今日もイキイキ

思うままに綴っています
ブログによって新たな自分を発見!?

誰の責任でもない!?

2014-02-26 12:40:23 | 日記(~2023年)
ここ数年、人生について考える時間が増えた。
特にこの2年ほどは、これからの人生を悔いのないように生きるために考えているし、悔いのないよう行動することに努めているつもりです。

ちょっと極端な例ですが 

誰かの無謀な運転によって交通事故に遭い半身不随になってしまったら…
殺人事件に巻き込まれたりしたら…

ある出来事によって、自分の望む人生とは真逆の人生を生きなければならなくなったとしたら?

その出来事を起こした人を恨みたくなったり、呪いたくなる気持ちは私だけではないと思います。

「人を呪わば穴二つ」

人を恨んだり呪ったりすることは良くない事だと分かっていても、どうしてもその気持ちを消化できない時、さらに苦しむことになる。

私はある人によって人生を大きく変えられた。
その人がいなければ、こんなにも苦しむことはなかった。
私の人生を大きく変えたその人を責めたい、恨みたい、復讐したい、呪いたいという気持ちにまでなりました。
今は随分その気持ちも消化できたように思うけど、まだまだ消化しきれないくらいの思いがある。
少しでも消化できるよう努力はするけど、おそらく死ぬまで完全には消化できないと思う。

こんな私の状況をいつも傍で見ていた主人も、私と同じ気持ちだと思っていました。

しかし、主人は私の気持ちが分からないと言う。
その人を責めたくなる私の気持ちが全然理解できないと言う。

かなりショックでした…
本当にそう思っているのだとしたら、この人とは一緒に生きていけないかもしれないとも思いました。


人生には辛い事、悲しい事、楽しい事、哀しい事、嬉しい事、いろんなことがあります。
それは、その時点ではそういう出来事なのかもしれません。
苦労の絶えない、他人から見れば不幸な人生を送った人でも、最期は感謝で穏やかな死を迎える人がいます。いろんな出来事があったからこそ、今のその人があり、その人の人生があり…
そう考えると、人生というスパンで見れば、自分が産まれる時代、場所や時間、親や環境を選べないのと同様、それらの出来事は究極は誰の責任でもないのかもしれない。
怨み憎む人と出会う苦しみ「怨憎会苦」は、避けられない宿命だとしたらやはり誰の責任でもないのかもしれない。


主人の言葉はショックでしたが、人生について考えるきっかけを与えてくれたことには感謝です。