Suica 10周年

交通系ICカードの健康優良児であるJR東日本のSuicaが、本年11月18日で10周年を迎えました。



実際には10年前の4月には常磐線の上野~勝田間に導入され、また、4月から7月までの間に埼京線と川越線でモニター実験が行われていましたが、正式な導入は11月18日ということで、JR東日本は11月18日がSuicaデビューの日としているみたいです。



   



これは、導入した日に発売されたデビュー記念Suicaで、初の記念カードとなります。


当初からペンギンがSuicaのキャラクターとして設定されていましたが、現在のSuicaペンギンはたいてい正面を向いているのが多く、下を向いているペンギンは表情が少々違っているように見えます。



現在のSuicaにはリライト機能がついており、Suicaカード(無記名式)に後から個人情報を登録すればMy Suica(記名式)に、さらにMy Suicaに定期券を追加購入してSuica定期券に変更することもできます。


しかし発売当初の無記名式はリライト機能を備えていなかったため、個人情報の登録ができませんでした。そのため、記名式および定期券用が右側の切り欠きが1箇所であったのに対して2ヶ所あり、区別されていました。現在は無記名式専用のカードは、記念カードを除き発売されていません。


また、当時は自動改札をチケットレスで通ることのできるイオカードが全盛の時期で、イオカードのICカード版という位置づけであったのでしょうか、右上にはイオカードのロゴが入っていました。そして、無記名式のカードは「Suicaイオカード」と呼ばれていましたが、イオカードの名前はありません。



   



裏面です。


「Suicaイオカード」という名称で表記されていました。

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五郎駅発行 硬券入場券

昭和56年12月に発行された、五郎駅の硬券入場券です。



   



高松印刷場調製のB型硬券です。
現在は無人化されてしまった同駅ですが、昭和56年当時は内子線との乗換駅であり、木造駅舎のある駅員配置駅となっていました。現在は木造駅舎は取り壊され、ベンチに屋根がある程度の待合室があるだけの造りになっています。


かつて、歌手の野口五郎さんがアイドル(?)として人気絶頂期であった昭和40年代中頃から後期にかけて、多くの女性ファンが同駅を訪れ、入場券を買い求めて行ったそうです。


五郎駅は大正7年に愛媛鉄道五郎駅として開業した駅で、昭和8年に国有化された際には愛媛線という路線の駅となりました。その当時はまだ軽便鉄道時代の路線であり、国有化されていながらも762㎜ゲージの路線であったと聞きます。


その後、昭和10年には1067㎜に改軌され、高松~伊予大洲間が予讃本線となり、同駅も予讃本線の駅となります。同時に、五郎~伊予大洲間にある現在の若宮信号場付近にあった若宮連絡所から分岐する愛媛線の支線部分が内子線と改称され、同駅が乗換駅となっています。


しかし、昭和61年には向井原~内子間および新谷から伊予大洲間が開通して内子線が予讃本線の短絡線として生まれ変わると、若宮連絡所~新谷間が廃止され、同駅は乗換駅としての使命を終え、JR四国に民営化された後は予讃本線が予讃線に改称され、予讃線の駅として現在に至っています。



   



現在の五郎駅です。


内子線が分岐していたころは現在使用されている単式ホームのほかに島式ホームを有する2面3線の駅でしたが、現在は単式ホームのみが使用されています。



   



島式ホームには現在も「宇和島方面のりば」という案内表示が残されています。

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東京モノレール モノレール羽割往復きっぷ

東京モノレールでは、羽田空港国際線ビル駅開業1 周年及び羽田空港国際線定期便就航1 周年を記念して、「モノレール羽割往復きっぷ」という企画乗車券を、モノレール浜松町駅、羽田空港国際線ビル駅、羽田空港第1 ビル駅、羽田空港第2 ビル駅の各駅で発売しています。


 


値段は大人用800円(普通運賃940円)と小児用400円(480円)と割引になっており、期間内に往復する予定があるのであれば割安感のある乗車券です。

   大人・小児用券 (クリックすると、大きく表示されます。)


 


周遊券サイズの常備券で、青色東京モノレール自社地紋の往復券タイプとなっています。
モノレール浜松町駅以外の4駅でも発売するため、往路券と復路券の指定はなく、どちらから使用しても良いようになっています。


 



1枚目(左側)の券はモノレール浜松町駅から羽田空港国際線ビル駅、羽田空港第1 ビル駅、羽田空港第2 ビル駅の各駅ゆきで、もう一方の券は羽田空港国際線ビル駅、羽田空港第1 ビル駅、羽田空港第2 ビル駅の各駅からモノレール浜松町駅ゆきとなっています。


 


   小児用券 (クリックすると、大きく表示されます。)


 


大人・小児用券のほかに小児用券もあり、こちらは緑色東京モノレール自社地紋の往復券タイプとなっています。


 


   裏面 (クリックすると、大きく表示されます。)


 


裏面にはご案内文が印刷されております。内容はどちらの券も同じですが、乗車時に入鋏は省略する旨が記載されているところが特徴です。


 



この乗車券は同社のホームページにも掲載されておりますが、駅でのPRはいまいちで、特に一般利用客が購入している様子はありませんでした。
また、この券を購入した日のモノレール浜松町駅は定期券発売窓口が日中閉鎖されて改札口での発売となっていましたが、改札係員が発売都度事務所へ券を取りに行く方法が採られており、あまり積極的な発売方法とは思えない感じでした。


 


しかも、ホームページには「乗車券の様式」というものがわざわざ載せてあり、一般利用客のための企画乗車券というより、あたかも我々のような乗車券蒐集家のために発売されているような錯覚に陥ってしまいます。


 


「乗車券の様式」を見ますと、券の左側には駅の控片と審査課への回付片がついておりますが、金額が固定の常備券であるので、普通であれば券番での在庫管理をすれば良いように思えますが、なぜ敢えてわざわざこのような券片を付けているのか、理由がわかりません。


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田町⇒田端間複々線開通記念乗車券

先日、実家の物置を整理していたら発見された、記念切符の半券です。



   



「京浜東北・山手線(田町⇒田端間) 31.11.19 複々線開通記念乗車券」という乗車券の半券です。
どうやら、実父が実際に使用したのちに保管(というほどでもありませんが…)しておいたもののようです。


ちょうど今から55年前の今日、京浜東北線と山手線が並走する田町~田端間の複々線が完成した際の記念乗車券のようで、近隣の駅では、通常の窓口売りの乗車券として発行されていたと聞きます。それまでの京浜東北線と山手線は同じ区間を走っていましたが、同じ線路を走っていたため、増発しようにも走れる列車の本数に限度があったようです。


   



裏面です。


工事のあらましが簡潔に書かれています。
これを見る限り、当時の東京鉄道管理局(東鉄局:後の東京北鉄道管理局部分)ではかなりの重要な工事であったことが想像できます。



半券しかない完全ではない状態であるのが悔やまれますが、当時の貴重な資料として大変有用なものです。


 


参考として、完全な姿の券の画像がありましたので、御紹介いたします。



   



この券は上中里駅発行の10円区間の乗車券が付いていますが、他に記名式の乗車券の様式もあったようです。

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東中野駅発行 補充連続乗車券

昭和62年8月に、東中野駅で発行された、補充連続乗車券(補連)です。



   



JR化後の国鉄地紋の暫定券です。


当時はまだ、マルスの設備されていない窓口には補連が設備されていましたが、マルスの設備されていない長距離乗車券を発売する窓口自体が少なくなってきており、しかも、連続乗車券は出札補充券で発券されることも多く、必ずしも補連での発券とならないこともありました。


そのため、この券を購入するとき、東中野駅の東口にある窓口で補連があるかどうか聞いてから発券をお願いしました。



昭和62年当時の東中野駅は西口(中野寄り)はみどりの窓口となっており、マルス端末が設置されて軟券化されておりましたが、東口(新宿寄り)の窓口はみどりの窓口ではないものの、JR全線の乗車券を発売しており、硬券や補充券の宝庫でした。


しかし、平成初期には東口窓口が閉鎖となって西口に1本化され、本年10月31日には西口みどりの窓口までが閉鎖されてしまっています。



ちなみに、実際は野辺地駅までの乗車のために購入したものであり、野辺地駅⇔狩場沢駅間は乗車しておりません。

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東中野駅発行 乗車票

10月31日限りでみどりの窓口が閉鎖された、東中野駅で発行された乗車票です。


   


周遊券サイズの白色の厚手の用紙に印刷されたものです。


同駅はみどりの窓口が閉鎖され、指定券の発売については指定券発売機にて対応することになっていますが、指定券発売機では対応できず、みどりの窓口のある駅に行かねばならない旅客に対し、改札口でこの乗車票を発行し、隣接するみどりの窓口のある駅まで行くように案内されます。

隣接するみどりの窓口設置駅は中野駅および新宿駅となっており、この券でいずれかの1駅までの往復を乗車することができます。そのため、「東中野⇒新宿/中野⇒東中野」という区間表記になっていますが、これ以外の駅に行くためのものでしょうか、中野の下に( )カッコがあり、他の駅名を記入することができるようになっています。


実際に中野駅のみどりの窓口へ行く所用で使用しました。
往路、中野駅で下車する際は改札口で見せるだけで通れますが、復路で乗車する際には改札スタンパーが捺され、発駅である東中野駅の改札口で回収されます。


本来であれば復路もこの乗車票を使用して無料乗車をしたいところでありましたが、使用済券を回収される恐れがあったので、敢えて別途乗車券を購入の上乗車しております。

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相模鉄道 相鉄・鉄道全線 1日乗車券

相模鉄道の「相鉄・鉄道全線 1日乗車券」です。

 


   

 


同社には各種フリーきっぷはありますが、通年発売の1日乗車券はありません。

 


しかし、本年7月16日から10月31日までの期間限定で、鉄道全線が1日乗り放題の1日乗車券が発売されました。(相模鉄道HP

 

ホームページにあるとおり、券売機のみの発売で窓口発売は行わず、前売の発売も行われないようです。

 


実際に使用すべく、横浜駅の券売機で購入してみました。

 

定期券サイズの横型券で、有効日が大きく印字されたものでした。
題字に「相鉄・鉄道全線 1日乗車券」の表記があり、その上に“Sotetsu One-day Pass”と書かれています。

 


全線1日乗り放題で600円という運賃は利用方法によってはかなり割安感のあるきっぷです。



さて、これを利用した成果は後日エントリーしたいと思います。

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金額が合いません

昭和63年9月に新宿駅の小田急線連絡改札口で発行された、新宿駅から高田馬場駅経由西武線100円区間ゆきの小児用連絡乗車券です。



   



JRE地紋の連絡用金額式乗車券で東京印刷場の調製と思われます。



当時の同区間の運賃は、新宿駅から高田馬場駅間がJR線120円で、西武線の100円区間を合計すると220円となりますが、連絡割引制度が適用されて210円となっています。



しかし、それは大人運賃の話であり、小児運賃は新宿駅から高田馬場駅間がJR線の120円区間が60円で西武線の100円区間が50円ですので、合計すると110円となり、乗継割引が適用されて100円となるはずです。ところが、この券の発売額を見てみますと210円となっています。



乗継割引を表す「割引」の表記が無いばかりか、小児専用券であるため、「小児100円」の表記までなく、これでは表示金額と発売額に相違が生じてしまい、これを100円として発売していたこと自体に問題があるように思います。


拙ブログ2011年5月2日エントリーの「新宿駅発行 高田馬場接続西武鉄道連絡乗車券」で大人専用券を御紹介いたしておりますが、こちらもミス券となっており、どうやらこの区間の乗車券は「鬼門」のようです。

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上信電鉄 連絡精算所発行の区間変更券

昭和59年7月に、上信電鉄高崎駅の連絡精算所で発行された、区間変更券です。


   


高崎線新町駅から150円区間ゆきの乗車券で、上信線根小屋駅までの区間変更を申し出たときのものです。

当時、高崎線のホームは国鉄高崎駅構内にあって改札が分離されておらず、国鉄線から乗り換える利用客は、国鉄線の改札口を通ることなく上信電鉄の乗り場へ行くようになっていました。
現在は上信電鉄とJRの改札は分離されており、ホームの入口に小さな出札小屋がありますが、当時はそれが連絡精算所となっていました。


当時、新町駅から高崎駅までは190円でしたが、発車間際のために運賃を調べる余裕がなく、「とりあえず」一番安い区間の乗車券で乗車し、高崎駅で乗り換える際に区間変更を申し出ることにしました。

高崎駅から根小屋駅までは当時120円でしたので、国鉄線の不足分40円を合算して160円となります。


高崎駅の精算所では、改札補充券(改補)を使用せず、高崎車掌区の第1種車内補充券が使用されていました。いかにも車内で精算されたように見えますが、精算所で発行されたもので、列車番号を記入する欄に斜線が引かれ、辛うじて駅で発行されたことがわかる感じです。

そして、乗り換えた時刻が夜であったため、既に売上計算をして締めてしまったのでしょう、日付のあとに「〇ヨ」の表記がしてあります。


   


こちらは数年前に日比谷のイベントで購入したものです。

昭和59年のものと基本的には変わりませんが、券番と册番がハイフンでまとめられた様式に変わり、発行日欄に年号を書く欄がなくなった新様式となっています。

1枚目と同じく高崎駅の精算所で発行されたもので、「東京山手線内」とゴム印が捺印されている点が、いかにも駅で発行されたことを物語っています。


今年のイベント会場で上信電鉄の方に伺ったところ、第1種車内補充券は殆ど高崎駅の連絡精算所で使用されていたようで、大抵の車掌は第1種車内補充券を使用せず、第2種の駅名式車内補充券を主に使用していたとのことでした。


同社には駅用として緑色の特別補充券があるにも拘わらず、なぜ増刷してまで車内補充券を駅で使用していたのか、理由がわかりません。

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渋谷駅発行 南海フェリー経由徳島駅ゆき乗車券

昭和37年3月に渋谷駅で発行された、渋谷駅(東京都区内)から徳島駅ゆき乗車券です。



   



D型硬券の補充片道乗車券によって発券されています。



南海フェリー(当時は南海汽船)経由の海陸一貫ルートとなっており、同航路が鉄道連絡船であることがわかる1枚です。


乗車経路は東京駅~(東海道本線)~大阪駅~(大阪環状線)~天王寺駅~(阪和線)~和歌山駅~(南海フェリー)~小松島港駅~(小松島線)~徳島駅となっており、経由欄には今は亡き小松島線の小松島港仮乗降場の表記が見られます。



現在でも南海フェリーは鉄道連絡船としての使命を帯びていますが、大阪(難波)駅~和歌山港駅間は南海電車を利用する方が一般的のような気がします。


また、徳島側も小松島港に寄港することもなくなり、だいぶ様子が当時と変わっています。

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