JR東日本 戸狩野沢温泉駅発行 硬券入場券

平成2年8月に飯山線戸狩野沢温泉駅で発行された、硬券入場券です。


   


白色無地紋のB型券で、東京印刷場で調製された、大人・小児用券です。

駅名が漢字6文字という字数の多い同駅の入場券は、券面および小児断片に印刷されている駅名には特活が使用されており、大変窮屈な印象を受けます。


戸狩野沢温泉駅は戸狩駅として開業しましたが、飯山市の戸狩温泉と野沢温泉村の野沢温泉の玄関口であるということから国鉄民営化直前の昭和62年3月に現在の駅名に改称され、その1か月後にJR東日本に継承されています。

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西秋留駅発行 乗車券代用入場券

昭和59年6月に五日市線西秋留(現・秋川)駅で発行された、120円時代の入場券です。


   


東京印刷場で調製された桃色こくてつ地紋の大人・小児用B型120円区間金額式乗車券に、入場券のゴム印を捺印のうえ、発売されています。


当時、五日市線内の有人駅である西秋留および東秋留の両駅には硬券入場券の設備はなく、入場券を発売する際には、最短区間かつ入場料金と同額である120円区間ゆき乗車券に入場券のゴム印を捺印して発行していました。

このような方法は国鉄時代の比較的小規模の駅で良く見られました。

窓口での売上精算業務において、乗車券は乗車券収入ですが入場券は雑収入として計上されていますが、この方法では発売された120円区間券のうちの何枚が入場券として発売されたかが明確になりませんので、すべてを乗車券収入として計上していた可能性があります。


このころは硬券入場券のコレクションがブームとなり、当時の国鉄はそのブームにあやかって増収を狙ったのでしょうか、昭和60年の年末頃になって、西秋留および東秋留の両駅にB型無地紋の入場券が設備されています。

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JR東日本 千葉みなと駅発行 乗車駅証明書

本年4月に千葉みなと駅で発行された、乗車駅証明書です。


   


改札端末で発行された券ですが、日付の印字されているものではありませんので、前出し券に発行都度スタンパーを捺印するようになっています。


かつて、乗車駅証明書は硬券であったり、コピーで作成されているものであったりと、各駅ごとに様々な様式のものが発行されていましたが、最近はこのように統一されたものになってきているようです。

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大社駅発行 出雲市ゆき往復乗車券

昭和61年7月に大社線大社駅で発行された、出雲市ゆきの往復乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のA型券で、大阪印刷場で調製されたものです。

同駅は旅客の殆どが出雲大社参詣客が占めていたものと思われますが、駅周辺には民家も多数あり、出雲市駅までの往復乗車の需要がそこそこあったために往復乗車券が設備されていたものと思われます。

同駅から徒歩10分程度のところに一畑電鉄(現・一畑電車)の出雲大社前駅が存在することから、復路の旅客を同線に奪われないよう、予め往復乗車券で引き止める狙いもあったのかも知れません。


大社線は出雲市駅から大社駅までの営業キロ7.5kmの路線で、出雲大社参詣のための路線として開業し、最盛期には東京~大社間を結ぶ急行「いずも(後の出雲、サンライズ出雲の前身)」が運転されており、そのほかにも急行「たいしゃ」や「だいせん」といった長距離列車や参拝客用の団体列車などが乗り入れていました。

そのため、終着の大社駅は島式・相対式ホーム2面3線で突端が機回し用にまとめられた線路配置となっており、ホーム全長は優等列車に合わせて長く取られていました。


   


駅舎は大国主大神さまがお鎮まりになっておられる出雲大社の参詣客を迎えるのにふさわしい、「大社造り」と呼ばれる神社建築様式の御本殿に合わせた造りになっており、ローカル線の終着駅としては別格です。


しかし、昭和60年頃には普通列車のみが折り返す路線となって優等列車の乗り入れが廃止され、さらにはJR西日本に継承された昭和62年になると特定地方交通線第3次廃止対象線区に指定され、平成2年4月に路線そのものが廃止されてしまい、厳かな大社駅も同時に廃駅となってしまっています。

現在、大社駅は平成16年には重要文化財に指定され、「旧大社駅」という観光スポットとして健在です。

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東急電鉄 世田谷線散策きっぷ

東急電鉄三軒茶屋駅で発行された、世田谷線散策きっぷです。


   


これは世田谷線限定の一日乗車券で、記念券部分にはかつて世田谷線で活躍した70型・150型・80型の3種類の電車が描かれ、乗車券部分は黄色PJRてつどう地紋となっています。これは旧型電車の引退を記念して発行されて以来、このデザインになっているようです。

発売箇所は三軒茶屋駅のほか、下高井戸駅および上町停留所で発売されておりますが、どの券も発行箇所名は世田谷線管区発行となっています。

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名古屋鉄道 東岡崎から東京都区内ゆき連絡乗車券(小児券)

前回エントリーで名古屋鉄道の東岡崎駅で発行された東京都区内ゆきの片道連絡乗車券を御紹介いたしましたが、JRがまだ国鉄であった昭和56年に発行されました、同区間の小児専用券がございましたので御紹介いたしましょう。


   


昭和56年3月に東岡崎駅で発行された、豊橋経由の東京都区内ゆき小児専用券です。

水色なごやてつどう旧地紋の一般式券で、やはり愛知印刷で調製されたものです。


当時、名古屋鉄道の主要駅にはこのような長距離の連絡乗車券についての常備券が設備されており、今回御紹介いたしますような需要の多い区間につきましては小児専用券も設備されていました。


この券は実際に父と帰京した際に購入したものですが、父の分の大人・小児用券はきちんと左側にダッチングが入れられているのですが、小児用についてはホルダーから抜いてから一旦机に置いたのでしょうか、日付が右側に打たれてしまっています L(゜□゜)」オーマイガ!

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名古屋鉄道 東岡崎から東京都区内ゆき連絡乗車券

平成7年2月に名古屋鉄道東岡崎駅で発行された、東京都区内ゆき片道連絡乗車券です。


   


水色名古屋鉄道CI地紋のA型一般式券で、愛知印刷にて調製されたものと思われます。


乗車経路は東岡崎駅から名古屋本線で豊橋駅まで乗車し、豊橋駅から東海道新幹線経由で東京都区内まで行く、一般的な経路で計算されています。

JR化後1年位してから、改札時の視認性の観点から東海道新幹線経由の乗車券については経由表記部分にアンダーラインを引くこととなっており、この券についても経由部分のにアンダーラインが引かれています。


かつて、名古屋鉄道はいくつものJR(国鉄)との接続駅で連絡運輸の取扱いをしており、「北アルプス」という特急列車の直通運転までが行われておりましたが、乗車券のIC化に伴い、平成24年4月を以って、IC定期券以外の連絡運輸が廃止されてしまっていますので、このような通しの乗車券を購入することができなくなっています。

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JR東日本 新木場駅発行 サンライズ出雲 特急券・A寝台券

本年9月に「だめ元」で取ったサンライズ出雲の特急券・A寝台券です。


   


JRE地紋の感熱式マルス券で、120ミリ券で発券されています。


サンライズ出雲および瀬戸のA寝台は「シングルデラックス」と呼ばれる個室で、各列車に6室しかない希少な部屋で、大抵の列車では発売開始と共に売りきれる、俗に言われる「プラチナチケット」と言われています。

当初、新木場駅のみどりの窓口で夕方の17時ごろに空席を聞いたところ、1階のシングルが1室だけしか残っていない状態でした。
窓口氏は「サンライズは人気があるので、日によってはすぐに満席になっちゃうんですよ。発券しなければ大丈夫なので、引き抜いて仮押さえしておきましょう」と言われたので仮押さえをお願いしました。

そこで私が調子に乗って、「シングルデラックスの禁煙室なんて残ってないですよね?」とお聞きすると、「シングルが1室しかない状態なんで、まず無理でしょうね」と言いながらマルス端末を叩いてみてくれました。
すると、端末から回答が出た途端窓口氏は固まり、「あっ、取れちゃった!」のひとこと。

思いもよらず、シングルデラックスの禁煙室をゲットできました。


シングルデラックスは正直値段が高いです。シングルの倍近い個室料金がかかりますし、ノビノビ座席だったら個室料金分まるまるが差額になります。

かなり贅沢な一人旅になりますが、乗った時の充実感は、他の個室や座席とは違う、「大人の時間」が過ごせます。

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茨城交通 車内補充券(連絡用)

前回エントリーで同線社線用の車内補充券を御紹介いたしましたが、連絡用も存在していました。


   


昭和60年頃に発行された、連絡用の車内補充券です。
橙色自社地紋の駅名式券です。発行箇所名は社線用同様、那珂湊車掌区乗務員となっています。


発駅(往復の場合は着駅)用として社線内の駅の記載もありますが、社線用が他に設備されていましたので、こちらは連絡用としてのみ使用されていたようです。
特に、同社の勝田駅は国鉄常磐線と供用ホームとなっていましたので、連絡乗車券の需要がそこそこあったものと思われます。


字数の関係で東京山手線内が「東京山手」となっていますが、このようなときは一般に「東京」を略して「山手線内」と記載されることが多く、これもまた特徴的な券です。東京方面は常磐線と東海道本線に絞り、接続駅である勝田を中心とした常磐線と水戸線、水郡線の駅が多く記載されています。


   


こちらは茨城交通末期に発行された連絡用車内補充券です。
発行箇所名は那珂湊管理駅乗務員発行となっており、社線用の新券の「湊線乗務員発行」とは異なります。
従来とは違い、桃色から肌色っぽい自社地紋に色が変わっていますが、「東京山手」の表記は相変わらずです。


この券は“日工前駅が一般に開放された以後に発行された”時代のものですが、社線内の駅名に日工前の表記がありません。
日工前は連絡運輸の設定が無いため、社線用として使用する目的でない連絡用車内補充券には日工前駅を掲載する必要がなく、誤発行を防止するうえでも敢えて除外されていたと推測されます。

菅沼天虎さまの情報によりますと、このあと、日工前駅およびJR線のひたち野うしく駅が追加された券が登場し、それが最終形であったようです。

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茨城交通 車内補充券(社線用)

昭和60年頃に発行された、茨城交通湊線(現・ひたちなか海浜鉄道線)の社線用車内補充券です。


  


桃色茨城交通自社地紋の軟券で、那珂湊車掌区乗務員発行となっています。
どこの印刷場で調製されたのかが定かではありませんが、あまり他社では使用されていない印刷場で調製されたような気がします。


このころはまだ勝田と金上の間にある日工前駅は日立工機の従業員専用駅で一般の利用ができませんでしたので、乗車券に駅の表記はありません。

員数欄が真ん中にどっしり構えていたり、金額欄が漢数字であったりとかなり個性的な券面です。


地紋が青く活字が若干違いますが、昭和50年代に発行された券もレイアウトは殆ど変っていませんので、この様式はかなり長い間使用されていたものと思われます。


しかし平成になって、大幅に様式が変更されています。

日工前駅が一般に解放された頃に登場していますが、水浜軌道さまより、新様式券は日工前駅解放前に登場し、日工前の記載がない様式も存在したとの御教示をいただきました。


  


変更後に登場した末期の車内補充券です。

桃色自社地紋であるところは変わりませんが、駅名の表記等、かなり近代的になっていますが、面白いことに金額欄は従来の様式を踏襲して漢数字となっています。


この頃になりますと合理化が進んできており、朝夕の通学時間帯を除いた列車は単行のワンマン運転が主流となると、車掌さんの乗車する列車はめっきり減ってきてしまっていました。
すでに同線には専任の車掌さんの所属はおろか、車掌区自体が廃止されていたと思われ、発行箇所名が湊線乗務員となっています。

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