趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
切り取られること無く発行されるC型硬券
前回の拙ブログにて201系営業運転開始の記念乗車券を御紹介いたしましたが、通常発行されるC型硬券の発行例を考えて見ました。
まず思いつくのが以前御紹介いたしました準常備連続乗車券です。上段に戻る駅までの乗車券が付いており、下に折返し後の乗車券が付いています。ただ、補充式のため、右側部分は売上報告片として切り取られるため、乗客の手元に行く時には報告片は切り取られて発行されています。
それでは、通常発行される券で、
「報告片」として一部を切り取られること無く乗客へ発行される券はあるでしょうか?
これは北海道内の「函館」までの特急券と青森からの上野までの特急券をひとつに纏めた特急券の発行例です。報告片などは一切ない常備券です。
裏を見ると、上段の特急券には左右両方に券番が印刷されており、下の券には券番が片方ありません。
おそらくこれが、C型硬券が切り取られないまま乗客の手に渡る数少ない例なのではないかと思います。
祝 JR東日本E233系始動!!
本日より、JR東日本中央快速線に投入された、E233系が営業運転を開始いたしました。この電車は電気系統を二重化し、危機管理対策を強化させた車両として注目を浴びている電車で、2008年3月までに201系をすべて置き換えることになっています。E233系電車の詳細については、JR東日本のプレスリリースおよびJR東日本八王子支社のプレスリリースに詳細が載せられております。
さて、今から27年前の昭和54年8月20日、国鉄中央線にて201系の営業運転が開始されました。
今回のE233系営業運転開始に際しての記念乗車券類は発行されなかったようでしたが、201系の時には立派なC型硬券の記念乗車券が発行されました。
これは三鷹駅の5番線ホームで一般公開された際、コンコースにおいて発行された、200円区間券が2枚セットです。
2枚が緑色の袋に封入されて発売されていたので、どちらが1枚目なのかわかりませんが、私が勝手に思っている「1枚目」には201系の写真が印刷され、「2枚目」には車内座席の様子と運転台の写真が印刷されています。写真は試作車900番台車の新製時の写真で、オリジナルの外観と試作車特有の青い床面および、従来型のマスコンが設置された運転台の様子がよくわかります。
どちらも下半分が三鷹から200円区間の金額式乗車券となっており、東京印刷場特有の活字で印刷されております。
裏面には201系電車の説明が書かれており、乗車券部分には発行駅名と券番が印刷されております。
この記念乗車券は面白いことに、嫌われがちな前売り「呪文」の類が無く、都度ゴム印で日付を捺印して発売されておりました。C型のため、乗車券部分が半分より上にあればダッチングで印字したのかもしれませんが、下半分となるとゴム印の方がすっきりします。
私の記憶が正しければ、これが恐らく最初で最後のC型硬券の記念乗車券だったのではないかと思います。当時既にC型硬券はその役割を終え、東京印刷場のみに印刷機が残存していたくらいでしたので、敢えてC型で発行させた当時の企画力は評価できるものであると思います。
評判が良かったのか、その後田浦駅の記念入場券や国電カラー化25周年の記念入場券としてC型硬券の発売実績がありますが、乗車券での発売例は知りません。
また、入場券類にはすべて前売り「呪文」が入っており、このように都度日付を入れる形式のものは他に例が無かったのではないかと思います。
連絡乗車票
輸送障害などで振替乗車を実施する場合、関東地区では振替輸送依頼社局が、関西・中部地区では被振替輸送依頼社局がそれぞれ振替乗車票を発行しますが、被振替輸送機関が路線バスである場合、振替乗車票ではなく、連絡乗車票が発行されます。
これは関東地区のものですが、B型無地紋硬券に赤色印刷されております。
鉄道用のものとは異なり、「当日限り有効」、「途中下車前途無効」の注意書きはなく、単に降車の際に乗務員に渡す旨しか書かれておりません。
硬券廃止後に軟券のものが出現したのかは不明ですが、明らかに路線バス以外に振替手段のない近郊の駅を除き、あまり発行例を知りません。ましては、山手線内などの都心部の駅発行の券は未見です。
ところがJRになってから、これに変わる新種の乗車票が発行されております。
これは薄手の白い上質紙に印刷されたA型よりも若干大きめのもので、「路線バス振替乗車票」という名前に名称が変更されています。
券番はなく、上部がメモ帳のように糊付けされて束ねられており、下の日付欄にパンチを入れた上、1枚1枚剥がしながら発行する様式です。
これは中央線が人身事故で抑止された時に三鷹駅にて発行されたもので、日付のパンチは入っていません。この他にも何回か発行している現場を見たことがありますが、回転ゴム印で日付を捺印したり捺印していなかったりと、発行方法は係員によって違いがあるようです。
ただ、振替乗車票の類は基本的には日付を入れないで発行されているようですので、「路線バス振替乗車票」についてもそれに倣っているものと思われます。
関西地区の振替乗車票
先日拙ブログにて関東地区の振替乗車票を御紹介いたしましたが、関西地区のものが出てきましたので御紹介します。
関西の振替乗車票の発行方法は関東地区とは異なっていて、関東では振替輸送依頼社局が乗車票を発行するのに対し、関西では被依頼社局が発行します。
また、関東では区間は予め定めず、着駅名を空欄のまま発行するのに対し、関西では区間を予め定め、着駅名を印刷の上発行されます。
名古屋地区でも関西と同じ発行方法に拠るようです。
写真の券は、大阪市営地下鉄御堂筋線が不通になった際、国鉄大阪環状線に振替されたときのもので、既に着駅欄に「鶴橋」と記載されています。
謎の乗車票
昭和60年12月23(?)日に青梅線各駅が一斉に軟券化され、硬券入場券が無くなりました。
そのときに各駅を廻った際、古里駅の券箱の入場券の入っているホルダーのとなりに「乗車票」と書かれたホルダーが刺さっているのを見つけました。
若気の至りでなんとか1枚戴けないかと窓口氏に申し出たところ、裏に無効印を捺すという条件で、あっさりと御好意で1枚戴くことができました。本来は簡単に戴けるものではないものと認識しておりますが、同駅は既に簡易委託化されていることと、既に20年以上経過しているものですので、時効ということではないですが、御紹介させていただきます。
B型の片道用の乗車票で、無地紋になっています。「から」という活字より推察するに、昭和30年~40年前半ごろに東京印刷場にて作成されたものと思われます。裏面は単なる券番のみが印刷されており、何の注意書きもありません。
それにしても、このような乗車票は通常駅に設備されていても金庫などに保管されているのが一般的ですが、古里駅のように、券箱に他の乗車券と同じようにして刺してある例はあまり見たことがありません。せいぜい、秩父鉄道の無札証明くらいのものでしょうか?
実は私、この乗車票が何のためにあるものなのか、わかりません。いったい、どういうときに使用されたのでしょうか?ご存知の方がおられましたら、コメント欄にてご教示いただけたらと思います。
国鉄線乗車票
今はあまり派手にしなくなりましたが、かつて国鉄では、国労・動労のストライキや順法闘争などで列車の運行を全く取りやめたり、間引きしたりすることが年に数回ありました。
列車の運行が止められた場合、国鉄は定期券客に対して振替乗車票を配ることはありませんでしたが、列車運行開始後1~2日後になると、運行取り止め日数分、定期券の期限を延長をするか、日数分×1往復分のA型硬券の乗車票を発行することでその穴埋めをする取り扱いが行われました。
単純に考えれば定期券の延長を申し出た方が乗車回数の面で乗客側が有利になりますが、乗車票は乗車回数の面で不利なものの、期限内であればいつでも乗車できる利点がありました。これは窓口に申し出た際に乗客側が選択するのですが、やはり、きっぷコレクターである私は、当然の如く乗車票を受け取ってしまいます。
これは昭和51年春に配布された東京印刷の乗車票です。区間は原定期券の区間を記入のうえで発行することになっていましたが、これは、区間記入漏れの状態で発行されてしまったものです。期限は昭和51年6月30日まで有効となっておりました。
裏にはその使用方法が記載されております。
昭和51年秋にも同じく発行されております。今回は昭和51年10月31日まで有効となっております。
これは昭和55年秋に発行されたものです。有効期限は昭和55年10月31日までとなっておりますが、今回については誤植エラー券となってしまい、昭和55年10月日31まで有効というお粗末なものになってしまいました。
その後も発行され、従来の発行都度新たに印刷する方式から、有効期限はブランクに改められ、発行する都度記入する方式に変更されました。
これらの乗車票は発行箇所名を記載するところは全く無く、また、区間が予め印刷されているものは見たことありませんので、恐らくそういうものは無かったと思われます。
(発行箇所名の記載が無いのは不思議ですが、都度区間を違えて発行する関係上、区間常備式の必要性が無かったものと思われます。)
また、有効期限部分の相違があれども、様式の変更がされずに発行されてきました。
しかし、「変わり者」っていうのはどこの世界にもいるもので、国鉄線乗車票にも変わり者が存在しました。
これは一番最初に御紹介した昭和51年春に発行されたものですが、B型硬券で発行されております。きっぷの参考図書で調べても、乗車票がB型で発行されたものはこの時だけであったそうです。
定期券発行窓口で発行されていある関係上、A型でも定期券用の△「事務管コード」のついた大型印を捺印する機会が多いためにスペースが若干窮屈そうな気がしますが、B型券になるとなおさらです。
裏面の注意書きはA型券と同一ですが、こちらは大量生産された片券番のものになっています。
JRになった現在でも、列車の運行が取り止められたときには定期券の延長等をする規則は残っていますが、千葉の一部地区を除いては列車の運行への影響があるようなストライキは皆無になってきており、このような乗車票を拝む機会もなくなってきました。
□東の振替乗車票に変化が!
昨晩(12月18日)、またしても会社帰りに、中央線が四ツ谷=新宿間での車両点検のために運転見合わせとなり、会社線への振替輸送が実施されました
普通の人であれば「またかよっ!!」って怒りたくなりますが、きっぷコレクターは変わった人種でして、ちょっと得した気分になります。情報を掴むや否や、一目散に精算所めがけて蒐集活動の開始です!!
今日は東京駅で足止めを喰らい、既に蒐集済みではありましたが、一応振替乗車票を戴いてきました。
最初は何の気なしに東京メトロ東西線に乗車したのですが、車内で振替乗車票を眺めていたら、なんだかいつもと様子が違います。
よくよく見ると、注意書きがなんだかしつこく書かれています。
今までは「当日限り有効 途中下車前途無効 着駅でお渡しください。」という注意書きだけでしたが、今日貰ったのは、「当日限り有効、途中下車できません。 着駅でお渡しください。自動改札機はご利用になれません。」となっています。
また、活字も微妙に違います。
いったいいつから変更になったのかわかりませんが、裏を見てみると券番はかなり進んでいます。
(振替乗車票は無料にて片っ端から配ってしまうので、これほど券番のいい加減なものはないですが…)
国鉄からJRに引き継がれたころ、振替乗車票は硬券のままでしたが、硬券が廃止された後の平成3年くらいから軟券化されていきました。しかし、軟券化されてレイアウトが変わったものの、注意書きについての変更は一切ありませんでした。
ここにきて、またひとつ、国鉄時代の名残りが消えていってしまうようです。
万博中央駅の記念ホログラム乗車券
菅沼天虎様のブログでも紹介されておりますが、今になって考えてみると、科学万博に関連する乗車券って、本当にたくさん発行されたものです。昨年の愛地球博でもいろいろと出ていたんでしょうが、その殆どがマルスなどの機械発行の企画券だったようでしたので、なんとなく蒐集意欲がなくなってしまったのは私だけでしょうか?
今回御紹介いたしますのは、科学万博らしく(?)、当時最先端であっただろう技術を駆使して作成された、ホログラム入りの記念乗車券です。
表紙はこんな感じで、真ん中のシンボルマーク部分がホログラムで印刷されています。
当時、「ホログラムって何ぞや?」ってレベルのものでしたが、今や当たり前のようにクレジットカードなどに使われています。ビール券や紙幣なんかにも使われている、虹色の光を放つ「あれ」です。
裏を返してみると、券番を覗き見る穴が開いており、いちいち中身を改めなくても売上精算時に番号の確認ができました。当時の記念きっぷの類は、だいたいこのようになっていたものです。
そして、中ほどに科学万博のシンボルマークがあり、発行局である「日本国有鉄道水戸鉄道管理局」のネーム、その下にシンボルマークの承認番号があります。
それでは、中を開いて見ましょう。
見返し左側に科学万博の概要があり、右側に硬券の記念乗車券が貼り付けてあります。そしてその下に、これまた当時の最先端だったのか、セラミックで作った模擬券が貼り付けてあります。
今回の硬券乗車券は相互式ですが、昭和44年のモノクラス化以前の近距離1等券を髣髴させる緑色地紋とローマ字表記など、何気なく遊び心いっぱいの出来ばえです。
では、きっぷ達をじっくり見てみましょう。
よくよく見ると、セラミック券の活字が硬券のものに良く似ていて、それはそれで興味深い逸品です。特に前売りの「呪文」部分の有効期限を囲んだ四角のラインなんか、硬券そのものです。
そのまた下に、ホログラムとセラミックの疑問に答えるべく、それらの説明があります。
読んでも、判ったんだか判らないんだか、科学に強くない私にはよく判らない説明があります。
あと、説明はどこにもありませんが、発売額が1,000円でしたから、セラミック券は実際には使用できないんでしょうネ
ちなみに、モノクラス化以前の国電区間の1等券を御紹介しましょう。
なんとなく、この記念乗車券の遊び心がお分かりいただけましたでしょうか?
この記事は、菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」12月17日エントリー「国鉄発行 科学万博-つくば'85入場券」にトラックバックさせていただきました。
国鉄関東地方自動車局発行の科学万博記念乗車券
科学万博期間中、国鉄では鉄道だけでなく、バス部門においても記念乗車券が発行されております。
今回御紹介いたしますのは、関東地方自動車局(→JR東日本関東自動車事業部、現・JRバス関東)土浦駅発行の記念乗車券です。
土浦および古河から200円区間のD型金額式乗車券が2枚セットになって売られておりました。
表は緑色の国鉄地紋で、関東地方自動車局を現す「○関」のマークが入り、裏面には、土浦駅・古河駅発双方とも、発行駅名である「○委 土浦駅」と、国鉄バスのマークと科学万博のシンボルマークが印刷されております。
万博中央駅の入場券とは違い、科学万博のシンボルマークの使用承認番号は台紙に記載されていたので、きっぷそのものへの印刷はありません。
東京印刷所製でどっしりとした感じで好感がもてますが、「科学万博-つくば“85 記念」の題字の「‘」が「“」となっているのがミスなのかわざとなのか、悩むところです
長野電鉄 信濃川田駅 昭和61年ごろのきっぷ
菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」12月9日エントリー「長野電鉄 信濃吉田駅 昭和61年」に関連し、信濃川田駅でも同じような兆候が見られましたので投稿します。
これは昭和61年3月29日に購入した、信濃川田駅の入場券です。
この日、他の駅の入場券は既に日本交通印刷製の新券に切り替わっており、唯一旧券で入手したのがこれでした。だいぶ古い券のようで、30円券に料金変更印を捺印して使用されておりました。
その他、金井山・綿内ゆきの小児用乗車券も旧券でしたが、ここでは売れ筋と思われる、屋代ゆき大人・小児用乗車券は新券に切り替わっていました。
やはり、菅沼天虎様が投稿されているように、長野電鉄では昭和61年ごろのタイミングで硬券を従来の様式から日本交通印刷製のものに切り替え、経費削減のために「小」の影文字や赤ラインなどを廃止していったようです。ただし、小児用のB型補片については、スペースの関係からなのか、新券切り替え後も影文字は残っているようですが、大人用・小児用共、発駅常備券はなくなったようです。
またこの日、湯田中駅の長野電鉄バス(現在の長電バス)の出札窓口では、さすがスキー場のバスと思わせる「バス・スキー券」と「バス・荷物券」というものが、旧券で発売されておりました。
スキー券の赤いラインが印象的です。このような特殊な券はそれほど発売枚数が多くないようで (というよりも、一般の乗客が、バスに大きな荷物を持ち込むためにわざわざこのような券を購入しに行くことは稀でしょう…)、しばらくは残っていたようです。
翌年訪れた時には、スキーを担いでいるような乗客は決まって大きな荷物も持っているからなのか、2枚をひっくるめた「スキー荷物券」なるものが新券にて登場し、単独のスキー券と荷物券はなくなったようです。
いったい、これら旧券はなんという印刷工場で印刷されたものなのかよくわかりませんが、その他に、国鉄連絡券については、下の券のように、国鉄の新潟印刷場から供給されたものが使用されていた時期もあったようです。
この記事は、菅沼天虎様の「菅沼天虎の紙屑談義」12月9日エントリー「長野電鉄 信濃吉田駅 昭和61年」および、csssb様の「(仮)無計画収集記」12月9日エントリー「長野電鉄 硬券の特急券」にトラックバックさせていただきました。
« 前ページ |