届け出順
■嘉田 由紀子氏(60)無現/「残る人生学問より政治に」
ペットボトル飲料は「もったいない」と手をつけず、自分で入れたお茶を水筒に入れて持ち歩く。それでいて晩酌は欠かさず、飲みっぷりも豪快だ。
議会対策に記者会見。次々と迫られる重要案件の政策判断。ストレスから解放されるのは、週末に孫たちと接する時だ。3月に4人目が生まれ、5月に還暦を迎えた。「残る人生、やり残したことをやって冒険する。最後は政治に賭けてみたい」
埼玉県の養蚕農家に生まれた。「嫁は家庭で働く道具」と祖父は言ったが、母からは「女も経済力を持ちなさい」と教わった。祖父の反対を押し切って高校に進学した。
「女は女に生まれるのではなく、女に作られる」。女らしさが社会の強要に過ぎないと訴える先人の言葉を支えに、大学では家族をテーマに社会学を学んだ。
「互いに独立しながら助け合う」が結婚観。元夫も同じ研究者。「知事の夫はいや」と当選後に離婚した。お互い納得の「円満離婚」だった。
高校の修学旅行で出会った琵琶湖に恋した少女は、やがて県の琵琶湖研究所の職員となって湖国に戻り、琵琶湖博物館の総括学芸員にもなった。公共事業万能の時代。「このまま開発されたら琵琶湖がおかしくなる」。本を書き、論文を発表しても、いっこうに政治が変わらない挫折感から、政治を志した。
「学者に戻れと言われても、もう戻りません」
■丸岡 英明氏(61)無新/「財政難も未来へ投資優先」
選挙に立候補するのは初めての経験だ。周囲に背中を押され、考え抜いた末の決断だった。「今の県政を改めたいという姿勢は誰でも共通している。皆さんに指名していただいたので、出ようと思った」。控えめに語る言葉に、覚悟がにじむ。
政治家を志したことはなくても「政治を変えたい」という思いはあった。子どもや労働者など「弱い立場にある人たちの暮らしを守りたい」と、労働組合などの活動に先頭に立って取り組んできた。
原点は、30年以上教師として働いた経験だ。中学野球部の監督を務め、朝から晩まで子どもたちと一緒にグラウンドを駆けずり回った。「バッテリーを育てるのが得意」と、退職した今でも、週末は母校の湖北中学野球部の指導によく出かける。
地域コミュニティーの希薄化や不況の影響で、子どもを取り巻く環境は厳しくなっていると感じる。家庭を支える労働者の雇用も深刻だ。家庭と学校、地域が連携する教育の仕組みづくりや、労働者の権利を守る取り組みを「行政が先頭に立ってやるべきだ」と話す。
理想の教師像は「相手と真正面から向き合い、共に成長できる教師」。思いは、目指す知事像にもつながる。選挙戦では地域の人々の訴えを受け止め、全小中学校の少人数学級実現などを掲げる。「財政は厳しいが、優先すべきは未来への投資だ」と力を込める。
■上野 賢一郎氏(44)無新/「政治の原点、地方での経験」
知事選で掲げるキャッチフレーズは「琵琶湖ルネッサンス」。無限の可能性を感じるふるさとの潜在能力を必ず開花させる、との決意を込めた。
政治の世界を志した原点に、地方での経験がある。
大学卒業後、旧自治省(現総務省)入り。赴任先の岩手で出会った当時の知事、増田寛也氏に衝撃を受けた。「できないじゃなくて何ができるか考えろ」「地域に出て、生活を肌で感じろ」。そのことばを受け、県庁マンが率先して地域に入っていく姿を見て「政治家次第で行政は大きく変わる」と強く感じた。
当地で携わった総合計画の策定にあたり、各地の県民の声を聞き、人口140万人のうち3万人がかかわる立案に奔走した。
長浜市の商店街に店を構える雑貨屋の長男として生まれた。生まれ故郷への思いは強い。
地元の風物詩「長浜曳山(ひき・やま)まつり」では子ども歌舞伎に2度出演。主役を演じた当時の経験を話すくだりになると、おのずと口元がゆるむ。中学ではバスケットボール部、虎姫高校では陸上部に所属。長距離走が得意だ。
昨年の衆院選で落選。雪辱を期したが周囲から知事選出馬を請われ、悩み抜いた末に県政への転身を決意した。
「また一緒に頑張ろう」。妻は快く受け入れてくれた。落ち込んでいる時、妻から届く愛情メールが、元気の源になっている。
(6月29日付け朝日新聞・電子版)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000291006290002
■嘉田 由紀子氏(60)無現/「残る人生学問より政治に」
ペットボトル飲料は「もったいない」と手をつけず、自分で入れたお茶を水筒に入れて持ち歩く。それでいて晩酌は欠かさず、飲みっぷりも豪快だ。
議会対策に記者会見。次々と迫られる重要案件の政策判断。ストレスから解放されるのは、週末に孫たちと接する時だ。3月に4人目が生まれ、5月に還暦を迎えた。「残る人生、やり残したことをやって冒険する。最後は政治に賭けてみたい」
埼玉県の養蚕農家に生まれた。「嫁は家庭で働く道具」と祖父は言ったが、母からは「女も経済力を持ちなさい」と教わった。祖父の反対を押し切って高校に進学した。
「女は女に生まれるのではなく、女に作られる」。女らしさが社会の強要に過ぎないと訴える先人の言葉を支えに、大学では家族をテーマに社会学を学んだ。
「互いに独立しながら助け合う」が結婚観。元夫も同じ研究者。「知事の夫はいや」と当選後に離婚した。お互い納得の「円満離婚」だった。
高校の修学旅行で出会った琵琶湖に恋した少女は、やがて県の琵琶湖研究所の職員となって湖国に戻り、琵琶湖博物館の総括学芸員にもなった。公共事業万能の時代。「このまま開発されたら琵琶湖がおかしくなる」。本を書き、論文を発表しても、いっこうに政治が変わらない挫折感から、政治を志した。
「学者に戻れと言われても、もう戻りません」
■丸岡 英明氏(61)無新/「財政難も未来へ投資優先」
選挙に立候補するのは初めての経験だ。周囲に背中を押され、考え抜いた末の決断だった。「今の県政を改めたいという姿勢は誰でも共通している。皆さんに指名していただいたので、出ようと思った」。控えめに語る言葉に、覚悟がにじむ。
政治家を志したことはなくても「政治を変えたい」という思いはあった。子どもや労働者など「弱い立場にある人たちの暮らしを守りたい」と、労働組合などの活動に先頭に立って取り組んできた。
原点は、30年以上教師として働いた経験だ。中学野球部の監督を務め、朝から晩まで子どもたちと一緒にグラウンドを駆けずり回った。「バッテリーを育てるのが得意」と、退職した今でも、週末は母校の湖北中学野球部の指導によく出かける。
地域コミュニティーの希薄化や不況の影響で、子どもを取り巻く環境は厳しくなっていると感じる。家庭を支える労働者の雇用も深刻だ。家庭と学校、地域が連携する教育の仕組みづくりや、労働者の権利を守る取り組みを「行政が先頭に立ってやるべきだ」と話す。
理想の教師像は「相手と真正面から向き合い、共に成長できる教師」。思いは、目指す知事像にもつながる。選挙戦では地域の人々の訴えを受け止め、全小中学校の少人数学級実現などを掲げる。「財政は厳しいが、優先すべきは未来への投資だ」と力を込める。
■上野 賢一郎氏(44)無新/「政治の原点、地方での経験」
知事選で掲げるキャッチフレーズは「琵琶湖ルネッサンス」。無限の可能性を感じるふるさとの潜在能力を必ず開花させる、との決意を込めた。
政治の世界を志した原点に、地方での経験がある。
大学卒業後、旧自治省(現総務省)入り。赴任先の岩手で出会った当時の知事、増田寛也氏に衝撃を受けた。「できないじゃなくて何ができるか考えろ」「地域に出て、生活を肌で感じろ」。そのことばを受け、県庁マンが率先して地域に入っていく姿を見て「政治家次第で行政は大きく変わる」と強く感じた。
当地で携わった総合計画の策定にあたり、各地の県民の声を聞き、人口140万人のうち3万人がかかわる立案に奔走した。
長浜市の商店街に店を構える雑貨屋の長男として生まれた。生まれ故郷への思いは強い。
地元の風物詩「長浜曳山(ひき・やま)まつり」では子ども歌舞伎に2度出演。主役を演じた当時の経験を話すくだりになると、おのずと口元がゆるむ。中学ではバスケットボール部、虎姫高校では陸上部に所属。長距離走が得意だ。
昨年の衆院選で落選。雪辱を期したが周囲から知事選出馬を請われ、悩み抜いた末に県政への転身を決意した。
「また一緒に頑張ろう」。妻は快く受け入れてくれた。落ち込んでいる時、妻から届く愛情メールが、元気の源になっている。
(6月29日付け朝日新聞・電子版)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000291006290002