燕駅発行 きたぐに号 急行券・B寝台券一葉券

1978(昭和53)年1月に、弥彦線燕駅で発行された、急行きたぐに号の急行券・B寝台券の一葉券です。


   

若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用券で、新潟印刷場で調製されたものです。
御紹介の券は弥彦線の終着駅である東三条駅から大阪駅までの乗車分で、発車時刻のみ記入式の常備券になっています。

発時刻のみ記入式とした理由は定かではありませんが、ダイヤ改正によって発時刻が変更になった場合に訂正することを避けるため、敢えて記入式にしたというのが正解ではないかと推測されます。

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仙台駅発行 仙台から400kmまで 自由席特急券

1983(昭和57)年1月に、東北本線仙台駅で発行された、仙台から400kmまでの自由席特急券です。


   

桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、仙台印刷場で調製されたものです。

この券が発売された当時はまだ東北新幹線が開業しておらず、仙台から東京へ向かうには、在来線の特急や急行列車が一般的で、管理人が御紹介の券を使用したのは東北本線経由の特急「ひばり」号でした。

その後、この券が発行された約5ヶ月後の同年6月23日に東北新幹線が大宮駅~盛岡駅間で暫定開業されたことに伴い、在来線特急列車は新幹線列車へ振り替えられ、同年11月のダイヤ改正によって夜行列車を除いた定期特急列車のほとんどが廃止されてしまっており、特急街道であった東北本線の運転形態がガラリと変わってしまっています。

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伊豆急行 伊豆急下田駅発行 おくいず号急行券・指定席券

1973(昭和48)年3月に伊豆急行の伊豆急下田駅で発行された、伊豆急下田駅から東京駅までの急行券・指定席券の一葉券です。


   

若草色こくてつ特殊指定共通券地紋の縦型マルス券で発行されています。
券面には「急行券・指定席券」というゴム印が捺印されていますが、種別欄に「A」の符号が印刷されていることから、指定席はグリーン車用として発売されているものになります。
グリーン車用として発券されていますが、当時のグリーン車の制度では、グリーン車用の指定席券を購入し、グリーン料金は別途「特急・急行用グリーン券」を購入する必要がありましたので、御紹介の券にグリーン料金が入っている訳ではありません。

料金は本来であれば500のところ300円となっておりますが、その内訳は、200kmまでの急行券が200円と、ウイーク・デー指定席料金という、おくいず号などの特定の列車について、通常は指定席料金が300円のところ、土曜・日曜・祝日・祝日の前日と12月21日から1月9日・3月21日から5月9日・7月21日から8月31日について指定席料金が100円になる制度が適用されておりましたたため、合計300円ということになります。


   

裏面のご案内です。種別欄については(3)のところに記載があります。

伊豆急行線へ直通する列車は連絡急行列車になりますが、直通する急行列車は社線内の急行料金および指定席料金が不要になります。そのため、券面の乗車区間は伊豆急下田駅から東京駅までの全区間になりますが、急行料金および指定席料金は途中の伊東駅で伊豆急行線から国鉄線に接続するところから必要になるため、券面の表記が「連絡急行券」と記載されなかったものと思われます。

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中野駅発行 上野から201km以上 急行券

1979(昭和54)年2月に中央本線中野駅で発行された、上野駅から201km以上の急行券です。


   

桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。御紹介の券は乗車駅名が記入式ののもので、国鉄部内では「記急③」と呼ばれていた記入式の急行券です。「記」は記入式、「急」は急行券を表し、丸囲みの数字は、①が100kmまで、②が200kmまで、③が201km以上として制定されていましたが、後に登場した150kmまでの券を⑮、50kmまでの券を◯05と表現していました。

子細を見てみますと、「201」の活字がやたらに踊っていて、大変違和感があります。


   

ちなみに、同時期に発行された、同じ中央本線の荻窪駅で発行された記急③の急行券です。


   

201の活字にかなりの違いがあり、「2」の活字は同じもののように見えますが、「0」と「1」の活字は微妙に幅や字の太さが異なっており、基本となる版がいくつか存在していたものと思われます。

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◯社 東飯能駅発行 富士号 特急券・B寝台券

前回エントリーで「◯社」菊名駅で発行された新幹線自由席特急券を御紹介いたしました。
このような例は全国の社線接続駅の社線管理の出札窓口のある駅にありましたが、大抵の駅では発売可能な券種が限定されていたことが多く、近距離乗車券のみしか発売していない例が多いように思います。ただし、駅業務全体が社線管理になっているような駅では、券種の限定はさほどきつくなく、それなりの券を発売していたようです。

今回御紹介いたします券は、以前御紹介したような気もいたしますが、1984(昭和59)年8月に八高線の「◯社」東飯能駅で発行された、富士号の特急券・B寝台券になります。


   

若草色こくてつ地紋のD型券で、東京印刷場で調製されたものです。国鉄部内では、特急B寝台の「記特⑦B電下・客二ネ」と呼ばれていたもので、列車名および乗車区間、初時刻が予め印刷されていない記入式の常備寝台券になります。

この券が発売された当時の東飯能駅は、駅舎が西武池袋線のホームにあり、八高線のホームへ行くには駅改札を入って西武線のホームを跨線橋まで行き、跨線橋を渡ったところにありました。そして、駅業務はすべて西武鉄道が行っており、国鉄は同社へ駅業務を委託していました。
そのため、他に西武鉄道が国鉄から委託を受けている乗車券発売所(高田馬場・国分寺・拝島)とは異なり、同駅では国鉄全線の乗車券の他、特急券や指定券などの券種を広く取り扱っていました。

現在、同駅は駅舎の橋上化の際に西武鉄道とJR東日本の改札が分離され、国鉄(現在はJR東日本)では西武鉄道への業務委託はされておりません。

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◯社 菊名駅発行 新横浜から浜松・豊橋まで 新幹線自由席特急券

1985(昭和60)年8月に、横浜線の「◯社」菊名駅で発行された、新横浜から浜松・豊橋までの新幹線自由席特急券です。


   

桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

横浜線菊名駅は国鉄(JR東日本)と東京急行電鉄(東急電鉄)の共同使用駅になっていますが、この券が発行された当時の同駅は、駅業務の一切を東京急行電鉄が行っておりましたため、乗車券類については「◯社」表記の券が発売されていました。

この運営方法はJR民営化以後の平成初頭までつづけられておりましたが、現在はJR東日本側に於いても駅員配置駅になっています。

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青函航路 八甲田丸発行 連絡船用グリーン券

発行された年が不明ですが、かつて国鉄が運航しておりました青函航路の八甲田丸において、船内で発行された連絡船用グリーン券です。
たしか、昭和50年代後半に渡道した際のものだったと思います。


   

若草色こくてつ地紋の車急式券で、日付および便名を記入して発行する常備式券になっています。

青函航路の船内には旅行案内所があり、そこで国鉄全線の乗車券や急行券・料金類や、連絡船用のグリーン券や自動車航送券等を発売しており、そこで発売されていた硬券式の連絡船用グリーン券はよく見かけますが、車急式の連絡船用グリーン券はあまり見かけません。


   

以前御紹介いたしましたものを再掲いたしますが、思いで鉄道探検団管理人様より許可を受けて転載させていただきました、青函航路内にありました鉄道案内所の風景です。

御紹介の券は鉄道案内所で発行されたものではなく、グリーン船室の乗務員が携帯していたもので、グリーン船室の乗務員は出港後にグリーン券の検札をすることになっていましたので、その際にグリーン券を所持していない旅客に対して発売するために携帯していました。

ここでは、すでにグリーン券を所持している旅客に対しては検札した際に検札鋏で刻印をしますが、所持していない旅客に対しては車急式のグリーン券を発売し、その場で検札鋏で刻印していました。
左上に船の錨の刻印がされていますが、これが青函航路で使用されていた検札鋏です。


   

ちょっと拡大してみました。何となく船の錨であることがお分かりになるかと思います。

八甲田丸は青函航路の廃止時まで活躍した船舶で、現在でも青森さん橋に係留されており、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸として見ることができます。

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◯二 上野駅発行 大宮から一ノ関・盛岡間までの新幹線自由席特急券

1982(昭和57)年8月に、◯二 上野駅で発行された、大宮から一ノ関・北上・盛岡までの新幹線自由席特急券です。


   

桃色こくてつ地紋の車急式券で、日付を予めゴム印で表示するタイプの券になっています。

この券は東北新幹線が同年6月に暫定開業して最初のお盆休みの初日に発行されたもので、国鉄が東北新幹線が開業した初のお盆休みの混雑による大宮駅の混乱の対策用として、臨時発売用の車急式の新幹線自由席特急券を作成し、日本観光旅行社(現・ジェイアールバステック)に委託発売させたもので、上野駅の新幹線リレー号のホームで臨時発売されたものです。
その後、年末年始等の混雑時にも発売されたものと思われますが、そのときにも発売されていたかどうかは確認しておりませんが、新幹線リレー号が運転されていた時代は継続的に発売されていた可能性があります。

まだ硬券の新幹線自由席特急券が存在していた頃のもので、当時は実使用したあとコレクション用として硬券の特急券のほうが人気が高かったからでしょうか、現在でも残されている車急式の特急券はあまり見かけません。

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「◯委」 草津温泉駅発行 B自由席特急券

1985(昭和60)年11月に「◯委」草津温泉駅で発行された、長野原(現・草津長野原口)駅からの200kmまでのB自由席特急券です。


   

桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
御紹介の券は発駅名が空欄になっているもので、発駅が記入式になっている200kmまでの券であることから国鉄内部では「記B◯自特②」と呼ばれていたようです。

この券はこの券が発売された1985年3月のダイヤ改正で、それまで上野から万座・鹿沢口駅間を運転しておりました「急行草津」号が特急列車として格上げされた「新特急草津」号用に発行されたものになります。

「新特急」という愛称は現在では使用されておりませんが、当時の国鉄が1985年3月のダイヤ改正によって、上野発の東北本線や高崎線を走る急行列車を一斉に特急列車に格上げし、そのときに格上げされた列車について付けられた愛称で、特急や急行といった列車種別ではありませんでした。
「新特急」は今までの特急列車のような指定席が基本という列車編成でははく、急行列車のような自由席が基本として列車編成になっており、それまでは定期券では乗車できなかった特急列車にも特急券を購入することによって乗車できるようにし、50kmまでの区間については急行列車と同額の特急料金とされていました。
特急列車を名乗っていても、事実上は急行列車という中途半端な存在の列車ではありましたが、185系などといった従来の考え方では急行列車で充分であった旅客設備の車両を使用して特急料金を徴収できた訳ですから、当時の国鉄としては増収策の一環として捉えられていたものと思われます。
しかしながら、新特急の愛称は2004(平成14)年のダイヤ改正によって廃止されています。

「〇委」草津温泉駅は当時、国鉄バス(現・JRバス関東)志賀草津高原線の自動車駅で、JRバスと鉄道線間の連絡運輸が廃止された現在も「草津温泉バスターミナル」として営業しています。

草津温泉駅は、国鉄バスの他に草軽電気鉄道や西武自動車、上田丸子電鉄(現・上田電鉄)、長野電鉄などのバス路線が、路上にそれぞれ設けていた停留所の一元化を図って利用客の利便性を向上させるために、草津町が中心になって設置されたバスターミナルで、草津町との第3セクターである「草津バスターミナル株式会社」が設立されて開業しています。開業にあたっては、国鉄も約3割弱の出資をしていたようです。

そのため、自動車駅とはなっていますが、国鉄直営の駅ではなく、第3セクターに業務委託された業務委託駅となり、この券の発行箇所名も「〇委」草津温泉駅という標記になっています。

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博多駅発行 「ながさき」号B寝台券

1984(昭和69)年1月に鹿児島本線博多駅で発行された、門司港駅から長崎駅までの普通列車「ながさき」号のB寝台券です。


   

若草色こくてつ地紋のD型券で、門司印刷場で調製されたものです。
当時、普通列車に寝台車を連結している列車は数少なかったため、記入式ではありますが、硬券による専用のB寝台券を発行している駅は多くなかったと思います。
この券は博多駅の中央口の出札窓口で発行されたものです。
博多駅では、ながさき号の寝台券は通常は硬券では発行していませんが、同駅を発車する時刻がマルスシステムが稼働していない深夜の1:02発となっておりましたため、深夜帯に発券できるように硬券が用意されていたものと思われます。


   

裏面です。券番の他、発行箇所名が記載されています。


普通列車「ながさき」号は、珍しい列車名が付けられた普通列車で、22:40に門司港駅を発車し、途中の早岐駅で長崎行と佐世保行に分割され、長崎には翌日の6:40に、佐世保には4:48に到着する夜行列車です。
主要な停車駅は、門司22:48、小倉23:22、折尾23:50、遠賀川・海老津間で翌日になり、博多1:02、鳥栖1:51、佐賀2:23、肥前山口(現・江北)2:56、武雄温泉3:19、早岐4:18、諫早5:43、長崎6:40着となり、早岐から佐世保方面への列車は早岐発4:33、佐世保4:48となっていました。

当時、列車名の付いている普通列車は紀勢本線の天王寺駅~亀山駅間を走る列車にもう一例「はやたま」号があるくらいで、大変希少な存在でした。
普通列車に列車名が付けられていた理由は、「ながさき」「はやたま」のどちらにも寝台車両が連結されており、マルスシステムに座席指定情報を入れる際に列車名から検索する必要があることから、列車名が付けられたと聞いたことがあります。そのため、マルスシステムに収納される以前は、「ながさき」号が下り1421レ・上り1420レ、「はやたま」号が下り921レ・上り924レという感じで寝台券が発行されていました。


列車は長崎方より、長崎編成がマニ36+マニ36+オユ11+オハネフ12+ナハフ11+オハ46+オハ46+スハフ42、佐世保編成がオハ47+スハフ42となっており、寝台車両は長崎編成のオユ11の次位に連結されていました。この組成を見ればわかりますが、この列車には新聞や郵便などの荷物を輸送する役割が大きな列車であり、全編成10両のうち、3両は事業用車両が連結されています。

西九州新幹線が開通してほぼ一ヶ月になりますが、現在では博多駅から長崎駅までの新幹線最速で1時間20分となっており、いくら普通列車とはいえ、博多から5時間38分という、大変のんびりとした寝台列車が運転されていたというのは隔世の感があります。


御紹介の券は日中に購入しておりますので、本来はマルスシステムで発券されるものになりますが、購入の際に硬券での発券をお願いいたしましたところ、二つ返事で発券していただけました。
ただし、発券する際にはマルス端末で座席(寝台)情報を抜く必要があるため、「ゼロ円」券にて寝台指定券を発券して寝台を1席抜き、それを転記する方法で発券されました。


   

こちらが寝台を抜いた際のゼロ円券です。窓口氏が「これもあげようか?」と言う感じで言われたので、「ぜひ」と戴いてきた次第です。


   

マルス券の裏面です。当時は何の変哲も無いマルス券ではありますが、今となっては様式・内容共に貴重なコレクションになっています。

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