豊橋鉄道のレシート乗車券

もう25年以上前のことになりますが、初めて豊橋鉄道に乗車した際に購入した乗車券です。
出札窓口に商店にあるようなレジスターが置かれていて、その機械から吐き出されてきたのは、緑色のレシートそのもののような乗車券でした。

今やレジスターで発行されるレシートは感熱式のペラペラのものですが、当時はタイプライターのようにインクリボンを叩いて印字する方式で紙質も厚めのものが主流でしたが、次第にドットインパクト式のものにとって変わり、その後感熱式のものが主流になって現在に至るようです。

昨年の夏、久しぶりに豊橋鉄道を利用する機会がありましたが、レジスターのような乗車券印発機(?)は既に無く、その後継と思われる小型の印発機が設備されていました。

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飯田町駅ってご存知ですか?

飯田町駅は1895(明治28)年4月に甲武鉄道(現在のJR中央線)のターミナル駅として開設された駅でした。そして1904(明治37)年8月には国電の元祖と呼ばれる電車が中野駅まで運転されると電車の始発駅となりましたが、1928(昭和3)年11月、関東大震災の復興工事の際に、新宿駅までの客貨分離を目的とした複々線化が完成し、それによって飯田橋駅の新宿寄りの折り返し線付近にあった隣駅である牛込駅と統合されて飯田橋駅が開業し、電車の発着は無くなりました。
その後の飯田町駅は長距離列車用の駅となって営業が続けられましたが、1933(昭和8)年3月に長距離列車のターミナル駅は新宿駅に変更され、旅客営業が休止されて貨物駅となりました。
しかし、1997(平成9)年3月には貨物列車の発着が無くなり、1999(平成11)年3月に駅自体が廃止され、現在その跡地にはJR貨物本社やJR系のホテルメトロポリタンエドモンドが建っています。

  images (飯田町~千駄ヶ谷間ゆき)  images (日付部分拡大)

上の券は往復の半券ですが、水道橋駅発行の飯田町~千駄ヶ谷間ゆきの往復乗車券の往路片です。発行された年が不鮮明ではっきりしませんが、日付部分を拡大してみると「13」もしくは「15」と読み取れるところから、まだ電車が発着していた頃の大正13年ないし15年の10月30日発行の券であろうと思われます。

  images (牛込~濱松町間ゆき)

次の券もやはり往復の半券ですが、昭和3年7月8日品川駅発行の牛込から濱松町間ゆきの往復乗車券の復券片です。牛込駅はこの4ヵ月後に飯田橋駅と統合されて消滅してしまっています。

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日中線の乗車券

日中線は磐越西線喜多方駅から熱塩までの全長11.6kmのローカル線でした。
一日の運転本数はわずか朝1往復・夕方2往復の3往復のみで、すべての列車がDE10型ディーゼル機関車の牽引する旧型雑型客車2両編成の列車で、「日中走らない日中線」とまで言われるような盲腸線でしたが、昭和59年4月1日に廃止されてしまいました。
喜多方を出ると途中に会津村松・上三宮・会津加納の3駅(すべて無人駅)を通って熱塩(ここもまた無人駅)まで向かいます。

  images(再度クリックすると大きく表示されます)

そんな日中線に乗車した際、乗車記念に車内で車掌さんに発行してもらった第一種車内補充券です。
車掌さんにきいたところ、日中線には駅名式や地図式の車内補充券はなく、すべて第一種の手書き補充券のみでの発行であったようです。一列車に2~3名の乗客しかいないレベルなので、それでも充分間に合ったのでしょう。

それにしても、当時の車掌さんは達筆な方が多く、揺れる車内でも立ったまま難なく手書きの補充券を発券されていたのが印象に残ります。

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JR東日本の定期券発売機

JR東日本のHPでは見つけ出せませんでしたが、本日から定期券発売機でもVIEWカード以外のクレジットカードが使用できるようになりました。

  images (定期券発売機…品川駅)

これは品川駅にある定期券発売機です。
今まではクレジットカードを利用して定期券を購入する場合、窓口もしくはMV端末での購入となっていました。しかし、比較的高額な取引である定期券を現金で購入することを嫌う利用者の便を考慮したのか、いままでVIEWカードしか使用できなかった定期券発売機を改修のうえ、他社カードも利用できるようになりました。

写真の右側に写っていますように、数日前から定期券発売機でも他社クレジットカードが使用できる旨のポスターが貼られていましたが、別途パンフレットなどで特にPRしているわけではないようです。

  images (Suica定期券)

JR東日本エリア以外のご訪問者様への参考として、Suica定期券をUPいたしました。

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新幹線上野駅乗換改札口の乗車票 ~その2

前回JR発行の乗車票を御紹介いたしましたが、今回は国鉄時代の硬券式の乗車票です。

  images (東京山手線内ゆき)

  images (東京都区内ゆき)

スタイル的には現行の軟券式のものと大差ありません。

都区内ゆきの乗車票には日付の捺印が失念されていますが、上野駅では当初からダッチングによる日付の印字は行わず、ゴム印によって印字していました。しかし、東京駅の乗換口ではダッチングが設備され、基本的にゴム印での日付印字はされなかったようです。

   images (東京山手線内ゆき…東京駅発行)

このやり方は前出の拙ブログでも御紹介しております券にありますように、JR化後もJR東海に引き継がれていたようです。

   images (横浜市内 川崎・鶴見線内ゆき

また、同じような券は上野駅や東京駅のみならず、新横浜やその他の駅などの乗換改札口にも設備されていたようです。

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上野駅新幹線乗換改札口の乗車票

上野駅の新幹線乗換改札口にある東京山手線内ゆきおよび東京都区内ゆきの乗車票です。

 images(東京山手線内ゆき…表)  images(東京山手線内ゆき…裏)

 images(東京都区内ゆき…表)        images(東京都区内ゆき…裏)

これらはJR東日本が一般的に採用しているA型の常備軟券で、乗越精算した際に発行されます。

形式的には双方とも同一ですが、なぜか、山手線内の裏面は券番のみですが、都区内の裏面には券番のほかに注意書きが印刷されています。

 images(JR東海発行の東京都区内ゆき)

あいにく、JR東日本発行の硬券式のものは持ち合わせておりませんが、JR東海が発行した硬券式の都区内ゆき乗車票が手元にありますので、あわせて御紹介いたします。

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すごい訂正…

10年ほど前、鹿児島県加世田市の鹿児島交通枕崎線加世田駅跡にある、南薩鉄道記念館の売店で売られていた廃札の中から見つけた1枚です。
あまりの「すごさ」に惹かれて買ってしまいました。確か1枚100円くらいだったような気がします。

もともとは日置駅から南吹上浜駅ゆきの常備券だったようですが、発駅は加世田駅に訂正され、着駅も薩摩湖駅ゆきに訂正されています。また、乙片もきちんと(?)薩摩湖に訂正されています。しかし、発行駅は日置駅のままです。
中小私鉄の乗車券類で発駅もしくは着駅が訂正されて流用されているものを時々見かけますが、発駅と着駅の双方が訂正されているものはあまり見たことがないような気がします。
実際に使用されたものの残券なのか、廃札になってから何らかの理由でゴム印が捺されたのかは不明ですが、運賃だけが辛うじて訂正を逃れているようです。

もし実際に設備された残券であると仮定すると、加世田駅は鹿児島交通の駅の中でも大きい拠点駅であるにも拘らず、なぜ新券を新たに印刷して補充することなく、このようなお粗末な乗車券を設備しなければならなかったのでしょうか?

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島原鉄道の長距離準常備片道乗車券

いつもパクリになってしまっていますが、菅沼天虎さまのブログ「菅沼天虎の紙屑談義」12月4日エントリーの「島原鉄道 有家から大阪市内ゆき準常備券」で島原鉄道の長距離準常備片道乗車券が紹介されていますが、同じもので、若干時代の古いものが手元にございましたので御紹介いたします。

  images (大三東駅発行…表)    images (裏)

これは、昭和50年に第三東駅で発行された、東京都区内ゆきの準常備片道乗車券です。
発行駅がちがうものの、恐らく菅沼天虎様のものと同じ口座であると思われ、また、東京都区内の下に横線がかすかに見えることや、裏面の注意書きが東京都区内以北まで言及されていないことから、東京都区内ゆきがこの口座の最遠区間であると推測されます。
ただ、菅沼天虎さまのものとは違い、発行された時期は7年古いにもかかわらず、「2等」の表記はありません。しかし、準常備券特有の「着駅最下段」の表記が「着駅最下段」となっており、時代的に古いものであることが伺えます。

  images (原城駅発行)

次は昭和52年に原城駅で発行された、東京都区内ゆきの準常備片道乗車券です。
料金が違いますが、原城駅と大三東駅から諫早駅までの社線内の運賃の差額は現在でも690円ですから、当時の運賃が現行よりも高いことは考えにくく、原城駅のものが大三東駅のものより後に印刷されたものであることが判ります。しかし形式は大三東駅のものと同一のようです。

なぜにして、これより後に印刷された券に「2等」の表記が復活したのか不思議です。

  images (裏面拡大)

因みに、大三東の券の裏にある注意書きを拡大してみましょう。
「阪と表示されている駅」の末尾がカッコで閉じていなかったり、「国鉄線各駅」と記される部分が「国鉄各駅」と記載されている点や、「乗車又は下車できますが前途は無効となります。」と記載されている点など、菅沼天虎様のものと文章は変わりません。また、神戸市内・京都市内・名古屋市内については駅名票にある表示(□神・□京・□名)の表記が無いのも共通しています。しかし、活字の雰囲気が違うことから、改めて活版を組み直したように見えます。

この記事は、菅沼天虎さまの「菅沼天虎の紙屑談義」12月4日エントリーの「島原鉄道 有家から大阪市内ゆき準常備券」にトラックバックさせていただきました。

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同和鉱業小坂鉄道の車内補充券

同和鉱業小坂鉄道小坂線(現・小坂鉄道小坂精錬)は現在も貨物専用鉄道として残存していますが、平成6(1994)年9月30日までは旅客運送も行っていました。
この車内補充券は花岡線廃止後の昭和62年に訪問した際に車内で最短区間で発行してもらったものです。

駅名式のこれといって特徴のない券ですが、強いて言えば、大抵右上にある運賃領収額欄が下にあることが特徴でしょうか?

なんということないのですが、この券について、購入した時から疑問に思ったことがあります。
それは、記憶は定かではありませんが、当時全線乗っても片道580円位だったと思いますが、1枚で複数人分を纏めて発券する欄がないのにも拘らず、使用するとも思えない5,000円や10,000円という高額の領収額欄があったり、また、最低で20円という欄がありますが10円の欄がなかったり、考えてみるとちょっと不思議な券です。

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