こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

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  誰もが穏やかに暮らせる社会を

今日の一首「世の中を 変えるしんどさ 山に入り 緑の風の心地よきかな」   

2024年07月17日 | 短歌 俳句 川柳

 しばらく山歩きができていない。やることがあれこれと山積。しかも、なかなか片付かないもどかしさ。心も体も少々重い。

 梅雨明けもそろそろ。汗をいっぱいかきながら、近くの低山から山に行く計画など考える。

 そんな中、昔、同僚だった山好きのTさんが秩父の山で岩登りの練習中に滑落して亡くなったとの報。愕然とする。私より2年後輩。障害児学校の寄宿舎指導員として子どもの指導、平和活動など熱い思いで仕事をしていたことを思い出す。退職してからもその山登りの活動を生かしてクライミングのサークルを作って活動していたとのこと。

 まだ若すぎる訃報に慙愧に堪えない。

今日の一首「世の中を 変えるしんどさ 山に入り 緑の風の 心地よきかな」


今日の川柳「聞く耳は 3分だけと マイク切る」

2024年05月13日 | 短歌 俳句 川柳

 水俣病患者との懇談会で、患者団体の代表が発言中に、3分間の制限時間が過ぎたとしてマイクの音を切られる事件が。会場にいた環境大臣は、それをおかしいとも思わず、時間が来たというので会場を後にした。

 マスコミで報道され、あまりにひどい対応に、さすがに事実を認め、謝罪。

 それにしても水俣病で苦しんできた患者が、その胸の内を環境大臣に訴える時間が一人3分、と言うのはあまりに官僚的。本当に聞く気があるのか。

 今日の川柳

「聞く耳は 3分だけと マイク切る」

「我が家にも あったらいいな 裏の金」

「裏の金 表に出ても 裏の金」

カラスが器用に蓋を開けて中の水を飲んでいた。すごい!

 


憲法記念日に一句「一筆啓上 憲法泣かすな 九条活かせ」 

2024年05月09日 | 短歌 俳句 川柳

 5月の連休が終わり、通常の日々に。5月3日の憲法記念日の大集会に参加。岸田総理が「任期中の改憲」を表明する中、「九条変えるな」の声をさらに広げることが大切と痛感。

 憲法守れの思いで一句

「一筆啓上 憲法泣かすな 九条活かせ」

上野の都立美術館で開催されている「九条美術展」での作品

ミサイルを持つドン・キホーテ。


三郷啄木祭 「教師としての啄木」奈良達夫氏の講演

2024年04月13日 | 短歌 俳句 川柳

 今日、隣の三郷市で「第5回三郷 啄木祭」が開催された。案内を受け初めて参加。松伏町議会選挙が無投票になって、今日の時間が取れた。

 会場には70~80名の参加者。その多さにびっくり。講談師甲斐淳二さんの「房総 花物語」 ミニ講演 大津留公彦さんの「漱石の「こころ」のKは啄木か?」と題しての話。なかなか面白い。

 「教師としての啄木」と題しての奈良達夫さんの講演は 上田庄三郎氏の「青年教師としての啄木」の文献を紹介しながらの話。昭和29年に書かれたもの。

 啄木の教師としての経験は渋民小学校で代用教員1年、函館の弥生小学校で3ケ月、という短いもの。しかし、当時の官製教育、軍国教育に真っ向から抗して、子どもこそ主人公の教育を実践。校長、県視学官(当時の教育委員会)をものともせず、自らの実践を貫く。

 子どもの実生活を直視し、子ども主体の教育を掲げて戦前の教育運動に足跡を残した「生活綴り方教育」の祖ともいうべきと奈良氏の弁。

 私は啄木の出身である渋民村のある岩手県、盛岡の地にある岩手大学で4年間過ごし、生活綴り方研究会にほんの少し身を置いたことがある。「日本一の代用教員」と言う啄木の言葉にひかれ「日本一の教員」目指して38年間、都内の障害児学校で子どもたちと過ごした。

 今日の講演での話は、私の過ごしてきた過去の日々がいくつもつながっていたことに新鮮な驚き。啄木と盛岡、啄木と生活綴り方、啄木と教師、「青年教師としての啄木」を書いた上田庄三郎氏は日本共産党元議長の不破哲三さんのお父さん。上田氏は確か、土佐高知の教員で、30代で校長になり、子どもの自主性を生かした教育を実践した人と聞く。

 久しぶりに文化の香?に浸ることができた時間。帰りがけ八潮市内に戻り、2時間ほど流し宣伝しながら何人かの人と対話して帰宅。

 改めて啄木の文献など読みたくなった。

今日の日に拙首。

「今問わん 時代閉塞の現状 4月13日は啄木忌」

「ひたひたと 迫りくる音 戦争はいつの時代も ある日突然」

「日本一の 代用教員たらんと欲す 啄木の心に我もまた」