播淡聨絡汽船 岩屋港発行 明石接続JR西日本京都ゆき片道連絡乗車券

前回エントリーで播淡聨絡汽船の岩屋港で発行された、明石接続JR西日本640円区間ゆきの片道連絡乗車券を御紹介いたしましたので、今回は同じ播淡聨絡汽船の岩屋港で発行されたものですが、明石接続JR西日本京都ゆきの片道連絡乗車券を御紹介いたしましょう。


   

灰色播淡汽船自社地紋(?)のA型一般式大人・小児用券になります。
JR西日本線の明石~京都間は営業キロが95.3kmですが、播淡汽船航路の営業キロが10.0kmとなっておりますので、辛うじて101km以上となることから有効期間が2日間ということになっています。


   

再掲いたしますが、前回御紹介のB型金額式券の場合には発行箇所名の記載がありませんでしたが、今回御紹介の券については「岩屋港発行」と記載されております。

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播淡聨絡汽船 岩屋港発行 明石接続JR西日本640円区間ゆき片道連絡乗車券

1992(平成4)年10月に播淡聨絡汽船(播淡汽船)岩屋港で発行された、明石港(駅)接続、JR西日本640円区間ゆきの片道連絡乗車券です。


   

桃色の播淡汽船自社地紋なのでしょうか、B型金額式の大人・小児用券になっています。

播淡汽船は淡路島の岩屋と明石港を結ぶ連絡船で、通称「播淡汽船(ばんたんきせん)」と呼ばれますが、正式には播淡聨絡汽船といいました。
明石海峡大橋が完成する前の明石海峡には橋はなく、淡路島へ行く手段は船しかありませんでした。
当時淡路島へは、明石・須磨・神戸・西宮・大阪・深日からフェリーや客船が出ており、播淡汽船はその中の一航路であり、年末年始や大型連休、お盆,、海水浴シーズンともなると何時間もの乗船待ちができるほどの需要があったようです。
ところが、2001(平成12)年に明石海峡大橋が完成すると、旅客は橋を渡る便利な路線バスに移行してしまったために激減し、もう一社の平行して運航されていた淡路連絡汽船と合併して明淡高速船に社名変更されます。
しかしながら、その後の2006(平成18)年に航路を淡路ジェノバラインに引継いで明淡高速船の航路は廃止され、会社清算によって消滅してしまっています。

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関西急行フェリー 丸亀航路乗船券

昭和62年3月に関西急行フェリー(現・小豆島フェリー)丸亀代理店で発行された丸亀航路下津井港ゆきの乗船券です。

   


水色関西急行フェリー自社地紋の半硬券になります。


   


地紋を拡大してみますと、錨を中心として「関西急行フェリー」という文字が書かれた地紋であることが分かります。


   


裏面です。
この券は本来は途中で身投げすることなく「無事に上陸しましたよ」という意味で上陸の際に係員に引き渡すこととなっていますが、記念に戴きたい旨を申し上げましたところ、いとも簡単に「どうぞ」と戴くことができました。


同社丸亀航路は昭和50年3月に運航を開始し、金比羅宮に近い地方港のある丸亀港と本州側の下津井港を結び、下津井港では平成3年1月を以って全線廃止となってしまった下津井電鉄と接続することによって宇野線茶屋町を連絡する、本州からの金比羅参りルートとして利用されました。
もともとこの航路は江戸時代のころから金比羅参りの航路という由緒ある航路であったようですが、国鉄が宇高航路に鉄道連絡船を就航させたため、本州四国連絡のメインルートから外れてしまい、平成11年8月には廃止されてしまっています。


管理人はまだ本四備讃線が開通していなかった頃、四国の鉄道を楽しんだ後に下津井電鉄に乗車して東京へ帰ろうと考えてこの航路を利用しました。丸亀港は鉄筋3階建てのフェリーターミナルのある典型的な地方港といった感じでしたが、下津井港は丸亀航路と下津井電鉄の連絡がメインといった感じの小さな港で、プレハブしかない寂しい「船着き場」でした。
かつては備前岡山の南の玄関口として北前船が寄港したり、金比羅参りの渡し船への港であったりと賑わっていたようで、今では鰊蔵を改造した「むかし下津井回船問屋」で、北海道からの鰊や昆布を積んだ北前船が積来していた時代を偲ぶことができます。

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天草観光汽船 姫戸港駅発行 熊本ゆき連絡乗車券

廃札券ですが、天草観光汽船姫戸港駅発行の国鉄熊本ゆき連絡乗車船券です。


   


九州の私鉄で良く見る「浮輪」のようなマークの青色てつだう地紋のA型券です。


   


こんな地紋です。鹿児島交通などでも使用されていた地紋です。


乗車(船)経路は、姫戸港~(天草観光汽船)~八代~(鹿児島本線)~熊本というもので、経由表記は「八代・鹿児島本」となっています。


姫戸港は現在でも熊本県営の港湾として存在していますが、道路交通網の整備が進んだことや天草市内や上天草市内で学校や病院などの公共施設が充実してきたことなどから航路の利用客が年々減少し、1日1便しか運航されていなかった航路は平成23年11月頃に廃止されてしまっているようです。


この券を発行した天草観光汽船は、平成25年3月まで八代~倉岳航路という航路を1日1便運航していたようですが、現在はその航路も廃止されてしまい、残念ながら会社そのものが存在していない可能性があります。

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東海汽船 大島支店発行 東京山手線内ゆき連絡乗車船券

今日は7月15日、海の日です。海の日にちなんで船の話題といたしましょう。


昭和54年9月に東海汽船大島支店で発行された、国鉄線東京山手線内ゆきの連絡乗車(船)券です。


   


青色JPRてつどう地紋のA型一般式券で、山口証券印刷にて調製されたものと思われます。


乗車船経路は伊豆大島(大島港)~(大島航路)~熱海港…(バス連絡)…熱海駅~(東海道本線もしくは東海道新幹線)~東京山手線内という経路になります。熱海港から熱海駅間についてはバスもしくはタクシーによる連絡となっており、この乗車(船)券にはその部分は含まれていません。

熱海港~熱海駅間の連絡は、バスだと所要約15分・タクシーだと所要10分程度となっており、当該区間のバス運賃さえもが含まれていない連絡乗車船券は、接続の交通手段に何の保証も無く、少々無理がある連絡運輸設定と感じてしまいます。


伊豆大島(大島港)~熱海港間は船舶による運航のため「乗船券」であり、熱海駅から東京山手線内までは鉄道による運行のため「乗車券」でありますので勝手に「乗車船券」と表現させていただいていますが、恐らく正式には「乗車券」なのでしょう。

当時は内航フェリーの海運会社と国鉄との連絡運輸の例ががいくつかあり、大抵鉄道と同様式の連絡乗車券が発売されていました。

私鉄の鉄道会社が発行した連絡乗車券と何ら変わらない様式で、パッと見海運会社が発行したものとは思えませんね。

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佐渡汽船 佐渡両津駅発行 東京都区内ゆき連絡乗車券

昭和50年1月に佐渡汽船佐渡両津駅で発行された、東京都区内ゆきの連絡乗車券です。

 

   


青色佐渡汽船自社地紋のA型一般式券で、日本交通印刷による調製です。


当時の国鉄は佐渡汽船とも連絡運輸を行っており、両津航路については新潟接続で佐渡両津まで、小木航路は新潟接続で多田(おおだ)・赤泊・羽茂(はもち)・小木まで、直江津航路が直江津接続で羽茂・小木までが連絡運輸範囲だったようですが、平成15年頃に連絡運輸が解消されてしまっています。しかし、その頃には実際に連絡乗車券は発売されていなかったように感じます。


同社の連絡運輸末期の券は未見ですが、国鉄時代のものとしては、今回ご紹介いたしましたものの他にJPRしてつ地紋の券も存在しておりましたが、昭和40年代後半には日本交通印刷のものに様式変更されております。また、国鉄のものと同じ様式の縦型の印板式印刷発行機も登場していたようで、都内の駅で回収されているものを見たことがあります。

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