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新京成電鉄 松戸駅から京成津田沼駅接続京成線150円区間ゆき 片道連絡乗車券 ~その2

前回エントリーで新京成電鉄時代の松戸駅で発行された、同駅から京成津田沼駅接続京成線150円区間ゆきの片道連絡乗車券を御紹介いたしました。しかし、御紹介の券が発行された数日後には発行元事業者である新京成電鉄が連絡運輸先である親会社の京成電鉄に吸収合併されたことから、同区間の運賃体系がどのようになるかということが焦点の一つになっていました。

結局、新京成電鉄の運賃については京成電鉄の運賃に組み込まれずに旧来の運賃体系を維持する方向で調整され、京成千原線が第三セクターの千葉急行電鉄を吸収合併した経緯から千葉中央駅で区切られて従来の京成線とは別運賃になっているのと同様に、新京成電鉄の区間も同様の対応が採られています。
これは、今回の合併が事業基盤を強化するための吸収合併によることから合併による人員や設備の削減が行える訳ではないため、これまで通りの鉄道運行をする為には従来と同様の人員や設備が必要であるという考え方によるものと思われます。


   

合併後の2025(令和7)年4月に、京成電鉄松戸線の松戸駅で発行された、京成津田沼駅乗換の京成本線150円区間ゆきの片道乗車券です。桃色PJRてつどう地紋のA型金額式券です。
新京成電鉄の運賃については京成電鉄の運賃に組み込まずに旧来の運賃体系を維持するという観点から、発売額については430円で従前とは変わりませんが、発駅である松戸駅から京成津田沼駅までの区間が新京成線から京成線に変更になったことによって連絡乗車券とはならなくなったため、自社線完結の金額式券に変更されています。ただし、発駅名の下に「京成津田沼経由」の文言があり、通常の金額式券とは異なる様式になっています。


   

新京成電鉄時代の同じ口座の券を再掲いたします。敢えて同じ「147号機」を使用して購入しております。「発売当日限り有効 下車前途無効」の部分はそのまま流用されたものと思われ、「発売当日限り通用」の文言ではありません。

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新京成電鉄 松戸駅から京成津田沼駅接続京成線150円区間ゆき 片道連絡乗車券 ~その1

新京成電鉄が京成電鉄に合併される直前の2025(令和7)年3月に、松戸駅で発行された、京成津田沼駅接続、京成線150円区間ゆきの片道連絡乗車券です。


   

桃色PJRてつどう地紋のA型金額式券になっています。
同社では、前回エントリーでも申し上げましたように、常備片道乗車券については「発売当日限り通用」の表記になっていますが、連絡乗車券については連絡運輸先の制度に合わせ、「発売当日限り有効」の文言が使用されています。
新京成電鉄と京成電鉄は100%資本の完全子会社ではありましたが、事業者としては別会社であるため、通しで乗車する場合には連絡乗車券が発行され、新京成電鉄松戸駅から京成津田沼駅までが280円と、京成電鉄京成津田沼駅から150円区間の運賃が合算されて、発売額が430円になっています。

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新京成電鉄 元山から80円区間ゆき 片道乗車券

前回および前々回エントリーで、新京成電鉄の片道乗車券では「発売当日限り通用」という独特な表現が使用されてい御紹介いたしましたが、この表現は同社で昭和50年代中頃あたりに採用されたもののようだということを申し上げました。
古い時代の乗車券ですと「通用発売当日限り」という文言になっているのですが、国鉄が1968(昭和43)年6月にこの表現から「発売当日限り有効」という表現に変更した頃から、私鉄各社ではそれに倣う事業者が多く出ており、同社についてもその一者であったものと思われます。ところが、同社では昭和50年代中頃に常備片道乗車券様式の改定が行われたと思われ、そのタイミングで「発売当日限り有効」から「発売当日限り通用」になったものと推測されます。


   

1980(昭和55)年3月に、新京成電鉄元山駅で発行された、同駅から80円区間ゆきの片道乗車券です。桃色PJRてつどう地紋のA型金額式券で、印版式券時代のものになり、同社営業規則における常備片道乗車券の様式の中の「金額式⑴一般用」に相当するものと思われます。
しかしながら、「発売当日限り通用」の文言はなく、「発売当日限り有効」となっています。

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新京成電鉄 松戸から90円区間ゆき 片道乗車券

前々回エントリーで、新京成電鉄の乗車券の様式について、同社の営業規則において、かつての印版式券売機券の様式がそのまま残されていたと申し上げましたが、同社の印版式時代の券が手元にございましたので御紹介いたしましょう。


   

1982(昭和57)年4月に新京成電鉄松戸駅で発行された、同駅から90円区間ゆきの片道乗車券です。桃色PJRてつどう地紋のA型金額式券で、印版式時代のものです。
独特な「発売当日限り通用」の文言もあり、営業規則に掲載されている「⑴一般用」の様式はこの様式を示しているものと思われます。


   

再掲いたしますが、同社の常備片道乗車券の様式が記載された営業規則の抜粋です。⑵乗車券発売機用が「発売当日限り通用(改行)下車前途無効」となっているのに対し、「⑵一般用」については「発売当日限り通用 下車前途無効」と一行で記載されており、その下には自動券売機で発行されたことを示す「◯自」と、券売機番号を示す「2A」(規則掲載のものは「3A」)、最後に発行駅名の表記が規則掲載のものと同一になっています。

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京成電鉄 松戸から170円区間ゆき 片道乗車券

前回エントリーで、新京成電鉄(現・京成電鉄)の松戸駅から170円区間ゆき片道乗車券を御紹介いたしました。
新京成電鉄時代に使用されていた券売機は京成電鉄に継承されておりますので,京成電鉄なってからどのように変わったか、確認してみました。


   

新京成電鉄吸収合併後の2025(令和7)年4月に、京成電鉄松戸線の松戸駅で発行された、同駅から170円区間ゆきの片道乗車券です。桃色PJRてつどう地紋のA型金額式券になっています。前回エントリーで御紹介いたしました新京成電鉄時代と同じ「147号機」で購入しました。
基本的には新京成電鉄時代と変化はなく、左上の会社名が「(新京成電鉄)」から「(京成電鉄)」に変更され、着駅表記が「新京成線170円区間」から「京成線170円区間」に変更されたくらいでした。また、新京成電鉄時代に特徴のあった「発売当日限り適用」の文言はそのまま残されています。京成電鉄の乗車券様式では「発売当日限り有効」が制定されているため、これが意図して「残されている」のか、そのままスルーされて「残されたしまった」のかは不明です。


   

前回エントリーで御紹介いたしました、新京成電鉄時代に「147号機」で発券された170円区間ゆきの券を再掲いたします。
比べてみますと、会社名の部分を除けば変更箇所は無いように思えます。

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新京成電鉄 松戸から170円区間ゆき 片道乗車券

2025年3月に、親会社である京成電鉄に吸収合併され、合併後は新京成電鉄という会社は解散し、新京成線は京成電鉄松戸線になりました。京成電鉄が100%子会社である新京成電鉄(千葉県鎌ケ谷市)を吸収合併する理由は、将来の人口減少社会をにらみ、グループ運輸事業を一段と効率化し、意思決定も迅速にするねらいとのことです。京成電鉄はすでに2022(令和4)年9月に新京成電鉄を完全子会社化してしており、そのタイミングで上場も廃止していることから、吸収合併は既定路線だったと思われます。


   

合併を控えた2025(令和7)年3月に、新京成電鉄松戸駅で発行された、同駅から170円区間ゆきの片道乗車券です。桃色PJRてつどう地紋のA型金額式券になっています。

様式的には関東私鉄各社で使用されている金額式券と同様で汎用のフォームが使用されておりますが、同社の金額式券は一部他社のものと異なった特徴がありました。
関東私鉄各社では、有効期間が1日限りであることを示すものとして「発売当日限り有効」という文言が使用されています。全国的にはこの表現が圧倒的に多いですが、中には「通用発売当日限り」というものも見受けられます。ところが同社では、「発売当日限り通用」という独特な表現がされていました。


   

文言部分を拡大してみました。この表現は他社には見られないものと思われます。

どうやら、この表現は同社で昭和50年代中頃あたりに採用されたもののようで、同社の営業規則においても、常備片道乗車券の様式として第189条で制定されていました。


   

同社の営業規則から、該当する部分を抜粋してみました。はっきりと「発売当日限り通用」と記載されています。
ただ、乗車券発売機用の⑵が該当になりますが、⑴の「一般用」として、かつての印版式券売機券の様式がそのまま残されていた意図は分かりません。

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北大阪急行電鉄 万国博中央口から40円区間ゆき 片道乗車券

いよいよ本日(2025年4月13日)の午前9時に、EXPO2025 大阪・関西万博が開幕します。今回の万博開催にはいろいろと意見があるようですが、せっかく開催するのですから、いいイベントになることを祈ります。

大阪ではかつて、1970(昭和45)年にもEXPO1970 日本万国博覧会が3月15日から9月13日まで開催されており、大阪での万博開催は2度目になります。当時の管理人はまだ幼稚園児であり、同じクラスの友達で大阪万博に行ったという子もいましたが、はてさて、「万博」って何ぞや?という感じで、子供心に「未来のイベント」というイメージでした。


   

EXPO1970期間中の1970(昭和45)年5月に、北大阪急行電鉄の万国博中央口駅で発行された、同駅から40円区間ゆきの片道乗車券です。
青色北大阪急行自社地紋のA型金額式券売機券で、スミインク式のものです。

万国博中央口駅は万博期間中のための駅で、万博が開催される約1ヶ月前の1970(昭和45)年2月に開業した駅で、江坂駅の先で本線から分岐ししていた地上駅で、橋上駅舎から万博会場のゲートまでが通路で連絡されていました。太陽の塔の真ん前にあり、万博開場からは一番近い駅でした。
万博輸送用の駅としてかなり大規模な駅になっていたようですが、万博終了翌日の9月14日に廃止されてしまっています。

同駅は万博期間中限定、しかも国家的プロジェクトという事情があり、中国自動車道の建設用地に設置されていました。現在は駅施設は解体され、地上線路だった部分が中国自動車道に、駅ホーム一帯は中国吹田インターチェンジ料金所になっており、跡地は残されていません。ただし、本線上からかつて分岐していた線路の痕跡だけは残っています。

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相模鉄道 星川から80円区間ゆき 片道乗車券

1981(昭和56)年8月に、相模鉄道相鉄本線の星川駅で発行された、同駅から80円区間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色PJRてつどう地紋のA型金額式券売機券で、ゴムの印版にインクを付けて印字する時代のものです。

御紹介の券が発行されていた頃の同駅はまだ地上駅で、駅舎は今のように大きいものではなく、ホームの先端にはかつて工場(現在はかしわ台へ移転)であったところに電留線があり、のんびりとした駅でした。

同駅には券売機が数台ありましたが、御紹介の機器は比較的きれいな券が発券されていましたが、他の機器は印圧が強いのか、あまりきれいな券が発券出来ませんでした。


   

翌日にもう1台の券売機で発行された80円区間の乗車券です。印圧が強いため、空白部分にも印版が接触していて黒く汚れており、右端の「円区間」の部分の版がすり減っています。

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新京成電鉄 薬園台から60円区間ゆき 片道乗車券

1978(昭和53)年9月に、新京成電鉄新京成線(現・京成電鉄松戸線)の薬園台駅で発行された、同駅から60円区間ゆきの片道乗車券です。


   

灰色JPRてつどう地紋のB型金額式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。


   

裏面です。券番の他、発行駅名と「薬園台から60円」の記載があります。

御紹介の券は同社の自社完結の硬券乗車券の末期のもので、乗車券の発売は券売機に移行しています。

同社は昨日の2025年3月31日の終電車を以て「新京成電鉄」としての営業を終了し、本日2025年4月1日からは親会社である京成電鉄と合併し、京成電鉄「松戸線」として営業します。

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京浜急行電鉄 立会川駅発行 西武線田無駅ゆき 片道連絡乗車券

1962(昭和37)年1月に、京浜急行電鉄(京急電鉄)本線の立会川駅で発行された、西武鉄道新宿線の田無駅ゆきの片道連絡乗車券です。


   

灰色PJRてつどう地紋の準常備式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。A型券なのかD型券なのかが定かではありませんが、当時各駅に設備されていた準常備式連絡乗車券と同様のA型券であったものと推測されます。
乗車経路は、立会川~(京急本線)~品川~(国鉄山手線)~高田馬場~(西武新宿線)~田無というもので、品川駅~高田馬場駅間については大崎駅経由の外回り方面、田町駅経由の内回り方面でも選択乗車が可能であったものと思われます。


   

裏面です。券番および発行駅の記載のみになっています。

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