名古屋鉄道 新日鉄前駅発行 入場券

昭和60年4月に名古屋鉄道常滑線にある新日鉄前駅で発行された、硬券の普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券で、愛知印刷で調製されたものと思われます。


新日鉄前駅は平成14年に無人化された太田川駅管理の駅員未配置駅で、愛知電気鉄道時代の明治45年に加家駅として開業していますが、戦時中の昭和19年に営業が休止されてしまっています。

その後、駅近くに昭和30年代になって東海製鉄の名古屋製鉄所が操業し始めると駅を復活させることになり、昭和39年に東海製鉄前駅として営業が再開されました。
昭和42年になると、東海製鉄が富士製鉄に吸収合併されて富士製鉄となるに伴って富士製鉄前に改称され、昭和45年に富士製鉄が八幡製鉄と合併して新日本製鉄になると、再び新日鉄前駅に改称されています。

平成24年、新日本製鉄は住友金属工業と合併して新日鉄住金となりましたが、この時は駅名は改称されることなく、現在も新日鉄前駅として営業しています。

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JR東日本 長野駅精算所発行(信)豊野ゆき復路専用乗車券

昭和63年8月に長野駅精算所で発行された、(信)豊野ゆきの復路専用乗車券です。


   


桃色JRE地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。


復路専用乗車券は所持する乗車券の経路外で下車する場合に往路分の運賃を精算する際に復路分も併せて収受し、その復路分についての乗車券として精算所で発行される改札補充券になります。この券は、飯山線から信越本線(現・しなの鉄道北しなの線)方面への長距離乗車券で長野駅まで足を延ばしで下車し、また豊野駅経由で直江津方面へ旅行した際に買い求めたものです。

購入した際に窓口氏に小児専用券もあるのかお聞きしましたが、さほど需要が無いので小児専用券は無いとのことでした。尤も、小児専用の復路専用乗車券などというものは見たことないのですが・・・。


   


裏面です。発売額(精算額)は440円となっていますが、その内の220円が往路乗車分運賃となりますので、「往路分の220円もいただいています。」という注意書きが印刷されています。

往復乗車券の扱いとなりますので有効期間は発売日共2日間ですので、長野駅での滞在期間が2日を超える場合には片道だけの精算となります。そのため、発売する場合には原券の有効期間が3日以上の場合は注意が必要であり、旅客から復路専用乗車券を所望しない限り、精算所では片道分のみ精算し、往路分は別途乗車券を購入して乗車するのが一般的のようでした。

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長野電鉄 屋代駅発行精算済証

平成22年8月に、今は亡き長野電鉄屋代線屋代駅で発行された精算済証です。


   


白色無地紋の乾式コピーにより作成されたもので、だいたいA型の大きさです。

屋代線の屋代駅はしなの鉄道との共同使用駅となっていますが、屋代線の列車を降りる際には運賃を料金機で支払って降りるワンマン列車の方式が採られていましたため、出改札業務はしなの鉄道が行っていた屋代駅では、乗務員から精算済証を貰って出場もしくはしなの鉄道線へ乗り換えるようになっていました。

当時、私は途中の松代駅から補充券で発行されたしなの鉄道連絡の乗車券を使用しており、乗車券を見せるだけで構わなかったのですが、敢えて補充券で発行された乗車券を使用していたことから一般の利用客と見えなかったのでしょう、運転士さんに「こんなのありますが、差し上げましょうか?」と訊かれたので、素直に「是非」と戴いた次第です。
この券を下さった運転士さんに拠りますと、この券は毎日Excelを使用して作成されているもので、日付が大きく印刷されていますので、余れば廃棄してしまうとのことでした。

長野電鉄屋代線はつい最近まで運転されていたように感じますがもう廃止から4年以上が経っています。

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鐵道省 中野駅発行原宿経由惠比壽ゆき 片道乗車券

大正13年2月に中野駅で発行された、原宿経由の惠比壽(恵比寿)ゆき片道乗車券です。


   


桃色GJRてつだうしやう地紋のA型一般式券で、3等13銭という運賃ですが、そのうち1銭は通行税となっています。現在とは違い、途中下車が1回認められ、有効日数も2日間となっています。

入鋏がかなり変なところに入れられていますが、鋏痕は鐵道省から国鉄・JRへと同じ形のものが引き継がれていることが分かります。


恐らく、電車はのんびりと単行で運転され、運転本数も少なく新宿駅での乗換にも相当の待ち時間が必要で、今とは比べ物にならないくらいの時間が掛かったのではないかと推測されます。

また、経由駅である原宿駅では東京2020 オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて駅舎の建て替え論議が起こっていますが、この券が発行された4か月後の6月に開業当初よりも渋谷駅寄りの現在地に移動し、現存する象徴的なイギリス風木造駅舎が竣工しています。

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上田電鉄 居酒屋「お帰りきっぷ」

平成23年9月に上田電鉄上田駅で発行された、居酒屋「お帰りきっぷ」です。


   


黄色BJRてつどうじどうしゃ地紋のA型券で、日本交通印刷で調製されたものです。

居酒屋「お帰りきっぷ」は上田駅周辺にある指定された居酒屋4店舗のいずれかで飲食した場合、飲食総額に応じて、ひとりあたり2,000円以上で上田駅から170円区間、3,000円以上で上田駅から330円区間の切符を貰うことができるサービスです。この券は発行日のみ有効で、発行されたきっぷより先へ乗車する場合は、差額運賃を支払うことで目的地まで行くことができます。


   


裏面です。


これは、飲酒運転撲滅の意味で開始されたサービスですが、実際に居酒屋で飲食をする必要があるため、地元民ではない私にとって入手の難しい券のひとつでしたが、たまたま上田市内のホテルに宿泊する機会がありましたので、指定された4店舗の中からお店を選んで食事をすることで入手することができます。

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JR東日本 上野駅発行出場券

平成28年6月にJR東日本上野駅で発行された出場券です。


   


白色無地紋のA型千切り券で、常備軟券と同じ体裁の様式となっています。図示いたしませんが、裏面は4桁の券番が真ん中に印刷されているもので、恐らく上の切り取り線のところに「耳」がついていたものと思われます。


この券は、東北新幹線の中間改札で精算をした際に発行されるもので、この券を持って改札を出場します。
大抵の精算口には改札端末があってレシートのような出場券が発行されますが、ここの精算窓口には改札端末が無く、このような常備軟券式の出場券を発行しています。

以前は精算所と改札が分かれて離れているような駅に出場券の設備のある駅が多く存在しましたが、合理化によって改札カウンターで精算をするスタイルの駅が多くなり、このような出場券を設備している駅はかなり少なくなっているものと思われます。

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運輸通信省 蒲田駅発行地図式券

数回に亘って鉄道省時代の地図式券について御紹介して参りましたが、今回はその最終回となります。


   


昭和19年4月に蒲田駅で発行された、35銭区間ゆきの片道乗車券です。白色無地紋のB型大人専用券です。


昭和18年11月に鐵道省は運輸通信省に変わり、さらに昭和20年5月には運輸省に変わりました。この混乱期、昭和18年12月から近距離乗車券の有効期間が「発売日共2日間」から「通用當(当)日限」に変更され、昭和19年4月には鉄道運賃に「戦時特別運賃」が加算されるようになり、今まで「(裏面注意)」となっていた左上の部分が「特別運賃共」に変わり、より一層戦局が不利になっている状況が窺われるようになります。


   


裏面です。「発売日共2日間」の部分が「通用當(当)日限」に変更され、発行箇所名の表記も新橋駅発行の券同様に省略されています。

しかし皮肉なことに、この様式は戦後も永らく続き、基本的な部分はJR化後の硬券末期の東京印刷場調製の地図式券にまで引き継がれています。

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鐵道省 新橋駅発行地図式券

昭和18年11月に新橋駅で発行された、地図式の片道乗車券です。


   


白色無地紋のB型大人専用券です。

様式としては前回御紹介いたしました神田駅発行のものと同一ですが、昭和18年頃になると戦局が一層悪化し、徴兵による人手不足対策として印刷工程を減らすため、地図式券については版が複雑なために偽造が困難なことから地紋の印刷を省略した券が登場しています。


   


裏面です。基本的には神田駅のものと似ていますが、印刷工程の省略のため、発行箇所名の表記が廃止されています。

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鐵道省 神田駅発行地図式券

前回と前々回に亘り、鉄道省時代の地図式券を御紹介いたしておりますが、本日もその続編となります。


   


昭和17年1月に神田駅で発行された地図式券です。桃色GJRてつだうしゃう地紋の大人用地図式券となっています。


地図式券は昭和10年にB型券として登場し、翌11年にはA型券となって図を記載する版面に余裕のある様式に変更されましたが、太平洋戦争の戦局が暗転してきた時代になり、昭和16年頃ら戦時体制のために券紙をB型に戻し、用紙不足や戦時節約に対応した様式に変更されています。

券種は5銭・10銭・15銭の3つの運賃帯で、昭和17年の運賃改正時からは10銭・15銭・20銭・25銭・30銭の5運賃帯に拡大されています。
左上にはA型券時代同様に「(裏面注意)」と記載され、注意事項は裏面に記載されています。


   


裏面です。基本的にはA型券時代とは記載事項に変わりはありません。なぜか表面は「神田」ですが、裏面の活字は「示(しめすへん)」の旧字体の記載となっています。


この後、さらに戦局は厳しくなり、71年前の昭和20年8月14日に大日本帝国はポツダム宣言の受諾を連合国側に宣言し、翌15日、天皇陛下の玉音放送と呼ばれる終戦の詔書の朗読放送によって敗戦が日本国民に公表され、終戦の日を迎えることになります。

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鐵道省 澁谷駅発行地図式券

前回エントリーで新宿駅発行の元祖地図式券とも言える試行期の券を御紹介いたしましたので、その後に様式変更となった券を御紹介致しましょう。


   


昭和13年4月に澁谷(渋谷)駅で発行された地図式の片道乗車券です。桃色GJRてつだうしゃう地紋のA型大人専用券です。

この様式は昭和11年11月に制定された様式で、券売機用のものとは違い、A型券として登場しています。この様式は山手線内や総武線浅草橋~亀戸間の駅に、5銭および10銭の区間用として設備されていたようです。

注意事項は裏面に記載されており、左上には「(裏面注意)」と記載されています。


   


裏面です。

この様式より地図式券の裏面には発駅が記載されるようになり、「表面太線区間内の一驛(駅)ゆき」という表記がなされるようになっています。

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