片町駅と京阪の片町駅は離れていて、連絡運輸は行われていなかったみたいですので、京橋で乗換えるのが一般的であったと思われます。


京阪電鉄の昭和30年代から40年代の自社線内の乗車券は千切り式券にデーター印を捺印する「関西タイプ」の乗車券であったと思いますが、連絡乗車券については硬券となっていました。今では発行されていませんが、昭和50年代くらいまでは、国鉄連絡券は硬券が使用されていて、準常備券などの様式も見られました。


京阪電鉄では御紹介のような地図式券が設備されていましたが、関西地区の私鉄各線において地図式の連絡乗車券の例は関東地区ほど多くなく、比較的珍しい例であったものと思われます。

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鉄道省 横須賀駅発行 田浦ゆき乗車券

昭和19年5月に横須賀駅で発行された、田浦ゆきの乗車券です。


   


桃色GJRてつだうしゃう地紋のB型券で、相互式となっています。


相互式券は現在の感覚では発駅が左側・着駅が右側というのが普通ですが、時期によっては発駅が右側に記載された時期があり、戦前から戦後にかけて、何回か繰り返しています。

これは入鋏する際、「鋏の位置は発駅の下」という原則に基づいたものであると聞いたことがありますが、発駅が右側ではややっこしいためか、毎回左側に改められて現在に至っています。


この原則に倣ってか、国鉄時代末期の改札氏には、発駅の下に鋏を入れるため、わざわざ切りにくい左下に入鋏する方も居られました。また、流鉄(旧・総武流山電鉄)でも、相互式硬券に対して左下に入鋏をしている出札氏が多いように感じますが、この原則に倣っているのかもしれません。


この券の発行された昭和19年は戦局が不利になってきた時期で、軍港のある横須賀地区は戦時色一色だったと言われています。明治時代の軍歌「敷島艦行進曲」にも、「隧道つきて顕わるる 横須賀みなとの深緑 潮に浮ぶ城塞は 名もかんばしき敷島艦」と、横須賀線のこの区間を歌われているくらいです。

列車は田浦のトンネルを出ると日除けを下ろし、車窓から見える軍事施設を部外者に見せないようにしたり、線路脇にコンクリートの高い塀を建てて車窓を遮ったりしたと言われるほど、防諜策のためにベールに覆われた地域であったようです。


そのような戦時体制下の横須賀近辺への不要不急な旅行は制限されていたからでしょうか、当時の乗車券はさほど残されていないのか、あまり見かけないような気がします。

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JR東日本 八丁堀駅発行 定期券購入乗車票

京葉線八丁堀駅で発行された、越中島駅までの定期券購入乗車票です。

 

   


桃色JRE地紋のA型券で、東京印刷場調製によるものです。


両駅は開業当初マルス端末を設備するみどりの窓口設置駅でしたが、平成19年に越中島駅のみどりの窓口が閉鎖され、指定券発売機による取扱に変更となってしまいました。

しかし、越中島駅は最寄に東京商船大学(現・東京海洋大学)があることから、新規通学定期の発売需要が多く、定期券購入のために隣駅の八丁堀駅まで出向く必要が出てきました。そのため、八丁堀駅では通学定期券を購入して越中島駅まで帰る旅客に対し、この乗車票を交付しました。


八丁堀駅も平成22年10月にみどりの窓口が閉鎖され、現在、この取り扱いは終了しています。

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沼尻鉄道 川桁駅発行沼尻ゆき乗車券

昭和37年11月に川桁駅で発行された、沼尻ゆきの硬券乗車券です。

 

   

 

桃色JPRしてつ地紋のB型券で、一般式券となっています。


沼尻鉄道は沼尻鉱山で産出される硫黄鉱石の輸送のため、鉱山の運営会社であった日本硫黄が大正初期に日本硫黄耶麻軌道部として開通させた全長16km弱の軽便鉄道です。当初は国道に沿った区間があったことから軌道法で建設されていましたが、戦時中に地方鉄道法による地方鉄道に変更され、日本硫黄沼尻鉄道部に名称が変更されています。

その後、沼尻鉱山の産出量が減少し、同社は観光輸送に力を入れるようになり、日本硫黄観光に社名が改称され、昭和40年代に入って磐梯急行電鉄という電車の走らない電鉄会社になります。しかし、昭和43年には沼尻鉱山が閉山されて会社は倒産し、翌3月に全線廃止となってしまっています。


御紹介の券は昭和34年のものですので、日本硫黄沼尻鉄道部時代の券ということになります。


ところで、同線を語る場合に一般には「沼尻鉄道」と表現され、実際に乗車券にも「沼尻鉄道」と表記されていますが、会社名の変遷を辿っていくと、正式には「沼尻鉄道」という名称は存在しなかったことに気づきます。

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青森駅発行 硬券入場券

昭和60年3月に青森駅で発行された、硬券入場券です。

 

   


仙台印刷場調製のB型無地紋の券で、同印刷場の末期の作になろうかと思われます。


当時はまだ青森駅からは青函連絡船が出航しており、入場券には桟橋への入場行為も含まれておりましたため、船内への立ち入りについても制限する必要がありました。そのため、通常の入場券では「旅客車内に立ち入ることはできません。」となっていますが、ここでは「車・船内に立ち入ることはできません。」という表記になっており、旅客車内および旅客船内の双方について立ち入ることができない旨を表現しています。

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小坂駅発行 急行券

平成6年9月30日に小坂駅で発行された、大舘から乗車分の50kmまでの急行券です。

 

   


桃色国鉄地紋のA型券で、新潟印刷場調製の券です。


小坂駅は国鉄線の駅ではなく、小坂精練小坂鉄道(平成元年に同和鉱業から分離)で発行された、委託発売分となります。発行箇所名は記入式となっていますので途中駅の茂内駅等でも発売できるようになっていたものと思われますが、小坂駅発売分以外の券は見た事がありませんので、発行枚数が僅少であったか、もしくは小坂駅でしか取り扱っていなかったものと思われます。

ただ、大舘駅は小坂鉄道と国鉄の駅は道を隔てた感じで離れており、直通の急行列車も運行されていないことから、小坂駅で予め急行券を購入しておく必要もなかったように思います。

 

   


裏面です。

発行した小坂鉄道の名前が印刷されています。設備された当時は「同和鉱業(小坂鉄道)」と印刷されていましたが、同和鉱業から小坂精練に分離された際、同和鉱業の部分に二重線が引かれ、駅名小印で消し込んであります。


小坂精練小坂鉄道は、この急行券が発行された日で営業運転が終了し、翌日廃止されており、平成20年まで貨物専業鉄道として存続しておりましたが、休止期間を経て、平成21年に鉄道線そのものが廃止されてしまっています。

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いすみ鐵道 昭和の国鉄型気動車オーナー・サポーター用一日乗車券

いすみ鐵道で「昭和の国鉄型気動車オーナー・サポーター(旧・キハ52オーナー・サポーター)」用の一日乗車券です。

 

   


この一日乗車券は、同社が募集している「昭和の国鉄型気動車オーナー・サポーター」に申し込むと会員証と同時に交付される非売品の乗車券です。


同社には昨年JR西日本の大糸線を走っていたキハ52が入線して話題となっていますが、本年には同じくJR西日本の高山本線を走っていたキハ28が入線し、年明けには2輌の国鉄型気動車が走る予定です。

 

    キハ52

    キハ28

 

キハ52だけであった頃は「キハ52オーナー・サポーター」という名称でしたが、キハ28が入線した際に現在の名称に変わっています。そのため、この券の御利用者様の欄に「キハ52オーナー様・サポーター様」と記載されています。

 

   


裏面にはご案内文と同社社長からのメッセージが印刷されています。

 

ところで、ご案内文とメッセージの間に「昭和の時代の搭乗券をイメージして作成しました」という記載があります。搭乗券とは飛行機に乗る(搭乗と言います)際に航空会社から発行される券です。
昭和の時代、まだ飛行機は高嶺の花で一般的ではありませんでしたから、当時の搭乗券を御存じない方も多いことかと思います。

 

   

 

こちらは昭和61年8月に那覇空港で発券されたANA(全日本空輸)の搭乗券です。改札入場前には上に半券が付いていたのですが、これは入場時に回収されます。

発券日付と便名はゴム印で捺印され、座席はシールを貼ることで指定されます。便ごとに全席分のシールが用意されており、シールの残っている席が空席であることになります。このシールにより、指定された座席は「10-C」の禁煙席であるということになります。

 

   


裏面です。

裏面は真っ白の無地の物もありましたが、大抵は広告が印刷されていました。なかなか時代を感じる広告です。
なぜか、私の持っている搭乗券の広告はナショナル(松下電工)のものが多く、全体的に同社の比率が高かったのかもしれません。

 

ちなみに、航空券と搭乗券が同じものかと言いますとそうではなく、航空券は飛行機に乗るためのきっぷであり、「Airline Ticket」もしくは「Passenger Ticket」といい、搭乗券は航空機に乗るために航空券と国際線についてはパスポートを提示して受付をしてから受け取る通行証であり、「Boarding Pass」という違いがあります。

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京阪バス 国鉄連絡用補充券

廃札券ですが、京阪バスの国鉄連絡用補充券です。

 

  


水色っぽい京阪電鉄自社地紋の補充片道乗車券(補片)で、発駅および接続駅が印刷されているものです。


かつては全国の多くのバス会社が国鉄との連絡運輸をおこなっていましたが、平成初期ごろには連絡運輸縮小が大々的に行われ、今では普通乗車券による連絡運輸が行われているのはジェイアール北海道バスや西日本ジェイアールバスくらいしかなくなってしまっています。


京阪バスが国鉄との連絡運輸を廃止した時期が記載された資料を持ち合わせていませんが、昭和55年頃、東京都区内にある地元の駅で、着札として集められた券を見たことがあります。

 

  


このような、京都市内の遊覧バスの乗車券との連絡運輸も行われており、乙(控え)片との間に「甲副」片という遊覧バスの指定乗車券の付いた変わり種の券もありました。
遊覧バスを下車すれば甲副券は回収されてしまいますでしょうから、国鉄線に乗車するときには1枚目の券と同じような体裁になったものと思われます。

 

  


裏面です。

ご案内文が印刷されていますが、当時の一般的なものではなく、関西以南のエリアに関する記載がありません。

 

参考までに、昭和41年に国鉄で発行された、連絡運輸駅の一覧です。

 

  


枚方エリアの記載がありませんが、京都遊覧がひとつの「駅」として扱われており、「△7448100」という駅管コードまで存在していたようです。

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