西秋留駅発行 硬券入場券

昭和60年12月に五日市線西秋留(にしあきる)駅で発行された硬券入場券です。


   


白色無地紋のB型券で、東京印刷場にて調製されたものです。


西秋留駅は五日市線の前身である五日市鉄道の駅として開業していますが、同社が南武鉄道鉄道と合併されて南武鉄道の駅となった後に国有化され、国鉄五日市線の駅となりました。

国鉄民営化前日の昭和62年3月31日、秋川市(当時)の中心駅であることから秋川駅に駅名が改称されますが、翌4月1日には国鉄民営化によってJR東日本に継承されていますので、「国鉄秋川駅」を名乗ったのは改称当日である28年前のきょう1日のみということで話題となりました。


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横浜市交通局 市営地下鉄開業40周年記念スタンプラリー (~その2)

前回のエントリーで横浜市交通局の市営地下鉄開業40周年記念スタンプラリーの台紙とスタンプを御紹介いたしましたので、今回は参加賞として入手した賞品を御紹介いたしましょう。


   


再掲いたしますが、このようにスタンプを6駅分コンプリートすると参加賞を戴くことができるわけです。お気づきの方も居られるかも知れませんが、上の画像はスタンプ台紙を開いた内側部分なのですが、あと半分を敢えて隠した状態にしてあります。あと半分は、戴いた賞品をファイリングするスペースとなっており、完成形は下のようになります。


   


なんと、6駅分のレプリカ乗車券が参加賞ということになっていました。


   


乗車券6枚がこのような袋にまとめて入れられており、台紙に挟むようになっています。では、各駅分の券をそれぞれ順に見てみましょう。


    (いせざき長者町駅)

    (坂東橋)

    (吉野町)

    (蒔田)

    (弘明寺)

    (上大岡)


以上6駅分です。残念ながら印刷ではなく感熱印字によるもので、昭和47年当時の券の雰囲気ではありませんが、なかなか良くできています。特に、現在では使用されていない開業時の緑色旧局地紋の券紙となっており、図示いたしませんが、裏面は黒い磁気となっています。現行の券紙に切り替わる前のデッドストックか、わざわざ記念券用として旧局地紋の券紙を作成したものと思われます。

各セットとも券番はどれも同じ2012番となっていましたので、2012年ということで付けられた券番であると思われます。いったいどのような機械を使用して印字したものなのか分かりませんが、券売機用の券紙をセットして大量印字したものでありますので、乗車券印刷発行機のようなものにレプリカ券の様式を設定して印字したのではないかと思われます。


   


これが現行乗車券の様式です。桃色新局地紋(はまりん)の券紙が使用されており、レイアウトも現在のものと違っています。はまりんは横浜市交通局のイメージキャラクターで、市営地下鉄だけではなく、市バスにも現れます。


   


だいぶ退色してしまっていますが、昭和57年12月に発行された、緑色旧局地紋時代の券です。キレート式の金額式券で、レプリカ券のレイアウトはこちらの方が近いことが分かります。


このように、このスタンプラリーの参加賞はきっぷ蒐集家にとっては垂涎ものの賞品ではあるのですが、感熱式であるがゆえその保存性に難点があり、少々残念でもあるところです。

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横浜市交通局 市営地下鉄開業40周年記念スタンプラリー (~その1)

横浜市交通局では、昨年の12月15日(土)と16日(日)の2日間、市営地下鉄開業40周年記念スタンプラリーというイベントが開催されました。

いつもであればこのようなスタンプラリーに参加することはないのですが、今回はスタンプを6駅分集めれば良いことと、参加賞に魅力があったため、冬の寒い時期ではありましたが、朝から地下鉄に乗って参りました。


まず、6駅のうちのどこかでスタンプラリー用のスタンプ台紙を戴きます。これは一人1枚ということでした。


    (スタンプラリー用台紙)


台紙は見開きになっています。


   


開いたところです。


裏にはスタンプラリーの参加方法が記されていて、それに拠りますと、どの駅からでも良いので、とにかく6駅分のスタンプを集めれば良いとのことでしたので、早速参加です。


    (各駅スタンプおよび達成印)


スタンプ6駅分完集です。なんと、スタンプは各駅の開業当初のきっぷを模したもので、きっぷ蒐集家には大変魅力的です。


6駅分を完集していせざき長者町駅のゴール事務所へ持っていくと達成印欄に横浜市交通局のマークのスタンプが捺印され、参加賞が戴けます。

では、当日戴いた参加賞については次回御紹介いたしましょう。

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松本電鉄 島々駅発行 特殊補充券

昭和56年9月、松本電鉄島々駅で発行された、特殊補充券です。


   


緑色JPRしてつ地紋の軟券で、等級制時代の国鉄の特殊補充券に準じた様式となっています。
新島々から島々ゆきの小児2名用の片道乗車券として発券されています。

同駅は昭和40年代前半にバスターミナルの新島々駅(当時は赤松駅)移転に伴って無人化されていますが、臨時発売があったか、イベント等で発券されたかと思われますが、敢えて発着駅を逆にして、しかも、小児2名分として発券されていることから、臨時発売等の何らか発券される機会があったものと思われます。


券の左端のミシン線で冊子から切り離すようになっていますが、ミシン線がきちんと入れられているものではなく、そのまま引きちぎると間違いなく破けてしまうため、駅員氏の配慮であったのでしょうか、券が破損しないよう耳の部分にハサミをいれて切り離してあります。


   


裏面の注意書きです。

まだ等級があった頃の文面で、現在のものとはかなり違っています。


島々駅は松本電鉄(現・アルピコ交通)上高地線の終着駅でありましたが、この券が発行された2年後の昭和58年9月の台風10号による土砂災害で新島々~島々間が不通となり、休止線のまま復旧されることなく、2年後の昭和60年1月に廃線となってしまい、同駅も廃止となってしまいます。

廃線から28年が経過し、廃止後の線路跡は田畑への転用等によって途中から途切れてしまっており、その跡を辿ることは難しいですが、駅舎の建物は新島々駅に隣接した場所に移転保存されており、山小屋風デザインの建物は現在でも綺麗に整備された状態で見ることができます。


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JR東日本 甲府駅発行 新府・塩山ゆき両矢印式乗車券

平成2年2月に甲府駅で発行された、新府・塩山ゆきの両矢印式乗車券です。


    (表面)      (裏面)


桃色JRE地紋の縦型D型の大人専用両矢印式券で、東京印刷場で調製されたものです。

確か購入した時は「平成2年2月22日の記念」として出札窓口で発売されていましたが、富士山や葡萄とワイン・昇仙峡のイラストから見て、もともとはそのような目的で作成されたものではなく、「甲府駅観光入場券」という専用の乗車券袋が付けられていたことから、観光記念的な要素で作成されたものであったと思われます。


縦D型券という特殊な様式となっていますが、使用されている活字を見ますと東京印刷場で日常的に使用されていた活版が使用されており、近年乱発されているオフセット印刷の記念硬券乗車券とは違い、活版印刷による「温かみ」が伝わってくるようです。

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東京急行電鉄 渋谷駅発行 領収証

しばらく特集を組ませていただきました東急電鉄東横線渋谷駅ネタですが、今回で一旦終了とさせていただきたく、あと1回お付き合いください。


  


東横線渋谷駅で発行された領収証です。


同社の領収証は他社のような無地紋のものではなく、桃色JPRてつどう地紋となっており、どことなく乗車券類のような印象を受けます。様式的には一般的な領収証の体裁をしており、地紋と領収証の「コラボ」が独特です。


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東京急行電鉄 渋谷駅発行 出札補充券

15日の金曜日に惜しまれつつ営業を終了した東急電鉄東横線渋谷駅発行の特別補充券です。同社では出札補充券と呼ばれていますので、以後出札補充券と表現いたします。

   


地上線が無くなってしまう区間であるため、代官山駅までの大人片道乗車券として発券していただきました。


緑色PJRてつどう地紋の第1種補充券で、緑色ノンカーボン式の新様式券です。同社には座席指定制の列車はありませんが、一般的な座席指定欄のある様式となっています。

発行箇所名は記入式で、この券には駅名小印を捺印してありますが、以前は下に駅管コードのある駅名印が捺印されていましたので、特に決まりはないものと思われます。


   


駅名小印を拡大してみました。「(東横)渋谷」となっており、田園都市線の渋谷駅である「(田都)渋谷」とはきちんと区別されています。


   


裏面です。学研都市等の記載がありませんので内容は最新のものではありませんが、JR東日本とは東京(都区内)、東海道本線、南武線、武蔵野線、横浜線、横須賀線、相模線、伊東線、吉祥寺-甲府間、青梅線、五日市線、川口-宇都宮間、戸田公園-北与野間、松戸-水戸間、川越線、 高崎線、両毛線、総武本線、京葉線、外房線、内房線、成田線の区間との連絡運輸となっており、実務上問題はないものと思われます。

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東京急行電鉄 渋谷駅発行 区間変更券

2月に東横線改札口で発行された、東急線区間変更券です。


  


桃色PJRてつどう地紋の軟券で、出札補充券と同じサイズの券です。


渋谷駅で東横線から田園都市線もしくはその逆に乗換える場合は一旦ラッチ外に出なければならないため、旅客が所持している原券に不足額がある場合はここで精算する必要があるため、区間変更券が発券されます。


様式は乗車券らしさの無いレイアウトで、どちらかと言うと「伝票」のようないでたちです。上から発行日・着駅・領収額・原券発駅・金額を記入し、発行箇所が東横線側なのか田園都市線側なのか〇印を付けて旅客に交付されます。


この券を良く見ると、記載事項が直接ボールペンで書かれていることに気づきます。大変不思議な様式なのですが、この券は「お客様用」片に直接ペンで書き込み、駅の控え片はノンカーボンで2枚目に複写されるようになっています。大抵の複写式補充券類は控え片にペンで書き込んで旅客に渡す「甲片」が2枚目もしくは3枚目になっているのが普通です。なぜこのような不正乗車が行われやすい方式が採られているのか理由が分かりません。


このような不思議な東急線区間変更券ですが、本日の東横線地上駅廃止を以ってラッチ外乗換の必要がなくなりますので、お蔵入りするものと思われます。

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東京急行電鉄 渋谷駅発行 硬券券売機券

昭和38年7月に東横線渋谷駅の硬券式券売機で発券された、渋谷駅から10円区間ゆきの片道乗車券です。


   


黄色PJRてつどう地紋のB型券です。


   


裏面は真っ白で券番等の記載は全くなく、どこにも券番の記載されていない券となっています。


当時は自動券売機の黎明期であり、現在は主流となっている多能式(ボタンを押していろいろな券種を発券できるもの)券売機の元祖と言えるものが、昭和38年6月に東急渋谷駅および大岡山駅に設備されたと言われています。ゆえに、東横線渋谷駅は「多能式券売機発祥の地」とも言えるような駅であることになります。この券はまさにその「元祖」機で発券されたものです。


券売機内には予め何も印刷されていない硬券の券紙が挿入されており、旅客が購入する際に印板で券紙に券面が捺され、続いて日付がインクリボン打ちで印字されて発券されました。

なぜか発駅名が「渋谷」と駅まで記載されています。同時期の大岡山駅のものも「大岡山駅」となっていましたので、なんらかの意味があって「駅」を付けたのかもしれませんが、真相は不明です。ちなみに、同時期の軟券式単能式券売機券や硬券乗車券で、「駅」まで記載されているものは未見です。


日本初の多能式券売機ではありましたが、硬券に捺印するのでは印板に対して紙が硬すぎたために印板の摩耗が早く、あまり普及はしなかったようです。

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東京急行電鉄 渋谷駅発行 非常時用千切り軟券

日付の捺印がありませんが、昭和60年頃に渋谷駅で発行された、千切り軟券です。


   


緑色PJRてつどう地紋の金額式大人専用券で、山口証券印刷で調製されたものでないかと思われます。

東急では乗車券の軟券化が比較的早期に行われ、自社完結の硬券乗車券は昭和40年代には無くなってしまっており、代わりに千切り軟券が設備されていました。
当時、常時千切り軟券が発売されていたのは、券売機の無かったこどもの国駅や、国鉄連絡中間改札口のある武蔵小杉駅・菊名駅などの限られた駅しかなく、乗車券の発売は券売機化が徹底されていました。しかし、券売機の故障や突発的な旅客の集中等の非常時用には、千切り軟券を使用して臨発が行われることもありました。

この券は、たまたま一時的に券売機前に長蛇の列ができてしまったため、机を出して臨発が行われた時に購入した次第です。


東急の千切り軟券は半硬券とも呼ばれる比較的紙質の厚いもので、1枚づつミシン線が入っていて切れるようにはなっていますが、いちいちミシン線を折って切り取るのでは効率が悪いため、予めハサミでミシン線の3/4程度を切っておき、発券時に残りの部分をちぎって発売していました。

御紹介の券は券番が1番の一番下の券であったために辛うじて四角い原券の大きさが分かるような形になっていますが、上下をちぎられた券は原型が分からないほど斜めに切られていることが多かったようです。

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