滋賀市民運動ニュース&ダイジェスト

編集:市民運動ネットワーク滋賀・事務局(TEL:FAX077-522-5415)

【0707/02:自衛隊訓練】陸自大津駐屯地、436人が基礎訓練終了式、新人女性隊員103人も

2007-07-02 01:24:21 | Weblog

陸上自衛隊大津駐屯地(司令・上野恵1佐)で3月から基礎教育訓練を受けた新人女性隊員103人と陸曹候補333人の修了式がこのほど、大津市際川の駐屯地でありました。

式では、女性隊員と陸曹候補の各代表に高野勇人・第109教育大隊長が修了証書を授与しました。

高野大隊長は「厳しい訓練の中で、諸官は団結心と協調心、他人をいたわる心を学んだ。これから各職種の専門課程を受け、自信を持って自分の道を歩いてもらいたい」と激励しまし。上野司令も「防衛省昇格で、国際協力活動が本来任務になり、国民の期待と注目度は大きい」と訓示しました。隊員代表で、陸曹候補生の久我優也2士(18)が「助け合う心、最後までやり抜く精神力を学んだ。立派な隊員になります」と決意表明しました。

7月から全国に配属され、実践的な教育を受けます。

(7月1日付け毎日新聞が報道)

http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/shiga/news/20070701ddlk25040280000c.html

【0707/01:県政】嘉田県政1年に関する各紙の特集記事(毎日、読売、朝日)-2

2007-07-02 01:10:46 | Weblog
(関連ニュース番号0706/117、7月1日)

【毎日新聞】

「凍結」の現場から:嘉田県政1年/中 ダム計画 /滋賀
 
◇「容認」方針にためらい? 関係者ら「真意分からない」

かなり奇妙な状況と言ってもいい。

県内に計画される五つの治水ダムの「凍結・見直し」を主張してきた嘉田由紀子知事は2月、県営ダム一つを除き、「容認」「必要性を認める」との方針を打ち出した。6月議会で国直轄の大戸川ダム(大津市)について国の凍結方針の解除を求める姿勢も示した。これらの発言から「凍結」は、ほぼ撤回されたと映るが、県幹部や関係者から「真意が分からない」との声が聞こえてくるのだ。知事が公の場で方向性を示したのに、事務方らに道筋が見えないとは、どういうことか。

「住民に説明してくれると思ったが……」。2月12日に余呉町役場であった丹生ダム(同町)に関する地元住民と知事との意見交換会の後、ある県職員は考え込んだ。水資源機構の同ダムを「凍結」と説く知事は、ダムを望む住民に「国や県にだまされた」と非難された。知事は「思いを重く受け止める」「次世代にどう責任を持つか考えて決断しないといけない」と答えたが、ダムの考えは明らかにしなかった。

この日の意見交換会では、それまでの県内部の協議を経て、知事がダムの必要性を認める趣旨の発言をすると期待されていたが、容認に転換するためらいが発言を思い止まらせたとみられる。

結局、その3日後の県議会で、知事は丹生ダムなどの有効性を公式に認めた。「凍結」に揺り戻したいが、結果的にジリジリと、容認へ進むという、知事のこの1年を象徴する場面だった。

環境社会学者で、過去の水害も調査してきた嘉田知事は「ダムだけに頼らない治水」が持論。ダムなどハード面の充実が安全度を高めた一方で、地域の減災の取り組みや防災意識の衰えなどが大きな被害につながることを憂慮してきたからだ。知事選のマニフェスト(選挙公約)でもダムの「凍結」を明言。就任直後から、ソフト面や(洪水で一時的に水をためる)遊水地機能などを重視する「流域治水」対策を前面に打ち出した。

しかし、どの治水が適切かを再検証した県の技術者は各ダムに関し「ダム以外の方策は難しい」と報告。これに対し、知事は説得力のある反論ができなかったとみられる。代替案を模索しながら時間が過ぎた。翌年度以降の計画や予算化の問題があり、時間的リミットとされる今年2月、知事は方針転換を表明した。ただし、住民の意見を聴いたうえで、最終決定することを繰り返した。

国主導の丹生、大戸川両ダムの行方は今夏がヤマ場だ。淀川水系の今後20~30年に必要なダム名を明記する「整備計画」の原案が示されれば国の両ダムへのスタンスが分かる。丹生は8月の08年度予算概算要求で工事費計上されなければ、事実上凍結との見方があり、建設を望む関係者の間に危機感が広がっている。

前回から2カ月後の4月13日に再び開かれた余呉町民との会合。嘉田知事は、平常時は水をためない「穴あきダム」の可能性を持ち出した。これは国の方針に沿った形だが、ダム湖を活用した街おこしや観光振興を望む町民は水面のある貯水型ダムを求めて反発。住民団体「丹生ダム対策委員会」の三国昌弘委員長(68)が協議の打ち切りと委員会の解散を宣言する事態になった。「穴あきダム」発言を「引き延ばし作戦」と批判する三国さんは「整備計画の原案を見て検討したい」と国の出方を注視。「知事は対話というが、『重く受け止める』と言って終わり。対話ではない」と憤る。一方、市民団体「余呉の明日を考える会」世話人で知事支持の村上宣雄町議(65)は「ダム対策委の話だけが『住民の声』ではなく、住民(全体)とは、乖離(かいり)している。ダムが町の将来のために本当に必要か、見直すいい機会だ」と言う。

ダム計画はどうなっていくのか。知事の持論の「流域治水」対策の予算を認めるに当たり、「ダムが前提」と認めるよう知事に強く迫った自民は県議選で惨敗し、融和路線へ転換した。知事は6月25日の就任1年会見で「苦しいが、勇気ある撤退が公共事業には必要。影響を受けたダムや新駅の地元の人にも理解してもらえたら、というのが願い」とも発言。関係者の中には「容認したはずのダムまで『凍結』への揺り戻しが再び始まったのか」と見る向きもある。結末を予想するのは時期尚早かもしれない。【服部正法】

(毎日新聞 2007年7月1日)

http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/shiga/news/20070701ddlk25010228000c.html

【読売新聞】

嘉田県政1年:「新駅」どう地元に対応、振興策問われる手腕(2)

「凍結を前提としたお話ができるのですね」。6月7日、県庁で国松正一・栗東市長と会談した嘉田知事は、新駅に代わる地域振興策の提示を求めた国松市長に、40分間で18回も迫った。国松市長は「推進の立場は変わらない」と繰り返したが、2人の間で「凍結後」が初めて話題になったとして、知事は「ステージ(段階)が変わった」と笑みを浮かべた。

昨年7月の就任記者会見で、知事は「細部を知れば知るほど、(新幹線新駅の)凍結は難しいと感じた」と、率直な感想を述べた。ところが、迂回(うかい)用の仮線路設置費の起債を差し止める判決が出たり、県議選で「凍結・中止」派が過半数を占めたりと、“追い風”が何度も吹いた。

現在、現場の工事は中断し、2006年度に地元がJR東海に支払った工事費負担金5億4000万円が清算されるなど、実質的に「凍結」は実現。現行計画での新駅建設は中止が確定的になっている。

知事に近い関係者は「もともとそれほど新駅問題に関心は強くなかったが、(知事選で)勝つために公約の前面に出した」と打ち明ける。しかし、マニフェスト(公約)の多くを撤回・修正した今、「政治生命を賭ける」と宣言するほど凍結実現にこだわりをみせる。

県幹部は「新駅問題が、知事を象徴する政策になった。これも撤回すれば、ほとんど何も残らない。まさに『生命線』と考えているのだろう」と推察する。

新駅問題の最終結論は10月末までに出すことになっている。知事は期限までの政治決着を目指すが、栗東市や周辺市などはあくまで「推進」の立場を崩しておらず、合意に至っていない。

たとえ「凍結」が実現しても、さらに大きな課題が待ち受ける。新駅予定地周辺の区画整理事業の「後始末」だ。栗東市はすでに112億円(簿価)で約5ヘクタールの土地を先行取得し、文化財調査や水路などの工事も一部着手した。

国松市長は「凍結になっても、市や市民が損害を被る訳にはいかない」とし、引き続き県に、駅に代わる地域振興策を求めていく考えで、損害賠償も視野に入れる。

周辺市長も同調。湖南市の谷畑英吾市長は「原因者である県が責任をとるべき」、野洲市の山崎甚右衛門市長も「地域振興策の責任は県にあるのではないか。早く今後の道筋をつけなければならない」と注文をつけた。

県は昨年11月、凍結した場合に生じる県の損失額を「約10億円~数十億円」とする試算を明らかにした。損失額がそのまま、県が支払う賠償額になる訳ではないが、県幹部は「駅に代わる地域振興策などで県が全く責任を負わない訳にはいかない。“勇気ある撤退”にも大金がかかる」とこぼす。

「地元にも誠意を持って対応させていただくのが私の責務」という知事。しかし、新駅については「対話」を通じた「共感」が得られていない。知事の手腕が問われるのはむしろ、これからだ。

(2007年7月1日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news001.htm

【朝日新聞】

嘉田旋風1年 知事を生み出した力 中

【井戸端】【「お任せ県政」脱却へ】【環境、暮らし対話重ね】

89年に県内で始まったホタルの生息調査「ホタルダス」を通じて、NGO「水と文化研究会」事務局長の小坂育子(59)は嘉田由紀子と知り合った。2人の間では数年前から知事選が話題に上っていた。

川端(かばた)のように、水を使い回すことを知らない子どもたちが増えていた。暮らしの文化が伝承されていないと痛感した。小坂は「県を良くするには、知事になるしかないんちゃう」と嘉田の背中を押した。

昨年1月、2人は政策や理念、考え方を整理し始めた。県財政を調べると、1兆円近い借金に驚いた。2月に新幹線新駅の是非を問う住民投票条例案を県議会が否決。まもなく孫が誕生した嘉田は、県の現状を変えようと決意を固めた。

4月に立候補を表明したが、運動は知人が頼り。「おそらく誰も勝てると思っていなかった。嘉田さんと私をのぞいては」と小坂は言う。
    ◇
高島市畑の澤井君子(71)は5月、棚田に田植えをする嘉田と京都精華大の学生らに、手作りのはんてんやもんぺを貸した。数年前から続く行事だが、嘉田は新幹線新駅の問題を住民に説明した。澤井は「話を聞くうち、嘉田さんが知事になれば駅は止められると思えた」と話す。

6月、告示が近づくにつれ、小坂は選挙の大変さを痛感し始めた。県内のポスター掲示場は5487カ所。張るのにどれだけ人が必要か分からなかった。選挙を支えたある女性は「知っていたらスタートも切れなかった」と振り返る。

選挙戦の中盤、高島市新旭町饗庭の中村美重(70)は嘉田の選挙カーに乗り、市内を回った。中学教師だった約20年前、ホタルダスを通じて知り合った。立候補を聞いた時は「とても勝てない」と思った。嘉田は顔見知りの女性を見つけると選挙カーを止め、「やあ、お久しぶり」と井戸端会議を始めた。「これじゃ予定の半分も回れない」と中村はいらだった。「今思うと、あの井戸端会議こそが嘉田さんの選挙」と中村は言う。

ホタルダスの活動には延べ3400人がかかわっていた。水の調査で主婦ら50人が聞き取りしたのは600集落、約2千人。暮らしや環境に密着した活動を通じた仲間が、波紋のように支持の輪を広げていった。

勝てるかどうか。

小坂らは最後まで手応えを量りかねていた。投票日前夜の9時ごろ。応援に来た実姉が選挙事務所で「あと数日あれば」とつぶやいた。その言葉に嘉田が反応した。
「勝つわよ」
    ◇
当選から1年。新幹線新駅問題は中止が確実な情勢になったが、選挙で掲げたマニフェストの政策の多くは実現できていない。しかし、支持者のある女性は「遠い存在だった政治を、みんなが語るようになるまで近づけた。1年で何をしたかより、嘉田知事の出現そのものが成果」と話す。

選挙後、嘉田の後援会長を退いた小坂は言う。「知事にお任せではなく、住民が地域の将来を考え、自分の問題として話し合う。そんな双方の努力が、『対話の県政』につながるはずです」(文中敬称略)

(7月2日付け朝日新聞)

http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000707020002