前郷駅発行 羽後黒沢駅ゆき片道乗車券 ~その2

前回エントリーで、矢島線(現・由利高原鉄道鳥海山ろく線)の前郷駅で発行された、同駅から羽後黒沢(現・由利高原鉄道鳥海山ろく線黒沢)駅ゆきの補片で発行された片道乗車券を御紹介いたしました。
御紹介の券が発行された1984(昭和59)年9月の段階では同駅の補片が欠札になっており、羽後本荘駅の券で代用されていましたが、2が月後の11月になりますと、正式な同駅の券が再度設備されておりましたので御紹介いたしましょう。


   

1984(昭和59)年11月に同駅で発行された、羽後黒沢駅ゆきの片道乗車券です。青色こくてつ地紋の発駅が印刷されたものになります。


   

再掲いたしますが、2ヶ月前に発行された羽後本荘駅用の券の代用券になります。発行日付印や下車前途無効印、「◯小」印は同じものと思われますが、着駅である「羽後黒沢」の印については、大小異なったものが使用されています。

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前郷駅発行 羽後黒沢駅ゆき片道乗車券 ~その1

1984(昭和59)年9月に矢島線(現・由利高原鉄道鳥海山ろく線)前郷駅で発行された、羽後黒沢(現・由利高原鉄道鳥海山ろく線黒沢)駅ゆきの片道乗車券です。


   

青色こくてつ地紋の補充片道乗車券(補片)で発行された、小児用券になります。
当日、同駅では補片の在庫が切れた「欠札」の状態になっていて、羽後本荘駅のものを転用して使用されていました。そのため、発駅および発行駅名の部分に駅名小印が捺され、「前郷」と訂正されています。
ただし、同駅は業務委託駅になっていますので、発行駅名部分については「前郷駅発行」ではなく、「◯委 前郷駅発行」が正しい表記になります。


   

拡大してみましたが、同駅の駅員氏は大変筆圧が強かったようで、着駅である「羽後黒沢」のところにはこの券の上に重ねられておりました1枚前の券を発行するときに書いたとおもわれる「大曲」と、経由欄のところには「秋田)」という文字の痕跡が読み取れます。

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湊町駅発行 天王寺ゆき 復路専用乗車券

1979(昭和54)年5月に関西本線湊町(現・JR難波)駅で発行された、天王寺ゆきの復路専用乗車券です。


   

青色こくてつ地紋のB型矢印式大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
復路専用乗車券は出札口ではなく、精算所や改札口で発売されている乗車券で、正確には「分岐往復乗車券」という改札補充券になります。補充券というと手書きの乗車券類を想像しますが、比較的需要のあるものについて常備券のように設備されていたもので、「硬券式改札補充券」と呼ばれることもあります。

湊町駅は、現在の大阪環状線の新今宮駅から分岐した形で線路が延びていますが、通しの乗車券を持つ旅客は新今宮(天王寺)駅~湊町駅間の乗車券を所持していない場合が多かったため、同区間の精算運賃(往路分)を別途収受し、同時に同駅から新今宮駅方面に戻るための復路分の運賃も収受し、復路専用乗車券を発行していました。


   

裏面です。券番の他に、「往路用の100円もいただいています。」という注意書きが印刷されています。

御紹介の券は、同駅がかつて関西本線の大阪側の始発駅として東京・名古屋・伊勢方面の優等列車が運転されていた時代に、始発駅まで行って乗車するという需要があったころの名残として残されていたものと思われますが、道頓堀川沿いに位置しているとはいえ、難波地区の「外れ」にあった同駅は、お世辞にも利用客の多い駅という印象はありませんでした。

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上野駅発行 上野駅から尾久駅ゆき 一等片道乗車券

1969(昭和44)年4月に上野駅で発行された、上野駅から尾久駅ゆきの一等片道乗車券です。


   

若草色こくてつ地紋の一等用補充片道乗車券(補片)で発行されています。

昭和44年5月10日は日本の鉄道にとって大きな改革の日で、前日9日の営業を以て長年行われてきた等級制が終了し、以後モノクラス制になっています。
この券は、等級制が終わるにあたって記念用として発行されたものです。


   

裏面です。
当時のご案内文は、日本語と英語の双方で記載されていました。

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倶知安車掌派出所乗務員発行 車内補充券

1986(昭和61)年9月に胆振線の列車内で車掌氏から購入した六郷から倶知安ゆきの片道乗車券です。当時胆振線を担当していました倶知安車掌派出所乗務員発行となっています。


   

    👉クリックすると大きく表示される(かも)・・・

青色こくてつ地紋の運賃表のような特殊な駅名式券で、横が120㎜、縦が155㎜という大変大判の券です。
国鉄で発行されていた車内補充券の中では七尾車掌区で発行されていた七尾線のものが一番大きかったように思いますが、御紹介の券も上位に位置する大きさです。

大きさが大変大きいために使用勝手はあまり良くないように思いますが、いろいろな区間の運賃が1枚の券に纏められていますので、発券の際に運賃表で運賃を確認しなくても発行できるメリットがあったようです。
券面には胆振線が室蘭本線から分岐する伊達紋別駅から函館本線に接続する倶知安駅までの各駅が、上段が発駅で、右列が着駅として記載されていますが、駅員配置数人数が多く、無札の乗車券の発行機会が少なかったからでしょうか、発駅の一覧から新大滝駅および京極駅が抜かれています。

胆振線はこの券が発券された約50日後の10月31日の運行を以て営業が終了し、翌11月1日に廃線になっています。また、同線の廃止と同日、倶知安車掌派出所の母体である小樽車掌区が、岩見沢車掌区、滝川車掌区とともに廃止され、札幌車掌区(現・JR北海道札幌車掌所)に統合されています。

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小宮駅発行 東飯能接続 西武鉄道飯能駅ゆき 片道連絡乗車券

いまから38年前の1984(昭和59)年12月25日に、八高線の小宮駅で発行された、東飯能駅接続の西武鉄道飯能駅ゆき 片道連絡乗車券です。


   

青色こくてつ地紋の補充片道乗車券(補片)で発行されています。
この券は実際に乗車するために購入したものです。硬券で発券されると思っておりましたが、「西武線の飯能まで」とお願いすると、出札掛氏は何の躊躇いも無く券箱から補充券を取り出して発券されました。
乗車区間は、小宮~(八高線)~東飯能~(西武鉄道池袋線)~飯能というもので、営業キロ21.3km、所要が約40分程度の道のりになります。現在の運賃ですと570円になりますので、38年の間に約1.3倍になっています。

この当時は常備券が無ければ補充券で発券するのが「当たり前」の時代でしたので、今の補充券目当てに出札機器では発券できないような区間の乗車券を求めようとするコレクターとは逆で、硬券が出て来なかったということに残念な思いをしたものです。


   

裏面です。標準的な当時のご案内文が印刷されています。

この券で実際に東飯能駅で乗換えて西武池袋線の電車で飯能駅まで乗車しましたが、当時の西武鉄道の改札では、乗車済の乗車券を戴きたい旨を伝えると、無効印を捺すこともなく「どうぞ」と通してくれることが多かったように感じます。

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中野車掌区乗務員発行 車内補充券

発行年は不明ですが、1957(昭和32)年5月以前に中野車掌区乗務員が発行したと思われる車内補充券です。


   

桃色こくてつ地紋の地図式特殊区間用特別補充券(図補)になります。
国鉄の地図式特殊区間用特別補充券には発行年月の表示はなく、発行日のみが示されていますので、御紹介の券は21日に発行されたとしか確認できませんが、中央線の国電区間の電車から2等車が廃止されたのが1957(昭和32)年6月20日になりますので、同年5月21日以前に発行されたところまでは推測できます。
中央線の御茶ノ水駅から四ッ谷経由で大久保までの区間で、3等車から2等車への上級乗換として発行されています。


   

事由欄付近の拡大です。
事由欄には現在では見かけない「乗換」「換越」「換方」「換経」「誤購求」「下級換」などの文言があり、方面を示す欄には与瀬・氷川・武蔵岩井などの駅名があります。また、領収額欄には「手数料なし」「手数料共」「税2割共」という文言もあります。


   

地図を見ていますと、廃駅になってしまった中央線の武蔵野競技場前・東京競馬場前、五日市線の大久野・武蔵岩井、駅名が改称された中央線の浅川(現・高尾)・与瀬(現・相模湖)、青梅線の昭和前(現・昭島)・氷川(現・奥多摩)、五日市線の西秋留(現・秋川)などの駅名があり、中央線の東小金井はまだありません。

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札幌駅発行 桑園ゆき復路専用乗車券

1982(昭和57)年4月に札幌駅の精算所で発行された、桑園ゆきの復路専用乗車券です。


   

青色こくてつ地紋のB型大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものになります。
復路専用乗車券は乗車経路から外れた経由外の駅で下車し、再度経由内の駅に戻るときに発行される乗車券で、分岐往復券という改札補充券です。御紹介の券は硬券となっておりますので、硬券式改札補充券ということになります。

この券は、函館本線長万部方向から桑園駅経由札沼線への原券を持っている旅客が、当初の予定では無い、経由外の駅になります札幌駅に足を延ばして下車する際、札幌駅の改札あるいは精算所で原券を見せたうえで運賃経路に含まれていない桑園駅から札幌駅間の運賃を精算することになりますが、札幌駅では、帰りの運賃を含んだ往復分を請求され、こちらの乗車券が発行されました。
これが復路専用乗車券という改札補充券で、往路の桑園駅から札幌駅間の運賃120円(当時)のほかに、復路分の札幌駅から桑園駅間の運賃120円切が同時に精算され、往復合計240円の精算額になります。
この乗車券は帰り用の乗車券になりますので、桑園方面に戻る際、入鋏を受けて乗車します。
同区間の片道乗車券の有効期間は1日間になりますが、往復乗車券のために2日間となりますが、近距離区間のため、下車前途無効になります。


   

裏面です。券番のほか、「往路分の運賃もいただいています。」と往路分の運賃が同時に精算されている旨が記載されています。

御紹介の券が発行された日は国鉄の運賃改定が行われた日で、営業キロ1~3km帯の運賃が110円から120円に改定されたときになりますので、改定当日には新券が登場したことになり、その0001番の券だったようです。三文判が捺されていますが、恐らく、印刷場から駅に納入された際に枚数を改め、点検者が硬券を束ねていた紙帯に確認済の割り印を捺印したものと思われます。

復路専用乗車券は北海道が発祥の「特殊追徴切符」が「特殊往復券」に変更され、さらに「復路専用乗車券」となって全国に広がったもので、北海道から本州および九州に発行例があり、常備券が設備されるだけの需要があったものと思われますが、わざわざ専用の乗車券を作成し、いちいち帰りの運賃も含まれている旨を説明するよりも、片道分だけを精算し、再度乗車する際には別途片道乗車券を購入すれば良いだけのことなので、国鉄の合理化および民営化と共に発行されている駅は少なくなっていき、現在では北海道の釧路駅や苫小牧駅など、数駅しか発行されている駅はないようです。

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仙台臨海鉄道 東北博覧会前から陸前山王接続、東日本旅客鉄道線140円区間ゆき 片道連絡乗車券

前回エントリーで仙台臨海鉄道で期間限定で運転されていた旅客列車用の乗車券を御紹介いたしました。そこでも申し上げましたように、同社の旅客列車はJR東日本線から乗り入れる形で運転されておりましたため、殆どの旅客は陸前山王駅で下車することはなく、その先のJR線まで直通で乗車することが多かったようです。
そのため、前回御紹介いたしました社線完結の乗車券よりもJR線への連絡乗車券のほうが遙かに多く発売されていたようです。


   

こちらも日付がございませんが、1987(昭和62)年9月に、臨海本線東北博覧会前駅で発行された、陸前山王駅接続の東日本旅客鉄道会社線140円区間ゆきの片道連絡乗車券です。
青色仙台臨海鉄道自社地紋のA型金額式半硬券で、大人・小児用券となっています。

陸前山王駅から140円区間と言いますと、当時の運賃帯は営業キロ1~3kmとなっておりましたので、岩切駅・塩釜駅が該当します。実際には仙台駅までの220円区間ゆき(合計480円)が一番需要が多かったようですが、記念用として購入しておりますので、一番最短の券を購入しております。

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荻窪駅発行 20円区間ゆき片道乗車券

前回および前々回エントリーにて、本年開業130周年を迎えましたJR東日本中央本線の荻窪駅で発行された金額式券および金額式復刻きっぷを御紹介いたしましたが、同駅では一時的に特殊な20円区間ゆきの乗車券を発売したことがありましたので御紹介いたしましょう。


   

1966(昭和41)年2月に荻窪駅で発行された20円区間ゆきの片道乗車券です。青色こくてつ地紋のD型補充片道乗車券が使用されています。

これは、当時、国鉄の様式改正にて補充片道乗車券(補片)が硬券から軟券に切り替えられた際、不要となった硬券式の補充片道乗車券を、近距離用の乗車券に流用して使用されたものです。
該当する駅には「国鉄線20円区間 通用発売当日限り 下車前途無効」というゴム印が配られ、残券となった硬券式の補片に捺印のうえ、報告片を切り取ることなくD型のまま発売されています。


   

裏面です。

実際、この様式がどの程度発売されたかは定かではありませんが、首都圏のかなりの駅に於いて、残余券を使用した「流用券」がゲリラ的に発売されたようです。


   

ちなみに、この当時の同駅発行の金額式20円区間ゆき片道乗車券は、このような様式でした。

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