こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

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憲法の時代の今 朝鮮国に黒々と・・・

2018年05月02日 | スケッチ
 まだ、体調が戻らない。
現職の頃、年に一回は風邪などをひき、2~3日寝込むのが通例だった。
退職して、めちゃくちゃな生活から解放されて、そうしたこともなくなった。
議員になり、そうした生活から7年ぶりに変化、今回の体調不良になったかも。
 今日の日刊紙の9面「明治150年を考える」欄に
新井勝紘市の一文が掲載されていた。
「自由民権から先駆的憲法草案」「国民の国家構想をつぶした政府」と題して
「日本の近現代史の中で憲法の時代が3回あった」
「第一期が1880年代の自由民権運動、
第2期が1945年以降の日本国憲法発布まで、そして第3期が現在」と述べ、
幕末から自由民権運動の時期には全国で100を超える草案が作られ、
その中の一つ「五日市憲法草案」(東京都五日市町・現あきる野市)の
先駆性を指摘、国民の権利の自由、教育の自由、地方自治などを明記していたという。
 第一期の憲法の時代、自由民権運動の高まりの中で生まれた人民中心の憲法草案は、
政府による中央集権国家を目指した帝国憲法によって葬り去られた。
その帝国憲法の下で日本は、1945年の敗戦まで突き進むことになる。
「明治150年」はそうした負の側面も正しく検証する必要があると。
 第3期の憲法の時代の今、自由民権運動に匹敵する壮大な運動を
列島各地から・・・と強く思う。

盛岡市内にある盛岡城址公園。歴代南部藩の城。
今は石垣だけが残る。その一角にこの碑はある。
若き石川啄木が授業を抜け出て詠った「十五の心」が
刻まれている。
 1910年の朝鮮併合の報を聞き、
巷では「日本万歳」のちょうちん行列が行き交う中、啄木は
「地図の上 朝鮮国に黒々と 墨を塗りつつ 秋風を聴く」と詠った。
その前年、1909年には大逆事件も起きている。
いずれも帝国憲法下の下。