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臓器移植について私の考え(3)

2014-05-21 09:27:18 | 整理(~2023年)
臓器移植について私の考え(1)
臓器移植について私の考え(2)


ドナーになることに消極的な理由を書きましたが、それはレシピエントになることに消極的な理由にもなります。

①臓器を提供した人(ドナー)、移植を受けた人(レシピエント)のプライバシーを守るため、お互いが誰なのかを知ることはできないということ。

②私は‘魂’や‘念’というものがあると思っていること。


ドナーが誰か分からないという事は私にとっては怖いです。

ドナーに臓器移植の意思が積極的にあったのか、ドナー本人の明確な意思表示なくて家族の意思によるものなのか…
周りの人から信頼され慕われるような人であったのか、他人から恨まれるような人であったのか…
突然ドナー対象になってしまったのか、ドナーになるまでしっかりと考える時間があったのか…

完全無欠な人なんていませんが、その人の性格や思いが臓器に転移する事実があるのなら、ドナーがどんな人だったのか知りたいけれども、レシピエントはドナーを選ぶことも誰かを知ることもできない。

どのような人であっても私は絶対に悩んでしまうと思う。
ドナーの性格によって自分が変わってしまうのではないかとか、他人の臓器によって生かされた自分の命なのだから絶対に粗末にできないという思いに縛られてしまうのではないかとか…
自分の臓器なら少しくらい無理をしてもいいっか…というような心の余裕もなくなりそうです。


人はいつか死にます。
誰かの死による臓器移植でないと生きていけない病気になれば、それは運命と受け止め私の人生を私の臓器と一緒に全うしたいと思う。

こんな風に考える私はおかしいのかもしれません。
こんなこと言っていても、いざ土壇場になれば考えが変わるかもしれません。

でも、土壇場で焦って後悔する選択をしないよう、一度は真剣に考えないいけないような気がします。