JR北海道 中湧別駅発行補充往復乗車券

前回エントリーに引き続き、JR北海道の補充往復乗車券(補往)を御紹介いたしましょう。


   


補片同様のJR北地紋の軟券です。補片と違い、他のJR旅客鉄道会社のものとの相違点はなく、様式としては統一されていますが、やはり大きな駅には存在したのかも知れませんが、私の知る限りでは発行箇所名が記入式の「記補往」しか見たことが無く、発行箇所名が印刷された「記補往」および発駅の印刷されたものは見たことがありません。


中湧別駅は名寄本線(名寄 - 上湧別 - 遠軽間138.1kmおよび中湧別 - 湧別間4.9kmの支線)と勇網線(中湧別 - 網走間89.8km)の接続する駅でしたが、国鉄時代の昭和62年3月に勇網線が廃止され、この券の発行された約2か月後の5月1日に名寄本線が廃止され、同線の廃止と共に駅も廃駅となってしまっています。

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JR北海道 中湧別駅発行 補充片道乗車券

前回エントリーでJR東海の補充片道乗車券(補片)および補充往復乗車券(補往)を御紹介いたしましたが、同じく現在は設備廃止となっておりますJR北海道の補片を御紹介いたしましょう。


   


平成元年2月に中湧別駅で発行された、湧別ゆきの乗車券です。青色JR北地紋の軟券で、昭和時代に印刷された残券となります。


JR北海道の補片は特徴的で、「口北」の発区分符号は他の旅客鉄道会社のもの同様に印刷されておりますが、他社および私鉄の補片に見られる黒枠の四隅のレールのマークが無く、単なる黒枠となっています。また、大きな駅にはあったのかも知れませんが、JR化後にあまり渡道しなかったためにコレクションが少ないせいかも知れないですけれども、私の知る限りでは発行箇所も記入式の「記補片」以外に、発行箇所のみ印刷された「記補片」や発駅の印刷されたものは見たことがありません。

また、平成になってからは北海道のものだけがノーカーボンの様式に変更となり、他社のものよりも進化していました。イメージとしては、大きさこそ異なりますが、肥薩おれんじ鉄道の補片のような感じで、控え片(乙片)が横に付いている形から甲乙片2枚重ねと大きく変わりましたが、あっさりと設備廃止となってしまっています。

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JR東海バス 瀬戸記念橋駅発行 補充往復乗車券

前回に引き続き、JRバス東海の瀬戸記念橋駅で発行された、補充往復乗車券(補往)です。


   


青色JRC地紋の軟券で、補片同様に鉄道と共通のものとなっています。

特に図示いたしませんが、裏面には補片同様に鉄道のものと同一のご案内文が印刷されています。


JR東海は補片同様にJR北海道と共に補往の設備を既に廃止してしまっており、現在は管内のどの駅にも設備されていません。

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JR東海バス 瀬戸記念橋駅発行 補充片道乗車券

平成5年7月、JR東海バス瀬戸記念橋駅で発行された、補充片道乗車券(補片)です。


   


青色JRC地紋の軟券で、「口海」の発区分符号のある鉄道と同じ様式の軟券となります。


JR東海バス瀬戸記念橋駅は昭和5年に省営バス(JRバスの前身である国鉄バスの前身)岡多線の駅として、大正天皇の行幸の記念として瀬戸川に架けられた記念橋の近くに設置され、平成16年、愛・地球博のための瀬戸市の区画整理事業による再開発によって廃止された駅でした。

再開発後は通り沿いの停留所と名鉄電車の尾張瀬戸駅の駅ビルに入居していたJR東海バスの「パルティ瀬戸旅行センター」が残されていましたが、JR東海バスは平成21年に愛知県瀬戸地区の路線バス区間をすべて廃止して一般路線バス事業から全面撤退してしまい、それに伴って管理していた瀬戸支店が廃止されたことから旅行センターも廃止され、現在は「省営バス発祥の地」の碑が立っているのみとなっています。


JR東海は比較的早く出札業務がマルス化され、補充券の出番がなかなか無い旅客鉄道会社となっていますが、平成1ケタ代のころは、御紹介のようなJRバスの駅のほか、鉄道線でも業務委託駅等で補片の設備があり、日常的に使用されていました。

しかし現在、JR東海はJR北海道と共に補片や補往(補充往復乗車券)の設備は廃止されており、どこの駅へ行っても補片にお目にかかることはできなくなってしまっています。


   


裏面です。

鉄道で使用されるものと同じもののため、裏面には鉄道用のご案内文が印刷されています。

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上田丸子電鉄 特殊補充券

7月9日エントリーの「上田交通 代用乗車券」におきましてかつて発行されていた代用乗車券を御紹介いたしましたが、上田丸子電鉄時代には特殊補充券が設備されておりましたので御紹介いたしましょう。


   


廃札券ですが、上田丸子電鉄時代の特殊補充券です。緑色TTDてつどう地紋のもので、右上に同社社紋が印刷されているものとなっています。

社紋が印刷されている以外は、この券を納めたと思われます日本交通印刷の、等級制があった当時の標準的な様式です。


   


裏面のご案内文です。当時は「(ご案内)」ではなく「(注意)」となっており、現代では些かぶっきらぼうな表現です。


この券が印刷された時期ははっきりしませんが、「通行税2割」の表記があることから昭和29年4月の改定以降、特別2等車券規程が廃止された昭和35年6月までの間に設備されたものと推察されます。


上田丸子電鉄時代には特殊補充券(出札補充券)が設備されていたわけですが、上田交通になってから、特殊補充券の設備が廃止されたのには、何らかの理由があったのでしょうか?
因みに、車内用の第1種車内補充券は上田交通となってからも細々と存在していました。

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京王帝都電鉄 新宿から130円区間ゆき CI新地紋の乗車券

平成3年2月に京王帝都電鉄(現・京王電鉄)新宿駅で発行された、130円区間ゆきの硬券乗車券です。


   


B型桃色京王CI新地紋の金額式券で、シンコー印刷にて調製されたものと思われます。


同社は平成元年11月に「KEIO」のCI(コーポレートアイデンティティ)シンボルマークが制定され、もしかするとそれ以前の設備駅があったかもしれませんが、翌2年3月に開業した相模原線橋本駅に設備された硬券乗車券からCI新地紋の券が設備されたように思います。

しかし、平成3年度中には同社の硬券乗車券の発売を廃止してしまいましたので、CI新地紋での硬券はすべての駅に設備されることはなかったばかりか、設備された駅でも常時発売されていたわけではなく、さほどの枚数が捌かれることなくお蔵入りとなってしまいました。

ちなみに、硬券入場券は平成18~9年ごろまで、高尾山口駅で発売されていたものが最後であったと思います。

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東京都交通局 東京都電ご愛顧感謝乗車券 ~その2

前回エントリーで東京都電ご愛顧感謝乗車券を御紹介いたしましたが、この券には他にも数種類あったようです。


      


同じ東京都電ご愛顧感謝乗車券ですが、こちらは無軌条電車(トロリーバス)の乗車券となっています。

前回エントリーの電車乗車券同様とうきょうとこうつうきょく自局地紋ですが、青色地紋ではなく桃色となっています。そして、乗車券部分も「無軌条電車乗車券」となっています。

図柄は電車乗車券のものと同一ですが、右上にあります「電車乗車券¥20」に対して「無軌条電車乗車券¥30」となっており、電車乗車券のものとは細部に相違があります。


東京都交通局のトロリーバスは昭和27年5月に開業し、「架線を引けば軌道施設のいらない画期的な電車」として登場しましたが、他の公営交通同様、バスの大型化によってその利点は失われてしまい、昭和43年9月に全廃されてしまっています。


トロリーバスも都電同様に昭和42年10月に20円から30円に運賃が改定されておりますので、この券も10月の運賃改定の際に発売が開始されたものと推察されます。


手元にはこの券しかありませんが、他にバス乗車券というものも見た記憶がありますので、少なくとも都電・トロリーバス・バスの3種類が存在したものと考えられます。

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東京都交通局 東京都電ご愛顧感謝乗車券

昭和42年に発行された、「東京都電 ご愛顧感謝乗車券」です。


   


これは東京都電が本格的に廃止されることになった昭和42年に発行された、記念乗車券となります。

東京都交通局の都電および都バス関連で使用される自局地紋の券が右端に付けられたもので、乗車券には単に「電車乗車券」とだけ記載されています。
図柄は1882年の馬車鉄道開業馬車鉄道の鉄道馬車と、昭和42年の第1次都電撤去対象である銀座線の花形であったPCCカー5500型5501号とが描かれています。


東京都電は昭和42年以前にも東京オリンピック開催に伴う道路整備や、競合する地下鉄路線の建設および開通によって部分的に路線が廃止されてきましたが、東京都の財政再建に伴う都電撤去計画に基づき、昭和42年12月10日の銀座線を含む8路線の廃止を初めとして、昭和47年11月の第7次都電撤去までに現在の荒川線の一部となる2系統(27系統および32系統)を除き廃止されました。


この券は廃止の始まる昭和42年のものとされていますが、都電の運賃は昭和42年10月に15円から20円に引き上げられていますので、この券が発行されたのは運賃改定後である10月以降に発行されたものと推察されます。


どのように発売されていたかが不明ですが、当時、都電の片道乗車券は車内で車掌から買い求める方法が採られており、案内所等では発売されていませんでしたので、記念券として案内所で発売されていたか、車掌が通常の片道乗車券として発売していたかのどちらかであったものと考えられます。

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東海汽船 大島支店発行 東京山手線内ゆき連絡乗車船券

今日は7月15日、海の日です。海の日にちなんで船の話題といたしましょう。


昭和54年9月に東海汽船大島支店で発行された、国鉄線東京山手線内ゆきの連絡乗車(船)券です。


   


青色JPRてつどう地紋のA型一般式券で、山口証券印刷にて調製されたものと思われます。


乗車船経路は伊豆大島(大島港)~(大島航路)~熱海港…(バス連絡)…熱海駅~(東海道本線もしくは東海道新幹線)~東京山手線内という経路になります。熱海港から熱海駅間についてはバスもしくはタクシーによる連絡となっており、この乗車(船)券にはその部分は含まれていません。

熱海港~熱海駅間の連絡は、バスだと所要約15分・タクシーだと所要10分程度となっており、当該区間のバス運賃さえもが含まれていない連絡乗車船券は、接続の交通手段に何の保証も無く、少々無理がある連絡運輸設定と感じてしまいます。


伊豆大島(大島港)~熱海港間は船舶による運航のため「乗船券」であり、熱海駅から東京山手線内までは鉄道による運行のため「乗車券」でありますので勝手に「乗車船券」と表現させていただいていますが、恐らく正式には「乗車券」なのでしょう。

当時は内航フェリーの海運会社と国鉄との連絡運輸の例ががいくつかあり、大抵鉄道と同様式の連絡乗車券が発売されていました。

私鉄の鉄道会社が発行した連絡乗車券と何ら変わらない様式で、パッと見海運会社が発行したものとは思えませんね。

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東京都区内から浅虫・青森・大釈迦間ゆき乗車券

昭和59年8月に駒込駅で発行された、東京都区内から浅虫・青森・大釈迦間ゆきの片道乗車券です。


   


青色国鉄地紋のA型券で、東京印刷場にて調製された一般式券になります。

JR化後、盛岡~目時間および目時~青森間はそれぞれいわて銀河鉄道と青い森鉄道に移管されて路線図がかなり変わってしまっていますが、かつては国鉄(JR)1本で青森まで行くことができました。

当時の運賃は756.5kmで8,700円でしたが、現在では新幹線経由でJRのみで行けば10,190円、全線普通列車を利用していわて銀河鉄道と青い森鉄道を乗り継いで行けば13,840円かかります。しかし、仙台から仙山線を経由して羽前千歳廻りで行けば785.1kmで運賃は10,500円となり、北上から北上線を経由して秋田廻りで行けば787.5kmで運賃はやはり10,500円になります。


この券の経由欄は「仙台経由」とだけ書かれています。
東北本線をひたすら北上し、青森から奥羽本線で大釈迦まで行くのが一般的でしょうが、仙台さえ通過すれば、その他にも乗車経路を考えることができます。

現在のマルス券であればもう少し細かな経由表記になっていますのでこのようなことは無いと思われますが、当時、実際にこの券でそのような経路を乗車して途中下車したら、何らかのトラブルになりそうに思えます。

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