【写真:朝日新聞襲撃事件資料室で、116号事件取材班の記者から説明を聞く新人記者たち。手前は、小尻記者のエックス線写真と事件当時着ていたジャンパー】
■ひるまない、誓い胸に
胸部から腹部にかけ、蜂の巣のように散らばる小さな粒。陳列ケースに展示されたエックス線写真には、体内の鉛の粒が無数の白い点となってくっきりと写っている。
87年5月3日、散弾銃を持った男が兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に押し入った。男の放った弾は、直径2.41ミリの鉛約400粒を包んだプラスチック製の筒ごと小尻知博記者(当時29)の左胸部に入り、胃の後ろ側で炸裂。動脈を破損し、内臓を破壊して絶命させた。
支局3階には、一連の朝日新聞襲撃事件(警察庁指定116号事件)を伝える資料室がある。
小尻記者が事件当時に着ていた血まみれのジャンパー、座っていた応接セットのソファ、銃撃されて重傷を負った犬飼兵衛元記者(64)の財布や被弾してつぶれたボールペン。事件の概要をまとめた映像とともに、生々しい資料を目の当たりにして言葉を失う人も多い。
◇
見学者カードをとじたファイルは4冊目に入った。
涙があふれて止まりませんでした。この感情は何だろう。自分の中でわき起こったこの感情の波をずっと持ち続け、感じ、考えていきたいと思います(大阪府豊中市の40歳代女性)
遺族の悲しみは計り知れない。これ以上このような人々を生み出してはいけない(東京都品川区、20歳代男性)
06年4月に資料室が開館して3年。訪れた人は累計で3千人を超える。
事件を直接知らない若い人も少なくない。西宮市の大学生、岩崎邦宏さん(22)は今月1日、初めて資料室を訪れた。「変形したペンや穴の開いたジャンパーを見ていると、遺品が『風化させるな』と語りかけてくるような気がした。ありきたりかもしれないけれど、一人ひとりが恐れずにものを言っていくことがこんな事件をなくす第一歩になるのかな」と話した。
西宮市で工務店を経営する吉村平さん(69)は、毎年欠かさず5月3日に支局を訪れている。小尻記者と面識はなかったが、事件後、支局近くのホールで開かれた小尻記者の社葬に参列した。
あのとき、暴力がはびこる社会に一変するのではないか、と直感的に思った。「ひとごとではない、何か意思表示しないと」と居ても立ってもいられなかったという。「社葬は参列者の怒りにあふれていた。あの怒りを絶対忘れない」
◇
資料室の壁に、額に入れて展示した句がある。
〈明日も喋ろう弔旗が風に鳴るように〉
元は群馬県の詩人、小山和郎さんが友人の死を悼んで詠んだ作品だが、「暴力にひるまず記事を書き続けよう」という誓いの言葉として、事件の数日後から、小尻記者の遺影とともに阪神支局に掲げ続けてきた。句に託した思いは、支局を訪ねてくる町の人たちの願いでもある。(おわり)
(この連載は吉野太一郎が担当しました)
【関連ニュース番号:0905/52、5月9日など】
(5月9日付け朝日新聞・電子版)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000905090001