JR東海 品川駅発行 東京ゆき片道乗車券

前回エントリーで、JR東日本品川駅で発行された、品川から東京ゆきの片道乗車券を御紹介いたしました。同駅はJR東日本の他にJR東海の管理駅となっており、JR東海の指定券券売機でも品川から東京ゆきの片道乗車券を購入することができます。

2019(令和元)年8月にJR東海品川駅の指定券券売機で発行された、品川から東京ゆきの片道乗車券です。


   


青色JRC地紋の指定共通券用紙が使用されています。
JR東日本のものと違い、JR東海の券売機では自社線である東海道新幹線経由で発券されるようになっており、幹在識別表記が「▮▮▮▮・・・・・・・・」と表記されています。

JR東海の指定券券売機では、JR東日本とは違って乗車券の発券機能にはかなりの制約があり、同区間の乗車券を発券するには新幹線利用のための乗車券としての選択をする必要があり、新幹線経由で発券されます。

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JR東日本 品川駅発行 東京ゆき片道乗車券

2019(令和元)年8月にJR東日本品川駅の指定券券売機で発行された、品川から東京ゆきの片道乗車券です。


   


青色JRE地紋の指定共通券用紙が使用されています。
特に珍しいものというわけではありませんが、東海道本線(在来線)経由となっており、幹在識別表記が「▯▯▯▯・・・・・・・・」と表記されています。

JR東日本の指定券券売機では、任意の区間の乗車券を簡単に購入することができ、同区間の乗車券を「普通列車利用」として発券すると、在来線経由で発券されます。

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京王帝都電鉄 井之頭公園駅発行 吉祥寺接続国鉄連絡乗車券

前回エントリーで京王電鉄井の頭線井の頭公園駅で発行された普通入場券を御紹介いたしました。
今回は、かなり前の時代の井之頭公園駅(現・井の頭公園駅)で発行された、吉祥寺接続の国鉄連絡乗車券を御紹介致しましょう。


   


日付が見づらいですが、1955(昭和30)年2月に発行された、井之頭公園から吉祥寺接続の国鉄線連絡乗車券です。
桃色PJRてつどう地紋のB型地図式大人専用券となっており、山口証券印刷で調整された可能性があります。
着駅は吉祥寺駅から上り方面の、山手線恵比寿~大塚間となっています。当然ながら下り方面にも同じ運賃帯の着駅があるわけであり、同じ料金ながら、下り方面への口座がもう一つ存在した可能性があります。


   


裏面です。吉祥寺経由であることと、表面太線区間内のいずれか1駅が着駅であることが記載されています。


井の頭公園駅は前回エントリーにて申し上げました通り、開業時は終着駅として開業していますが、開業から8か月後にあと一駅延伸され、途中駅になった経緯があります。
1933(昭和8)年に開業した際には井之頭公園駅として開業していますが、1950(昭和25)年に井ノ頭公園駅に改称され、さらに、1960(昭和35)年に現在の名称である井の頭公園駅に再度改称されています。
御紹介の券は昭和30年に発行されておりますので、発駅は井ノ頭公園駅が正当ですが、この券は井之頭公園となっており、旧駅名の残券が使用された可能性があります。

しかも、頭公園と、ゴシック体の中に「之」だけ一回り小さな明朝体になっており、かなりバランスの悪い仕上がりとなっています。

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京王電鉄 井の頭公園駅 普通入場券

1994(平成6)年6月に京王電鉄井の頭線にあります井の頭公園駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋赤横1条のB型大人・小児用券で、山口証券印刷で調整されたものと思われます。
この券は実際に井の頭公園駅で発行されたものではなく、同社が記念にセット売りした硬券入場券の中の1枚になります。


京王電鉄井の頭線は路線距離12.7km、運行されている列車もすべて5両編成というミニ路線ですが、渋谷~吉祥寺間を短絡する路線となっており、途中下北沢駅で小田急線と、明大前駅で京王本線と接続しており、規模が小さい割には頑張っている幹線クラスの路線となっています。

同線が開業した1933(昭和8)年には渋谷から同駅までの区間の運転となっており、同駅から先、吉祥寺駅までの1駅間の0.6kmは、1934(昭和9)年に開業していますので、同駅は一時的に終着駅になっていたことになります。

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南国交通 鹿児島空港出札所発行 空港バス共通乗車券

2018(平成30)年10月に、南国交通鹿児島空港営業所管内にあります、鹿児島空港出札所で発券された、空港バス共通乗車券です。


   


黄色鹿児島空港バス専用地紋の金額式券で、券売機によって発券されています。
鹿児島空港には南国交通の他に鹿児島交通のバスが乗り入れており、この券は発着するどの事業者のバスにも使用することができます。図示いたしませんが、この券は料金機対応になっており、裏面にも全く同じ地紋と印字がされています。


この券の特徴は地紋にあります。
では地紋を拡大してみましょう。


   


大きく拡大してみました。
拡大してみますと、いろいろなバス事業者の名前が入っていることがわかります。
  1. ナンゴクコウツウ (南国交通バス)
  2. ジェイアール   (JR九州バス)
  3. カゴシマコウツウ (鹿児島交通バス)
  4. ハヤシダサンギョウ(林田産業交通バス)
  5. クウコウリムジン (鹿児島空港リムジン)
  6. ナンキュウコウソク(南九州高速バス)
以上6社の名前が確認できます。

このうち、南国交通バスJR九州バス鹿児島交通については現在でも運行されておりますが、林田産業交通バスは1996(平成8)年に経営破綻したうえで林田バスに社名変更され、いわさきグループの傘下に入り、いわさきバスネットワークに移行されますが、2016(平成28)年に鹿児島交通に譲渡のうえ、会社は解散してしまっています。

また、鹿児島空港リムジンは鹿児島交通と林田産業交通バスが共同出資で立ち上げた、全国的に珍しい空港バスの専業会社でしたが、2006(平成18)年に鹿児島交通に移管されています。

さらに、南九州高速バスは鹿児島交通と林田産業交通バス、南国交通バスの3社共同出資で立ち上げた高速バスを運行する会社でしたが、2004(平成16)年に会社が清算されてしまっています。


このように、地紋に描かれている6社のバス事業者のうち3社が2004年から2016年の間に無くなってしまっているわけですが、この券紙はいつの時代からのストックなのか、大変興味深い所です。

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いでゆ號 準急行券

1951(昭和26)年3月に熱海駅で発行された、いでゆ號(号)の準急行券です。


   


桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものと思われます。
当時の国鉄では、急行(普通急行)列車よりも格下の準急(準急行)列車というものがあり、御紹介の券はその当時の準急行券になります。
戦前の準急列車は運賃以外の料金が不要で、急行列車よりやや劣る速度で走るという現在の快速列車のような位置づけでしたが、戦後になって登場した準急列車は、急行列車として運転するには車両設備が不十分であるという設定の列車ではありましたが、準急料金という料金が設定されていたという点が異なっていました。

この券が発行されたころのいでゆ號は、伊東~東京間を毎週日曜日に上りのみ運転されていた客車列車で、同年の夏ごろには土曜日にも下り列車も運転されるようになり、80系電車による電車準急列車になって行ったようです。これが、今の特急踊り子号に発展するようになります。


   


裏面です。当時の準急行券は座席の指定はありませんでしたが、列車については指定されていたようです。しかし、準急行券の末期のものは、列車名の指定はないようです。

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JR東日本 弘前から180円区間ゆきキレート式券売機券

前回エントリーでJR北海道千歳空港駅で発行された140円区間ゆきのキレート式券売機券を御紹介いたしましたので、今回はJR東日本で発行されたキレート式券売機券を御紹介いたしましょう。


   


1987(昭和62)年9月にJR東日本奥羽本線弘前駅で発行された、180円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ過渡期地紋のA型金額式券売機券で、キレート式となっています。

硬券の世界同様、券売機券につきまましても国鉄から民営化後の約1年間に限り、国鉄時代の券紙を使用することが認められていました。首都圏の各駅では比較的早めに在庫が捌けたようで、気づいた時には国鉄地紋の券は見かけなくなりましたが、地方都市では比較的遅くまで残っていたようです。

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JR北海道 千歳空港から140円区間ゆきキレート式券売機券

1989(平成元)年2月にJR北海道千歳線千歳空港(現・南千歳)駅で発行された、140円区間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色JR北地紋のA型金額式券売機券で、キレート式券になります。

キレート式は国鉄時代の昭和50年代初頭あたりから普及していましたが、セット可能な凸版印版の数しか口座を作れないことと、当時頻繁に行われた運賃改定のたびに凸版印版を交換する必要が生じ、国鉄末期に登場した多種多様な口座設定が可能で、かつ、券面内容の変更が比較的容易であった感熱式に変わって行きました。しかし、それでも僅かに残っていたキレート式券売機はJR各社に承継されていきましたが、民営化後数年で姿を消してしまったようです。


キレート式券売機は、従来の練りインクを使った凸版印字のきっぷ(スミインク式)は持つ手に乾いていないインクが付いて汚れるというクレームが多発し、その対策として国鉄に導入された沖電気とパイロット万年筆が開発した速乾性のキレートインクを使用した券売機です。
これは、顕色剤を塗布した券紙に発色剤を含んだ水性インクで印刷することにより、券紙に付いたインクにキレート発色という化学変化が瞬時に生じ、黒く印刷できる方式です。

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運輸省 天王寺から森ノ宮ゆき 片道乗車券

本日は終戦の日です。いまから74年前の1945(昭和20)年8月15日の正午、昭和天皇の肉声(玉音)によって現在のNHK第一放送によって終戦詔書が放送され、日本が戦争を終結させた日とされています。


    朝日新聞に掲載された玉音放送の告知

平和で「パリピ」な現在の日本では考えられないことですが、今から74年前の日本の現実は悲惨なものであったことは、日本史で教わった通りであったわけです。


さて、今回は終戦の日に因み、戦争にちょっと関係するきっぷを御紹介致しましょう。



   


終戦から3年近く経過した、1948(昭和23)年4月に天王寺駅で発行された、森ノ宮ゆきの片道乗車券です。戦時中に考案された、簡易型「工地紋」の矢印式大人専用券で、千切り式軟券となっています。印刷場は不明ですが、発行されたエリアから、大阪印刷場で調製されたものではないかと思われます。
工地紋は戦時中の混乱期の1944(昭和19)年に広島鉄道局で考案された印刷工程を簡素化するための省略地紋で、広島局の他に大鉄局・門鉄局・名鉄局で使用され、戦後になって仙鉄局でも使用されていたと言われています。

この券は、戦中・戦後の物資難に伴ってペラペラのわら半紙のような券紙や、サイズも通常の乗車券よりも若干小さ目の節約タイプ、戦争への出征などによって印刷場の職員が減少してしまったことによる人手不足対策として誕生した簡易地紋等、戦争の影響が色濃く出ている券であるかと思います。


この券は拙ブログ2013年2月3日エントリーの「鉄道省 天王寺駅発行 工地紋乗車券」で御紹介いたしましたものの再掲になります。
前回は「鉄道省」と記載させていただきましたが、これは鉄道省時代の地紋として御紹介するためにこのような表記にしておりましたが、発行年から運輸省時代になりますので、今回は「運輸省」として御紹介させていただきました。

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小田急電鉄 善行から東京山手線内ゆき 片道乗車券

1978(昭和53)年1月に小田急電鉄江ノ島線善行駅で発行された、東京山手線内ゆきの片道乗車券です。


   


桃色PJRてつどう地紋のB型相互式大人・小児用券で、井口印刷で調整されたものと思われます。

経由表記は「藤沢経由」となっており、乗車経路は、善行~(小田急江ノ島線)~藤沢~(国鉄東海道本線)~東京山手線内各駅になります。
善行駅から反対側に進み、途中の相模大野駅で小田急小田原線に入ることにより、小田急電鉄だけでも東京山手線内の駅である新宿駅に行くことができ、直通列車の設定があることからこちらの方が便利であると思われますが、品川や東京・上野・渋谷といった駅に行く場合には藤沢経由の方が時間的には早いようで、敢えてこのような常備券が設備されていたものと思われます。

ちなみに、善行から新宿までの営業距離は、藤沢経由が61.2kmに対して相模大野経由が52kmと9.2km短く、運賃も安いようですが、所要時間は相模大野経由の方が掛かってしまうこともあり、どちらを利用するかは旅客の好み次第といった気がします。


   


裏面です。券番と循環番号のみで、特に特徴のあるものではありません。

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