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臓器移植について私の考え(2)

2014-05-20 09:38:54 | 整理(~2023年)
「記憶転移」についてご存知の方はどれほどおられるのでしょう…

記憶転移とは、臓器移植によって提供者(ドナー)の記憶の一部が受給者(レシピエント)に移る現象。

「ブラックジャック」という有名な漫画で、角膜を移植された女性の話がありました。
ある男性に殺されたAさんの角膜をBさんに移植したところ、それからBさんは見知らぬ男性の姿が脳裏に浮かび悩まされます。
その男性はAさんを殺した犯人だったという内容でした。

これを読んだときはフィクションだと思っていましたが、最近、この記憶転移についてドキュメンタリー番組で取り上げられていましたし、臓器移植や心臓記憶を扱ったドラマも見ました。

このことも、臓器移植について考える大きなきっかけの一つでした。


私がドナーにもレシピエントにも消極的になる原因の2つ

①臓器を提供した人(ドナー)、移植を受けた人(レシピエント)のプライバシーを守るため、お互いが誰なのかを知ることはできないということ。

②私は‘魂’や‘念’というものがあると思っていること。


私の身体は、私の身体として41年間動いてくれている。
身体表面の見える部分は毎日のように見ているし、毎日触っているし、手入れもしている。
胃がムカムカするとか、走ったら心臓がバクバクするとか、肝臓のためにお酒を控えようとか、子宮筋腫は大きくなっていないかとか、塩分の摂り過ぎは腎臓に悪いとか…見えない臓器のことを考えることがある。

私の臓器(身体)に対する思いは蓄積され、たとえ私が脳死になり私の臓器が誰かに移植されたとしても、私の臓器に対する思いや性格も一緒にレシピエントに移ってもおかしくない気がする。
事実、ドキュメンタリーやドラマにあったように、脳以外の臓器を移植したのにレシピエントがドナーの性格の影響を受けることがあるらしい。
もし、私がドナーになったら、私の性格がレシピエントに影響を及ぼし、悩ませ辛い思いをさせてしまうのではないかと思ってしまう…

また、身体は死んでも臓器の一部が生きていると、レシピエントが死ぬまで完全に成仏できないような気がします。魂が引き裂かれた状態はとても苦しいのではないかと…
自分の愛する人のためならこの苦しさも我慢できるかもしれないが、そうでないのなら耐えられない辛いものになりそうな気がして、ドナーになることをためらうようになりました。

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